格の違い
広い平原での戦い。
連携も取れないまま、戦いは続いていた。
見える範囲では、それほど劣勢というわけではない。
しかし、戦線は広がりきってしまっている。他の場所で戦っている翠鳳騎士団が瓦解すれば戦況は一気に傾くことになるだろう。
状況を把握するための斥候は放っているが、この混戦の中で情報を集めるのは難しい。
各所で戦う仲間が奮戦していることを祈るばかりだ。もしかすると、他の場所では有利に立っているかも知れない。
「伝令ーー!! 部隊を預かる者は何処に!」
状況を知りたいと考えていたところへ伝令が駆け込んできた。フィリアが放った斥候ではなく、翠鳳騎士団の伝令兵のようだ。
「ここよ!」
「フィリア殿下!? 近衛の隊が何故このような最前線に……」
戦場に来ているのだから前線にいるのは当たり前なのだが……なるほど翠鳳騎士団が自分の隊を置いて突撃を敢行した理由がなんとなく分かった気がした。
遠くで戦っていた隊の者なのだろうが、フィリアが前線に出てからかなりの時間が経っている。騎士団内での連携も取れていないのではないか、と思うと頭が痛くなってきた。
「何があったの?」
軽く頭を振って雑念を消してから、フィリアは伝令兵に問いかけた。見れば顔も身体も、駆ってきた馬すらも傷だらけだ。激戦区を抜けてきたのであろう。
「翠鳳騎士団、マルタ隊、レッセン隊潰走……西側の戦線は崩壊しました」
「……そう」
見えない場所で奮戦してくれていると期待していなかったわけではないが、やはり、という想いもある。翠鳳騎士団と黒狼騎士団では地力が違いすぎる。今は悲観にくれるよりも、状況を把握して次の動きを考えるべき時だ。
「伝令ーーーー!!」
気持ちを切り替えようとしたフィリアの元に新たな伝令が現れる。
「バース隊が敵の猛攻を受けています! 至急増援を!!」
思った通り、良い知らせではなかった。伝令の動きに気付いたジュラールとマリナがフィリアの元へとやってくる。
「崩れ始めたか」
「実戦経験もない貴族達のお飾り騎士団にしては、よく保ったほうかと」
マリナの冷たく言い放った言葉に、ジュラールが苦い顔をする。長く戦から離れていたフィアンマ公国において、騎士はただのステータスに成り下がっていた。
能力や実績ではなく、生まれや血筋、果ては賄賂等で階級を手に入れる者もいる。マリナのような下級貴族は、騎士養成所で良い成績を残しても騎士団への入団を拒まれることすらある。
ジュラールは先達の騎士として騎士団の弱体化と腐敗を憂いていたが、自らの想いや騎士道を継ぐ者を見つけられないままであった。
「格が違いすぎます。これ以上は……」
騎士団の内情をよく知るマリナは戦への勝ち筋が見いだせないでいた。ここは死地である。主をこのような場所で死なせるわけにはいかない。
「だからと言って退くわけにもいかないでしょう」
「勝手をしたのは翠鳳騎士団です。殿下に非はありません。今、退かねば――」
「バース隊の支援に入ろう」
「承服しかねます。この場にいることすら危険な状況で、あのような死地に主を向かわせる訳にはいきません」
いつになく真剣な表情でマリナが食い下がってくる。
「支援承知。隊を再編します」
「ガミラス卿!!」
マリナはいつもの巫山戯た口調すら表に出さず、主を助けるために必死に食い下がっていた。その想いは十分に伝わってきた。しかし、マリナには見えていないものがある。
「今、動けるのは私達しかいないわ」
「そんなことは承知の上で言っています」
「敵も、バース隊が重要だと思っているみたいよ」
フィリアの視線を追うようにして、マリナはバース隊が苦戦している戦場を見た。そこに見えたのは――
「あれは、黒狼将旗……三将の部隊があそこを狙っている……?」
黒狼騎士団のみならず、戦の際に味方を鼓舞するために旗を立てることがある。フィリアの部隊もまた『銀閃華』の異名で各国に武名を轟かせているジュラールの旗を立てて戦っている。
ジュラールのように自らの将旗を立てることもあれば、黒狼騎士団のように汎用の将旗を立てることもある。
今、フィリア達に見えている旗は黒狼騎士団の頂点である『三将』がいることを示す旗であった。
「敵の指揮官を叩けば、戦局を覆すことができる。ここにしか勝機はあるまい」
「…………」
ジュラールがフィリアの考えを言葉にする。マリナはそれでも不安の方が勝るのか、じっと唇を結んだまま敵の動きを睨んでいた。
「撤退するにしてもここで兵を失いすぎれば後がないわ。行こう」
「……ったく、仕方ないわね! 無茶しちゃ駄目だかんね!!」
「うん! やっぱりマリナはそっちのがいいよ」
いつもの雰囲気に戻ったマリナの様子に自然と笑みが溢れた。ここからは一か八かの戦いになる。堅いままでは力も発揮できないだろう。
これでいい。いつもの力が出せれば、きっと勝てる。
「これよりバース隊の支援に入る! 目指すは黒狼将旗! 続けっ!!!」
号令をかけたフィリアを先頭に近衛騎士団は黒狼将旗へ向けて一直線に駆けていく。
敵に対応する時間を与えてはならない。電光石火の一撃で敵将を討ち取る。
この不利な状況を覆してフィアンマを救う方法はそれしかない。
ジュラールもマリナも、近衛の者達も皆そのことがわかっていた。
皆の想いを背に駆ける。
――よう頑張った。後はワシらに任せい。
不意に懐かしい声が頭をよぎった。優しく安心させるような老人の声。
――ところで皆、手柄は欲しくねぇか?
次は才気溢れる若い騎士の自信に溢れた声。
いずれも、過去に縁のあった者の声。
――今は、敵将を討つことだけを考えるんだ
黒狼将旗が近づくに連れて、過去に……魔王戦役の時代に、縁を持った者達の思い出が溢れてくる。
そこには叔父のグラントがいた。ジュラールがいた。勇者がいた。聖女がいた。傭兵が、女騎士が、エルフが、獣人がいた。
そして……グルガ帝国黒狼騎士団の老将と若い騎士がいた。
かつては仲間だった。背を預け、共に肩を並べ戦った仲間。
戦いが終わった後も、国交について何度も語り合った。
絆があった。信頼が、あった。
グルガ帝国とフィアンマ公国は、友であった。
……はずだった。
だから、考えないようにしていた。事情も何もわからない中、話し合いをする余地すら無く戦いになった今、かつての縁を思い出しても苦しいだけだ。
それが枷になるとわかっていた。なのに、今この時に思い出してしまった。
――考えるな
無駄な思考は判断を鈍らせる。槍を鈍らせる。今はただ敵を倒すことだけを考えなければならない。
前を向く。黒狼将旗が近づいている。
「見えた!」
敵将への道がはっきりと見えた。余計な考えを捨て、フィリアは自らを一本の槍にして駆ける。
「ちょっ、姫! 先走っちゃ駄目!!」
「くっ……追うぞ!! 遅れるなデフェーズ!」
今は何も聞こえない。自分の中にあるのは、敵将への道のみ。
相手が誰であろうと、何があろうと自らの手で敵将を討ちフィアンマの未来を勝ち取る。
「これで、終わらせる!」
黒狼将旗を守るように展開する守備兵の壁を突き破り、フィリアは敵将の眼前へと躍り出た。