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episode8(ⅱ)

 頬の触れる地面が小刻みに震えていた。


 瓦礫を退かす騒がしい音が空気を震わしている。

 曇った視界でうっすらと確認できる影たちは忙しなく動き回る。

 痛い。

 右肩に近い首筋に鈍痛が脈打つ。

 炎症を起こしているのか熱を持っており、その箇所だけが熱くて仕方なかった。

 口内に入った砂利が不味い。

 重い頭を無理に動かすと、影が少年を覆った。


「起きたのかい」


 聞き馴染みのある涼やかな声だ。

 うつ伏せに倒れていたシュリは、呻きを漏らしながら声の主――ヒュウを呼ぶ。また同じ声が応答した。


「無理に起きるなよ。折角僕が縫った傷が開いちゃうじゃないか」

「は、発症者の、駆除は……っ」


 苦し紛れに問うシュリが起き上がろとするのを青年は両手で丁寧に支える。


「それなら、ついさっき処刑人たちがやった。あんたはまず自分の心配をしなさい」


 叱られつつシュリはやっとの思いで上体を起こした。脳が揺れているように眩暈がして思わず表情を歪める。


 戦場となった街は、想像していたよりも小規模な被害で済んだらしい。ここから処刑人の駐屯地が近いこともあって、ことは短時間で片付いたみたいだ。


 見回せるほど落ち着きを取り戻したシュリは視線を下げる。それを見計らって師は彼に言った。


「負傷部分は首筋。その他目立った外傷はナシ。直径一センチ弱、円形の鋭利な物を刺された。てな感じなんだけど、何があったのか話せるかい」


 暫くの沈黙。

 少年は顔を顰め、順に記憶を辿ったが首を左右に振った。覚えていないらしい。


「セレスを連れて、事務所に帰ろうとしたところまでは、覚えているのですが……」


 弟子の返答にヒュウは腕を組んで唸った。

 彼の両手は、洗い残された血液がこびり付いている。骨張った長い指、綺麗に切り揃えられている爪。


 少年はそれらを網膜に落とし小さく、役に立たないと、と呟いた。


 覚束ない足取りで事務所に戻ると、セレスが出迎えてくれた。追って少女の後ろから一人の女性が歩いてきた。


「すまないな、フレイア。急に子供のお()りを任せてしまって」

「構わないわよ。配達のついでだったし、子供は好きだから」


 相変わらずの妖艶な笑い方をする女性――蝶の人外であり、氷輪の救急箱の協力者であるフレイアが答えた。


 シュリも挨拶をしようと口を開いたが咳が喉を焼いた。気分の悪さが尾を引いている。蒼白した顔の少年を隣のヒュウが咄嗟に支えた。

 様子のおかしい彼に、心配した表情をしたセレスが駆け寄る。フレイアも問わずにいられなかった。


「真っ青じゃない、どうしたの」

「狩る前に誰かから薬……たぶん麻酔を刺されたみたいだ」


 返答できない少年の代わりに青年が答える。彼の言葉を聞いたフレイアは怪訝そうに首を傾げさせた。


「麻酔って、眠らされたってこと?」

「あぁ。相手が誰かも目的も分からない」


 眉間に皺を寄せ苦悶の表情をするシュリをソファへと座らせる。胸に渦巻く気持ち悪さが抜けるまで休ませるようだ。

 心配の気持ちが止まないセレスは少年にぴったりと身体をくっつけ彼の様子を窺っている。


 ヒュウが事のあらましを説明すると、気難しそうに女性は顎に手を当てて呟く。


「その反応だと普通のものじゃないわね。殺すつもりで刺したようにしか見えないわ」


 幸い注射された麻酔の量は少なく、最悪の事態にならずに済んだ。しかし襲ってきた人物の目的が不明である。

 人外が暴走した直後というタイミング、一般人なら手に入りにくい注射器での襲撃。


 どう見ても計画性が疑えるとヒュウが言った。

 偶然少年に出くわしたということもないだろう。セレスの迎えの帰りという事はイレギュラーな事だ、後を付けていた可能性が高い。


「シュリ、二の舞は避けてくれ。最近は発症者が多いし、あんたが早急に駆除しないとコッチも困る」


 彼の優しい声が余計に申し訳なさを掻き立てた。

 少年は何度目なのかも分からない謝罪の言葉を口にする。


 店に戻ってシュリに打たれた薬について調べると言い、フレイアは事務所を後にした。


 一方、ヒュウは弟子の看病に努めている。

 未だ気分の悪さが残るシュリは上体を起こす気力もないようだ。


「ベッドで寝た方がいいんじゃないか?」

「いえ、大丈夫です……貴方の傍に、いたいので……」


 血色の悪い肌に汗が伝っている。縫った箇所も痛むのだろう、荒い息を吐いて奥歯を噛み締めていた。

 つらそうにする愛弟子を見ていたヒュウの口が思わず衝く。


「僕が代われたら良いのにな」

「だめ、です」


 間髪入れずに弟子が断言する。

 自分に添えられていた師の手に触れると、するりと指を伸ばし、彼は弱々しく握った。


「先生が苦しむのは、見たく、ありません……」


 そう言うとシュリは重い瞼を下ろした。麻酔が残っていたらしく、彼はそのまま眠りに落ちる。

 長い睫毛の少年の寝顔は一見穏やかだ。

 師は優しく握られた片手を眺め、自分でも分からないほど小さな息を吐く。


 視線を上げるとシュリに寄り添っていたセレスも眠っていることに気付く。小さい体を丸めていた。

 まるで兄妹だとヒュウは表情を綻ばせ、するりと少年の手を離す。微かな温もりが遠ざかった。


 彼は心做しか悲し気な目をして立ち上がり、乾いたヒールの音を鳴らしながら席に着く。古い木の椅子は一声軋むと黙り込んだ。


 幼気な呼吸音が静寂に揺れる。

 少年の敬愛に狂った台詞が脳裏に(こだま)した。


 彼の中で、泉のように湧く不安は色を濃くしていく。


 あの子が殺す事を怖がるようになったらどうすれば。

 あの子の心を抉る過去が目覚めたらどうすれば。

 百年前から続く、この酷い空腹をどうすれば。


 ふと俯いていた面を上げる。彼の口元には、普段と違う笑顔が零れていた。


「きっと、どうする事もできないんだろうな」


 三百年以上生きていて、こんなにも「これから」を不安に思った事など一度もない。それほど誰かを大切に思ったことなどなかったのだろう。


(僕が傍にいたら、あの才能を肯定していることになってしまうのに。どうしてあの子は)


 思い出されるのは殺意に満ちた瞳でこちらを見つめる少年。焼け落ちた王宮で項垂れる王子はあの時、確かに救いを乞うていた。

 殺させる事は救いにならない。分かっているのに自分は彼の才を利用している。


 ごめん。

 

 寝静まる部屋に青年の呟きが溶けていった。


 ・・・


 今日は今朝から外が騒がしい。


 弟子は薄い布に埋めていた童顔を出すと、眠たそうな目を(こす)って上体を起こす。

 頭上にある窓を開け、身を乗り出した。顔の中央に垂れ下がる一筋の長い前髪が、冷めたい風に煽られる。


「今月いっぱいはお祭り騒ぎだぞ」


 後頭部に声が投げられる。

 振り返ると、そこにはマントを羽織っていない師が立っていた。


 朝の挨拶をするとシュリは、再び外へと視線を向ける。レンガの街並みに飾られた国旗たちがはためいていた。


「気が早いですね、あと二週間はあるのに」


 気怠そうな抑揚のない声で言うと彼は硬いベッドから降りた。所々覗く彼の肌に無数の傷跡が見え隠れする。

 いつもと違う無機質な態度に、ヒュウは呆れた笑みを浮かべた。何故そのような態度なのか予想がつくため無駄な思索は必要ない。青年も彼の後を追って寝室から出て行った。


 彼が言った二週間後、その日は国王の生誕祭だ。


 実の息子を野蛮な獣だと怒鳴り、王子の座を剥奪したシュリの父親の誕生日である。


 少年は黙々と用意されていた朝食を口に運ぶ。それを見兼ねたヒュウが、温かなコーヒーに息を吹いて言った。


「変な気は起こすなよ」

「……大丈夫です。過去にはもう、囚われないと決めましたから」


 黒く硬い麵麭(パン)を力強く噛み千切る。香ばしい匂いが暫く二人の間を漂った。

 窓の外。

 蒸気機関車の煙が風に流され、辺り一帯を冷気と共に霞ませる。


 人外が寝静まる冬が、もうすぐやって来る。

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