第1話 罪悪
第1話 罪悪
「おはよう」
後ろを振り返ると、そこには杉野がいた。
「ああ。おはよう。金曜日はありがとうね、助かったよ」
「ううん、気にしないで!」
今日は月曜日で、あれから3日経っている。あの子はどうなったのだろうか。
「あの子、朝起きてびっくりしてなかった?」
杉野は笑い、言う。
「してたよ。だいぶね。何でも会社で理不尽なことがあったみたいで、やけ酒をしてたんだってさ」
「へえ。あんなおとなしそうな子でもするんだね。やけ酒だなんて」
そう言うと、彼女は首を傾げた。
「何言ってんの? おとなしそうとか関係ないでしょ、そういうのは。誰だって何かしらにストレス感じてるんだから。周りに話せないからやけ酒するんだよ。むしろああいうおとなしそうな子、こそじゃない?」
僕は杉野の言葉に心臓の鼓動が速まるのを感じた。
“話せないから”その言葉に引っ掛かりを覚えた。
話せないから、言葉が通じないから、僕は彼を──
「──坂。青坂ってば、聞いてる?」
「あ、ああ。聞いてるよ。それで、あの子は大丈夫そうなの?」
「うん。あの後はすぐ寝て、朝9時ぐらいかな? に起きて、事情説明して悩み訊いてあげて……後は話をしたり、ご飯食べたりかな?」
「え? 親しくなり過ぎじゃない? 頼んどいてなんだけど、泊めるだけでもすごいのに、知らない人と一緒にゆっくりできるものなの?」
「うーん、まあ、そうだね。わたし大学の時、ボランティア活動のサークルに入ってたし、人と関わることに抵抗がないからね」
杉野は昔を思い出すような表情で言った。
彼女がボランティア活動をするサークルに入っていたなんて知らなかった。何だか納得できてしまった。きっと、彼女がどんなサークルに入っていたとしても納得できてしまうような気がする。
「そうだったんだね。まあ、あの子が無事ならよかったよ」
「うん。あ、それなんだけどさ。あの子──咲っていうんだけど、咲が青坂にお礼がしたいんだってさ」
「お、お礼?」
「そ。だから、都合のいい日教えて」
「いやいや、お礼なんていいよ。無事ならそれで。あの子にもそう伝えといてよ」
「あ、了解! んで、都合のいい日教えて」
何を了解したのだろうか。彼女は言葉を繰り返した。
「……わかった。今週の土曜日のお昼はどうかな? 13時ぐらいで」
しぶしぶ言うと、彼女はいたずらな笑顔を浮かべる。
「了解。じゃあ、伝えとくね。もう、律儀にお礼とかいいのにね。わざわざ休日にまで。本当いい子だね」
いや、今、僕断ろうとしてたんだけどな。結果的に君が無理やりに引き受けさせたみたいになってたじゃないか。
と、言えぬ心情を内心で呟いた。
何事もなく時間は進み、土曜日はあっという間に訪れる。
待ち合わせ場所は駅前のカフェ。
熱く照らす夏の日差しに体力を奪われながらも目的地へと到着する。
集合20分前に到着した僕は店内に入り、アイスコーヒーを頼んだ。
外にはテラス席があったが、あのパラソルでは日差しは防げても暑さまではしのげないだろう。
店内は夏の気温に対抗するように冷房が効いており、汗がひいていく。
席を探していると、見覚えのある女性が二人席に座っていた。
「あ。どうも」
目があったので、彼女に挨拶をした。
「ど、どうも」
冷房の効いた店内だというのに、彼女は顔を紅潮させ、頭を下げた。
席に座り、自己紹介をする。
「えっと、この前君を泊めた杉野さんの同僚の青坂新太です」
お互いに会釈をし、彼女は口を開く。
「えっと、わたしは○○会社に勤めています。夜宮咲です。この前はご迷惑をおかけして大変申し訳ございませんでした」
テーブルとすれすれに頭を下げた彼女の姿に律儀だな、と思った。
○○会社は僕の勤める会社から少し離れたところにあるが、遠くはなかった。
「いえいえ、そんな。頭を上げてください。目立ってしまいますし」
目立つという言葉に反応したのか、素早く顔を上げ、小さな声ですみません、と言った。
「お礼なら僕ではなく、杉野さんにしてあげてください。僕は本当に何もしていないので」
「いえ、聞きました。杉野さんから。声をかけてくださったって。それに美雨さんの家に泊めることを提案したのも青坂さんだったと」
「杉野さんがそんなことを……」
「はい」
お礼を言われるのはあまり好かない。だから、僕は話をそらすことにした。
「そうでしたか。ところで杉野さんとかなり仲良くなったみたいですね。最初怖くなかったですか?」
「はい。起きた時は誘拐でもされたのかと思っちゃいました」
夜宮はクスクスと笑い、僕も笑った。
そのことに驚いてしまった。自分が笑っていることに。
その後はいろいろな話をした。
彼女は加藤と同じ、入社1年目であること。年齢は24歳。小柄な彼女は失礼かもしれないがもっと下に見える。高校生くらい、か。それほど童顔でもあった。
「おい! おっさん! 何ちんたらしてんだよ。早く注文しろよ」
店内に男性の大きな声が聞こえ、振り返り、見てみると、そこにはサラリーマンだろうか。スーツ姿を着た40代をとうに過ぎたであろう男性に大学生らしき男性達が怒号を放っていた。
「うるさい! 今、注文するところだろうが。待つこともできないのか」
「あ? 何口答えとかしてんの? ちょーうぜー。おじさん殺しちゃうよ?」
「やっちゃえ、やっちゃえ」
大学生らしき者たちは大声で笑い、サラリーマンらしき男性を蹴飛ばした。
「な、何をするんだ! 警察を呼ぶぞ!」
「いいよ、呼んでも。俺ら別にあんたを殺しても捕まんないし。警察はあんたらジジイの味方なんてしてくれないよ?」
サラリーマンらしき男性がひるんだ様子を見せた瞬間、彼らは大声とともに暴行を加える。
「や、やめてくれ!」
「あ? 聞こえねーよ」
さらに暴行は激しさを増していく。
「や、やめて! ゆ、許してくれ! 俺が悪かった!」
「口の利き方に気をつけろよ、ジジイ!」
腹部に強烈な一撃が入り、サラリーマンらしき男性は涙を流しながら、土下座をし、言う。
「すみませんでした。わたしが悪かったです。本当にすみません。どうか許してください」
「いいよ。でも、俺らの分の金、出してね?」
「え? あ、はい! 喜んでおごらさせていただきます!」
サラリーマンらしき男性の言葉に彼らは笑い、電話を取り出した。
「ああ、もしもし。今さ、駅前のカフェにいるんだけどさ──」
彼のスマホは取り上げられた。先ほどまで、僕の前の席に座っていたであろう、夜宮によって。
「君たち。いい加減にしなさい」
彼女は彼らの前に立ちはだかり、言った。
「なんだよ、お姉さん。俺たち20歳だよ? 別に問題ないでしょ?」
「いいえ。問題あります。あなたたちがしようとしていることは恐喝ですよ? 罪に問われますが、それでも大丈夫ですか?」
大学生たちは罪に問われるという言葉に動揺を示した。
「どうしますか? 警察に連絡しましょか? 警察はあなたたちの味方をしてくれないとは思いますが」
冷静かつ淡々と述べる彼女に怯えたのか、彼らは何も言わず、去っていった。
「大丈夫ですか? 立てますか?」
「ああ。ごめんね、お嬢ちゃん。ありがとう。助かったよ」
「いえ。いいんです。すみません、もっと早く助けれれば」
悲しそうな表情をする彼女を横目に僕は救急車に連絡をした。
騒動が終わり、再び落ち着きが店内に戻る。
「すごいね。夜宮さん」
「いえ。そんなことないですよ。もっと早く助けたかったんですけどね……」
彼女は消えてしまいそうな声で言った。
夜宮が悔いていることはわかる。成人が40歳以上の人間を1人殺してもいい、という殺人を容認する制度ができてしまった以上、僕たちはおろか警察ですら咎めることはできないのだ。
だから、彼女が悔いる必要はないのだ。それがこの国のやり方なのだから。
「青坂さんは、この国の制度についてどう思いますか?」
彼女は真剣な相貌で僕を見る。嘘を言ってはいけない。そんな目をしている。
「わたしはとても嫌いです。人を殺すなんてどうかしてる。そんな人の道を外す行為が許されるなんておかしいですよ。人を殺したいなんて思わないし、思いたくない」
夜宮の怒りを表したような言葉に僕は真実を伝えるわけにはいかなくなってしまった。というよりも伝えたくない。そう思ってしまっていた。けれど、杉野がもうすでに伝えている可能性だってある。
選択肢を間違えてはいけない。
けれど、考えても答えは見つからず、僕は嘘を吐いた。
「そうだね。人殺しなんてしてはいけない」
と。