ヒト殺しは仕方ないか否か?
朝になり世界を明るく照らす太陽の光の下、長い銀髪を輝かせる少女はすっかり消沈した表情で大地に置かれた四角い石を見下ろしていた。 あえて言うならばという条件ではあるが、その三十センチと程の四角い石はエターナが見つけてきたものである。
その石の下の地面は実際誰が見ても掘り返してまた埋めたと分かる。
「……そろそろ行こうエターナ」
少女のリュックを彼女の足元に起きて言うアストに、エターナは答えない。 その小さな魔女はもちろん、アストにも襲撃してきた魔王の手下を倒したというような高揚感は見られない。
「……あいつってさ……あたしが……」
「違うっ!! あいつは自分で自分を殺したんだ、君のせいでも僕のせいでもなないっ!!!!」
そもそも向こうが殺しに来たのである、アストもエターナも自分の命を守るために戦ったに過ぎないのだ。 その上にアストはきちんと降伏を呼び掛けていたのだから自分達に責任などないと思う。
「……でもさ、あたし達が追い詰めちゃったから……あいつは死んじゃうしかなかったんじゃないかな……?」
「でも僕達だって死ぬわけにはいかないんだっ! 仕方ないじゃないかっ!!!!」
確かに自分やアストが死ぬのは嫌であるが、そのために敵も死ぬのも嫌だった。 きっとこれまで何人もヒトを殺して北にだろうとは思うが、だからといって安易に死んでいいものでもないはずだ。 殺されたヒトの命と殺したヒトの命の価値に差があるはずないのだから。
「……仕方ない……」
いつだっただろうか、使い魔のアインに”まだ仕方ない”と言ってはいけないと言われたのは、”もっと経験を積んで大人になってから判断しなさい”と言われたのは……。
エターナはまだ大人になれたと思ってはいない、しかしその判断をしなければいけない時になったのかも知れないと感じた。 そして大事な判断を迫られる時というのは、必ずしも大人になるまで待ってくれるわけではないという事もだ。
アストはいっこうに動こうとしないエターナに少し苛立ちを覚え始めていた、確かに気持ちも分かるが戦いの世界に身を置こうというなら割り切るしかないはずだ。
「ごめんアスト、もう少し時間を頂戴……」
アストは振り返った少女の蒼い瞳に見つめられて「エターナいい加減に……」と怒鳴りかけたのを止めた。 ただ落ち込んでいるのではない、そういう者にはあるはずのない明確な意思の力を感じたからだ。
「……分かったよ、でも一日だけだよ? 明日の朝には必ず出発するから」
エターナは「うん」と力強く頷いてみせた、このまま前に進んじゃダメだと思えるから、今は立ち止まってでも答えを出すべきだと思えるからだった。
アストが小屋の中に戻っても、エターナはまだ石の傍を動かないでいた。
とにかく襲撃者の男を自分が殺してしまったのには違いない、確かに直接この手で命を奪ったわけではないが、そういう状況に追い詰めてしまったのは間違いないからだ。
ヒトの命を奪おうとしたのだから自業自得とは言えるのかも知れないが、殺人者に対して自分が殺人者になってしまうのが、悪い事に対して悪い事で返すのが正しい事とも思えない。
エターナも正当防衛という言葉は知っている、それでも本当に取り返しの付かない命を奪うという行為を選択するのは最後の最後であるべきだと思える。
「……じゃあ、最後の最後だったら仕方ないのかなぁ……」
思いを言葉にしても分からない。
アインがヒトを殺した事があると告白した時、エターナは仕方ないと思った。 彼女が優しく命を大事にするヒトだというのはよく分かっていたからだ。 そのアインがヒトを殺すならきっと仕方がない事情があったんだろうと。
だが、自分がヒト殺しという立場になってみてそれは簡単に言ってはいけない事なのだと知る、無論だからといってアインをヒト殺しの殺人者と思う事はしたくない。
考えれば考えるほど分からなくなっていき頭を抱えてしまう、その直後に背後にヒトの気配を感じたその時には手遅れだった……。
「……って!? きゃぁぁああああああああっっっ!!!?」
硬い木の板の床に寝転がりながら「……まったく」とアストは呟いた。
敵であったとはいえ目の前で一人の人間が自害したというのは、アストも少なからずショックを受けている。 だが、剣を持つ以上は殺し殺される覚悟が必要というのが剣の師匠でもある父親の教えだった。
「君が責任を感じる事じゃないのに……」
自分はこの場合どうするべきなのかをあれこれ考え始めたアストは、その時外から「きゃぁあああああああっっっ!!!?」というエターナの悲鳴を聞いた。
「エターナ!? しまったっ!!」
慌てて起き上がると、剣を持って駆け出して行った。
乱暴に扉を開き跳び出すと同時に剣を構えて周囲を見渡しエターナの姿を捜し、分かれた時と同じ場所で発見したアストは「……は?」と素っ頓狂な声を出してしまった。
そこには、顔を真っ赤にしてエターナル・ピコハンを構えるエターナと、その彼女の足元で、白目をむいて仰向けに倒れている一人の老人だった。
「……どうなってるんだ、これ……?」
「まったく……ひどい目に会ったわい……」
アストと並んで床に座るエターナの前に座る男は、エターナル・ピコハンで殴られた頭部を摩りながら言う。
「あんたがあたしのスカートを捲ったからでしょう! 当然の報いよ!」
「失礼な奴じゃな、何やら暗い顔をしてたから元気づけてやろうとしたに……」
そしてバレルと名乗った。
「それであなたはどうして一人でこんな所に?」
アストが当然の疑問をぶつけると、バレルは「まあ、そう思うわいな」と意味深に笑ってみせた。
「こんなご時世だし老い先短い人生じゃ、死ぬ前に各地の名酒や美味を味わう旅をしようと思ってな」
バレルが愉快そうに言うのに、「だからって一人旅なんて危険な……」と呆れた風に言う。
「がっはっは、何かあったらその時はその時じゃい! それにワシとてまだまだ若いもんにゃ負けんよ?」
そう言って自分を見返す眼光が鋭いと気が付き、改めて目の前の老人を観察するアスト。 白い顎髭を生やしたしわだらけの顔には精悍さ見てとれ、体格も小柄ながらがっしりとし足腰の曲がったそこらの老人とは違う感じだ。
おそらくは長い時間を戦いに身を置いていたのだろうとは分かる。
「何よ、あたしに一撃でのされたくせに!」
まだスカートを捲られたこと根に持っているのか棘のある口調で突っ込むエターナである。 その少女の顔を「ふむ?」とバレルは見つめた。
「少しは元気が出たようじゃな? さっきに比べれば全然良いぞ?」
「……へ?」
「何があったか知らぬがひどく暗い顔で、せっかくの可愛い顔が台無しじゃったぞ?」
それから「良ければワシに話してみんか?」と続けたのに驚くエターナ。
「これも何かの縁じゃ、相談に乗れるかは分からんが、話を聞いてもらうだけでも案外すっきりするかも知れんぞ?」
「でも……」
「子供は素直に大人を頼るもんじゃよ、ワシと伊達に歳を取ってはおらんつもりじゃよ」
そう言って笑ってみせるバレルはどこか頼もしさを感じさせた、そしてエターナは気が付く。 師匠達に倒れないなら自分の力で何でも解決しないといけないと、いつの間にかそんな風に考えていた事を。
だがそんな事はないのだ、自分の力ではどうしようもない事に対し助けてくれる大人はどこにでもいるのだと。
「うん……あのね…………」
エターナは旅の目的と昨晩の出来事をバレルに話した、ところどころ端折ったりもした部分はアストが補足する。 全部聞き終わったバレルは「むう……」と唸って黙り込むが、しばらくして再び口を開く。
「まあ、殺し屋の類が降伏を受け入れる事はあるまいから当然と言えば当然じゃな……」
依頼人の秘密を守るためとか自身のプライドなど理由はいくつかありはするが、いずれにせよ必然的な結果だろうとバレルは言う。
「お主らが殺してしまったとは言えんが……生きたまま捕らえる気ならば手際が悪かったとは言えるがの」
「そう言われると……」
アストも知識としてまったく知らなかったわけではなかったが、これまで裏家業とは無縁の生活であったためあの時に思い付きもしなかった。
「じゃあ……やっぱりあたし達のせいなの?」
「そうではないさ。 失敗は死であるのが殺し屋の掟のようなもんじゃし、それを承知の稼業であろう、責任はすべてそやつ一人にある」
バレルにはこの少女がどうしてそこまで殺し屋の死に責任を感じるかが分からなかった。 確かに子供にはショックな光景であったとは予想出来るが、それでもである。
「結局は”仕方なかった”って言うの?」
「そうじゃな、仕方なかったと思うしかあるまい」
本当にそうなのだろうかとエターナは思う、仕方なかったで済ませてヒト殺しを正当化していいのだろうかと疑問に感じてしまうのだ。 確かに直接的に自分が殺したわけではなく、死を選んだのは男自身ではあるが。
しかし、悪意がないにしても”誰かに死を選ばせた”という行為を仕方ないとか勝手に死んだとか思っていいとは思えないのだ。 だから、その疑問をバレルにぶつけてみる。
「そうじゃな、言葉の暴力であったり策略であったり……まあ、直接手を下さんともそれは立派にヒト殺しじゃろう。 じゃが今回の場合はお主たちが殺されるかどうかじゃし、また違う話じゃよ」
ここまで言われればエターナも分かりはした、ヒト殺しという点では同じでもトキハが事故で自分の両親を死なせてしまったのと、ドーフェンという男が自らに趣味でヒト殺しをしたのではまったくその意味は違う。
一方バレルもこの銀髪の少女がどうして頑なにヒト殺しを良しとしないのかが分かってきていた。 おそらくだがこの少女はヒトを殺す必要があまり場所で、更に彼女自身がそんな事をしないで済むように守られ生きてきたのかもと。
この世界において考えにくい環境ではあるが、そうとしか思えない。
故に結局は現実を知らない子供の甘い考えではあると、数十年前のバレルなら一笑に付していたであろう。 だが今はまったく別の考え方も出来た、この少女の周囲の大人達はヒト殺しを絶対に良しとしない世界を、少なくとも少女の周囲にだけでも創ろうとしていたのではないかと。
何故なら子供が生まれ、孫まで生まれるくらいまで生きた人生の中でバレル自身も出来るならそんな世界になってもらいたいものであると思った事もあるからだった。
自身は時には殺生も致し方なしと割り切れても、子や孫にもそうあってほしいと必ずしも願うものではないと知った。
「まあ……さりとて何でも仕方なしで済ますのも問題があるからな、敵であっても極力死なさずに済まそうという気持ちは大事にするべきではあるぞ?」
エターナはまだ完全には吹っ切れてはいなかったが、バレルの言葉でだいぶ気持ちが軽くなったと感じていた。 今回は戦いの結果が不幸なものとなってしまっただけであり、何よりいつまでも気にしていても死んだ者が生き返る事はありえないのだからと。
だから生きている自分はとにかく先へ進むしかないのだ、次に似たような事になったら今度こそ死なせないようにすると心に決める。
だから、バレルに対して「うん!」と力強い返事を返した。
エターナに力強い笑顔が戻ったのをアストは良かったと思いながらも、結局自分は何も出来なかったのを悔しく感じていた。 一部の者に勇者などと呼ばれていても、結局は剣の腕も一人の人間としてもまだまだ未熟なのだと思い知らさせた。
いや、そんな事はとっくの昔に自覚していたはずだった。 なのにどうしてエターナを元気づけてあげられなかったのが悔しいのか、アスト自身にも分からなかった……。




