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episode54(ⅱ)

 眼鏡の奥、琥珀色の虹彩が細められた。

 マグダレンは気怠げな声で少年を呼ぶ。彼は向かい合い、世話になったと丁寧に挨拶してみせた。しかし彼女はそれに応えることなく、鋭い視線を師弟へ投げるばかりだった。

 やがて、おもむろに嘴が開かれる。


「あたしゃ何があろうと人間は好かん。が、どの種族だろうと子どもは守るべきだった」


 空が宵色に染められていく。温度のない風が頬を撫でていった。


「ヒュウエンス。長い間アンタの信条を頭ごなしに否定して、すまなかったね」


 嗄れた謝罪が落ちる。シュリは思わず瞠目した。

 向かいに立つ青年の顔に感情はなく、据わった眼差しで梟を見つめる。弟子に差し伸べていた手を下ろし、時折翼を羽ばたかせた。


 風が止むと、蝙蝠の青年は薄い唇を開く。こちらも幼稚な対応だったと反省を零した。

 だが笑みが浮かぶことはなく、神妙な面持ちのままだ。


「君たちが人を殺してきた事実は変わらない、でも同類(なかま)な事も変わらない。また明日行くよ、ちゃんと話をしよう」


 過るのは、森に迷い込んだ人間の腹を(ついば)むマグダレンと他の人外たちの影。入ってきた複数の役人たちの心臓を、否応なしに射抜く番人の氷のような横顔。

 止めたかった。

 何の罪のない命を狩るのは、人間たちが行っている人外狩りと同義である。だのに梟は言う、だからこそ食うのだと。


 ヒュウは覚えず口端をきつく結び、再びシュリへ手を伸ばす。子は一度、マグダレンへ深く頭を下げてから師の手を取った。

 遠ざかる師弟の背を、彼女は見えなくなるまで見送る。低い溜息に似た鳴き声が、眠ろうとする森に谺した。


 *


 帰路。

 雨の匂いが漂う街並みは、点々と暮らしの明かりが灯っていた。


 クラシックな佇まいの六番街駅は閑散としており、人の声が反響してしまうほどだった。

 切符を買っていると、待合室に行く間もなく汽車がやってくると鐘が鳴る。改札口で硬券を差し出し、係員が手早く確認。ぱちん、と小気味よい音を立てると切符は戻された。


 先に師がホームにいた。手招きされて駆け寄り、車両に乗り込む。唸り声に似た機械音と油灯の独特な臭いが鼻腔を刺した。

 個室方式(コンパートメント)の車内は暗く、木製のベンチが不機嫌そうに横たわっている。


 向かい合わせに腰を下ろして数分、汽車が走り出した。煤けた車窓を駆けていく街並みは特に代わり映えない。


「マギーから何を聞いたんだい」


 不規則な振動とともにヒュウが尋ねる。シュリは僅かに視線を落としたが、すぐに目を合わせる。

 淀みなく、貴方の過去についてだと答えた。加えてセーゼからも話をしてもらったと。


 青年は無表情だった。そう、と一言返して瞼を下ろす。肩から長い黒髪がさらりと流れた。

 追って、どこまで聞いたのかと訊く。弟子は隠すことなく森にいた間だけだと言った。


 個室の扉が軋む。隙間風でもあるのか、甲高い笛のような音が遠くから聞こえた。


 ヒュウは目を開き、緩く息を吐く。


「彼女の事だ、嘘は教えないだろうね。シュリ、この際だから軽く話しておくよ」


 ルビーに酷似した虹彩が瞬く。小さく微笑んで見せ、彼はぽつりと語り出した。

 自身の過去、それも森へ行く前の話だ。


「僕は人間の母と人外の父の間に生まれた。父親は僕が生まれる前に死んだらしい。母さんも僕が生まれて少ししたら殺されてしまった」


 三百年以上前の記憶を掘り出す。もはや顔も覚えていない生みの親に、今さら特別な感情が湧くことはない。単なる事実として聞いてほしいと彼は断った。

 自分は本能でシンセ森へ行こうとする。だが当時はまだ子どもだったため、途中で行き倒れたそうだ。そんな彼を、とある人間――男が拾った。


 彼は後にヒュウが、父さんと呼ぶようになった育ての親だ。


 半世紀近く彼と暮らし、その過程で言語と人間に化ける機能を身につけた。マグダレンが言っていた、百年も生きていないのに不釣り合いな能力を持っていた所以である。

 時が流れ、男が戦争へ行き、ヒュウは独りになった。森に移り住んだのはその後だと締めくくる。


 端的で無駄のない説明だった。シュリは潤んだ双眼で真っ直ぐ見つめ返す。

 師の、知らない内側。

 やっと触れることができたのだと、胸がつんと痛む。


 子はそっと寄り添うような声音で言った。


「先生が、こんなどうしようもない人たちを救おうとしている理由が、分かった気がします」


 どうして彼は優しいのか。

 なぜ心を持たないはずの怪物が、人の持つあたたかさを持っているのか。

 それは、ヒュウは生まれてからというもの、優しい人間に恵まれていたからなのだろう。化け物だとしても穏やかに接し、対等な関係を築いた人間がいたからこそ、今の彼が存在しているのだ。


 弟子の台詞に青年は愛おしそうに笑う。なら良かったと、骨ばった手で小さな頭を撫でてやった。


 たたん、たたん、と音を立てて機関車が線路を往く。

 帰る家までは、もう暫くだ。

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