9.ダリアの覚悟
「あの、私は、何とお呼びすれば良いのでしょうか」
確かにダリアにお母様と呼ばれるのは、具合が悪いな。それに、ダリアの事を知るのに良い機会か。
「少し、二人きりで話そうか。普段は、ミューレさんでかまわない。ところで、セブルを抱いてもいいかな」
少し照れながら話す。
「はい、抱いて下さい。セブルも喜びます。お母様。二人きりの時は、そう呼んでも良いですよね」
幼さの残る屈託のない笑顔で言われる。闇仕事に引き込んだのは、間接的に私だ。過去との縁を切れさせたのも私になるか。仕方ない、それ位の条件は飲もうか。
「二人きりの時だけだ。絶対に他の者が居そうな場所では駄目だ。それだけは守ってくれ」
「はい、お母様」
ダリアからセブルを優しく受け止める。軽く小さい命だ。だが、生命力の強い輝きに満ちている。どうやら健康に育っている様だ。私に抱かれても大人しく眠っている。暖かいな。
「良ければ、ダリアの生い立ちを聞かせて欲しい」
やはり、弟子の嫁の素性位は知っておきたい。
「よくある話です。両親は小作農で生計を立てていましたが、家族七人を食べさせるには借金をしないと無理な状況でした。一日一回の食事とは呼べない様な食事。それでも家族仲は良く、皆で畑仕事を頑張り利子だけは細々と返していました。ところが一昨年、不作となり利子も返せず、食事も出来ぬ日が増えました。となると長女である一番身体が大きい私が居なくなれば、口減らしができ、食事への負担が減ります。そこで、自分から奴隷商人へ身売りを致しました。その時のお金の一部でしっかり食事をして、血色を良くし少しでも良い所に売られる様に生れて初めて、紅を塗りました…。」
ダリアの膝に水滴が落ちる。まだ幼さが残る顔に涙二筋、頬に光っている。
「奴隷商人に体の隅々まで検査されました。ただ、扱いは丁寧でした。私は商品ですから傷をつけて商品価値を下げる訳にはいきませんから。ですが、商品なのです。私の心は、恥ずかしさで一杯でした。ですが、覚悟して自分で奴隷に堕ちたのです。抵抗すれば、お仕置きを受け、身体に傷がつくのだけは避けなければなりません。高く売れた場合、料金に上乗せして両親に渡してくれると言う約束でしたから」
ダリアの零れる涙の量が増え、身体が震えはじめる。
奴隷商人の商品確認は、徹底している。全裸にされ、冷たい水で奴隷共に泥や垢を落とさせる。その後、奴隷商人と医者が徹底的に身体を調べ上げる。口の中、鼻の穴、耳の穴、性器、肛門という全ての穴を広げられ、中まで見られる。
虫歯や各部の健康状態によって、ランク付けされ最低金額が決まる。女の場合、処女であれば一気に値段が跳ね上がる。生娘は、奴隷市場では人気商品なのだ。
ゆえに奴隷商人は、絶対に商品に手は出さない。自分達で商品価値を下げることはしない。
だが、商品価値を上げる為に、商品確認の手を抜くことは無い。
ダリアも全裸にされ、秘所を数人の奴隷商人や医者に丹念に見られ、触られた事だろう。特に処女として売られるのであれば、間違いなく丹念な調査が行われたに違いない。
売った後に買主からのクレーム程、恐ろしい物は無い。その奴隷商人は信用を失い、今後は安く買いたたかれる運命が待っている。
最初に買い取った金額より、安く買われれば赤字だ。奴隷商人も生きていく為に、高く売るのに必死なのだ。
だが、そんな事をダリアに説明しても何の慰めにもならないだろう。奴隷と縁のない人間の言葉など説得力は無い。
「市場に立った時にすぐに覚悟しました。これで私は、人間を捨て奴隷になり、ご主人様の言われるままに行動する動物になるのだと。ですから、最後に人間でいられるこの場では堂々としよう。胸を張ろうとしました。そして、競りが始まったのですが、すぐに中断されました。余りにも突然高額な値段に跳ね上がったのです。前代未聞の金額だったそうです」
「それがダイメンの入札だったのか」
「はい、耳を疑いました。私に金貨百枚の値がつくとは思いませんでした」
金貨百枚か。エンヴィーなら家族四人が二年は、楽に食っていけるな。顔は愛らしいから、相場としては、処女価格を入れても金貨十枚が良い処だろう。
貧農の出なので、発育も良くない。遊ぶのも最初の一度だけしか価値が無い。二度目からは商売女と同じだ。
ダイメンの奴、よっぽど惚れたんだな。
「逆に私は怖くなりました。そんな大金が私に見合うと思えません。何か悪い人に買われたのではないかと。そしてダイメンさんとお会いした時は、恐怖を感じました。眼つきが悪く、何かも切り裂く様な冷たい目をしていました。私は、遊ばれた後に殺されるか。魔法使いの実験材料にされるのかと覚悟しました」
「ダイメンの裏仕事の時の顔は、確かに素人には怖いだろうな。無表情で全身を舐めまわす様に見つめ、情報を少しでも集めようという貪欲さが出るからな。マスターの時は、人懐っこい誰にでも好かれるオッサンなのにな」
「はい、その裏の顔でした。すぐに使いの方が金貨を持って来て、売買が成立しました。奴隷商人が驚く位のスピード決裁でした」
「基本的にアイツはケチなんだけど、金の活かし方は心得ているから」
「すぐに連れていかれたのが、服屋でした。私が今までに目にしたことが無い煌びやかな世界でした。私はこの服屋で何をされるのだろう。この人の店だろうか。恐怖で一杯でした。そして、彼が初めて私に口を開きました。俺の家には、女物の服は無い。店員と相談して、好きな服を見繕え。一着じゃないぞ。ずっと暮らすのだから、着替えや寝間着も必要だからな。値段は店員に聞くな。店員にも俺から言い含めておく。でした」
「くくく、ダイメンの奴、照れてやがる。滅茶苦茶、舞い上がっているな」
「え、そうなんですか。私には、落ち着いている様に見えたのですが」
「情報屋が感情を表情に出せる訳ないだろう。まだ、教えてもらっていないのか」
「はい、お母様。私の笑顔を毎日見たいと言って」
「プププ。ベタ惚れだね。あのアホは」
「今は、四季物語の切り盛りを主にしています。ちなみに夕食は如何でしたか?私が作ったのですが、お母様のお口に合いましたか」
「ダリアが作ったのか。道理で普段に比べて、手が込んでいると思った訳だ。間違いなく、今迄で一番美味かった。ダリアの食事なら四季物語の名物にできる」
「本当ですか。ありがとうございます。お母様の為に腕をふるいました」
「いい子だね。気に入ったよ。こちらこそ、馬鹿弟子を頼むよ」
「はい、お母様。実はもう尻に引いているのです」
「やるじゃないか。確かにダイメンの言う通り、機転と度胸はあるようだ」
「お褒め頂きありがとうございます。すいません。長居し過ぎた様です。そろそろ失礼致します」
「そうだな。余り、ここに顔は出せないが、幸せになりなさい。ダイメンが悪さをしたら、私に言いなさい。お仕置きをしてあげるから」
「ありがとうございます、お母様」
ダリアがセブルを優しく抱き上げ、一礼をし、部屋を出て行く。
一気に静寂が広がる。今までの賑やかさが消え去り、冷え冷えとした空気が部屋を占領していく。
あぁ、こうしてまた世代交代していくのだな。ダイメンとも後、十数年の付き合いだろうか。
そして、ダリアとセブルが四季物語を切り盛りしてくれるのだろう。
どうして、人間族は死に急ぐのだろう。エルフ族の様にもう少し生き長らえることは出来ないのだろうか。
ワイングラスに残ったワインを一気に煽り、ベッドに潜り込む。セブルが眠っていたところが、ほのかに暖かい。故郷から出なければ、私も子供を生んでいてもおかしくない年頃だな。
そう思った処で記憶が途切れた。