エターナとオーガ騒動
朝早いうちに尋ねてきた村人と共に出て行ったシエラ・シルフィードが戻って来たのは、昼も近い時間であったが、勝手に厨房を使い昼食を準備しておこうという事はアスト・レイもエターナも考えない。
そして、家主であるシエラも戻るなり食事の準備をするでもなく二人に声を掛けたから「……少し厄介な問題が起きました」と切り出した時、三人が囲んでいるテーブルの上には料理どころかお茶の一杯もない。
「どうやらオーガが村の近くに現れたらしいです」
そのオーガは、村と町を結ぶ道で旅人を襲っているらしい。 旅人と言ってもこの村に生活必需品を売りに来たり収穫された作物を買いに来る商人であるから、彼らの通行が妨害されるとなると死活問題であった。
「幸い死者は出ておらず……交易面でも今すぐにでもまずいとまでは行きませんが……」
「ずっと居座られるとまずいか……」
現在のクトゥリアでは危険生物がヒトの生活圏内に現れる事は少なく、商人達も安心して旅をする事が出来るので大いに国は発展し人々の生活が豊かになれば、必然的にわざわざ盗賊や山賊になろうとする者も少ないのは、安全に生活出来るなら悪事を働こうという発想がほとんどのクトゥリア住民にはないからだ。
その反面、武装して旅をする習慣もなければ傭兵が危険生物の討伐や旅人の護衛をするような事も滅多にない。 魔王復活以来はそれも変わりつつあるが、危険生物がそこいらを闊歩してるわけではないので、危機感はまだ低いというのが現状である。
とはいえ、魔王の手下の悪事によって各地で被害が出ているのも事実であり、今回のような事も十分に起こりえるものではあった。
「……ていうかさ、オーガってなに?」
エターナが質問したのはアストだったが、彼は「え~と……危険な亜人だったと思うけど……」と曖昧にしか答えられない。
「人間の倍近い体格の亜人……人間に近いけど人間ではないヒトですね。 クトゥリアでの目撃例は僅かですが、人間を襲う事もあると聞いています」
亜人というのがエターナにはさっぱり分からなくて首を傾げる。 自身も魔女であり多種多様な種族の住む幻想界で生きるエターナには、一般に亜人とカテゴリーされるものも同じ”ニンゲン”なのだ。
シエルはエターナが亜人という単語の意味を分かりかねているとは理解出来ても、彼女のその感覚までは想像もしない。
「何であれ放置は出来ないって事だな……」
そのオーガが魔王の手下であり、自分を始末するべくやって来たのではという考えがアストの頭を過る。 村に数日でも滞在しようとした判断は、やはり間違いだったのかと後悔する。
「そういう事ですね。 まあ、幸いというべきかは迷いますが……こんなご時世ですから村にも多少は武器の用意はあります」
若い者に戦ってもらうしかないだろうというのが、シエラも参加した緊急会合の結論であった。
「僕の事は……?」
「あなたの事は私の客人とだけ……勇者だとか騒ぎになっても面倒ですからね」
要するに自分が”勇者”だと信用されていないんだとアストは思う、当然だろうなと思いつつも残念な気持ちになった。
「ただ、武術の心得があって協力してくれるようなら、少ないながらも報酬は出してもよいと村長は言ってました」
「報酬はいらないけど協力はする。 ひょっとしたら僕のせいかも知れないしね」
シエラは言葉の意味を少し考え、そういう事かと納得する。 確かにゼロではないが、彼の命を狙うにしては手段がおかしいとも思う。
「まー、よく分かんないけど……みんなが困る事なら何とかしなきゃね」
エターナが言い出したのにアストとシエラはぎょっとなる。
「君はダメだよエターナ、危ないよ?」
いくら魔法の力を使えるとはいえ、自分より年下に見える女の子を戦わせるわけにはいかないと思うのは、”勇者”としてではなく一人の男の子としてのものだ。
「……そうですね、エターナさんまで行く事はないでしょう」
シエラも同意する理由は、アストと似たような感情的なものあるが、女の子を戦いに連れて行くとなれば村の者達も反対し揉めるだろうという判断もあった。
「え~~~!」
シエラに説明されると分かりやすいくらい不満そうな表情で声を上げるエターナだが、連れて行けと食い下がる事はしなかった。 自分が我がままを言って迷惑をかけてるのはダメだと思うからだ。
完全に納得はしていないが言う事は聞くという意思が分かりやすく顔に現れているのに苦笑しながら、この子の親はきちんとした子育てが出来てるみたいねと、そんな事を考えるシエラであった。
アストと村の有志数人が出発したのは翌日の朝だった。 皮の胸当てに剣を持った村の若者達はアストよりずっと頼りないなと感じたのが、シエラと共に彼らを見送ったエターナである。
しかし、それは装備が貧弱というからではない。 仮にアインやフェリオンが同じ装備であったとしても、きっと頼もしく思うだろうからだ。
その後はシエラの書物探しを手伝う事になったが、ほとんど彼女の作業を眺めながらの話し相手というのが正解だ。
「そーぞーしーアルフィーナ」
「騒々しいじゃなくて創造神、つまりこの世界を作った神様よ」
言いながら一冊の本を開いて見せる、ランプの明かりだけでは本を読むのには不十分だが、今はエターナの魔法による明かりもあるので彼女の近くであれば問題ない。
開かれたページにはふわりとした白い服を纏った赤い髪の女性が描かれていて、「これって女神様なの?」というのが第一印象だ。
「そうよ。 かつて大地には一切の命は存在せず、硬い岩だらけの大地からはすべてを焼き尽くす真っ赤な水が溢れていたの……でも、そこに現れたアルフィーナ様が大地に生命と、それを育む澄んだ水を創り出したの」
この世界に住む者なら子供でも知っている話だ、そして大半の者が本当の事であると信じて疑わない。 もっとも、だからどうだというわけでもないのもまた事実ではあるが、世界の創造の真実よりも今現在の生活や自分達の将来の方がよほど大事と思うのはヒトとして当然である。
神様が世界を創造したというのはエターナにはいまいち信じられなかった。
自分達の住む地球という大地が無数の隕石の衝突で出来たとか、彗星が水をもたらしたとうような話はトキハが教えてくれた。 そして現在に至る永い時間の中で、何かの衝撃で生じた”ひずみ”がやがて肥大化し今の幻想界となった事もだった。
もっとも、別にこの世界ではそういうものだと思えば気になるような問題ではない。 エターナ自身も今こうして自分が存在しているという事が大事であり、世界の始まりがどうであるかに興味は薄い。
何より、今はそれよりも描かれた女神を何故か知っている気がする方がずっと気になる、どこかで会っているようにも思うが思い出せない。
「……アルフィーナ……」
自身に問いかけるかのようにもう一度その名を口にするエターナだった。
両脇には木々が生い茂る街道、そこでアストが初めて目にしたオーガの第一印象は”巨人”であった。
十数メートルの距離があっても威圧感たっぷりの巨体、濃い緑の肌の筋骨隆々な肉体の肉体を覆う粗末な毛皮の服も、まさにそうである。 アストの後ろに控える五人の若者達も圧倒されているのか、怯えと緊張の入り混じった面持ちで微動だにしない。
「……僕がしっかりしないと……!!?」
アストが無理にでも気を奮い立たせようとしたと同時にオーガが動いた、人間のそれよりもはるかに太い腕よりも更に太い木のこん棒を軽々振り上げ駆け出す。
「でかいくせに速いっ!?」
それでも十分に対処出来たアストは、振り下ろされたこん棒を横に跳んで回避した。 目標を捉え損ねたこん棒に先端が大地にめり込むのには、直撃すれば人間なんて簡単に潰されそうと分かり、ゾッと身震いする。
「でかいから遅いわけねぇだろ」
実際悪鬼めいたいかつい顔でにやりと笑う。
「……喋るのかっ!?」
アストが驚いてる間に愛用の武器を振り上げたオーガは、「オーガだって喋るさっ!!」と再び攻撃を仕掛ける。
「そうかよ!」
アストも再び回避すると反撃に転じる、パワーでは勝てなくても瞬発力はアストが上であり、剣術という戦うために考案された技術は立派なアドバンテージだ。
初撃こそ外したが、二撃目がオーガの右太腿を捉えた。 切断は無理でも出血させ動きを鈍らせるくらいならと思っていた……が、その思考は甲高い金属音と刀身が弾かれた衝撃で消し飛ぶ。
驚きながらも反撃を警戒し後ろへ跳んで間合いを取ったのは、半ば無意識化での行動だった。
「冗談だろ……」
「ほんとだっ!!」
そこへ振り下ろされるこん棒を何とか避けながら、反撃のタイミングが遅いか?と疑問を抱くが、それ以上を思考する余裕も今はない。
「……援護も出来ないのかよ、俺達……」
眼前で繰り広げられる戦闘を見据えながら村人の一人――クレイが悔しそうに言った。 最初はオーガの巨体に圧倒され、今はそのパワーに怯えてしまい動く事も出来ないでいた。
一撃でも食らったら確実に死ぬという恐怖に、実戦は疎かきちんと訓練すら受けていない若者が簡単に勝てるものではない。
それでも、戦闘の様子をある程度は観察する冷静さをクレイは持てていた。 何度もヒットするアストの剣が、その度に金属音と共に弾かれるのはオーガの身体が鋼鉄並みに硬いからではないか、だとしたら今の武器では勝ち目はないはずだ。
次の瞬間には、「ここは撤退しようっ!!」と叫んでいた。
「撤退って言っても……」
アストもその判断は正しいと思う、勝ち目のない状況で逃げるなら死んだ方がましだという考え方は教わっていない。 しかし、問題は目の前の相手が撤退を許してくれるかだった。
「おう? 尻尾を巻いて逃げるならとっとと逃げればいいじゃねえか!」
だがアストの一撃をこん棒で受け止めながら、小馬鹿にした口調でそんな事を言い出したのに驚いてしまい、「どういう事だっ!?」と後ろへ跳びながら言い返していた。
「やる気の無くなった奴相手にしてもつまんねえって言ってんだ!」
言いながら攻撃もしてこないのに、罠か?と当然疑うが、それでも上手くすればクレイ達くらいは逃がせると思えた。
アストは油断なくオーガを見据えながらゆっくりと後ろへ下がっていき、「僕が殿を務める」と小声でクレイに言う。 そのクレイは黙って頷くと、目で他の仲間に合図してから村の方へと走り出した。
彼らが安全な距離を取ったのを見届けてからアストも剣を持ったまま駆け出すのを、オーガはただ黙って見ているだけだった。 だが、全員の姿が見えなくなった頃になって「……あっ!」と何かを思い出した風に声を上げた。
「しまった……さっきの奴って魔王様の言っていた”勇者”だったか?……まあ、忘れてたもんは仕方ねえか……」
”勇者”は倒すべき敵というのが自分達の共通の認識ではあっても、別に抹殺指令を受けたわけでもなく、勇者がここら辺に向かっていると連絡を受けただけだったから、次に会ったら倒せばいいかと気楽に考えた。




