甘い男
包囲は着実に狭まっていた。
ジュラールやマリナが包囲に穴を開けようと攻撃を仕掛けているが、マルヴィンの手でいなされ包囲を抜けることができない。
じりじりと追い詰められている。近衛兵の犠牲はまだ出ていないが、消耗を避けるように動いているグルガ軍が攻勢に出れば、一気に殲滅のは目に見えている。
状況が動く時がくる。その時には、必ずどこかに隙ができるはずだ。
フィリアは焦る気持ちを抑えつつも、敵の隙を伺っていた。
すると、不意に包囲を狭めていた敵の動きが止まった。
「……何をするつもり?」
敵の動きを注視するフィリアの前に、指揮官であるマルヴィンがゆっくりと近づいてくる。
「やっぱやめだ」
「は?」
剣を下ろしたマルヴィンの言葉に、マリナが素っ頓狂な声を上げる。
「性に合わねぇ。行けよ」
突然の宣言に、フィリア達は動くことも言葉を発することもできなかった。
その様を見たマルヴィンは、少しだけ目を伏せてから指示を出すように片手を上げる。
マルヴィンの合図に合わせて、包囲陣が開いていく。
「……良いのですか?」
「追い込んだ鼠の首をとってもな」
「そんなこと言って、後ろからブスリって魂胆じゃないでしょうね?」
「後ろからじゃなくてもブスリできんのに、なんでそんな面倒なことする必要があるんだよ」
マルヴィンはフィリア達の質問に面倒そうに答えた。さっさと行けといわんばかりに、手を振っている。
その顔からは戦意を感じることはできない。
「礼は言いません」
「おう。俺たちゃ敵同士だ。それでいい」
フィリア達は警戒しつつもマルヴィンの横を通り、開いた道を進んでいく。
「相変わらず、甘い。だが……助かった」
「……」
マルヴィンの判断によって、フィリア達は命拾いしたことになる。
魔王戦役で共に戦った時から、自信家で不遜な態度を取る騎士だったが、一度仲間と認めた者に対しての判断は偏っていると見ていた。
そのことについて、ジュラールはミハエルと言葉を交わした覚えがある。それが懸念であり、それこそがマルヴィン=ブッフバルトだと、老将は言っていた。
老練なジュラールが、敵に悟られないように選んだ道を看破する慧眼と、ジュラールとマリナを抑える程の剣の腕を持ちながらも、上級騎士に留まっているのはその判断の甘さ故か。
ジュラールの言葉を受けて、無言で見つめ返す男の目に後悔の色はない。それが彼の定めた道なのだろう。ジュラールは余計な考えを振り払い、殿として警戒を怠らずに包囲陣を抜けた。
「……」
マルヴィンは包囲陣を抜けたフィリア達の背を眺めている。
「良かったのですか?」
「フィアンマは既に掌握している。姫さん達はどうせ国境を超えられん」
「それに……」
「それに?」
部隊の副官を務める男の質問に答えながら、マルヴィンはフィリア達が駆けていった方向を見つめている。
「いや、なんでもねぇ。この戦も、もう終わりだ。撤収すんぞ」
「承知しました。陣を払い、本隊への帰投準備を始めます」
「おう。頼む」
副官はそう言うと、部隊の者達に指示を出しながら去っていった。
マルヴィンはその場でじっと見えなくなったフィリア達の背を見つめている。
「……」
「甘い、か――」
去り際のジュラールの言葉を思い出す。
甘い。確かに、甘いのかも知れない。だが、マルヴィンの判断は、果たしてフィリア達を救ったのであろうか。
「……ここで終わってた方が、楽だったかもしんねーぞ、姫さん」
何もいない夜の闇へ向けて、一人呟いた。
夜の闇の先に、フィアンマの、フィリアの未来は――