episode7(ⅰ)
ここはあったかい。ととさまと、かかさまがいた所より、あったかい。
わたしをだっこした背のおっきい人は、わたしになまえをくれたの。
わたしにかなしそうな目をした男の子は、いろんなことを教えてくれたの。
わたしをなでてくれたおばばさまは、わたしにきれいな服をくれたの。
あったかい。ここはあったかい。
でもここには、こわい鬼さんがいるんだって。人をたべちゃうって男の子が教えてくれた。その男の子は、鬼さんとなかよくなりたいって言ってた。
わたしもなかよくなりたいなぁ。
・・・・・・
「ぐっ!」
宙に小さな体が舞った。しかし四肢はひらりと身を返し、鈍い音を立てて着地する。
少年は顔を上げると、鋭い眼光で爛れた巨体を睨め付けた。
目前の町並みに広がるは、四つん這いになる赫。
巨体――食欲発作を起こした人外の体からは、ずるりと垂れた血管が波打っている。発作による細胞の肥大化に追いつかず、あらゆる筋肉がはち切れていた。頭上の三角耳は不機嫌そうに揺れ、毛はおろか皮膚さえも剥がれてしまっている。腹が減ったと言わんばかりの唾液には、既に食ったであろう人の血肉が混じっていた。それを見てシュリは、ピストルを握る手を強める。
(今回は猫の人外……初めての相手だ)
少年は腰を落とし一気に間合いを詰める。足元に滑り込み、発砲を試みるが巨大な体が跳び上がって距離を取られた。
猫の柔軟な身体に加えて瞬発力にも長けている。僅かに残った人間の手足でそれをされては、こちらが同じ速さで動いたとしても攻撃に至らない。
戦闘が始まって裕に半時間は経っていた。
シュリの左肩は浅くも抉られ、口内も切って口の端から血が垂れている。体力も限界を迎え始めており、猫に遊ばれる鼠になった気分だった。
指先から生える長い爪を振り下ろされる。彼は右へ回避し、振り返り様に発砲した。地に叩き付けられた手に着弾するも、向こうからの攻撃の手は止まらない。
モグラ叩きをするように相手は俊敏に手を振り翳した。攻撃範囲が広いため辺りの地面は割れ家屋は崩壊する。
轟音が耳朶を劈きつつ、シュリは避けるので精一杯だった。
(後から来たはずの軍人たちはもう殺られたのか)
足元を一瞥すると、そこには下半身のない軍人の遺体が転がっていた。折れた武器を持ち、内臓が外へ引き摺り出され息絶えている。
突如、破壊音と振動が止んだ。モグラ叩きの所為で砂埃が立ち、相手の視界が悪くなっているらしい。
シュリは銃弾の補充をしながら駆け出し、一旦下がることにした。
逃げ遅れた者の避難はもう終わっており、あとは人外の処分だけなのだが予想以上に手間取ってしまっている。困ったなと呟き、少年は自身の袖を破って左肩の負傷部分に巻いた。
ふと遠くから無数の蹄の音が響く。処刑人らが到着したようだ。
「居たぞーッ!」
「殺れ殺れ!!」
威勢の良い男たちの声が駆けてきた。しかし視界はまだ悪い。こんな状態で突っ込めば人外の玩具になるだけである。
シュリは舌打ちすると、倒壊した家々の屋根を走り渡った。彼等はきっと聞く耳を持たないだろうが、せめて忠告をしようと考えたようだ。
しかし、それをする前に馬を走らせて進軍してしまった。鬨の声も虚しく、瞬く間に悲鳴が上がる。
「下がりなさいッ! 死ににいくつもりですかッ!」
中性的な声を張り上げ、彼等を止めようとするが破壊音と断末魔で掻き消される。
このままでは軍人たちの二の舞いだ。死傷者が増えれば師の仕事も増えてしまう。教会は現時点でも収集がつかないと伝言されていた。
なんとか皆を止めなくてはいけないと、少年は一層声を上げる。
不意に、頭上から大きな低い声が空気を殴った。
「攻撃止めッ――――!」
叫びや怒号と違う、それは命令の声。
少年が顔を向けた先には、馬に跨った見覚えのある男がいた。
彼は両刃の太刀を携え、きつい視線を部下たちに向けている。
部下たちは、はっとした様子で素早く身を引いた。先程の騒ぎは沈黙に変えられ、残るは悲鳴の余韻だけである。
シュリは呆けた表情を引き締め、声の主に声を掛けた。
「感謝します、グレウさん」
「俺を覚えていたのか少年。何、指示が遅すぎただけだ。感謝されるものではない」
形容しがたい威圧感、よく通る低い声。
彼はシュリと以前一度だけ会ったことのある、処刑人らを統率する男、グレウだった。
深緑色をした切れ長の目、短髪は後方へ流され露わになっている額、顔の右部分の大半を占める大きな傷。彼はまさに戦人の顔をしている。
「お前たちは標的が動かぬよう周りを固めよ。俺たちが仕留める」
朗々とした声音に部下は皆揃えて応えた。彼等は無駄のない動きでその場から散っていく。
彼の言葉が意外だったようで、シュリは少しだけ目を見開いて尋ねた。
「貴方も戦うのですか」
それに対してグレウは当然といった顔で返答する。
「己が命を賭けずして、同胞に命を賭けろと言うか。戯言はよせ」
男は馬上で西洋剣を腰のホルダーから引き抜く。太身の刀身は、鏡と見間違うほど美しく鋭利だ。
彼の返しは正解だったらしく、シュリは僅かに赤の滲んだ口角を持ち上げる。
「処刑人の方と共闘するのは性に合いませんが、貴方となら出来そうです」
「それは良かった。では、狩りを始めよう」
それを合図に、グレウとシュリは躊躇うことなく爛れた肉塊へと飛び込んだ。




