特殊警察部誕生
採用試験のからくりを知ってしまい放心状態の大和はいつの間にか警察学校の教室にいた。途中、今朝がた不思議に思っていた公務獣専門のエレベーターに角野とマルと乗った事も気づかないほど、面接官の一人が幽霊であった事実は衝撃を与えていた。
「春市!」
ハッと顔を上げると、バチーンと猫パンチが飛んできた。警察学校時代にすら体罰を食らったことはなかった教室で、大和はようやく我に返った。
「教官にも殴られた事ないのに……」
「そのフレーズ、あのアニメだにゃ? 春市は再々放送の時代かにゃ?」
「俺の代は完全リメイク版でかつ実写でした」
「若いにゃ。俺は再放送と再々放送の時代にゃ。再放送の時はまだちびっこであのアニメの面白さが分からにゃかったが、再々放送で感動したにゃ。しかし、その再々放送の時には俺はもう猫だったにゃ」
話の着地点に大和は背筋を伸ばした。机に座るマルの表情も凛々しく、一つ前の席に座る角野も椅子を後ろにして大和と向き合った。
「あの時から怪奇課は存在していたにゃ。それより数年前、警察や市民はある事件に悩まされていたにゃ。では一時間目は歴史の授業といくかにゃ」
ピョンとマルは机から飛び降り、角野に「あとは任せたにゃ。俺はあいつの出迎えにいくにゃ」と教室を出て行った。
「では、春市君。どうして特殊警察部怪奇課ができたのか、今日はその話をします。そのあとは別の講師から諸々の授業を受け二週間みっちり鍛えて貰って下さい。そして二週間後、晴れて幽霊係で勤務してもらいます」
大和は気持ち晴れぬまま、角野の話に耳を傾けた。
***
話の始まりは大和の生まれる前の時代からだった。環境問題や国際情勢に悩まされる世界に、もう一つ事件が発生した。
──怪奇現象の活発化だ
その手の学者によると、長らく続いた環境汚染に地球の磁場がほんの少し歪んだという。実際には地球にも生物にも何の変化ももたらさなかった。しかし見えないところで見えない存在に影響を与えていたのだ。磁場の歪みが幽霊たちにとってこの世の居心地を良くしてしまったという。あの世とこの世の境に緩みが生じ、漏れ出たあの世の空気がこの世の空気に混ざり、呼吸しやすくしてしまったのだと、学者は怪奇現象の活発化にこういう説を唱えていた。
すると各地で「見える」体質の者たちが声を発し始めた。それは「我々は見えている」というカミングアウトではなく苦情だった。家の中に数年前に処刑された殺人鬼が住み着いている、幽霊の家族が寝室に居座っている、公園で夜中にブランコを鳴らす。そういった苦情が霊媒師や坊主、外国では教会に寄せられた。見える人間にとってはただの人口増加でしかない。移民の大移動にもにたそれに困っていたのだ。
そして人間の愚かな面は、そういった困っている相手に悪徳商売をする者がいることだった。本職ならばいい。しかし、金を騙し取るだけ騙し取り、霊を払う能力はからっきし、最悪全く見えていない人間もいた。日本では詐欺事件として当時は刑事がその対応に当たっていた。
まだ幽霊など信じられにくい風潮の中、最大の詐欺事件が発生する。
──陰陽師おんみょうじ詐欺さぎ事件じけんだ
「春市君はこの事件ご存知ですか?」
「いえ全く。怪奇関連の事にはなるべく触れないように生活してきましたから」
「そうですか。陰陽師詐欺事件とはある陰陽師にお祓いを頼んだ依頼主の電話から始まります。いつまでたっても鳴りやまない屋根裏の音、そして病に倒れる家族、何度も有名な陰陽師に頼んだのに怪奇現象は治まりませんでした。多額の金をつぎ込んだ依頼主が詐欺事件として被害届を提出、そして担当刑事が現場に直行。その日、依頼主は証拠を見て貰おうと、その陰陽師を呼び出していました。刑事が物陰に隠れているとも知らず除霊が始まりますが、詐欺事件という言葉通り失敗。その陰陽師は逮捕されました」
「それだけ聞くと普通の詐欺事件と大差ありませんね」
「はい。ですが、除霊開始後すぐ依頼主の屋敷の屋根が崩れたのです。現場は大混乱、そして初めて怪奇現象関係の詐欺事件で死人が出ました。これが他の事件と違う大きな点です」
「その陰陽師ですか?」
「いいえ。陰陽師の助手と刑事が亡くなりました」
「崩れた屋根に押し潰されたんですか?」
角野は首を横に振る。
「屋根による圧死でなく、紐状のもので絞殺されていました。陰陽師はこの屋敷に巣くっていた大蛇の仕業だと証言しましたが、大蛇の姿は何処にもなかった」
「幽霊や妖怪の類だから見えなかったと?」
「陰陽師はそう言っています。ですが当時設置された特捜部では、通報された陰陽師がそう見せかけるために仕組んだと見解が一致し逮捕に乗り出しました。結果は証拠不十分で無罪放免。謎だけが残る事件でした。ですが少なからず警察も怪奇現象が事実起こっているかもしれないと信じ始めたのです」
それから数年の年月をかけて有識者や本物の見える人間によって特殊警察部が設置された。
「最初は怪奇課だけが存在していました。しかし、どんどん怪奇現象に現実味が帯びていくにつれ、諸外国も専門の機関設置に乗り出し、争う様に日本も特殊警察部の規模を大きくしていきました」
大和は心の中で「そんな競争理由で……」と残念な気持ちを吐露した。見える人間にとっては玩具にされているような気がしてならない。
「そして採用時に幽霊面接官が導入されました。これにより公平的かつ確実的に見える人間を識別しているのです。堺君の言った通り、あの時既に君はここに異動になる事が決まっていた」
もう刑事にはなれないと、大和は全てを悟った。
「春市君は刑事志願者なんですよね?」
「はい。もう無理だと思いますが」
「刑事は警察の花形ともいえる仕事、心中お察しします。そんな君に朗報か訃報か分かりませんがこれだけは伝えておきたい」
大和、落ち込んで伏せっていた視線を角野に向ける。
「特殊警察部にはさまざまな部署があります。この後、各部署の警察官が説明に参ります。そして幽霊係の代表として僕が君に伝えたい事があります。それは……」
少し迷ったあと、角野ははっきりと言った。
「怪奇課幽霊係は凶悪な幽霊や、幽霊による犯罪を取り締まる部署です。つまりここは刑事課と変わりがありません。違うのは犯人が見える存在か、見えない存在かだけ。刑事になりたい、しかし見える事を隠してきた君にどういっていいか迷いますが……」
角野は大和に握手を求めた。
「春市大和君、今日から君は刑事です」
大和は差し出された手を握り返せない。嬉しい「刑事」という言葉がこれほど残酷に聞こえたのは野田が刑事課勤務に決まったと聞いた時以上だ。しかも勤務地は県警本部で、胸を張って自慢できる。なのに……
「でも幽霊相手の刑事なんですよね?」
思わず本音が漏れ、握られる事のなかった手を、角野は引っ込めた。
「そうです」
「……」
「異動願はほぼ弾かれると思って下さい。警察庁も見える人間の確保の難しさを痛感しています。しかしむやみやたらに集める事はできない。警察官としての適性も兼ね備え、特異な体質を持っていなければならない。そんな人間の採用方法は幽霊面接官の導入の他にないのです。君は選ばれた貴重な人材なんですよ」
何を言われても嬉しくはない。大和は今日が始まってからどんどん絶望の底の深さを更新していた。
「いつか、春市君もこの部署で良かったと思える日が来ると信じています」
寂しそうに角野は敬礼すると、項垂れる大和を教室に残し出て行った。