エターナと本好きのシエラ
シエラ・シルフィードの住むという村へは、その日のうちに着いた。 アストが空を見上げてみると、太陽が西へと傾いてはいるが沈むまでにはまだだいぶ時間がありそうだった。
「まずはシエラさんの家を捜そうか」
住民のほとんどが農業で生活しているこの村の規模はそれほどでもなさそうなので、何人かに聞いてみればすぐに分かるだろうとアストは考える。 そして、その予想通りに簡単にたどり着く事が出来た。
シエラの家は他の家に比べて少し古くて大きい感じだった、ドアをノックするとしばらくして二十代後半くらいの女性が顔を出す。
「どなたでしょう?」
白いワイシャツに黒いスカート、それに眼鏡といういでだちの女性は、学校でみた教師みたいだというのがエターナの最初の印象であった。
「あの……シエラ・シルフィードさんはいらっしゃいますか?」
「……?……シエラは私ですが?」
アストが「えっ!?」と驚いたのは、彼が想像していた外見よりずっと若かったからである。 二百歳なら間違いなく老婆だろうと思っていたのだ。
その反応にシエラは小さく息を吐くと「間違いなく、私が二百年は生きているシエラ・シルフィードですよ」と苦笑した。 アストは慌てて「あ……いや、そういう事じゃ……」と取り繕うとしたが、そのための言葉を思い付かない。
その二人のやり取りは、エターナにはどうしてこうなるのか分からない不思議な光景だった。
「……まあ、とにかく立ち話もなんですから入って下さい」
一人暮らしという割にシエルの家が周囲のそれと比べて大きい、その食堂にあるテーブルも四、五人は食事が出来るくらいのもだった。 来客と食事をする事も多いのかも知れないとアストは考えた。
「……お話は分かりましたが……」
アストの説明を聞いたシエラは困ったという様子で言う、それでおおかた予想はついたが、「ご存知ではありませんか?」と確認してみる。
「……勇者が魔王を倒した聖剣……書物を調べれば、あるいはあるかも知れませんが……」
このアスト・レイという少年が本当に”勇者の血を引く者”かは分からないが、魔王討伐の為に聖剣を求めているという話に嘘はないと思える。
「書物って……本なの?」
アストから先日保護したと紹介された女の子が口を挟んできた。
「えっと、エターナさんでしたか? 必ずしも”本”という形でもないですけど、そう考えていいですよ」
シエラの言ってる意味が分からずにエターナが首を傾げると、「巻物だったり紙の束というようなものだったり、そういう事ですね」と補足してくれた。
「へ~~~」
本と言えば図書室の比較的近代な本しか見た事がなかったのでイメージできなかったが、そう言われれば思い浮かべられる知識はある。
「何か問題が?」
「なにしろ量が多いので……少々時間が掛かるかも知れません」
当然と言えば当然の事だったが、アストには多少悩むところであった。
魔王討伐の旅とはいえ一日も早く……という程自体は切迫していない。 魔王の部下達が各地で好き放題に暴れてはいても、国が征服されたり滅ぼされたりという気配はまったくないからだ。
もちろん被害を受けている人達を思えばのんびりも出来ないという想いもなくもないが、自分が”勇者の器”である事に懐疑的なアストのしてみれば、出来る事を出来る範囲でやっていくしかないと考えている。
しかし、先日に襲撃を受けた事を考えれば、自分が一か所に留まる事で無関係な人達を巻き込むのではという心配があった。 半ば強引に同行されてるエターナに対してもそれは同じで何事もないうちに別れなければと思って入るが、さりとて女の子を一人で放り出すわけにもいかない。
「……まあ、どうするにしても今日はうちに泊まっていけばいいでしょう」
考えあぐねているようなのでシエラはそう提案する、どのみち村で一泊はしていくのであろうとは予想出来る。
「え? でも……」
「この村には宿屋なんてないですから、構いません」
そう言われてもまだ遠慮するアストだったが、エターナが「いいじゃん! 泊まっていこー!」と嬉しそうに言えば、これ以上は断れないのであった。
二人が使わせてもらう事になった来客用の部屋は、ベッドが二つあるだけのシンプルなものだ。 何でも偶によその町や村からシエラの知識を頼って相談にやって来る者達もいるので、そのためらしい。
「やれやれ……」
パンとサラダ、それにスープの夕食をごちそうになった後、アストはベッドに腰かけて考え事の最中だった。 それはもちろん、今後の行動の事である。
実際のところ、他にあてのない以上は村に滞在するのが効率はいいだろう。
しかし、一日や二日で済めばいいが、一週間や二週間となるならそうもいかないだろう、時間が経てば経つほど襲撃される危険は増していくはずだ。 どう行動するが最善かと考えてみても、結局まともな案は思い付かないのである。
「だから僕には無理だって言ったのに……」
確かに幼少の頃から習っていた剣術には多少は自身はある。 誰にも負けないとまではいかなくとも、町の剣術大会の子供部門では準々決勝まで行った事もあるが、 それでも魔王なんて呼ばれる相手に勝てるとは思えない。
だが、この国や人々の為にお前にしか出来ない事だと言われてしまえば、 誰かの為に自分の力が必要だというのに静観していられないくらいに正義感はあるのがアストなのである。
「何で僕が”勇者”なんだよ……僕以外の人じゃいけないのかよ……」
シエラの家には地下室があり、そこには大量の書物が保管されている。 両親が所有していた物もあれば自分で集めた物もあるという。
しかし、本棚やら木箱やらが乱雑に置かれたそこは、図書室というよりは書物だけを保管するだけの倉庫という印象だ。
ぱっと見た感じ自分の家の図書室より量が多そうなのに、「……すごいねぇ……」とエターナは感心した風に言う。
「……そんな事もないわ。 長く生きてれば時間だけはあるから、本を読む時間がヒトよりたくさんあった……それだけの事よ?」
壁に取り付けられた複数のランプが照らす室内を物色しながら答えるシエラ、聖剣について記された書物もあったような気もするが、どこに仕舞ったのかも忘れる程昔に読んだものだった。
「そーいやさ、シエラって何者?」
「何者って……どういう意味かしら?」
何気なくという風なエターナの質問に多少うんざりしたように聞き返したのは、何も知らない初対面の相手にはよく言われる事だからだ。
「ん~? ふつーのヒトって二百年も生きられないんだよね?」
あくまでエターナのセカイの常識で言っているだけだ、異世界だから違うのかもという発想は、今の彼女には浮かばない。
「ええ、そうね。 二百年も生きてるヒトなんて、あなたからすれば化け物かしら?」
どちらかといえばからかうような口調だった、子供の知りえる知識ではそうなってしまうのは仕方ない事だと分かっているからである。
結局はヒトの認知の及ぶ範囲だけが、そのヒト個人のセカイなのである。 子供のセカイなど、せいぜい自分の家の近所や家族や友達くらいの範囲なものでしかないであろう。
大人にとっては当たり前な場所や物も、子供にすれば未知の場所であり新発見にもなりうるのだから。
「ほへ? どーして? ししょーもアインももっとずっと生きてるよ? あたしやリムもおんなじくらいは生きるんじゃないかな?」
エターナにはシエラが言った言葉がまったく理解出来なくてそう言ったが、シエラにもその言葉は理解出来ない。
「……ちょ……それってどういう事?」
「あたし達魔女は短くても数百年は確実に生きるんだって、ししょーが言ってたもん」
シエラは唖然となる、からかわれているのかとも思ったが、この少女のしゃべり方は普通の事を普通に語っているという風にしか聞こえない。
「魔女……? あなた……まさか、異世界からでも来たの?」
異世界という言葉を使う発想はあっても、ほとんどありえないと分かっていて言ったものだった。 だが、自分を魔女と言った銀髪の少女は「ん?……そーなんじゃないかと思う」とあっさり肯定した。
「……って! そーじゃなくて、あなたはいったい何者なのかって話は!?」
「え? ああ……私は……私はエルフの血を引いている人間なの」
エルフとは、人間より昔からこの地に住んでいたとされる種族だ。 人間よりは妖精に近いとされるが詳しい事は不明で、現代では御伽噺の中の存在だというのが大半の認識である。
「私の母がそのエルフだったらしくてね、何があったのかは詳しく知らないけど、この村に住んでいたお父さんと結婚して私が生まれたの……」
幸いと言うべきか、当時の村人はエルフという存在に理解を示し問題なくとまではいかないが、受け入れてはくれたらしい。 それゆえにシエラもこうして普通に生活をしていられるのだ。
もっとも、シエラ自身も集会所で子供達に勉強を教えるなど村に溶け込む努力をしてきたのも大きな要因ではあるが。
「へ~~そーなんだー」
疑問が解消し納得したエターナは、今度は自分の事を簡単に話し始めた。
自分と妹は元は普通の人間だった事、おばーちゃんの親友で今のししょーである魔女の起こした事故で両親が死に自身と妹が幻想界の住人になってしまった事、それからいろいろあって今も家族同然のみんなと幸せに暮らしている事をだ。
「あなたは……」
子供が世間話のように話す内容ではない、しかし嘘や冗談とも思えない。
「あたしがどうしてここに来ちゃったのかは分からないけど……絶対にリム達のとこへ帰るつもり。 まーその前に魔王何とかをぶっとばすけどさ~」
こっちへ来たのだから、その逆に向こうに帰る手段も絶対にあるとエターナは思っている。
その時、急に部屋から明かりが消えて真っ暗になってしまったのに、二人共ぎょっとなった。
「……しまった……油の補充を忘れてわ……え?」
今度は不意に明かりが戻ったのに驚くシエラ、だがランプに明かりが戻ったのではなく、いつの間にかエターナの前に浮かんでいる拳ほどの光球が原因と知りされに驚いた。
「あなた……それ……まさか、魔法?」
「ん? そーだよ?」
自分の周囲数メートル程度を照らすこの魔法は、比較的簡単で魔法の苦手なアインでも使える。 日常生活で頻繁に使うものでもないが、いざという時にあれば便利というものではある。
「…………」
一般的には御伽噺の中のものとされる”魔法”は、シエラは大昔には実在し今は失われた技術、あるいは力だと知っていた。 だが、それでもこんな無邪気なだけそうな子供がいとも簡単に使ってみせるというのは、夢か幻かという光景である。
「ねえ、あなたの世界では魔法って誰でも使えるの?」
「ん~~? 誰でもってわけでもないよ? 使えないヒトもいるしね」
エターナの友人であるアリスという吸血鬼の女の子もそうだった。 しかし、それは、例えば運動が得意なヒトもいれば苦手なヒトもいるようなもので、だからどうだと問題になるものではない。
少なくともエターナにとってはそうなのだ。
「誰でも使えるわけでもないけど、魔法は珍しいものでもない……というとこかしら?」
少し考えてから「そだね」と頷くエターナを見ながら、異世界から来たというのも本当なのかも知れないと、シエラは考えていた。
翌日、アストは数日はシエラの家にやっかいになる事を決めた、結果がどうでるにせよ次の行動を考える時間が必要だったからだ。 もちろん宿泊費はエターナの分も含めて払うつもりである。
だが、そう当人に告げた直後に事件は起きた。
村へと続く街道にオーガが出没し、近づく者を無差別に襲っているというのだ。




