窮鼠
イルムガルト率いる翠鳳騎士団の決死の突撃にグルガ帝国軍が引きつけられていた。その隙をついてフィリア達は戦場を脱しようと馬を走らせている。
「うまく敵が引きつけられてる。これなら――」
「やーっぱこっちが本命だったか」
「敵!?」
少し軽そうな男の声と共に、暗闇から黒鎧に身を包んだグルガ帝国の軍勢が現れた。
行く手を阻むように現れた軍勢を前に、フィリア達は足を止める。
敵軍の先頭に小柄な男が立っていた。
小柄な男は短く切りそろえられた金髪をかきあげながらフィリアの方へと近づいてくる。
「貴方は――いえ、ミハエルお爺様がいるなら、貴方も戦場にいて当然ですね」
見覚えのある男だった。ミハエルと同じく、かつては仲間として戦場で背を守りあった男。
かつての仲間は、共に戦っていた時と同じように、気軽に声をかけてくる。
「よう姫さん、久しぶりだな」
「お久しぶりです。マルヴィンさん」
フィリアもまた、かつてのように応える。
マルヴィン=ブッフバルト。グルガ帝国の上級騎士であり黒狼騎士団三将の一人、フィアンマ侵略軍の指揮をとる『八咫烏』ミハエル=ベルゲングリューンの従者を務める騎士。
若いながらも軍略に通じており、剣の腕も立つ。
フィリア達と共に戦った砂漠での戦では、彼の献策によって天秤の降臨へと至った。
――よう、皆。手柄は欲しくねえか?
自信に溢れた様子でフィリア達を扇動する彼の姿が不意に頭をよぎる。
ミハエルも、マルヴィンも、頼りになる騎士だった。
今は、敵だ。
「魔王戦役以来か。なんか戦装束が様になってきたな」
「ええ。おかげさまで。マルヴィンさんはここでなにを?」
「ああ、ちょっと狼に追われた鼠を獲りにな」
「鼠だと……っ!!」
マルヴィンの挑発を皮肉で返したフィリアと違い、マリナが憤る。その様を見たマルヴィンの声が急に冷たくなった。
「憤ったところでこの包囲は抜けられねぇよ。悪いことはいわん。投降しろ」
「鼠も追い込まれれば噛みつきますよ」
「猫を相手にしてるつもりなら、やめとけ」
投降の勧告に否定の言葉を返すも、彼はやはり冷たく返した。
しかし、ここで敵に降るわけにはいかない。このような場所で諦めては、フィリア達を逃す為に戦うイルムガルトや翠鳳騎士団の者達に申し訳が立たない。
それに――
「小僧が吠えよる。投降したところで、姫を助ける気など無かろう」
ジュラールの言う通りだ。ここで投降しても、フィリアの命は無いだろう。都を焼き、フィアンマを消し去ろうとしているグルガ帝国において、フィアマの第一公女であるフィリアを生かす道理が無い。
「ああ。グラントみたいに国でも差し出せば多少は融通できたかも知れねーが、姫さんはダメだな」
想像通りの答えだった。
グラントは自らの命を永らえる為に国を、フィリア達を売ったのだろう。マルヴィンから言われたことで、グラントが裏切ったことが事実としてフィリアに重くのしかかる。
「ならば、剣を置く理由にはならん。押し通る!」
重い空気が場を支配しようとしたのを止めるように、ジュラールが剣を抜いた。続くようにマリナが槍を構え、近衛騎士団の面々がフィリアを守るように陣形を整える。
「……しゃあねえか。せめて俺の手で幕を下ろしてやるよ」
言葉と同時にマルヴィンも剣を抜いた。
「やれ」
マルヴィンの短い号令と共に、グルガ軍の包囲が狭まってくる。
こんなところで死ぬわけにはいかない。フィリアは槍を振りかぶり、押し包もうとしてくるグルガ軍へと斬り込んでいった。