表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
108/109

episode54(ⅰ)

「なんか暇になっちゃったので教典でも読みます?」

「なんでそうなるんだい??」


 嵐で吹き荒れる外など他人事に、ロゼルアはどこからか取り出した分厚い書物を見せる。が、長髪の青年は遠慮するとばっさり切ってやった。

 赤毛の軍人はケラケラと笑い、冗談だと言って教典をテーブルの隅へと追いやる。

 掠れた表紙に描かれている、欠けた太陽を一瞥してヒュウは紅い瞳を細めた。


 光宵教。

 この世に救いはなく、神を信じることにより死後の世界で永遠の幸福を得ることができる。何処にでもありそうな宗教だが、信仰者はあまり多くはない。


 元よりヴィンリル王国では、国王を神に近い存在として崇める風潮がある。姿も分からぬ者を崇拝するより実在する国王の方が、よほど説得力があると考えているらしいが、ヒュウにとってはどちらも偶像にすぎないと思っていた。

 とはいえ信仰は自由である。何を信じようとその人の勝手なのだから、彼の中では肯定も否定も選択肢になかった。


 しかし取りつく島もない様子の彼に、ロゼルアはマグカップを揺らしながら言う。


「宗教が関わると返答に困りますもんね。うちのは特に」


 光宵教は他の教えに比べれば制約は少なく、過激派がいるわけでもない。だが、心の支えとしている対象が世間一般と異なるだけで異端な判定が下るのだ。

 人間はなんて愚かで狭い生物なのだろうと、ヒュウは胸の奥で独り言ちた。


 雷が窓ガラスの向こうで泣き叫ぶ。

 ロゼルアの台詞を耳にした彼は、穏やかな口調で答えた。


「返答に困る訳でもないよ。なんなら、僕の育ての親は光宵教信者だったし」


 その言葉に赤毛の青年は間の抜けた声で驚愕する。上擦った声に笑いながらも、ヒュウは自分は違うと続けた。


 思いがけない共通点を見出して、ロゼルアは嬉しそうに黄色の虹彩を輝かせる。少年似の声も相まってさながら子どものようだ。

 退屈凌ぎならばいいかと、青年は机の向こう側にいる彼へ問いかける。


「信仰は自分からだったのかい。ほら、強制する親もいるからさ」

「あーそこんとこボクんちは緩々で。弟なんて興味すらなかったんですよ」


 人外が神を信じないのは、そのような生態なのだろうかとヒュウは呑気に考えていた。

 ロゼルアは珈琲を飲み干すと再び口を開く。


「正直ボクは月魄様の方を信じてますね。嘘みたいですけど見たことあるんですよ! すごくキレイだったな」


 自分の前に座る人物が、その神と寝食を共にした者であるとは露知らず。彼は思い出を噛み締めるかのようにしみじみとした表情で話した。

 弟と頻繁に森で遊んでいたこと。

 それが本当は禁忌であったこと。

 しかし森の番人は怒らずにいてくれたこと。

 お陰で人外たちへの偏見がないまま今に至ること。


 笑って相槌を打っていたヒュウだったが、話が進むにつれて徐々に糸が繋がる感触を覚えていた。梟から聞いたあの――


 不意。

 一際眩い光が暗雲を照らし出す。


 少し遅れて凄まじい雷鳴が轟き、思わずリビングも黙り込んでしまった。


 肩を強張らせるロゼルアは、笑みを打ち消して不安げに窓の外を窺う。風雨は衰えを知らず、激しさを増すばかりだ。

 落ちたなと呟くヒュウは、残りの珈琲を呷って上着に手を掛ける。


 弟子への心配が勝っていた。月魄様が居たとしても、あの感情を理解できない人外が人間を助けるとは到底思えなかったのだ。信じたい気持ちはあったのだが。


 赤毛の青年は引き留めようとする。酷くなっているというのにと、彼は困惑しているようだ。

 だがヒュウは微笑むばかりで足を止めない。雨の(つぶて)が叩くドアのノブを握り、彼は言った。


「僕はあの子のせんせーだからね、勘が働くんだ。君と話せて楽しかったよ」


 涼やかな声は手を振って颯爽と家屋を出ていく。

 ぽつりと残されたロゼルアは、呆けた顔を引き締める。誰に当てるでもなく彼は低く呟いた。


「……本当に人間みたいだな、フレイアの言う通りだ」


 *


 まるで飽きてしまったかのように、嵐が過ぎ去る。


 バケツの水をひっくり返したのかと思ってしまうほど、辺りは一面水浸しだ。ブーツのヒールが泥に埋まって足を取られそうになるが、歩く速度は落とさずにヒュウは突き進む。


 黒雲の残滓が茜色の空を漂う。ミズナラの木は変わらず貫禄のある佇まいで、周囲の荒れようを静かに見下ろしていた。

 長髪の青年は梟の人外を呼ぼうと、息を浅く吸う。

 が、先に木の上から見覚えのある影が躍り出た。


 シュリだ。

 彼もこちらの存在に気がつくと、先生と声をあげて降りようとする。しかし、ヒュウはそれを制止させて自分が行くと言った。師は本来の姿を晒し、マントの下の皮膜を広げて飛び上がる。


「このバカ弟子、せんせーを心配させるんじゃない」

「す、すみません。まさかこのような事になるとは」


 申し訳なさそうに眉尻を下げるシュリに、師は呆れた笑みを浮かべる。よほど叱ってやろうと思っていたが、彼の元気そうな面を見たら安心してしまった。


 さぁ帰ろうと手を差し出すのと同時、樹洞の中から梟が顔を出す。


「シュリムレイド」


 眼鏡の奥、琥珀色の虹彩が細められた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ