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グラスフィッシュの骨  作者: 冬澤 紺
6/7

死のデータ

「期待していますよ」


 近江は教室で咳ばらいをして興奮を沈めた。


「総じて言うと、この拳銃には危険性と欠点が多いのです。なので携帯はしていても使用は緊急時とマルさんの許可がないといけません。では、どう幽霊を捕獲するのか……」


 近江は証拠品を調べる時に着用する白い手袋を大和に渡した。


「この手袋を着用すると、幽霊に触れます」

「えええ?!」


 この一時間で様々な道具を見せられたが、一番驚きの声を発した。


「警察学校ではどの武道を履修していましたか?」

「柔道です」

「そうですか。ですがほぼ使わないでしょう。床に叩きつける事も痛みを与える事も出来ません。逃げないように身体の一部を掴む事しか相手の動きを封じる術はないのです。そして、幽霊は透けています。壁に追い込むことも、床にひれ伏せさせる事も出来ない。天井にも逃げます。普通の犯罪者より逃走経路が多い分、逮捕には体力と知能を要しますよ」


 幽霊逮捕の難しさがどんどん明るみに出て、大和は不安を隠せなかった。


「任務はバディを組むのでしょうか?」


 大和の質問にマルが毛づくろいをしながら「そうにゃ」と答えた。


「俺のバディは堺君ですか? それとも佐賀さんでしょうか?」

「春市のはまだ決まっていないにゃ」

「じゃあ、俺はまだ任務には出られないって事ですか?」


 マルが大和の肩にぴょんと飛び乗った。


「では、春市に最初の任務を言い渡すにゃ!」

「でも、まだ部署の紹介と装備品の説明しか聞いていませんよ?! それに一人で任務なんて今の俺には……」


 大和の言葉を無視して、マルは肩の上で器用に右前足を掲げた。


「警察学校で訓練・座学を学びながら自分のバディとなる公務獣を探せにゃ!」


 高らかに命令したが、大和は「公務獣?」とついていけていなかった。


「では次の授業は俺から公務獣について説明するにゃ。近江、ご苦労だったにゃ」


 近江は大きな身体を倒し、「こちらこそ、いいものを見せていただきました」と褐色の頬を緩ませた。


「では春市君。君には期待しています。幽霊・霊力・妖怪、まだまだ解明されていない事ばかりです。何かあれば怪奇捜査研究所までお越しください。あと、科学捜査研究所、略して科捜研に負けないくらいの怪奇捜査研究所の略名も募集していますので」


 そしてもう一つチョコレートを置いて、近江は出て行った。


再び角野も合流し、床には見た事もない模様が描かれた正方形の布が引かれた。崩れた漢字にもアルファベットにも見えるが、子どもの落書きと言った方が早い。首を傾げる大和に角野が説明を始める。


「幽霊係は刑事と動物で一つのバディです。この相棒ともいえる動物を公務獣と呼びます。仕事に応じてきちんと税金で給与も支払われます。この公務獣、動物の種類は問いませんが、なるべく捜査と職場に支障のないものをお勧めします」

「警察犬の代わりという事ですか?」

「はい」

「なぜ人間ではなく動物なのでしょう」

「もうお察しの通り、幽霊相手に普通の逮捕術は効きません。その為、人力を越えた力が必要なのです。どうでしょう、今、パッと何か浮かんでいますか?」

「犬とか……犬とか……犬……」


 マルが「想像力が足りないにゃ」と退屈そうに欠伸をした。


「堺君の公務獣は犬ですよね?」

「チャップリンですか? 彼は狼ですよ」

「え?!」

「犬もいますよ。今日は休みですが、加々美君という男性警部補の公務獣は犬です。犬種はチワワです」


 まだ見ぬ仲間の公務獣は犬。そして堺の公務獣は狼で、佐賀が熊。


「俺は……どうしましょうか」

「好きな動物は?」

「……トラ」

「動物園に確認して死亡間際のトラの確認をしましょうか?」


 冗談が現実味を帯び、大和は慌てて「ラッコが好きです!」と答えてしまった。


「海の生き物はお勧めしません。出勤が大変なうえに、飼育も困難かと」

「すみません! 慌てて適当な事を言いました!」

「あと虫もあまり……」


 角野が視線を逸らした。


「それは角野が嫌いだからだにゃ」


 朝方のゴキブリ騒動を思い出した。


「そういうわけではなく、あまり役に立たないと思います。あっ、鳥は問題ありませんよ」

「鳥……たしかに便利かもしれませんね」

「俺が叩き落とすにゃ!」


 猫パンチの練習をするマルを見ながら大和は唸った。それを見た角野が優しく微笑む。


「初出勤は二週間後です。ここで座学や逮捕術を学びながら、あいた時間は公務獣探しに当ててください」

「どこに住んでいるんですか?」


 角野は視線を下にやった。


「これを使うんです」

「く、口寄せ?!」

「ははは、忍者みたいですね。残念、この上に人間の霊体と動物の死体を安置し合体させるのです。霊体探しにはこれを使ってください」


 簡単に言ってのける角野が、分厚い資料を机の上に置いた。


「これは各国の警察で共有しているとある情報です。日本ではまだですが、安楽死を取り入れている国から送られてくる「死のデータ」です」

「死のデータ?」

「安楽死を希望している患者の中で公務に支障のない身体の持ち主が登録されています」


 近江がさっき言っていた、憑依した後も霊体の情報が引き継がれている話を大和は思い出した。


「安楽死を望みながら、身体に支障のない人間がこんなにいるんですか?」

「いいところに気が付きましたね。安楽死を希望する人間は9割が公務に支障が出る身体です。ここに登録してあるのは残り1割の中の更に公務獣になってもいいほんの数名です。安楽死を望んでいるのに生きながらえる事になりますから。そんな酔狂な人間は稀ですよ」


 しかし資料はかなり分厚い。


「あまり公にはされていせんがこの死のデータに登録されている人間のほとんどは死刑囚です」


 大和は全身に鳥肌が立った。


「恐ろしいかもしれませんが、多くの試験を通り抜けた者しか選ばれません。世界中の死刑囚から選ぶのでデータが膨大なのです。それにある意味、犯罪のプロフェッショナルですから、良い助言が貰えますよ」

「それ以外に霊体を手に入れる方法はないんですか?」

「ありますが難儀ですよ」

「教えてください」


 縋る様に頼む大和。死を覚悟した人間との生活は想像しがたかったのだ。


「自分で交渉するのです。街に出て気になる霊体に公務獣になってもらうようにお願いする。そして決まった動物とこの陣に入ってもらえばそれで初任務終了です。晴れてチーム春市の完成です」


 街中で幽霊に話しかけるというこちらも重たい方法。大和は渋々資料を受け取り、角野は「二週間ありますから」と付け足すが、正直二週間しかないというのが現実だった。それほど通報の数に対して、特異体質を持つ警察官が足りていないのだ。急いで実践に入ってもらいたいギリギリの猶予が二週間なのだった。


 想像を絶する激務と困難さ。初めての仕事ばかりというのもさることながら、今まで自分が嫌っていた幽霊とかかわりを持つ仕事。まだ、大和の中で整理はついていないが、もう覚悟を決めるしかなかった。


──もしかしたら、そのうち本物の刑事になるチャンスが巡ってくるかも


と、逃げ腰で視線を上げ、一人と一匹に敬礼ポーズをとった。


***


翌日から武道の講師による逮捕術の訓練、特殊警察部発足時に執行された怪奇法の授業などを受け、夕方からは公務獣探しに明け暮れた。

 警察学校の寮に入る事は免れた大和は、一日の雑務をこなすと校舎をあとにした。夕日が沈み始める街中を歩きながら、任されている初任務の事を考える。幽霊の事など考えている男がいるとも知らずに帰路を急ぐ大人たちは、大和も、歩道に咲く花も木も、明かりが落ち始めたショーウィンドウにも目もくれず我が道を行っている。ちょうどそこへ犬の散歩をしている女性とすれ違った。


「犬が良いけど、被るのはどうなんだろ」


 既に犬はいる。同じ動物になるのは問題ないが、大和の闘争心がそれを阻んでいた。刑事になりたくて周囲より抜きんでようと努力した日々は、大和を競争心の塊にした。人と同じことをしていても目につけて貰えない。結局、特異な体質のせいで報告が遅い警察官のレッテルを貼られる羽目になったが、培ったものは未だに残っている。


「蛇? いやカラスか? カラスにするなら鷹の方がいいな」


 木に止まっているカラスを見つめる。太い枝にはカラスが二匹止まっているだけ。酷使した瞳を潤そうと瞬きしたその時だった。


「?!」


 急いで木から視線を逸らした。瞬きをした一瞬、次に目を開けた時、二匹のカラスと共に女の子が座っていたからだ。


「くそ」


 大和は犯罪から目を逸らしている気分になる。木と歩道の人並みを避け、女の子が座る木の目の前にある雑貨屋の前に立つ。スマートフォンを扱う振りをしてそっと視線を上げると、カチリと視線が合い、慌てて液晶画面を見た。再びゆっくり視線を上げると、白のスニーカーがスーツ姿の女性の頭を掠め、次に来た男性の頭を貫通した。この時、ようやく大和は幽霊であると確信する。それほど霊体がはっきり見えているのだ。今の様に木ではなく道端に立っていれば普通の人と変わらない。そしてその子が泣いていれば警察官として声をかけただろう。もちろん誰かが声をかけた後、もしくは行き交う人々の視線を確認してその子が生きた人間と分かった場合のみだ。


しばらくそこにいたが、誰も女の子どころか、街路樹も気にとめない。今ここで大和が女の子に声をかければどうなるか……

ブルッと夕方の春風が大和を震わせる。そしてその風に攫われるように女の子も消えた。


「街中で話しかけるなんて無理だ」


 やはり公務獣の霊体は角野から預かっている死のデータから探すしかないと大和は諦めた。バサッと止まっていたカラスも飛び立つ。オレンジを押し潰す紫のグラデーションの下に連なる山々へ漆黒の影は帰っていく。


「……山か。そうか!」


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