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episode53(ⅱ)

 重力に抗えずに四肢が落下する。幼い(テン)を抱いたまま、シュリは真っ逆さまになった。


 ガネットが名を叫ぶ。答えられる余裕などない。


 無理矢理でも向きを変えようとした。足が地面を向けば着地できる。普段の戦闘で落ちている高さとほとんど変わらない。だが両手が塞がっているせいで上手くいかない。間に合わない。

 せめて腕の中の小動物たちが下敷きにならないように、頭から落ちてしまわぬように。

 彼は痛みに備えてきつく目を瞑った。


 しかし、彼が思っていた衝撃は違う方向から感じられた。

 右側から押される。全身を襲っていた風の流れは左から。胃が浮くような感覚も消えた。

 

 シュリが瞼を押し開くと、視界に入ったのは白銀の髪と縹色のリボン。

 セーゼが彼を抱きかかえていたのだった。


 やっと浮遊感が失せ、泥濘んだ大地に着地する。番人は安否を確認する前に手を離し、少年を立たせた。彼は吃驚した様子を隠せずに尋ねる。


「月魄様っ どうして此処に」

()()は無事?」


 問いに被さる神の問い。彼は慌てて手元を見下ろした。幸い怪我はなさそうである。クゥクゥと小さく鳴く彼らは短い足で子の体を踏んでいた。


 森の住民の安全が確保できたことにセーゼは目を細める。そう、と冷たい声音で返して身を翻した。

 その背に携えているのは、いつかに見た発症者駆除用の鈍色の太刀だった。


 氷色のドレスは熱波にはためき、臆することなく刃を手にする。番人の周辺には多様な動物と人外の姿があった。


「下は任せた、おまえたち」


 彼もしくは彼女が地面を蹴り上げる。

 剣が牙を剥いたのは、今にも延焼しかけていた枝だ。それらを難なく切り落とし、次々に隣の樹木へ飛び移る。

 火の粉が舞う中、白い影は躊躇いなく伐採していった。燻る小枝は地面へ落ち、動物らが寄って集って大地に埋めていく。人外たちは火元となった樹木に泥を投げつけた。


 暫くして風が落ち着き、代わりに雨脚が更に強くなる。嵐が過ぎ去る前に、番人たちは見事に消火してみせたのだった。


 焦げ臭さと雨の匂いが混ざり合う。

 鮮やかな消火劇に少年は呆けてしまっていたが、胸で蠢く赤子らに意識が戻った。

 ふと、足に違和を感じて視線を下ろす。成獣の貂が駆け回っていた。

 すぐさま母親だと察した彼は、膝を折って小さな命たちを放す。彼らは迷わず親のもとへと走り、再会の喜びを分かち合っているようだった。


 シュリは安堵して大きく息を吐く。白シャツに飛んだ黒い染みを一瞥していると、後頭部に甲高い声が刺さってきた。


「おめぇケガは!? あんな無茶、ヒトがするもんじゃないよ!」


 掴みかかる勢いでガネットが飛びついてくる。少年は苦笑いをして宥めつつ、貴方も無傷で良かったと言った。


 子どもが二人でやんやと騒いでいるそこへ、番人が静かに歩み寄る。泥濘みを踏みしめる音を拾った狐の少女は、いち早く頭を垂れた。

 シュリは緩んでいた表情を引き締め、助けてくれたことへの感謝の言葉を口にする。お陰で犠牲者が生まれずに済んだと。


 対してセーゼは、そのようなことには興味がないらしく、構わずに歩みを止めなかった。目をガネットへ向けると、察した彼女は速やかにこの場を立ち去る。

 少年の前に立ち、神は彼の黒髪を撫でて言った。


「ヒュウに似ていて、シンセにも似てるなんて変」


 台詞の真意を即座に理解することはできなかった。ただ、彼もしくは彼女が不思議そうな目をしていることは確信できた。


 シュリが怪訝そうな眼差しになり、尋ね返す。シンセが森を指し示す単語であろうが、それに似ているというとはどういうことなのか。

 番人は顔についていた泥を拭いながら言う。


「おまえは王家のひとの子だろう。シンセもそうだった。わたしも、だったみたい」


 反射的に子の四肢が硬直する。シンセというのが人名であること、そして、その人物も神も同じ血筋であること。彼にはあまりにも大きな衝撃で息が詰まった。


 雨の音が遠ざかる。空気の読めない空は夕の日を差してきて、思わず少年は眩しさに目を細めた。

 その視線の先に立つ番人の瞳は、王家が引き継ぐ瑠璃色を湛えていて。


 ずぶ濡れの人外は続きを話そうとしなかった。

 シュリ越しの向こう側を見つめて、彼に帰宅することを勧める。師が迎えに来ていると言うと背を向けてしまった。


「梟には協力するように言っておく。また明日おいで」


 中性的な声がそう言い残し、彼もしくは彼女は去って行く。

 少年は後を追おうとしたがやめた。その先を知ってはいけない予感がしたのだ、理由もなく。


 やがてガネットの呼びかけで我に返り、彼はミズナラの木へ戻ることにしたのだった。

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