(14)無調色の真珠
教会からほど近い場所にある港町。切り立った崖にへばりつくように並び立つ建物は、古びてはいるものの、どこか渋味あふれる色合いをしている。ヘルトゥが通りを歩けば、色男の登場に店の女将たちが黄色い声をあげた。
「いらっしゃいませ!」
「どうぞ、見るだけでも」
どこか艶めいた手招きたち。ヘルトゥは残り香だけを置いて通り過ぎる。濡れた髪をかきあげれば、ことさら女性陣が湧いた。冷めたような、あるいは苦虫を噛み潰したような顔でこちらを見やる男性陣の姿もまあいつものこと。
「そこの素敵なおにーさん、ちょっと寄ってかない?」
とはいえ、おちゃらけた少年にまでそう呼び掛けられては、ヘルトゥもさすがに苦笑したくなった。自分もすっかり年を取った。いくら若く見えるとはいえ、「おにーさん」とは言いがたい。さてどうしたものか。
手ぐすね引いて女性陣が待ち構える店よりも、少年が店番をしているような店の方が気楽で入りやすいのは確かだ。試しに覗いてみれば、そこは海辺ならではの露店だった。
「ゆっくり見て行ってね」
少年はその人懐っこさと見目の良さも売りにしているらしい。整った造作はまるで人形のよう。年若いくせに、なぜだか老成しているような雰囲気が、ヘルトゥは妙に気になった。商売をやっていれば、普通の子どもよりも大人びてくるものだろうか。ヘルトゥはそのまま商品に目を通す。
「そこらへんは、軽い贈り物とかで人気があるやつね」
小瓶に詰められた星型の砂に、小さな貝殻を組み合わせて作られた魔除けのお守り。同じく貝殻を縫い付けたハンドバッグにお財布。桃色珊瑚を切り出して作った髪留めにブローチ。
子どもなら飛び上がって喜びそうなものばかりだ。普段のエレナになら贈り物として渡しても笑ってくれるかもしれないが、このタイミングにはふさわしくない。軽く手を挙げ、買う気がないことを暗に告げれば、少年はさもありなんと別のものを取り出した。
「へへっ。きれーでしょ。結構売れんのよ。おにーさんもおひとつどう? うちのはねえ、染色なしの無調色が売りなんだから」
そんな言葉とともに差し出されたのは、真珠のブレスレット。真円ではなく、いびつで不揃いな形が愛おしい。黄色に桃色、黒みがかかったものから、緑色の強いものまで。けれどなにより美しいのは、柔らかな白色の真珠だろう。生まれたままの姿で柔らかに輝くその光は、エレナによく似ている。
「本当に綺麗なものだな」
不意に懐かしい記憶がよみがえる。エレナに初めて贈ったプレゼントは、やはりこんなブレスレットだった。あの時のものは、うっかりエレナが落としてしまったために、もう彼女の手元にはないのだが。愛しくて、愛しくて、どうしようもないほど胸が痛い。結局あの時も彼女を傷つけてしまっていたのを、ヘルトゥは思い出した。
「で、おにーさん、買うの? 買わないの?」
遠い記憶に入り込んだまま立ち尽くすヘルトゥに、少年は焦れたらしい。いっそ清々しいほどに追い立てられる。それは思わずヘルトゥが、客商売ならもう少し待つことも必要だと教えてやりたくなるほどあからさまに。
「あのねえ、仲直りするならプレゼントは必須なんだってわかってる?」
「なぜ、喧嘩をしたと?」
「だっておにーさん、悲壮感漂い過ぎだもの。どうせあれでしょ、浮気して奥さんに逃げられたんでしょ」
けらけらとおかしそうに笑われて、ヘルトゥはすっかりお手上げになった。親子ほどに年の離れた大人をからかってくる不躾な少年。けれどその緑の瞳は、少しも笑ってはいない。こちらをじっと見つめてくる、嘘を見破る強さ。それは、ヘルトゥの故郷にある草原と同じ色、エレナの色だ。探していた色を持つ見知らぬ少年の瞳。ヘルトゥは不意をつかれた気がした。
「おにーさん、そのブレスレットは幸運を運んでくるよ。でもね、まず一番大事なことはおにーさんがちゃんと謝ること。どれだけ相手のことが大事かを伝えること。それから、どんなことを言われても絶対に嫌な顔はしないこと。だって悪いことをしたのは、おにーさんなんだから」
何もかもお見通しとでも言わんばかりの言葉に、ヘルトゥは肩をすくめてみせた。心づけも含めて、多めの代金を少年のてのひらにのせてやる。
「わかっているさ。きみはずいぶんと聡いな」
「いえいえ〜。それでは、お買い上げありがとうございます! あなたたちがうまくいきますように! 幸運を!」
現金な少年がいたずらな顔でウインクを投げれば、どこから風が吹いたのかふわりと黒髪が揺れた。光の加減によって、それは濃い紫にも見えるのだと言うことに気がつく。誰かによく似た顔が静かに微笑んだ。
それにしても、一体誰に似ているのだろう。
どうしても少年の顔が頭から離れない。しばらく休憩しようかと、暖かそうなカフェテラスの前で足を止める。その窓に映りこんだ自分の姿を見たとき、ヘルトゥはようやく思い当たった。あの少年は、自分に良く似ているのだ。あまりにも似過ぎていて、異なる点しか目につかないくらいに。
そう気がついたヘルトゥが慌てて踵を返し露店に舞い戻ったときには、少年も店も影も形もなかったのだった。最初からそんなものなどなかったのだと言わんばかり。けれど夢ではない証拠に、ヘルトゥの手には買ったばかりの真珠のブレスレットがしっかりと握り締められていた。
『頑張ってね。父さん』
空耳が、また通り過ぎた。




