6.アルマズの趣味
そして、二日間おおよそ平和に時間が経過した。意外にもウォンの修行の手伝いをさせられるかと思っていたが、何もお願いされなかった。ウォンも仕合いを申し込んでくるものだと思っていたが、今の処は何も言ってこない。鍛錬後に仕合いを申し込んでくる可能性が高そうだ。鍛錬でどれだけの実力がついたかの実験台にでもするつもりだろう。
あえて、私に特訓を課さず、修行前よりどれだけ実力があがったかの試金石にでもするつもりなのだろう。
とりあえず、静かに暖炉に置いてある写本を居間で繰り返し読み返す。
いざ、授業が始まった時の為の予習だ。何年も繰り返し読み込んだ写本だ。今さら見るまでも無く頭に入っている。しかし、アルマズが何か書き込みをしていたり、メモを挟んでいるかもしれないと思い、何度も読み返すが私が貸した時のままでページに折り目すら入っていない。アルマズにとっては、この写本を読み込む必要が、無かったのかもしれない。
一度目を通しただけで、頭に入ったのだろう。だから原本と写本を見比べた時に、短時間で良く出来ているとか、借りるのは写本だけで充分と言えたのだろう。
今ならアルマズの実力の片鱗が、すでにあの時に見え隠れしていた事実に気がつく。あの当時は、全く気にも留めていなかった。
写本と一緒に暖炉並べてある数冊のアルマズの蔵書を眺めるとジャンルが偏っている。
・大陸百年興亡史
・大陸における風俗史五百年
・諸王国血縁婚姻便覧
・貴族による貴族の為の基本所作
目につく蔵書のタイトルを見ただけで、人への関心が並々ならぬ様だ。カタラが貴族的な雰囲気を持っているのは、この貴族の所作とやらを参考に子育てをしたのだろうか。
まるで、アルマズ本人には、人としての常識が無いかの様だ。
一番驚かされたのが、蔵書の発行年だ。新しい物で五十年前、古い物になると二百年前の日付だ。ここまで古いと現状とはかけ離れている部分が多いだろう。
現に大陸百年興亡史では、すでに滅亡した国が幾つも載っており、人間達の記憶からはすでに消えている国も多くある。まぁ、私にとっては小さい時にあった国なので、どういう国だったかは、噂に聞いていたりする。長寿であるエルフ族の悲しいところかな。
さて、人の趣味に口を出すのは、私の主義じゃない。元に戻しておこう。本棚にアルマズの蔵書を戻す。
さて、二日も経ったし、そろそろ準備は終わらないだろうか。そして、また写本を一から読み直し始めた。
翌日、カタラが作ってくれた朝食を皆で囲んでいると、待ち望んでいた声が私にかかった。
「お嬢ちゃん、待たせたのう。今日から授業を開始しようかいのう」
「はい、やります。お願い致します」
断る道理は無い。散々暇を持て余していたのだ。外に出れば、見てはいけない物を発見しそうだし、家の中をうろつくのも同じだ。
かといって、ウォンの特訓に付き合える様なレベルで無い。家事でも手伝おうとすれば、カタラが客だからと言って何もさせてくれない。
つまり、軟禁に等しい状況だった。ようやく、身体を思う存分動かせる。
「良い返事じゃのう。では、朝食後、あそこで待っとるからのう」
「はい、わかりました」
あそことは射爆場だ。場所は分かっているが、早く行くのも見てはいけない物を見てしまいそうだ。かと言って、アルマズを待たせるのも礼儀がなっていない。ならば、一緒に行くのがマシか。
アルマズが食事を摂り終わるタイミングを見計らい、すぐに立てるように準備をする。つまり、アルマズより早く食事を終えることだ。早過ぎれば、先に行って良いと言われるかもしれない。早すぎても駄目だ。しっかり見極めよう。
「準備する物はありますか」
「お嬢ちゃんはそのまま来たらよいかのう。必要な物は向こうに全部用意してあるからのう」
では、言葉通り冒険服にダガーだけで射爆場に行くとしよう。
アルマズが食事を終え、立ち上がると同時に私も立ち上がる。
「先生、ご一緒致しましょう。持って行く物があれば、私がお持ち致します」
よし、不自然さは無い。完璧だ。
「大丈夫じゃ。向こうに教材は用意してあるからのう。では、一緒に行くかいのう」
「はい、お供します」
アルマズと連れ立って、射爆場へ向かう。
「お嬢ちゃんは、大袈裟じゃのう。初日に何処を見ても構わんと言うたのに律儀じゃのう」
こちらの思考を読まれていたが、予想範囲内だ。動揺しない。
「魔法使いの常識です。勝手に縄張りを荒らす訳にいきません」
魔法使いの研究室は、秘密の塊だ。何気なく置かれている巻物が、家一軒買える様な物だったり平気でする。他人の研究室に立ち入ってはならないと言うのが、魔法使いの間での暗黙のルールだ。
私は、そのルールを守ったに過ぎない。
「カタラから聞いていたのとイメージが違うのう」
アルマズが顎髭を撫でながら、目を細める。
「カタラからは、どの様に聞いていましたか」
「法律の穴を掻い潜って、自分の都合の良い様に相手に解釈させ、衛兵の前で犯罪行為を合法に置き換える人となりかいのう」
反論できない。基本的にその通りだ。決められたルールの中で自由にするのが、私の流儀だ。真っ向から権力に反することは一切しない。その代わり、裏や抜け穴を最大限に活用する。
カタラめ。事実だけど、何か釈然としない。もっと違うほめ方があるでしょうに。
「例えば、敵の不備を突く冷静な判断力を持っているかいのう」
「は?」
言葉の意味が全く分からなかった。我ながら、あまりにも間抜けな返事だな。
「お嬢ちゃんの顔に書いてあるのう。カタラよ、もう少し格好よく人となりを伝えろとのう。で、今のはお嬢ちゃんへのワシの評価じゃ」
「ありがとうございます。その様に言って頂けると嬉しいです」
自分自身は、ほぼ無表情のつもりだ。思っている事を表情に出したりはしていない。この程度で感情や意識を表情に出していては、交渉事には臨めないし、冷血の通り名が付くことも無い。もちろん、アルマズの鎌賭けの可能性も有る。顔に手を当てたりなどはしない。
「さて、着いたのう。では、始めるかのう」
着いた射爆場は、先日と様変わりしていた。ただの平らな荒野が、今は所々に巨岩が転がっている。魔法の良い目標になりそうだ。しかし、この数日で百近い巨岩をどうやってこの荒野に集めたのだろうか。それとも『石壁創造』の魔法の様に地面から生み出したのだろうか。
なるほど、これは準備時間が必要だ。細かい事は聞かない方が自分の為にも良いだろう。
「そういえば、質問に答えておらなんだのう。この魔法の種類は…」
確かに数日前に攻撃魔法か補助魔法かをアルマズに聞いた。そのまま親子喧嘩で流れたので答えを聞いていない。どちらだ?
「おめでとう。攻撃魔法じゃ」
「やはり、そうでしたか。予測通りです」
「おや?反応が薄いのう。もっと飛び跳ねて喜ぶかと思ったがのう」
「見た目は十代後半の少女ですが、精神年齢は四百歳ですから多少の事では驚きません。それに研究中も攻撃魔法の様な気がしていました」
アルマズが両肩を落とし、元気を無くす。
「面白くないのう。美少女が飛び跳ねて喜ぶ姿を見られると思って頑張って解読したのじゃがのう。つまらんのう」
アルマズが近くの小石を蹴り、不貞腐れる。面倒な爺だ。
「申し訳ありません。小娘なのは、外見だけですからご容赦下さい。それにエルフ族には、その様にはしゃぐ慣習はありません」
アルマズの歪んだ願望を聞き入れるつもりは無い。いざとなれば、カタラに告げ口、いやいや、授業内容を詳細に報告するだけだ。
「では、先生。御教授をお願い申し上げます」
「約束じゃからのう。始めるか」
こうして、新魔法の授業が始まった。