二十五枚目 箕輪金杉三河しま
『怯むなッ! こんなところで退くんじゃないッッ!!』
無線を通じて、若い男の叫び声が届けられる。
『周防長官!』
『正義は我らにあり! 我々の勝利はもう視えている! 忘れたか? 私には『未来予知』の能力があることを!』
『ウォォォオッッ!』
長官の激に、情熱に燃える若き革命戦士たちが雄叫びを上げた。
地平線にずらりと並ぶ数百万の黒黒黒。機械獣の群れが、ジェット噴射を唸らせ、我先にと紺碧の彼方へ飛び立って行った。地面を埋め尽くしていた黒は、やがて空を侵食し、巨大な雲中白鶴と激突した。
突如立ちふさがった鶴を前に、彼らは正面衝突を選んだのだった。
飛び散る火花、砕ける分厚い鉄の板! 橙色の点滅が、青いキャンバスに無数に花開く。その一つ一つが、命の代償だった。
『忘れたか? 首輪をつけられ、奴隷として飼われたあの日々を! 感情を殺され、機械のように働かされたあの日々を! 屈辱に塗れ、尊厳を踏み躙られたあの日々を! 戦え! 我らは人間だ! 人としての誇りにかけて、絶対に退くことは許されぬッ!』
そうだそうだ、と無線通信の向こうから、賛同の声が上がる。
『同志諸君! 今こそ立ち上がる時! 彼奴らが奪った我々の『人権』を、取り戻す時が来たのだッ!』
戦え! 戦え! 戦え! 戦え!
『もう彼奴らに怯える必要はねえ! 恐怖で泣き叫びながら飛び起きるこたぁ無えんだ!』
無線が誰かの声を拾った。そう叫んだ男は、全速力で空を駆け上って行き、間も無く鶴の右翼に当たって死んだ。
逃げるな! 逃げるな! 逃げるな! 逃げるな!
『毒だと分かってて、子供に水を飲ませなきゃいけない気持ちが彼奴らに分かるか!?』
また誰かが叫んだ。彼はミサイルを全弾使い果たすと、左翼に叩かれて機体ごと粉々になった。
死ね! 死ね! 死ね! 死ね!
『奴隷として生きるくらいなら、人間として死んだ方がマシだ!』
そういって武器を振りかざした者は、鶴の心臓を貫こうと勇敢にも嘴の中へと飛び込んでいき、やはり死んだ。
殺せ! 殺せ! 殺せ! 殺せ!
『戦え! 逃げるな! 死ね! 殺せ! 同志諸君! また奴隷に戻りたいか!? この戦争に勝ち、我らが人間であると証明して見せるのだ!! 我々は決して退きはせぬ、勝利を手にするその日まで、栄光を手にするその日まで……』
「周防長官」
「何だ!? 今良いところ……」
「バスルームの方にワインの用意ができました」
「ム……そうか」
先ほどからマイクに向かってがなり立てていた周防は、部下にそう声をかけられ、モニターから目を離した。よほど熱中していたのか、肌の露出した頭頂部からは湯気が立ち上がり、びっしょりと脂汗が滲んでいた。荒い呼吸を整え、口元の涎を拭う。
「諸君、少し休憩にしよう!」
殺風景な地下室に周防の声が響き渡る。彼らがいるのは、戦地から遠く離れた参謀本部だった。部屋の中には無数の立体映像出力機が置かれ、戦場を即時で実況見分している。
盤上は、序盤から波乱の連続だった。予期せぬ鶴の出現で、本部には緊張が走っていたが、周防の一言でたちまち軍服たちの相好が崩れた。
「奇襲作戦は大成功ですな!」
「嗚呼。一時はどうなることかと思ったが、兵士の士気も非常に高い」
「それもこれも、周防長官のおかげだ!」
「正義万歳! 革命万歳!」
自然と拍手が巻き起こる。まだ戦いは始まったばかりだと言うのに、参謀本部はすでに成功したかのような騒ぎだった。
それもそのはず、長官の周防には『未来予知』の能力があり、就任以来、彼が予言を外したことはない。
天気予報や富籤の当選番号、敵の陣形から奇襲場所に至るまで……今までも彼に従っていれば、何もかも上手く行ってきた。
今回も、事前にこの戦争の大勝利と、革命成就が周防から伝えられていた。それに殉死した革命戦士は全員、天国だか極楽浄土だかに渡り、永遠のナントカと無限のアレヤコレヤが約束されていることも。
だから誰も、死ぬことを怖がってはいなかった。だから誰も、長官の指示を疑おうともしなかった。
「今、何時だ?」
「は。午後七時十五分であります」
「なるほどな。ところでワインは今度こそ、二十世紀ものを用意したんだろうな?」
暗い廊下を姿勢良く闊歩しながら、周防が顔をしかめた。
「酸性雨と汚染土で造られた最近の、ありゃ飲めたもんじゃなかったぞ」
部下は敬礼を解き、媚び諂ってヘラヘラ笑った。
「もちろんでございます、長官殿! ナントカーニャ地方とか……正式名称は忘れましたが……とにかく最高級のワインでございます。チーズや果物も同様のものを用意しました。いずれも汚染されておりません、地上では、十年に一度収穫できるかできないかのレベルでございます」
「ふん。中々準備が良いじゃないか」
周防が思わず舌舐めずりをする。
「周防長官!」
長い廊下の向こうに消えようとした彼に、ふと、後ろから声が飛んで来た。軍靴を響かせるのを止め、振り向くと、そこにいたのはまだ年端もいかない青年だった。情熱に燃える若き革命戦士が、戸惑ったような表情で長官を見上げていた。
「我々も戦地に出向かなくて良いのですか!?」
「ム?」
「無礼だぞ、貴様! 長官の前であるぞ。階級と名を名乗れ!」
「司令官殿! 同志は皆命を賭して戦っています! 我々も彼らと共に前線に……」
「何故だ?」
青年の問いかけに、周防は心底不思議がった。
「何故上に立つ者が、そんな危険な真似をせねばならぬ? 戦うのは下っ端……いや、戦士の使命だろう。それなのに、上官が自ら武器を取って戦場に行くなんて、馬鹿みたいじゃないか」
青年は一瞬言葉を失っていたが、やがて
「で、ですが、長官が今『戦え』って……!」
「私は君たちに戦えと言った!」
やがて廊下に周防の怒号が響き渡り、体を縮こまらせた。周防がイライラした顔で吐き捨てた。まるで物分かりの悪い子供を諭すように、ゆっくりと、ねちっこく声を絞り出した。
「私は指示する側なのだよ! 実際に行動するのは君たちだ! 指示する側が戦地に行ってどうする!? それで死んだらどうするんだ!? え!? 誰か責任取ってくれるのか!? 私の命は一つしか無いんだぞ!!!」
「…………」
「この私に死ねというのか、全く!」
鼻息荒く、周防は踵を返し再び廊下を歩き始めた。青年は、血の気の引いた顔で目を泳がせた。
「長官! バスルームが冷めてしまいますので、どうか此処はこの無礼な若者を許してやっていただきますよう、何卒、何卒」
「ふん! 不機嫌だよ。私は今非常に不機嫌だ!」
「周防長官……」
呆然としたまま、青年がポツリと言葉を零した。周防の背中がピクリと揺れる。
「……まだ何か?」
「この戦争は、本当に我々が勝つんですか? 貴方は本当に……未来が視えているんですか?」
「……嗚呼。勿論だ」
疑いに揺れる青年の瞳から目を逸らし、周防は帽子を被り直すと、
「私の人工才能は『未来予知』だ。この戦争は我々の大勝利で終わり、革命は成就する。これはもう決まった未来なのだ」
「…………」
「ところで、今何時だ?」
「は? は……ただいま午後七時二十八分であります」
隣にいた部下に時間を聞き、周防がにっこりと笑った。
「よろしい。きっかり一時間二分後に、裏口に避難用の浮遊車を用意してくれ給え。なに、大した用事じゃないよ。ちょっと別荘に行くだけだ。嗚呼、そうだ。あそこのシェルターは、きちんと整備してあるんだろうな……」
それから数時間後、参謀本部に巨大鶴が舞い降りた。
しかし、果たしてその時革命戦士たちがどんな心境だったか、誰も知る由もない。突然の襲来で生き残った者は皆無だったし、唯一の生存者・周防はその時、その場にいなかった。
「……なるほどね、それで僕を呼んだのか」
檜舞台の中で、三好巧三がポリポリと頭を掻いた。
「確かに僕は『浮遊都市』を設計した七竈博士の弟子だ。規模や型番は違えど、船の構造は把握できるだろう」
「それと、お願いがあるんです。できるだけ急がなくちゃいけなくて」
任されたよ。煤汚れた白衣に袖を通しながら、三好が柔らかな笑みを零した。七緒は深々と頭を下げて、エンジンルームを出た。階段を登る前、チラと後ろを振り返ると、後に残された三好が、複雑な機械を前に、目をキラキラさせながら飛び回っていた。
より早くネオ東京に戻るために、宇宙船を奪う。七緒たちは実行に移した。移動式檜舞台の莫大なエネルギーを加速に回せれば、一日足らずで目的地に辿り着けるだろう。
複雑に曲がりくねった廊下を進み、運転席に戻ると、六太たちがぎゃあぎゃあと大騒ぎしていた。
「俺が運転するよ! 俺にさせろ!」
「バッキャロウ! おもちゃじゃねえんだ、ハンドルなら俺様の方が得意だわ!」
見ると、宇宙船のハンドルを巡って、六太と千代丸が取っ組み合いをしていた。
「俺様が何年異世界トラック運転してきたと思ってやがる!」
「アンタたち何してんの?」
「あっ七緒」
六太が、千代丸に引っかかれながら顔を上げた。
「コイツが運転するって聞かねえんだよ」
「だから?」
「でも船長は俺だよなあ!? どう考えても、実力から行って、俺がハンドル……」
「運転席には千代丸が座って。六太は展望台に行って、敵がいないか見てきて」
七緒はテキパキと指示を出した。そもそもほとんどが自動運転なので、ハンドルを握る意味はあまり無いが。六太に船長を任せては、東京どころか宇宙に飛び出して空中分解しかねない。千代丸が勝ち誇った顔をして運転席に座る。少し不満げな六太は、床に転がっているちょんまげの男を指差した。
「コイツはどうすんだ?」
ネオ京都の大将軍は、今や縄で全身を縛られ、芋虫のように身悶えていた。生殺与奪の権利を失ったデスゲームの主催者が、目を真っ赤に血走らせ、黄色い歯を剥き出しにして唸った。
「き、貴様ら……! どうやって首輪を!?」
余談だが、全員分の首輪の解錠には、『重力操作』を使った。大会開始直後、七緒たちを襲った重力使いの『能力』だ。怒り狂った将軍が首輪を爆発させた瞬間、爆炎や衝撃波をブラックホールで吸い取った。両手両足を粉砕された重力使いは、特に抵抗することなく、怯えた目をして七緒の指示に従った。
「よくも……よくもワシの大事な大会を!」
「コイツも連れて行くのか?」
「そうね。下に放り投げちゃったらどうかしら」
「な!?」
将軍の顔が奇妙に歪む。
「な、なんでワシが自ら殺し合いせねばならんのだ!? 馬鹿か貴様ら!? ワシは大勢が殺し合ってるのを見物して、愉しむ側じゃ! それなのに、自ら武器を取って戦場に行くなんて!」
唾を撒き散らし、激しく抗議したが、六太はニヤニヤと笑うだけだった。暴れる将軍を担ぎ、展望台へと向かう。
「そりゃ良いや。あんだけ上から偉そうなこと宣ったんだ。そんなにご立派な戦いなら、まず自分で戦えってんだよなあ」
「降ろせ! ワシを誰だと思っとる!? ネオ京都の正統後継者じゃぞ!? 将軍なんじゃぞ!?」
「オウ将軍さま。実際どんだけ強いか、見せてもらおうじゃねえか」
「降ろさんか! この! 貴様らよくも……ああああああああッッ!?」
『IKEZU! IKEZU!』
展望台で赤い提灯が回転し、ビー! ビー! と警告音が鳴り響く。IKEZU-Systemによって、将軍はネオ清水の舞台から蹴落とされた。下で待っているのは、首輪から解き放たれたばかりの、血塗られた武器を持つ大勢の参加者たちだ。
「あああああああああああああああああああああああああああッッ!?」
恐怖と絶望に顔を歪ませ、将軍は真っ逆さまに堕ちて堕ちて墜ちていった。