帰宅
「……ちゃん……えちゃん……」
聞きなれた、しかし久しぶりとなる少女の声に開いたエターナの目に飛び込んできたのは、自分と同じ銀髪と蒼い瞳であり、少しだけ大人びた顔を持つ少女だ。
「……リム……?」
この世界で唯一の肉親となる妹の名を口にすると、「もう……お姉ちゃんは……」と怒りと呆れの混ざった声を出した。
「一晩中帰って来ないと思ってたら、こんなところで寝てたのか……」
リムの使い魔である白い狼が溜息を吐く、フェリオンという名の彼の隣には黒い猫のアインもいた。 彼女もまた呆れた様子で「野宿もいいですけど、毛布とかないと風邪をひきますよ?」と言った。
「……あたし……?」
まだぼーっとした頭のまま立ち上がる。
「……っていうか、いったい何して遊んでたのお姉ちゃん? 服もすごい汚れてるし……」
妹に言われて自分を見下ろしてみると、新品だった服はまるでずっとは洗濯したいなかったように汚れていて、更にあちこちほつれもあった。
「……ほえ……?」
訳が分からず頭を掻こうとすると右手に髪の毛とは違う感触、それが布でリボンだと理解した瞬間に様々な光景が頭に浮かび「……あっ!?」と声を上げた。
どこか分からない森で出会った男の子……
まるで学校の先生みたいな女のヒト……。
大きな体格でいかつい顔のオーガ……。
次々と浮かんでは消え、そしてとても奇麗な女のヒトと黒い球体と並ぶ男の姿になった時、エターナは全部を思い出した。
「お姉ちゃん?」
「ご主人様……?」
「どうしたんだ……?」
リムにアイン、それにフェリオンという大事な家族が心配そうに声を掛けて来るのに、「……ん? ああ、だいじょーぶよ」と答えると上を見上げた。 白い雲の流れる青い空は、先程までいた場所と同じだった。
それから再び三人の方を見て「じゃー帰ろうか?」と笑う。
「「「……はぁ!!?」」」
訳が分からず素っ頓狂な声を上げる妹や使い魔達に対し、エターナは少し大人びた表情で言う。
「みんなに話さないといけない事、いっぱいあるからね?」
幻想界にある家に戻ったエターナは師匠である”夢幻の魔女”トキハをはじめ家族のみんなに全部を話した。 クトゥリアという国に行き、そこでの冒険の出来事をすべてだ。
エターナの話に驚きはしたものの誰も疑う事はせず、本人もまたみんなが自分の話を疑うとは考えてもいない。
「……そう、がんばったのね」
庭にあるお茶会用の丸テーブルと、同じ白い椅子にゆったりと座っているトキハが弟子である少女を褒める。 彼女とその隣に座る少女達は弟子であると同時に、血こそ繋がっていないが大事な娘達でもある。
「私のいない時にそんな事に……」
エターナの膝の上の黒猫が不安そう言った、彼女の使い魔であるアインにしてみれば自分の知らないところでもしもの事になっていたらと思うとぞっとなる。
「魔王とか勇者とか、そんな漫画や小説みたいな世界があるんだぁ……」
「魔女だ魔法だも”普通の人間”からすりゃ、十分にそんな代物だぞリム」
足元の白い狼に言われて、リムは「あ、そうでした……」と思い出す。 自分達にとってあって当たり前にものも、持たない者にすればファンタジー以外の何物でもない。
「……何にしても迷惑な話ですね」
多少不機嫌に言うのはトキハの後ろに立つユリナだ、一見すると水色の服に白いエプロンのメイド服を着た人間の女性だが、長い金髪には狐の耳が、そして腰からは尻尾が生えている。
「ほへ?」
「いくら困っているとはいえ本人の承諾なしに召喚などと、迷惑以外の何物でもないわ」
不思議そうな様子のエターナに答えるユリナの声がまだ不機嫌なのは、もちろんエターナに対してではない。 彼女はエターナとリムの姉妹を自分の妹のように想っている故に、異世界の創造神らに対し怒っているのである。
主人としてそんな使い魔の内心に苦笑しながら、「あら? なら、あなたは私がこの子らが困っている時に召喚すると迷惑なのかしら?」と問うトキハ。
「それとこれとは話が違います!」
からかいだと分かっていても、ついつい声を荒げてしまうユリナである。
そんなやりとりに和やかになった雰囲気は、「……でね、あたしはそこでヒトを殺しちゃったんだ」という言葉に一瞬で凍り付いた。
「さっき話した殺し屋の事ね?」
師匠の問いに少女が頷くと、「何を言ってるんですか!」と声を上げたのはユリナであった。
「その男は自害したのでしょう!? ならあたなのせいでも何でもないわ!」
いつもは優しいユリナの怖い声に驚くながらも、エターナはゆっくりと首を横に振る。
「違うよ。 あたしがそこまで追い詰めちゃったし助ける事も出来なかったの、だからあたしのせいでもあるんだよ……」
「そんな事……」
言い返そうとした使い魔をトキハは「待ちなさい!」と制すと、無言で弟子に先を促す。 分かったという風に頷くエターナ隣では、彼女の妹である少女がハラハラした顔で姐を見つめていた。
「でもね、それは”仕方なかった”と思うの……あたしも死にたくなんてないし、あいつが自殺するなんて思ってもいなかったから……」
アインもフェリオンも、そうだろうなと思うのは戦場に身を置いていた過去を持つからである。
「でもね……それは絶対に”正しい事”じゃないの、自分が死にたくないから誰かを殺すのは悪い事だし、死ぬとは思ってなかったのは想像出来なかったあたしが悪いんだと思う」
辛そうに話す弟子を黙って見守っていたトキハが、「そうね」と答えたのに全員がぎょっとなり彼女へと視線を集中させたが、そこにはエターナを責めるでも咎めるでもない優しい顔があった。
「あなたの言う通り身を守るためであってもヒトの命は奪ってはいけないし、知らなかったで簡単に済ませてもいけないわ。 でも、あなたにはその時にそのための知識がなかった……だから”仕方なかった”のでしょう?」
「うん……だからししょー達に怒られても仕方ないと思う、悪い事は悪い事だから……」
唖然とした様子で「……お姉ちゃん……」と呟くリムだけではなく、アイン達も何を言っていいか分からないず、重い沈黙が場を支配した。 トキハもすぐには言葉を発する事はなく、じっと厳しい顔で弟子の顔を見つめていた。
やがて、「でもね……」と口を開いた時には彼女の表情は優しい笑みを浮かべていた。
「それが分かって反省してるなら次はちゃんと気を付けるでしょう? それにあなたは自分の命を守るためにした行動、怒る理由はないわ」
アインやフェリオンだけではなく、トキハとユリナでさえも殺し屋の自業自得でたいして気にも止めない問題であろう。 おそらくそれが普通の事であるが、この魔女の姉妹にとってはそうではないだろう。
その優しさは彼女らにとって危い事なのだと思う、相手の命を奪うのを怖れるあまりに自身の命を危険に晒すかも知れない。 二人の命が失われるくらいなら他者のそれが失われる方がいいと思ってしまうのがトキハの本音ではある。
しかし、悪人であっても死んでいいと思うようになっては二人の本当の両親に、何より祖母であり自分の親友であるせつなに申し訳ないと思うのだ。
「まあ、お前を怒る理由はないな」
「ええ、ご主人様が責められる必要はありませんよ」
フェリオンとアインも続いて口を開き、リムも「そうだよ、お姉ちゃん!」と力強い声を出した。 ユリナだけは不満そうな表情で主人である魔女を見ていたが、やがて諦めたように溜息を吐く。
「大丈夫よエターナ、あなたを怒る人はいないから」
その後でそう言った表情は優しいお姉さんのそれであった。
エターナにはそれが妙だと思えたが、それでもみんなの気持ちが嬉しく感じられて、素直に「ありがとう……」という言葉が出ていた。
弟子達が使い魔達と共に部屋に戻っていても、トキハとユリナはまだ残っていた。
「あなたの言いたい事は分かっているわユリナ……」
空になった白いティーカップを見つめながら背後に立つ使い魔に言う。
「……あなたの気持ちも分かりはします、ですがエターナとリムの将来を考えると……」
時には敵である者の命を奪う覚悟を持ってもらう事も必要だとユリナは言いたいのだ、それはトキハも分かりはする。 現実に本当に救いようもない悪人がいるのも事実で、そんな輩と対峙した時にその優しさが原因で命を落とす事になるかも知れない。
そうなっては、それこそ二人の両親やせつなに申し訳が立たないだろう。
「……そうね、私は間違っているのかも知れないわね」
だが、仕方ない時にはヒトを殺すのは正しいのだと教えるのもまた間違いだとも思える。 結局のところどうするのが正解なのか分からず、気が付くとせつなならどういう風にするのかと考えていた。
親友である彼女よりもずっと長い時間を生き、彼女の及ぶ事のない知識でいくつもの魔法を操る事が出来ても、母親としてはまだまだ敵わないと実感した。
久々に自分のベッドの上で寝ころびながら「アスト達、どうしてるかなぁ……」と呟く姉に、「アスト君ね、私も会ってみたいかなぁ……」と同じベッドに腰かけるリムである。
妹しては、姉の事を好きになってくれる少年というのも気になるものだ。
「そうだね、リムにも会わせてあげたかったな」
自分の事を好きだと言ってくれた男の子の顔を思い出す、きっとリムとも友達になってくれただろうと思える。
「それにしても、私にはたった一晩だったのにお姉ちゃんはそんな冒険をしてたっての……やっぱり変なものだよ……」
姉と妹で違い次元で違う時間を過ごしていた、そういう考え方も出来ると、もしもの事が起こっていたらという想像もしてしまいゾッともした。
リムにとっても師匠達は大事な家族なのは間違いなくとも、やはりたった一人の実の姉は特別な存在だ。 自分の知らないところでいなくなってしまうのはきっと耐えられないと思う。
「そーだねぇ……」
言われてみればそう思え、時間というものは必ずしもどこにも同じように流れているわけではないのだと思えた。 今自分がこうしてのんびりしている間にアストにはどのくらいの時間が流れているのであろうか。
最初は情けなく、旅をしていくにつれて強くなっていった男の子は、今はもっと成長しているのだかと想像して、自分も負けてはいられないと感じた。
そんな事を考えていると不意に、いつどこで聞いたのか、大人になると時間が過ぎるのがあっという間だという言葉が思い出された。 それが本当なのかどうなのか、やはり大人にならないと分からないのだろうなと思うのであった。




