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(13)雨色の墓地

 絵葉書を頼りにようやくたどり着いたその場所は、雨に濡れそぼる静かな海辺の町だった。細い糸のような雨を避けることもなく、ヘルトゥは濡れるがまま。服をまとわりつかせたまま歩けば、水も(したた)るいい男だとエレナにからかわれたことが甘く思い出された。


 絵葉書の中でも手がかりとなったのは、切り立った崖の上に取り残されたように建つ教会。すぐ側の墓地は、しっとりととろけるような緑に彩られている。崖の向こうに見える海は、雨が降っているせいだろう、どこかどんよりと重たい色をたたえていた。


 ヘルトゥは目的の教会にやってきたものの、どうにも居心地の悪さを感じ、入り口で足を止める。結局、教会の中に踏み入ることなく、墓地で一息つくことにした。異国の民には、まだこちらの方が心地いい。この国に住み始めてもう十年余り経つが、根っこの部分はいまだ変わらないのだと思い知る。


 不便そうに見える場所にもかかわらず、この墓地は日をおかずに訪れる人々がいるらしい。町の人々の心の拠り所になっているのだろう。どの墓にも、色とりどりの花が捧げられていた。けぶるような雨の中で花々の色合いだけが、不思議なほど鮮やかだ。


「何も持たずに来てしまったな」


 死者への礼を尽くしたくとも、ヘルトゥには何もない。常ならば当たり前のように贈ることのできた鎮魂歌(レクイエム)も、今はただの騒音。死者の眠りを妨げるだけだろう。それでも、ここまでたどり着くことのできた感謝を伝えたくて。ヘルトゥはそっと口ずさんだ。故郷に伝わる懐かしいメロディを。


「ようこそお越しくださいました」


 ヘルトゥがゆっくりと後ろを振り返れば、教会の神父であろう男が傘を差し出してきた。濡れ鼠のヘルトゥが気になったらしい。ヘルトゥ自身は特に気にしていなかったとはいえ、相手の好意を無下にするわけにもいかず、ありがたく傘の中に入ることにした。農夫のように日に焼けた姿が印象的な神父だった。


「どなたか故人がこちらに?」


 歌を捧げる場面を見られていたのだろう。ヘルトゥは首を振り、そっと否定する。自分が会いたいひとは、こんな場所に来てまで命を絶つような弱いひとではない。自分のせいで思いっきり傷つけてしまったとはいえ、そういう意味での心配をヘルトゥはまったくしていなかった。


「お恥ずかしいところを見られてしまいました」


 肩をすくめながらヘルトゥが微笑めば、神父はひとり合点がいったかのようになごやかに頷いた。


「いやいや、歌というものは何より歌い手の気持ちによるもの。あなたもこれから町に下りたら、きっと目にすることでしょう。この町に住む海の男たちが、調子っぱずれのセレナータを歌う様を」

「セレナータですか」

「ええ、古くからの習慣でしてね。恋人にプロポーズをする男だけでなく、妻に愛想を尽かされた男たちも愛しい相手に愛の歌を捧げるんですよ。頼むから、離婚なんて言わずに家に戻って来てくれとね。言うなれば二度目のプロポーズでしょうか」


 二度目のプロポーズ。ヘルトゥの胸に、その言葉が重くのしかかる。エレナはヘルトゥの(おとな)いを待ってはいないだろう。もう既に彼女の隣には誰か知らない男がいる可能性さえあるのだ。その姿を想像し、心臓を掴まれたかのように胸が苦しくなる。


 体だけの関係とはいえ、先に裏切ったのはヘルトゥの方なのに。エレナも、同じ気持ちを味わったのか。いや、同じ以上だ。なにせ、自分の行いは想像ではなく事実なのだから。


「とはいえ、二度目どころか何度目か覚えていられないほどの歌を捧げる大馬鹿者もいるのですが」


 やれやれ嘆かわしいと言わんばかりの神父だが、その表情はにこやかさを保ったまま。なんだかんだいって、この町の住人たちは気の良い人間がそろっているのだろう。そして神父もまた完璧ではない町の人々を愛しているに違いない。


「あなたも、どなたかを迎えに来られたようだ」

「お見通しですか」

「セレナータの話に耳を傾けてくださる男性は、身に覚えがある方ばかりなのですよ」


 胸に手を当て、とんとんと神父は叩いてみせる。図星なのがあっさりとバレてしまうほど、顔に出てしまっていたらしい。ヘルトゥは大きく息を吐くと、神父に向かってもう一度深く頭を下げた。神父の言葉がじわりとしみていく。


「女神様のお導きがありますように」


 雨は上がり、重たげな灰色の雲も薄墨色に淡くなってきた。もう少し待てば、光が差し込んでくるはずだ。さあ、町へ向かおう。エレナはきっとそこにいるのだから。海風がヘルトゥの長い髪をなぶり、一気に空へ巻き上げた。

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