急報
訓練と言う名の模擬戦は続いていた。
ジュラールとマリナ、そして共をする数人の兵士は複数人による乱戦の形式で模擬戦を戦っている。
「背中がお留守ですぞ、姫」
律儀に隙ができた場所を注意してから、ジュラールが剣を振り下ろす。
隙を衝かれたフィリアは体制を崩しつつも振り下ろされた剣を避けた。
――随分と戦えるようになったが、まだまだだな。
咄嗟に振り下ろしを躱したことは評価できるが、体制を崩しすぎている。
「残念ですが、これで終わりですな」
振り下ろされた剣が、龍の尾の先端を思わせる鋭利な角度で斬り返される。
かつてジュラールが東方の国ヤマト皇国から流れてきたサムライと呼ばれる剣士に教わった『龍尾返し』という秘剣だ。
フィリアの首元で寸止めをして訓練は終わり、そう思っていたジュラールの剣に衝撃が走る。
「残念。隙を見せたのはわざとよ」
体制を崩したと見せかけたフィリアは、後ろ手に持った槍の石突でジュラールの剣を横から弾いていた。
逆に体制を崩されたジュラールが驚愕に目を見開く。澄ました顔でこちらをみているが、槍の石突を以て剣撃を横合いから弾くなどという技は簡単にできるものではない。
訓練とはいえ、背に隙を見せながらも冷静に対処する胆力。そして槍の技量があって初めてできる技だ。
一国の姫にしておくにはもったいない才。フィリアの評価を改めたジュラールは、その才にさらなる磨きをかけるべく弾かれた剣を正眼に構え直す。
「虚を衝いた攻撃、流石と言わせていただきましょう。ですが、あそこで追撃に移れなかったのは、よくありませんな」
「いーえ、フィリアの行動は正解ですよ」
首筋に硬い物が当たる感覚。なるほど、ジュラールの戦いはあの時点で終わっていたようだ。
「乱戦では敵すらも手数の一つとして立ち回るは道理。見事です、フィリア様」
構えを解いたジュラールは首筋に槍を突きつけているマリナへと目を向ける。
「デフェーズも、見事。私が気付いていないのを知り、自らの隙を作らぬために私がフィリア様へと構え直すのを待ったのは良い判断だ」
「にへへ。ジュラール様に褒められるとむず痒いですね。でも、残念だったなー。あのままフィリアが追撃してきてたら漁夫の利からの一石二鳥だったのにな」
「危ないところだったわ。剣を弾いた勢いで槍を振ろうと思ったら、マリナが楽しそうな目でこっちみてるんだもん」
「やー、まだまだだなぁ。好機を見つけると、どうしてもテンションが上がっちゃうんだよね」
軽口を叩きながらも、互いに隙を見せないよう気を張っている。
「フィアンマの未来は安泰だな」
対峙する二人を残して、ジュラールは邪魔にならない場所へと移動する。
見れば、十数人いた模擬戦の参加者も残るはフィリアとマリナだけになっていた。
従者と主という関係だが、フィリアとマリナにはそれを超える絆があった。
故に、二人とも手を抜くことはしないだろう。
広い練兵場の中央で無言で対峙する二人。見守る者達も口を閉ざしている。
音の消えた練兵場に二人の闘気が張り詰めていく。
――!!
動いたのはどちらが先だっただろうか。ほぼ同時に地を蹴って一気に間合いを詰める。
一撃必殺を狙うマリナの刺突がフィリアの眼前に迫る。対するフィリアは訓練用の槍を横薙ぎに振るう。
フィリアは槍を振るう勢いを生かして紙一重で刺突を避ける。刺突を繰り出したマリナも身をかがめることでフィリアの斬撃を躱す。
「うおっつ、あっぶなー」
軽口を叩きつつも、地に伏せる態勢となったマリナはそのままフィリアに対して足払いをかけた。
「ッ!」
足を払われたフィリアは片手をついてバク転の要領で身体を回転させて、間合いを開く。しかし、態勢を立て直すよりも先に雨のようなマリナの刺突が降り注いだ。
無理な態勢ながらも必死に刺突をいなしていく。
――態勢を立て直す余裕がない、でも……!
それでも、耐えしのげば反撃のチャンスは来るはず。
息をつく間もなく続く刺突のいくつかが甲冑をかすめていく。致命的な場所への攻撃はなんとか防いでいるが、この状況では長くは保たない。
――肉を切らせて骨を断つ、だったわね
耐えしのぐのが難しいならば、捨てるしか無い。フィリアが覚悟を決めたその時、僅かにマリナに隙が見えた。
連撃の疲れからか少しだけ勢いを落とした刺突に対し、敢えて左肩を当てることで刺突を止める。
「……ッ!!!」
左肩に衝撃が走る。肩ごと身体を持っていかれそうになるが、気力で踏ん張りマリナへと槍を振るう。
「うぎゃー」
胴に槍を振り抜かれたマリナが、冗談のような悲鳴を上げて吹き飛んでいく。
「はぁはぁ……勝……った?」
吹き飛ばされた衝撃でマリナは槍を手放している。訓練のルールでは、武器を手放すか致命的な部分へ攻撃を受ければ敗北だ。
「いちちちち、やられちゃったねー」
槍を受けた場所を手で擦りながらマリナが身体を起こす。夢中で振り抜いたが、大怪我をしていなくて良かったとフィリアは胸をなでおろした。
「いやーまさか負けるとは思わなかったよ。これは従者廃業かなー」
「そんなこと言わないでよ。まだまだ守ってもらわないと困るわ」
「んーフィリアがそういうなら、仕方ないね。守ったげる」
先程まで熾烈な試合をしていたとは思えないように、二人は笑いあっていた。
「その言葉遣いをどうにかする気がないなら、そう長くはないがな」
「あう……」
ジュラールも会話に加わり、空気が弛緩していく。
「フフ。マリナはそのままが――」
「ガミラス卿!!」
訓練も終わり雑談を続けようとしたフィリアの言葉を遮るように、兵士が練兵場へと駆け込んできた。
「なんだ、騒々しい。仮にも公女殿下の御膳であるぞ」
ジュラールが駆け込んできた兵士を咎める。
「!! 公女殿下もおられましたか。失礼いたしました」
「そんなに畏まらなくてもいいわ。それよりも、何かあったの?」
見れば兵士は肩で息をしている。余程の急報なのだろう。
「ハッ! グルガ帝国が進軍を開始したとの報が入りました!」
「なんだと!?」
グルガ帝国の進軍。予期していたことではあるが、早すぎた。
「その様子だと誤報の可能性は低そうだな。状況は?」
「詳細は未だ分からず。しかし、グルガの一軍がフィアンマの国境を突破したと……」
「そんな……」
フィアンマの領土は狭い。国境を突破されているならば、すぐにでも首都アーランフィアナへ届いてしまう。
「翠鳳騎士団はすでに出陣の準備の取り掛かっております」
フィアンマ公国の主力騎士団である翠鳳騎士団が出陣するとなると、やはり事態は急を要する状況なのだろう。
「近衛もただちに出陣するよう、命令が下されております」
「馬鹿な!! 敵の情報が無い状況で、アーランフィアナを空にするおつもりか!? そのような愚策、グラント大公がお許しになるはずがない!」
兵士の言葉にジュラールが声を荒げる。近衛兵は首都、及びフィアンマ王族を守護するための兵だ。
乾坤一擲の策でも取らない限り、首都アーランフィアナから離れることはありえない。
もしくは……すでに首都へと届く距離にグルガ軍が迫っているということだろうか。だとすればグルガ帝国軍の進軍速度は神域に達しているといえる。
どう考えても、正常な判断ではない。
フィアンマには軍事に長けた者が少ない。もとはファティマ聖王国の属国のような国であり、他国よりも天秤の加護が強い国でもあったからだ。
それでも名将として名を轟かせているジュラールやフィアンマ公王の義弟であるグラント大公は戦術戦略に通じており、二人の采配で今まで国を保たせてきたようなものでもある。
グラントならば、そのような愚を犯す筈がない。ジュラールが声を荒げるのも最もだった。
「……命令書の印は、大公殿下のものです」
「馬鹿な……」
兵士の言葉にジュラールが絶句する。フィリアもまた、叔父らしからぬ采配に疑問を感じた。
「大公殿下より、フィアンマ公国全軍を以て速やかにグルガ帝国軍を撃滅せよ、と。また、フィアンマ公国首都アーランフィアナの守備はグラント大公軍が担うとのことです」
命令書に目を通す。確かに印はグラントの物だ。
グラント大公が率いる軍は練度の面でいえば主力である翠鳳騎士団を上回る。数は限られている為、正面作戦には向いてはいないが守戦においては十分な力を発揮するだろう。
それは、近衛も同じことではあるが。
「叔父様も何か考えがあってこのような命令をだしたのでしょう。行きましょう」
「……やむを得ませぬか」
実質的に軍を統括しているグラントの命令には従わざるを得ない。抗議をしにいくにも、現在の状況で彼を捕まえることは難しいだろう。
「さすがに姫はお留守番だよね?」
命令書を手に歩き出したフィリアに対し、マリナが釘をさすように言う。
「あら、どうしてかしら? ジュラール旗下の近衛兵は私に指揮権があるわ」
「そりゃ、そうだけどさ……」
正論で返されたマリナが口を尖らせる。自分の事を心配して言ってくれているのだろう事はわかっていた。けれど――
「王族だからこそ、こういう時は先陣に立たないと駄目だと思う」
国を守るために命を賭して戦う者達がいる。
そんな状況でじっとしていることは考えられなかった。
「出陣の準備を!」
「ハッ! 直ちに!!」
フィリアの号令で周囲の兵士達が慌ただしく動き始める。
練兵所にいたのはフィリアの共回りの兵だ。主から出陣を告げられた兵達は、足早に練兵所を出ていった。
「……マリナ、ジュラール」
人が居なくなった練兵所でフィリアは二人に声をかける。
「私を守ってね!」
フィリアは笑顔でそう告げた。
不安そうに自分を見つめる二人に、二人の仕事をしてもらうために。
「この身に代えてもお守りします」
「当たり前でしょ! 無茶したら怒るからね!」
ジュラールは騎士然として。
マリナはなぜか上から目線で。
主を守ると言葉にした。そしてフィリアは――
「うん。私達で皆を守ろう!」
自らの不安を消すように、力強く決意を言葉にした。
聖歴593年八の月――
グルガ帝国軍がフィアンマ国境を超えて進軍。
フィアンマ公国はこれに対し、フィアナ平原に主力である翠鳳騎士団及び第一公女フィリア・コーウェン率いる近衛騎士団を展開。
国の存亡をかけた戦が始まる。