第6話「夢」
春日野遙はまだ夢の中を彷徨っていた。
誰かが彼女の身体を揺すっている。
(誰? 人が気持ち良く寝ているのに)
更に揺らす力が激しくなる。
「んーんんん……」
「遙!」
彼女の身体がぴくりと動く。
「起きろ、おい、起きろってば!」
ゆっくりと遙はテーブルから顔を上げた。
「あっれー、鷹男さん?」
傍に置いてあるラジカセからは、リピート演奏にしていた曲がまだ流れていた。
彼女はまだボーッとして自分の夫の顔を眺めていた。
心配そうな表情をした鷹男の顔があった。
彼女は突然はっきりと目が覚めた。
それから辺りを見回した。部屋はすっかり暗くなってしまっている。
「おかあしゃん、おはよ」
鷹男の傍らにちょこんと翔太が立ってニコニコしていた。
そうだった。
夕方仕事から帰ってきてから、彼女は義母の所に翔太を迎えに行くまではまだ少し時間があると思った。
だからほんのちょっとこの曲を聞こうとしてそのまま眠ってしまったのである。
「御免なさい。私すっかり寝てしまっていたのね。今何時かしら」
彼女は慌ただしく立ち上がりラジカセを止めると、それを持って隣の部屋に移った。
そして次の日。
「何だかすごく疲れたわ」
遙は仕事の帰り、そう呟いた。
そこで甘いものでも食べて帰ろうと、例の喫茶店に入ろうとした。
そして入口の所で足が止まった。彼女の叔父の姿が、遙の目に飛び込んできたのだ。しかもその彼の前には女性が座っている。
「あの人は……?」
道彦にとてもよくお似合いの、清楚な雰囲気のとても綺麗な女性だった。
そう、藤沢美佳子だった。
道彦たちの大学は遙の勤めるデパートの近くにあった。
だからここの喫茶店は日頃からその大学の教授やら学生やらがよくお茶を飲みにやって来るらしいのだ。
遙の見る前で、何か楽しいことでも話しているのだろうか。二人はにこやかに微笑みながらお茶を飲んでいた。
たぶん道彦の分はいつものシナモンティーだろう。彼女のお茶は何だろう、と遙はどうでもいい事を考えていた。
彼女はしばらくボーッとして二人を窓越しに見つめていた。
するとどうやらガラスの向こうの道彦が遙に気づいたらしい。彼の顔が破顔一笑したからだ。
そして彼はこちらに来るように、遙に手を振って見せた。
彼女は一瞬ためらった。
しかし渋々店に入っていった。ゆっくりと二人に近づいていく。
そしてテーブルの傍らまできた時、彼女はその上をさり気なく一瞥した。
(あ、レモンティーだ)
遙はまだ気にしていたらしい。
「今帰りかい?」
道彦は自分の隣に座るように指し示すとそう言った。
「うん、そうなの」
遙は道彦から少し離れるように座った。
間髪を入れずウェイトレスが注文を取りにやって来た。
遙はさっきまでパフェを食べようと思っていたが、再び彼女は美佳子のカップに目をやると言った。
「レモンティーください」
遙は見栄を張ったようである。
そんな遙を見て、道彦は怪訝そうに片眉を上げた。
彼女はチラリと美佳子を盗み見た。
(大人っぽい。この人はいったい……)
「おじさま、この方は?」
ウェイトレスが向こうに行ってしまうと遙は口を開いた。
「ああ、この人はね、私の大学の二回生で藤沢美佳子くんというんだ」
「えっ、大学生なの?」
遙は驚いて美佳子の顔を見つめた。
美佳子はニッコリと遙に微笑みかけた。
「お噂は先生から聞いています。あなたが春日野遙さんですね」
遙は馬鹿みたいに口を開けて見ていた。
そしてそんな自分に気がつき、慌てて行儀よく口を閉じて居住まいを正した。
「二回生ってことは、じゃあ今二十歳?」
遙は信じられなかった。こんなに落ち着いていて、凄い美人が自分より五歳も年下とは───
彼女は、この美しい女性をしげしげと眺めた。
顔はフランス人形のように可憐だった。何となく小学生の時に大好きだった女の子に雰囲気が似ている。
少女の名は何といったっけ──確か京子といった───
風の便りに京子は結婚したと聞いたが、今はどうしているのだろうか。
遙はそんな愚にもつかないことを考えていた。
そしてもう一度、美佳子の顔を見つめた。
よくよく見ると、似ていると思ったのは錯覚だったらしい。ただ京子もハッとするほどの美人だった。それで似ていると思ったのだろう。
「良かったわ。前からお逢いしたかったのよ。先生から聞いててどんな人なんだろうって思っていたの。先生のおっしゃるとおりの人だったのでとても嬉しい。あなたの方がおねえさんでとっても失礼かもしれないけど、お友達になってくださいね」
美佳子の声はまるで鈴を転がすように優しく、うっとりするようにステキな声だった。
遙は記憶の渦から立ち直れなくて、言葉がなかなか出てこない。
そんな彼女を横目で見ていた道彦はクスッと笑った。
「どうだ。凄い美人だろ。彼女は大学のミスコンテストで優勝した事もあるんだぞ」
遙はまたしても驚いて自分の叔父を見た。
彼女はこんなに嬉しそうな顔をした叔父を見たことがなかった。
道彦は気づいているのだろうか。美佳子を見つめる目が愛おしさで溢れているのを。
自分に向けるあの異常な眼差しでなく、叔父はなんてステキに優しく美佳子を見つめるのだろう。
遙はそう思うことで、なぜか胸の奥にチクリと痛みを感じた。
そしてそんな自分に驚いていた。あんなにしつこくされてとても嫌だったのに、これではまるで嫉妬しているみたいではないか。
遙はそんな気持ちを打ち消すように急いで喋った。
「あ、あら。おじさまったら隅に置けないわねえ。こーんなステキな恋人がいるなんて知らなかったわ」
遙の言葉に美佳子はポッと頬を染めてうつむいた。
それと対照的に道彦は途端に不機嫌な顔になった。
「何を馬鹿なことを言ってるんだ。美佳子くんとは年が離れすぎているじゃないか。彼女に失礼だぞ」
そう言う彼だったが、遙の目には図星をさされて照れているとしか見えなかった。
(なによ、私とだって年が離れてるじゃないの)
遙はウェイトレスの持ってきたティーカップに添えられた、一切れのレモンをそのまま浮かべた。
彼女の顔はすっかりむくれていた。レモンティーを一口飲んで更に苦虫を潰した顔になった。
遙は自分の心がそれ以上に苦いものにだんだんと満たされていくのを、不思議な気持ちで感じていた。
そこは無限に広がる大宇宙だった。
その広がる空間に彼らはいた。
そう。金の若者、銀の娘の二人である。
リカールとサーラは深い深い蒼色の宇宙空間から青い惑星を見下ろしていた。
二人はしっかりと抱き合っていた。
恐れと感動に心を震わせて、じっとその惑星を見つめている。
それは本当に美しい青色をしていた。
茶色の大地、白くたなびく雲、そして青く広がる大海原。
「ああ、なんて美しいのかしら」
「本当に……」
彼らは心の底からそう思った。
これほど美しい惑星は自分たちの世界にも無いだろう。
これこそ神に選ばれた星といっても過言ではない。
「とても美しいだろう?」
どこからともなく声がしてきた。
それは若いとも年寄りとも言える不思議な声音だった。
「ええ! 美しいという言葉だけでは表現できないほどの素晴らしさですわ、オムニポウテンス様」
「そうだろうとも。この世界でこの地球ほど美しいと呼べる惑星は無い。そこに住む人間たちは完成された者たちではないが、もとは我らの血族。いずれは我らに還る者たち。これほど愛情を持てるものもない」
彼の声は本当に慈愛に満ちていた。
「地球の人間は不思議だぞ。貴方がたもこの地球人になって暮らしてみればわかると思うが、同じ生命体としてとても勉強になることは確かだ。とにかく、一千年という短い間だが、思う存分楽しんできてくれたまえ」
オムニポウテンスは、彼らが罰を受けてここに来たことをすっかり忘れているようだった。
リカールとサーラは自分たちの身体が重くなるのを感じた。
どんどん地球に引き込まれていく感覚が二人を包み込む。
その時が近づいてきたのだ。
彼らの新しい生活が───
恋人たちはお互いに叫んでいた。
「どこに生まれ落ちようとも、私は必ず君を捜し出す!」
「ええ、必ず! 待っているわ愛しい人。あなたが迎えに来るのを」
「愛している!」
「ええ、私もよ」
彼らの記憶は急速に薄れていった。
そして───
彼らは完全に無となり消えてしまった。
リカールとサーラは地球で先ず最初の生を生きるため、地球人として生まれ変わることとなったのだ。
「!」
遙はハッと我に返った。
今自分は何をしていたのだろう。
記憶が途切れてしまっていた。
しかし、彼女はちゃんと目が覚めていた。
彼女はしっかりとした足取りで歩いている。
「何だか白昼夢を見てたような気がする。あれは何だったかしら……地球……?」
彼女の脳裏にチラッと宇宙から見た地球の姿が映った。
しかしそのような映像はテレビなどで見たことがあった。それほど珍しいものでもない。
だがなぜ今そのようなものが頭に浮かんだのか、遙は不思議で仕方なかった。
彼女はそれが何かとても大事なことのような気がした。
彼女は立ち止まる。しかしすぐに頭を振って再び歩きはじめた。
「早く帰んなきゃ…」
何事もなかったかのように足早に進む。
それでも彼女は気になっていた。
その地球を誰かと一緒にどこからか見てたような気がする。
しかしそれを、心の奥底に追いやることによって彼女は無理やり忘れようとした。
その頃、瀟洒なマンションの一室で睦まじく寄り添う二つの影があった。言わずと知れた藤沢美佳子と皇道彦である。
美佳子はキャミソール姿で道彦の裸の胸に顔を寄せていた。
彼らは気だるくソファーに座っている。
「遙さん……素敵な人ですね」
彼女は道彦の腕の中で呟いた。
ため息のように囁かれるその声の響きは、嫉妬というよりむしろ憧憬が感じられる。
道彦は眉間に皺を寄せた。とても恐い表情だ。
その顔は美佳子には見えない。
彼らの座るソファーの向こうにはベッドが置かれてあった。その上のシーツは生々しく乱れていた。それは、さきほどまで何が行われていたか如実に物語っていた。
道彦は彼女の、剥き出しになったなめらかな肌を優しく撫でていた。それは全く顔の表情とは裏腹である。
そう。未だに彼の胸中は遙の事で一杯だったのだ。
遙を美佳子のようにこの手で抱きたい。
キスしたい。
あの可愛らしい耳に睦言を囁きたい。
そう思えば思うほど、許されない事だという倫理に阻まれる。
そして地獄のような業火に焼かれるかのごとく、心がさいなまれるのだった。
道彦は更に自分の想いに沈み込む。
記憶など戻らない方がよかったのかもしれない。
こんな苦しい思いをすることになろうとは───何も思い出さぬ方が幸せだったことだろう。
道彦の心は傷つき血を流していた。
その苦しみのなかで彼の瞳にはそこにいないはずの、ある美しい女の顔が映し出されていた。
黄金の髪とブルー・アイを持つ、邪悪に満ちたその存在───
「道彦さん……?」
美佳子は全く返事をしようとしない彼を不思議に思った。
そして顔を上げる。
道彦は自分の深い想いから現実に引き戻された。
彼の表情はさきほどまでの恐いものから、元来の穏和な微笑みに戻っていた。その顔を彼女に向ける。
「ん? どうした。ちょっと考え事をしていたんだ。何か言ったかね」
美佳子は疑わしそうに目を細めた。
しかし彼のその微笑みに安心したのか、彼女はもう一度繰り返した。
「遙さんのことよ。素敵な人ねって言ったの」
「ああ、遙ね。あの子は私の宝だよ。全く手塩にかけて可愛がったのに横からあんなつまらん男にかっさらわれて、悔しい思いをしたものだ」
遙の事を喋る彼は自然ととてもいい顔をする。
美佳子は以前からそれに気づいていて、道彦は遙に対してきっと特別な感情を持っているに違いないと感じていた。
道彦には誰か心に決めた女性がいるのだ、と勘づいてはいた美佳子ではある。ただ遙は道彦の実の姪であるから、それだけが彼女にとって救いではあった。
だがわかってはいても、そんな遙に嫉妬の気持ちを抱かずにはいられなかった。
彼女は道彦の身体に巻き付けた腕に力をこめ、更にきつく抱きしめた。何者にも彼を渡すまいとするかのごとく───
夢を見ていた。
宇宙から地球を眺めている。
とても美しかった。
ある宇宙飛行士が言った、地球は青かったというあの言葉が思い出される。
全くそのままの眺めなんだと、感動すら覚えた。
だけどなぜ自分はここにこうして浮いているのだろう。
何だか随分昔からここに存在して、地球を見つめていたような気がする。
それより私は一体誰なのだろう。
名前が思い出せない。
頭を強く振る。
「あ……」
すると遙か遠くの地表から、何かがこちらに近づいてきた。
どんどんそれは近づいてきて、どうやら人らしい事がわかった。
男だった。まだ若い男だ。
そしてその男の顔を確かめた瞬間!
「………!」
藤沢美佳子は目が覚めた。
自分の部屋のベッドの上だった。
彼女はどうやら夢を見ていたらしい。
目覚める少し前に誰かの名前を叫んだらしいのだが、何という名前だったか彼女には思い出せなかった。
「あの男の人。なんだかとっても懐かしい感じのする人だった」
しかしその夢に出てきた男の顔に、彼女は全く見覚えはなかった。
美佳子はベッドから起きだすと、キッチンからコーヒーを持って来た。
そして窓に近づき、部屋のカーテンを思いきり開けた。
サッと眩しい朝の光が部屋一杯に射し込んだ。
彼女は目を細める。
美佳子は大学の近くのマンションに一人暮らしをしていた。
実家は少し離れた郊外で、大学に通うには不便ではなかったが、彼女はどうしてもと親に頼み込んで、ここを借りてもらったのだった。
元々彼女の家は裕福だったので、経済面では問題はなかった。そして何よりも彼女は優秀な子だったので親も信頼していたのだった。
しかし彼女がしている事を知ったら決して許しはしなかっただろう。
勉学は全くしていなかった。だがそれにも関わらず、彼女はいつも良い成績だった。
皇道彦に毎日のようにべったりとくっついていたのだ。
それはまるで何かに憑かれたかのような様子だった。
まさに藤沢美佳子は自分がまるで何かに導かれてでもいるかのように、道彦の傍から決して離れてはならないという、強迫観念に囚われていたのだ。
それはなぜなのかわからないが、昔からよく見ている夢に関係しているらしいと感じていた。
彼女はいつも宇宙から地球を眺めているのだ。
ただ見つめている、それだけの夢だった。
それが、ようやく最近その内容が発展を遂げたのである。一人の見たことのない男が出てくるようになったのだ。
だが、決まって彼の顔を確かめ、名前を呼ぶと目が覚めてしまう。
夢のなかの彼女は、確かに彼が誰か知っている。
だが思い出せない。
そういうことで彼女は喉に何かが詰まっているような、そんな不快感を感じていた。
あの男は誰なのだろう。
彼女は誰かこの謎を解いてほしいと、切に願っていた。なぜだか思い出さなきゃならない、そんな焦燥感が彼女を捉えて放さないのだ。
思い余って美佳子は着替えるとマンションを出ることにした。外出してみれば少しは気が晴れるかもしれない、という思いからである。
彼女は遙の勤めていたあのデパートにやって来た。そしてぼんやりと一階のハンドバッグ売り場やら靴売り場などをブラブラしていた。
その日は日曜日でもあったため、かなり売り場も混雑をしていた。
美佳子が見ていた靴売り場は玄関近くの壁際に設置されていた。中央のエスカレーター近くに婦人雑貨のコーナーがある。折しもタイムバーゲンが始まったらしく男性販売員が声を上げて呼び込みをしていた。
「ハンカチ、ストッキング、帽子が安いですよ。十一時までのタイムサービスだ。早く来ないと掘り出し物が無くなってしまうよ。さあ、買った買った!」
彼女は少し興味を覚えてそちらの方に移動した。
そこは大勢のお客でごった返していた。
ワゴンの中を見ると結構いい品が、割りと安めで並んではいた。
だが、みんなで揉みくちゃにしてしまっていて、何が何だかわからなくなってしまっている。
とその時。
「正人くん!」
美佳子のすぐ横にいた女の子が叫んだ。
恋人だろうか。人々の群れの外れに佇む男性を呼んでいた。
だが──美佳子は一瞬金縛りにあったかのように立ちすくんだ。
まるで電撃を食らったように彼女には感じられた。
美佳子は、その『正人』という名前に過剰反応した。
彼女は思い出したのだ。
そう。あの夢の男は『正人』という名前だった。自分はその名前を呼んでいた。確かに呼んでいたのだ。
そしてほとんど無意識のうちに、その男に目を向けた。
少女がその男性に寄っていこうとしているのが見えた。
「!」
彼女は驚愕した。
そこにいたのは紛れもなく、あの夢の中にいつも現れる男性だったのだ。
「由美、大丈夫か?」
その彼は彼女を気づかうように呼んだ。そして少女の手を引くと、どんどん玄関の方に行ってしまおうとしていた。
「あ、待って」
美佳子は急いで追いかけようとしたが、人の群れに邪魔されて思うように進めない。
いったいあなたは───
ようやく群れから解放されて玄関から外に飛び出した。しかし時すでに遅く、二人はもういなくなってしまっていた。
彼女は呆然として、いつまでもその場に佇んでいた。
「美佳子さん?」
彼女は誰かに呼ばれて振り向いた。
そこには遙が立っていた。
「遙さん……」
「どうしたの? なんだかボーッとしてるみたいだけど」
遙は心配そうに彼女を見ていた。
彼女は遙のその顔を見ているうちに、ある思いが心に生まれてくるのを感じた。
無性に今の出来事を聞いてもらいたいという思いがそれはむしろ、そうしなければならないといった強迫観念にも似た思いであった。
「遙さん……どうしてもあなたに聞いてほしいことがあるんです」
遙は美佳子の思い詰めた表情を見て、いささか面食らった。
だがすぐに気前よく頷いた。
「主人もいるんですけどいいかしら」
彼女は今気がついたように視線を移した。見ると遙の横に鷹男が立っている。
彼は美佳子と目が合うと頭を下げた。
「どうも初めまして」
一瞬美佳子はどうしようかと迷った。
しかし彼女は反射的に頭を下げ、喋っていた。
「初めまして……ではどこかゆっくりできるところで……」
そして彼らは喫茶店に入ることにした。例の喫茶店である。
三人は椅子に落ちつき、鷹男は早速ウェイトレスに注文を頼んだ。
「俺、ブレンド」
美佳子はレモンティーを頼んだ。
「私もレモンティーね」
にこにこ顔のウェイトレスに向かい、遙もそう注文した。
それを聞いた鷹男は変な顔を見せた。
遙は彼のその表情に気づき、一瞬ばつの悪い顔をして見せた。だがすぐに真顔になって喋りはじめた。
「えっと……美佳子さん。それでお話というのは何かしら」
「ええ……実は……」
美佳子はさっそく話しはじめた。
自分のいつも見る夢のこと、そしてさきほど見かけた男性のことを。
「正人という名前に過去関係した覚えがないのです。でもそれにも関わらず、私はこの名前を知っていると思うのです」
美佳子の話を難しい表情でじっと聞いていた遙は、考え込むように呟いた。
「ふうーん、それはやっぱり前世ね」
「え、前世……ですか?」
美佳子は訝しげにそう言った。
だが遙は、心持ち不思議そうに首を傾げている。
「ただ変なのは前世で出会っている人物がなぜ同じ時代にいるか、よね。普通生まれ変わってくるのに随分時間がかかるはずよ。それなのにあなたの場合は前世と現世が重なってしまっている。これは変だわ」
すると、コーヒーを啜りながら横でジッと二人の会話を聞いていた鷹男が、ボソリと呟いた。
「その正人という名前、俺にも初めて聞く名前なのになぜか懐かしく感じるんだけど、どうしてかな」
遙と美佳子は驚いて彼を見つめた。
「あのツバメを助ける男の子のことね。ああ、なんと言うこと!」
遙はパンッと手を打った。
「もしかしたら、美佳子さんの夢に出てくる正人と鷹男さんの夢に出てくる少年は、同じ人物かもしれないわ」
彼女はまるで世紀の大発見でもしたような様子だった。
「これはきっと何かの前兆なのよ。もしかしたら物凄いことが起きるかもしれない」
彼女はすっかり興奮してしまっていた。
美佳子と鷹男はゴクリと喉を鳴らし、生唾を飲み込んだ。まるで彼女の言った言葉が、何かの予言のように二人には感じられたからだ。
女性陣は運ばれてきたレモンティーに全く手をつけようとしていなかった。というよりは全然目に入っていないようである。
それほどに彼ら三人の周りの空気だけ、得も言われぬ緊張感が漂っているようだった。
「いらっしゃいませー」
明るいウェイトレスの声が喫茶店の隅々まで響き渡る。
手をつなぎながら仲良さそうに若いカップルが入ってきた。
その二人は、楽しそうに話しながら、遙たちのテーブルの傍を通って奥に入っていく。恋人たちは、自分たちが通りすぎたテーブルに漂う、異様な空気に全く気づく様子はなかった。
喫茶店は明るく、遙たちの存在はまるで場違いだった。
そしてここが明るければ明るいほど、彼らの神経はどんどん高ぶっていったのである。