二枚目 見返り美人図
ネオ東京の一等地にあるYou Know High School、国立悠乃高等学校は、全国から選りすぐりの有能な学生たちが集う国内屈指のエリート高校である。
晴れて『能力者』としての才能を開花させた彼らは、入学試験で
普通科
と
有能科
に選別され、さらにその上には、学内上位十名だけが在籍を許される
花形科
まで存在した。
花形科は、文字通り次のネオ日本を担う『花形能力者』を育成するトップオブトップであり、政府からも多額の資金が投資されている。花形科に所属する生徒は、全員『正徒会』のメンバーとして、学校の風紀や、時には凡人狩りなど、国家の治安維持を務める義務がある。
四月。今年高校生になったばかりの七海七緒は、入学時の基礎能力測定で歴代最高得点を叩き出し、入学と同時にトップ10入りを果たした。新入生の『正徒会』入り、これは実に二十三年ぶりの快挙であった。
上位十名……というのは何も学問だけの話ではない。
スポーツや芸術、魔力、魅力、財力、戦闘力……
生徒達の『能力』は全てAIによって数値化され、可視化される。
その中で総合的にトップ10が決められる。
毎月ランキングが発表され、メンバーは常に変動しているので、一度編入されても油断はできない。テストの点数と同じように、『能力』というのは常に一定とは限らない。『力』を磨き伸ばして行くのも、或いは遊びにかまけて錆びつかせていくのも、全てはこれからの学園生活、生徒本人次第である。
「おはようございます」
「おはようございます、七海副会長」
「おはよう、みんな」
桜並木道を登っていると、同じく登校してきた生徒達が笑顔で七緒に頭を下げた。七緒はぎこちなくそれに応じた。まだ慣れない。七緒は一年生にして、『正徒会』の副会長に抜擢された。
いきなりのNo.2だ。
全校生徒四百名弱。その中で、上から数えて二番目だった。この学園では年齢でも性別でもなく、能力が全てなのだ。だが、いくらそうだとはいえ、七緒はまだ入ったばかりの一年生でもあった。胸の睡蓮を風に靡かせ、七緒は少し恥ずかしそうに、小走りに沿道を駆け抜けた。
校門を抜け、普通科と有能科の教室を素通りし、敷地内の最奥、花形科の建物に向かう。花形科だけは、他の校舎とは離れた所にあった。
敷居を跨ぐと、途端に人混みも無くなり、そこだけ空気がピンと張りつめた気がした。
漆黒の柱。
赤煉瓦の壁。
極彩色の光を放つステンドグラス。
それは校舎と言うよりは、湖畔に聳え立つ古城か、五つ星ホテルのようだった。実際、校舎のそばには湖や草原があり、野生の馬や合成獣が、悠々と草を食んでいた。今では立体図鑑でしか見たことのないような絶景である。此処に来るたび、七緒の胸はいつも踊った。
春風の音、若草の匂い。
一際大きな、豪奢な装飾が施された建物であったが……それを十人しか使っていないのだ。七緒はふと、ただっ広い砂漠の中で、一人取り残されたような不安に陥った。『正徒会』のメンバーには登校義務もなく、全員が揃うということは滅多にない。
勉強しなくていいのか?
全くもってその通りである。だが、『花形』に選ばれるような生徒は、市井の大学教授が生涯かけて研究するような内容が、すでに頭の中に入っている。勉強などしなくていい。彼らには、そんな必要はない。
一般生徒は当然立ち入り禁止。この敷居を跨るのは、『花形』の生徒だけである。
七緒の後ろでは、普通科や有能科の生徒達が大勢ごった返していた。期待と不安。その両方を胸一杯に抱えて。にぎやかな声を振り切るように、七緒は花形科への教室へと歩を進めた。
「おはよう、七緒」
「八百枝さん」
扉を開けると、七緒に気づいた女学生が、顔を上げてほほ笑んだ。
八百枝八雲。
悠乃高校二年生で、『正徒会』会計、序列は八番目である。
見知った姿を見つけ、七緒はホッと胸を撫で下ろした。授業すらないのが花形科だ。教室にいっても誰も登校して来ず、下校の時間までポツンと一人で座っていたことも少なくない。今日は、一人いた。それだけでも珍しいことだった。
「昨日は大活躍だったねぇ」
八百枝は眼鏡を拭きながら、のんびりと笑った。
「私、龍になったのなんて初めてだよ。さすが副会長、すごいねえ。ありがとう」
「いえ、そんな……!」
急に煽てられ、七緒はさらに顔を赤らめた。
八百枝の能力は『変身』で、生物から無機物まで、理論上、古今東西ありとあらゆるものに姿を変えることができる。昨晩はその能力で、『正徒会』のメンバーと凡人狩りに勤しんだのだった。もちろん七緒も一緒である。
その『変身』の才能を最大限まで引き出したのが、七緒の能力……『百花繚乱』であった。彼女の『能力』は、万物の潜在能力を最大限にまで引き出す。ただの石ころを隕石に。一粒の水滴を大河に。100%を1000%に。常識では考えられないような『能力』を、花形科の生徒達は皆有していた。
「会長は……」
七緒は教室を見渡した。白を基調とした円卓は、がらんとしていた。八百枝以外、誰も登校してきていない。
「会長は、今日も犯人探し」
「嗚呼……」
七緒は顔をしかめ、頷いた。
犯人……ここのところ学園内で、凡人狩りならぬ『能力者狩り』をやっているという輩のことである。
それ自体は校則違反でも違法でもなんでもない。
生徒の中には、『正徒会』入りを熱望するあまり、現メンバーに決闘を挑む者までいる。何せ国家規模の予算が組まれた一大プロジェクトである。『正徒会』に所属したことがあるというだけで、将来は約束されたようなものだった。
闇討ちだろうが仇討ちだろうが、『正徒会』はそれを受けて立たなければならない……そんな暗黙のルールが、生徒達の間にはあった。その程度で負ける人物なら、『正徒会』には相応しくない。やり方は自由。いつ、何時でも。
だが、決闘による下剋上が成功した例は、ほぼほぼない。
それだけ上位十傑というのは『有能』であり、皆の羨望の的なのである。大抵の者は跳ね返され、中には非業の死を遂げる者すらいる。それを咎める者すらいない。警察だってそうだ。彼らの身は国家が保証していた。負ける方が悪い……能力絶対至上主義の学園では、それもまた暗黙のルールであった。
先週、七緒がこの高校に入学してからまだ日もまもない頃、No.7とNo.9が殺された。『不老不死』に『運命操作』という、二人とも、申し分ない武闘派・能力者だった。
だが犯人は名乗りでもしなかった。
それゆえに異常だった。生徒の仕業なら、自分がその席に座ろうとするはずである。今まではそうだった。だが犯人は未だ見つかっておらず、これほどの有能揃いの学園の中で、目星すらついていない。おかげで『正徒会』は二人欠員したままである。
果たして犯人は誰なのか? その狙いは?
”犯人はこの学校の卒業生で、秘密裏に在校生をテストしているのだ”。
”いやいや、犯人は外国のスパイで、有能な生徒を始末しているに違いない”。
”犯人は幽霊である。死んだ花形が、僕たちを死神のゲームに巻き込もうとしている”
……などと、実しやかな噂が生徒達の間に流れ、校内の風紀を守る為にも、『正徒会』も正式に調査に乗り出した。
伝説のOB、海外のスパイ、日本刀を持ったセーラー服の幽霊……など、様々な呼び名をつけられていたが、いつしか生徒達は多少の侮蔑も込めて、犯人をこう呼んだ。
『道花師』……と。
『道花師』とは、元々はネオ日本に古くから伝わる童話・おとぎ話である。
『道花師』に力を借りれば、能力に恵まれなかったものや、『無能』にすら素晴らしい才能を咲かせる……そうやって一人の少年が鬼退治に向かい、また一人の少女がお城の舞踏会に招待される、そんな内容だった。
現代ではサンタクロースとか、存在しないものの例えとして良く使われる。この国の子供達は誰もが『道花師』を知っているが、誰も出会ったことはない。
だが、『正徒会』殺しは幻ではなく、現実に起こっていることなのだ。
七緒は思案した。
……およそサバンナで、ライオンに襲いかかるウサギがいるだろうか?
いや、ない。『有能』な者ほどそんな馬鹿なことは考えないし、襲いかかるとしたら、ウサギではなくライオンの方なのだ。
少なくともNo.7とNo.9を倒しているのだから、相当な実力者には違いない。
半分ほど窓を開けると、ふんわりと桜色の髪が春風に揺れた。彼女はガラス越しに、入学以来ずっと揃うことのない、空きっぱなしの席をぼんやり眺めた。花形を狩れるほどの、実力者……
……もしかしたら犯人は、この中にいるかもしれない。
一抹の不安が過ぎり、彼女の胸はざわついた。そして、そんな彼女をあざ笑うかのように、数日後、『正徒会』の末席・No.10が死体で見つかった。