逢魔が時
純白の鎧を纏った女騎士が手に持つ黒い剣を振るう度に漆黒の剣閃が走り、グルガ兵を冗談のように吹き飛ばしていく。
傷一つ無い純白の鎧と艷やかな金髪が陽光を浴びて輝く様は、まるで戦場に舞い降りた女神のようであった。
血に濡れた剣は陽の光すら飲み込むような漆黒。漆黒の剣から繰り出される剣閃は、まるで悪夢のようであった。
対象的な白と黒の光が戦場を断ち割り、あっという間に指揮官であるミハエル=ベルゲングリューンに肉薄する。
「貴様が最初だ! 『八咫烏』ミハエル=ベルゲングリューン!」
純白の女騎士がミハエルに黒い剣を突きつける。
「まさか、生きておったとはな」
「貴様達を殺し尽くすまで死ぬものかっ!!」
「まったく……。おヌシは毎度ワシの策を台無しにしてくれるのう。ザカート帝国があっさり滅んでくれたと思えば、とんだ置き土産をしてくれたもんじゃ」
今にも戦の趨勢が決しようかというタイミングで、乱入者が現れるとは。それがよりにもよって滅ぼしたはずのザカート帝国の騎士である。
ミハエルはこめかみを抑えながらも目の前にいる騎士に向けて構える。
「ただの置き土産と思うなよ。我が剣が必ず貴様を……グルガを斬り裂くと知れ!!」
「亡国の騎士にくれてやるほど安くはないぞ、我が首は。ここでおヌシと共にザカートを終わらせるとしよう。消え去るが良い、『戦女神』イルムガルト=クラムよ!!」
フィアンマ公国とグルガ帝国の戦へ乱入した者。それはグルガ帝国によって滅ぼされた大国、ザカート帝国筆頭騎士イルムガルト=クラムであった。
* * *
イルムガルトの乱入による影響で、フィリア達を囲む陣が崩れ始めていた。
「敵の陣形が崩れた! 撤退のチャンスですよ!」
「まさか、あの者に助けられるとはな。姫、ここは一旦退きましょう」
「……」
二人の言葉に返事もせずに、フィリアはじっと戦場を見据えていた。
ジュラールはかつての仲間が敵となり、そしてかつての敵の助けによって窮地を脱しようとしているこの状況に戸惑っているのだと思った。
ザカート帝国の筆頭騎士『戦女神』イルムガルト=クラムは、かつて生死をかけて戦った敵であった。
世界が魔王の軍勢に脅かされていた時代。ザカート帝国はイルムガルトの指揮で、身を隠していた聖女を手に入れる為に砂漠へと進軍してきた。
フィリアとジュラールはフィアンマ公国の大公と共に、ファティマ聖王国の指示で聖女を迎えに行った先でイルムガルトの軍と戦う事となった。
聖女を守る為。ザカート帝国の暴挙を止めるために、各国が連合して立ち向かった。
その戦いからまだ三年も経っていない。
敵味方が入れ替わったかのような今の状況は、未だ二十歳にも満たないフィリアには受け入れがたいのかも知れない。
そう考えたジュラールは、撤退の指揮を取るべくフィリアに再度声をかける。
「姫、気持ちは分かりますが、今の機を逃せば撤退も難しくなります。ご決断を」
「……駄目」
戦場を見据えたまま、フィリアが小さく呟いた。
「フィリア、どうしたの?」
「今退いたら、駄目」
フィリアは一人駆け出していた。
「ちょ、どこ行くの!?」
「散り散りになった翠鳳騎士団をまとめる!」
走り出したフィリアを追いかけていたジュラールが、その言葉に足を止める。
「姫、それは……!」
「ここで退いたら、もう立て直せない。イルムガルトさんがグルガ軍を乱している今しかないわ!!」
フィリアが旗持ちの騎士の下へ走る。
「フィアンマの旗を掲げて! 私達が健在だってことを、孤立して戦っている仲間達に伝えるのよ!!
「わかった!!」
フィリアの言葉に応じて、マリナが旗持ちの騎士からフィアンマの王族旗を受け取る。
「この状況で、なんという判断力……。いや、今は感心している場合ではないな」
ジュラールも応じるように自らの将旗を掲げた。その姿を見てフィリアは大きく頷く。
「仲間を助けながら戦場を駆ける!! 皆、私についてきて!!」
――おおおおおおおお!!
* * *
あと一歩のところまで迫ったイルムガルトだったが、巧みに兵を使って逃げるミハエルを討つことはできなかった。
「……退いたか。相変わらず逃げ足の早い老人だ」
イルムガルトは撤退していくグルガ兵の背を眺めていた。そこへグルガ帝国と戦闘を行っていた者達が近づいてくる。
「イルムガルトさん!」
先頭に立つフィリアの姿を見て、イルムガルトは目を見開いた。
その姿には覚えがあった。
「お前は……」
「助力感謝する」
フィリアに続いて近づいてきたジュラールも声をかける。泥と血に汚れた二人の姿を見て、こういう皮肉があるのかと、イルムガルトは少し胸が痛むのを感じた。
「戦っていたのはお前達だったのか……。皮肉なものだな」
考えていた事を口に出してしまう。フィリアが少しだけ目を伏せた。
「ああ、すまない。戦場ではよくあることだ。気にするな」
「はい、大丈夫です。お気遣いありがとうございます」
「それよりも、軍の指揮をしていたのは『銀閃華』殿か?
フィリアの返答を聞いて納得したのか、気を遣ったのか。イルムガルトが話題を変える。
「いや、私ではない。散った兵をまとめたのは、フィリア様だ」
「ほう……」
「その、まずかったですか?」
「いや、良い判断だ。あの状況で兵をまとめるのは、中々できることではない」
「む、夢中だったのもので……」
ザカート帝国随一の騎士として名高いイルムガルトに褒められたフィリアは、少しだけ緊張して声が上ずってしまった。
「散々に討たれているように見えたが、思ったよりも兵が残っている。それに士気も高い。これならば、やりよう次第でグルガ軍に痛撃を与えることもできるだろう」
イルムガルトは後方で陣を再編しているフィアンマ軍を見渡してから、フィリアの目を見据えて言葉を続ける。
「成り行きではあるが、以降は私も貴殿の指揮下に入ろうと思う」
「なんと……!」
イルムガルトの言葉にジュラールが驚きの声を上げる。
「国を失った愚物だが、並の兵よりは使えるだろう。よろしく頼む」
そう言ってフィリアに対して頭を下げた。ここへきてイルムガルト程の力を持つ戦力の追加は願ってもない。
「イルムガルトさんが手伝ってくれるなら百人……いえ、千人力ですね!」
「明日はグルガ軍に一泡吹かせてやろうよ!!」
「うん! グルガ軍が退いている今のうちに、しっかり立て直そう! ジュラール、マリナ、手伝って!」
「「ハッ」」
「イルムガルトさん、軍の再編が終わったらお話させてください」
「承知した」
イルムガルトの参戦で士気が上がった三人は揚々といった様子でフィアンマ軍の陣へと戻っていく。
三人の背を見送ったイルムガルトは、何気なく視線をその先へと向ける。
「夕日、か」
太陽が地平線へと沈んでいくのが見えた。
「……嫌な赤だ」
戦場を照らす夕日は、血のように赤い色をしていた。
こうしてフィアンマ公国とグルガ帝国の緒戦は幕を閉じた。