10.ミューレ失踪
翌朝、食堂に降りると、ウォンやカタラへマスターが結婚して子供も居ると嬉し恥ずかしそうにダリアとセブルを紹介していた。
「何だ。マスターは、ロリコンだったのか」
開口一番、ウォンが私と同じ感想を発する。
「ウォン、本当の事を言っては、人は傷つきます。せめて、娘さんの様ですねに止めておきましょう」
カタラがウォンを嗜めるが、逆効果だ。傷口に塩を塗り込んでいる。
「おはよう。相変わらず早いな」
「ミューレ聞いたか。マスターが結婚したって」
「昨晩聞いた。子供も居るそうだ。何でも嫌がる娘を力づくで手籠めにしたとかしないとか」
「本当ですか。それは許せません。犯罪です。すぐに衛兵隊の所に参りましょう。いえ、その前に神に告白をするのです。そうすれば、罪も少しは軽くなるでしょう」
カタラが本気になっている。真面目ちゃんには、少し刺激が強かったか。
「マスターにそんな度胸は無い無い。頭下げて、散々お願いしたに違いないぜ。お金を積んでな」
ウォンが面白そうに助け舟を出す。しかし、最後の一言がカタラを刺激した。
「マスター、ここに座って下さい。良いですか、人とは…」
マスターがカタラの前に座らされ、説教が始まった。これは長いな。放置しておこう。
「ウォン、あまり適当に言うとカタラのお説教が始まるだろう。程々にな」
「そうだな。まさか、ここまで大袈裟に反応するとは思わなかったわ。だけど、ロリコンには間違いないだろう」
「それは、否定できないな」
ダリアがカタラの説教に面食らい、固まっている。
「ダリア、こっちこっち」
私の呼びかけで正気に戻り、私が座った席に駆けてくる。
「あのう、ミューレさん。誤解だと止めた方が良いのでしょうか」
「いいのいいの。カタラは、僧侶で正義感の塊だからあれは仕事。問題ないよ」
「ミューレさんがそう仰るなら」
「朝食よろしく。セブルを預かろうか」
「大丈夫です。厨房の音が好きみたいですから。直ぐにご用意いたします」
ダリアとセブルが厨房の奥へと消えていく。他の客からの囁き声が聞こえてくる。
「俺、娘だと思ってた」
「儂も。まさか、嫁とはな」
「あの戦士の言う通り、ここのマスターはロリコンだったんだな」
「しかし、あんな若いのを嫁にするとは羨ましい」
「うちの嫁は、樽だぜ。交換して欲しいぜ」
「ロリコンも悪くないかもしれないな」
「全くだ」
何やら楽しそうだ。今日中にエンヴィー中に四季物語のマスターがロリコンだったという話が流れるだろう。ロリコンは事実だし、そっとしておこう。どうせ、ここで口止めしたところで直ぐに知れ渡るだろう。
王都バイタルへ向かう準備も整い、予定通りにエンヴィーを出発した。
順調に街道を進み、既に五日が経過している。
ウォンやカタラが尾行してくる可能性も考え、警戒していたのだが、私を尾行する者は、この五日間に感知する事は無かった。夕刻となり野営の準備の時間だ。そろそろ、ミューレが消えても良いだろう。
森に包まれた街道を進みながら、野営に適する場所を探す。樹々が濃い場所を見つけた。
あそこならば、街道からの視線を遮ってくれるだろう。馬を街道から繁みへと誘導する。
今日の寝床は、この繁みで眠る事にしよう。明日からは、ミューレは行方不明だ。
夜明けと共に目が覚めた。くるまっていたマントを剥ぎ取り、一度背伸びをする。良い朝だ。空を見上げると雲一つ無い。今日も一日晴れるだろう。
朝食を簡単に済ませ、周囲の気配を探る。精霊にも声を傾け、近くに生物が居ない事を確認する。さて、ミューレは、店じまいとしましょうか。
着ていた黒の冒険服、新月媛鎧、インテリジェンスソード等の下着以外を全て魔法のフォールディングバッグに片付けてしまう。
嫁入り前の娘が、野外であられもない下着姿でパタパタしている姿など人には見せられない。さっさと着替えてしまおう。
もう一度、フォールディングバッグに手を突っ込み、緑の冒険服を念じる。手に絹の手触りを感じ、バッグから引き出す。
普段着ている綿の実用一辺倒の冒険服とは対照的な高級素材を惜しげも無く使用した新緑の冒険服が現れる。
絹に明るい緑の染色を行い、所々に白いレースが飾られている。ズボンを素早く履き、上着を着る。使い込んだ黒ブーツもバッグに片付け、茶色い革製の光沢あるブーツに履き替える。
さらにバッグに手を突っ込み、緑の帽子を思い描く。しばらくすると手にレースが着いた帽子が触れ、バッグより引き出す。帽子も絹製で新緑の色をしており、短い円筒形の本体と周囲には濃い黒いベールが付いている。長髪を頭頂部で団子状にまとめ、帽子を頭に被り、髪留めで強風でも飛ばされぬ様にしっかりと固定し、顎先よりも長いベールを下す。
私からは視界は遮らないが、外からは濃いベールにより私の顔や髪の色を窺い知ることは出来ない。
ここで久しぶりに仮面を外し、バッグに仕舞う。
その場でクルッと一周してみる。久しぶりに魔法使い用の装備を着てみたが、体型に変化は無く着心地に違和感はない。
『分身現出』
自分の分身を産み出す魔法を唱える。四体の分身が私の目の前に現れる。
鏡の代わりだ。魔法の無駄使いと言われそうだが、全身をくまなく確認するには、うってつけの魔法だ。上等な鏡よりも明確にくっきりと見える。
我ながら、見事な変身ぶりだ。どこにもミューレの面影は無い。どこから見ても良家のお嬢様だ。
エルフの特徴的な尖った耳もベールで隠れている。顔自身も濃いベールに隠され、素顔を見ることは出来ない。
これでミューレは消えた。ここに居るのは、勇者パーティー『ルネス隊』の一員である魔法使いのエータだ。この名は、この大陸での知名度が高い。新緑の魔姫という二つ名があるくらいだ。勇者君の手伝いをする時は、必ずこの姿だ。ミューレのまま勇者君の手伝いをすると知名度が上がり、自由な冒険を堪能出来なくなる。面倒だが別の人間に成り変わってルネス隊に参加している。これで、しばらくミューレの探索をしようとも物理的に不可能になる。皆が私を見て、新緑の魔姫のエータであると思い込む。種族もエルフ族では無く、人間族ということにしてある。誰も冷血のミューレであると思いもしない。
ウォンやカタラも知らない。ルネス隊の他のメンバーも知らない。この事実を知っているのは、勇者君だけだ。この事実を知られたくなかったので、二人の同行を断ったのだ。
さて、準備も出来たし、エータとして出発をしようか。念の為、もう一度、周囲の状況を探る。大丈夫、気配は何も感じない。分身を消し、馬に跨り出発する。
さて、王都まで後五日かな。
ここまで旅は順調だったが、どうやらモンスターが私の前に集まり始めた様だ。昨日までの戦士の格好では、モンスター共も警戒をしていたのであろう。今のひ弱そうな魔法使いの姿を見れば、襲い掛かって来てもおかしくないか。武器も持たずに少女一人が街道を進んでいれば、格好の餌に見えるのだろう。
この先で待ち構えるつもりだろう。モンスターの移動速度が速くなる。
さて、敵は何匹かな。一、二、おや予想より多いな。全部で十二匹か。気配の強さから言えば、ゴブリンだろう。脅威にもならないし、倒したところでお宝が手に入るわけもない。
相手にするのも面倒なので、見逃してくると良いのだが。無理か。低能が本能で生きているだけだからな。
予想通り、街道の左右より小柄な影が十数匹飛び出してくる。やはり、ゴブリンだ。
数を数えるが十二匹で間違いない。伏兵を残したりもしていないようだ。
ゴブリンの中で一番装備がマシな一匹が話しかけてくる。この群れのボスだろう。
「お前、金、食い物、馬、置く。命助かる」
たどたどしいが人間族の言葉だ。ほう、ゴブリンにも少しは頭が賢いのがいるのか。
はぁ~、どうして私にはモンスターや危険ばかりが、纏わりついてくるのだろうか。そろそろ、頭脳明晰、家事完璧、温和な男前のエルフにでも出会えても良いと思うのだが、出会うのは見苦しい物ばかりだ。
ウォンは自業自得、カタラならば類は友が呼ぶとか言いそうだな。
「お前、殺す。いや、金、よこせ」
私が一言も話さないのを見て、怯えている様に感じたのだろうか。ゴブリン共が緊張を緩め、下卑た表情を浮かべる。もういいか。
『火炎爆裂』
小さく呪文を呟く。ゴブリンの中心に小さな火種が現れ、即座に火炎旋風となりゴブリン共を焼き尽くす。悲鳴を上げる隙も無かった。火炎が治まると、消し炭となった人型が十二体、街道に転がっている。皆即死だ。魔力の放出を押さえた為、樹海へ飛び火はしていない。
しかし、私の想定より火力が強すぎた。周囲に影響を与えず、欲しい結果だけを手に入れたかったのだが、危なかった。もっと魔力を絞り込む必要があった。どうも、魔法の力加減が、以前と違う様な気がする。
アルマズの修行のお陰なのか、魔力が以前と比べ格段に上がった様だ。丁度良い実験台だったな。今後は、もっと魔力の調整に気を付けよう。さて、旅を続けますか。
馬を促すと器用にゴブリンの死体を避けて街道を進み始める。後片付けは、野犬や狼がしてくれるだろう。
さて、勇者君の用事は何だろうか。楽しい冒険であれば良いのにな。
ゴブリンとの遭遇戦は、私の記憶からすぐに消えた。




