魔王アザートス
エターナとアストが驚きの表情で見上げているのは、恐ろしく巨大な門とその扉であった。 学校の校舎よりも高いその扉は巨人でも使うのかと思わせ、その両脇から広がる同じくらい高い壁の向こうがどうなってるのかまったく分からない。
「……ここが魔王の居城よ、この中に魔王がいるわ」
少女達にそう言うアルフィーナの創った”ゲート”を潜ったらいきなり目の前にこれである、覚悟は決めていても流石に圧倒された。
「……はいいけどさ、どーやって開けるのよ……これ?」
扉をノックめいて叩きながらエターナが言う、厚さもかなりあると思え力技で壊せる気もしない。 かつて”迷宮の魔女”のゲーム空間に赴いた時の事を思い出させたが、あの時と違い中から開けてはくれるとは流石に思わないエターナだ。
アルフィーナは「大丈夫、任せて」と二人にウインクしてみせてから、そっと扉に触れた。 すると大きく鈍い音が響き始め、そしてゆっくりと内側に向かい開いていく。
「すごい……」
初めて見るその光景の迫力にアストは唖然と呟いた。
しばらくして人が通れるくらいになると、「おっしゃ~いくわ~!」とエターナが駆け出したのにアストとアルフィーナは慌てた。
「ちょ! エターナちゃん!?」
「エターナ、不用意だって!」
急いで追いかけるアストの視線は少女の奇麗な銀髪に結ばれた赤いリボンへと向けらた。 朝から身に付けていたのは知っていたが、理由は聞かないでいた。
アルフィーナから託され、そして彼女に送ったそれはすごく似合っている……それだけでいいだろうとアストはそう思った。
やはり巨人でも使うのかという広く長い廊下を進むアスト達は、未だに敵と遭遇しないのをおかしく思い始めていた。 先頭を行くアストが「……罠かな?」と足を止めると、エターナとアルフィーナも立ち止まった。
「前回は異形の魔物が何体も襲ってきたものだったけど……?」
「魔物って?」
「魔王が創り出したのか、あるいは異界から召喚したのか……どちらにせよこの世界の生き物ではないもの達だったわ」
もっとも、聖剣の力を持ってすれば十分に対処出来た相手ではあったが、あるいは無駄と分かってる事をしないのであろうか。 それにしてもこちらを多少は消耗させるくらいの効果はあるのにである。
「まーいいじゃん? その方が楽だし、殺さずに済むしさ」
「油断は禁物だよ? ひょっとしたら僕らの隙を隠れて伺ってるのかも……」
何ともエターナらしいお気楽な思考だと感じつつアストを見れば、油断なく警戒するかのように視線を巡らせていたのもまた彼らしいと思う。
それから更に三十分は歩いたか、一行は巨大な扉の前とやって来て、そこで初めて敵らしき者と遭遇した。 しかし、それは異形の魔物ではなく見た目は普通のニンゲンだった。
見た目の年齢は初老に達したあたりであろうか、小柄で細身の身体はアスト達を待ち伏せていた敵にしては貧弱に思えたが、外見で判断する愚行を彼らはしない。
素早く聖剣を抜き、その切っ先を向けながら「何者だ?」と問うのは一応念のためというところだ。
「私は魔王様の使い……と名乗っておきましょう」
愉快そうな笑みを浮かべて答える男が、エターナにはひどく不気味に感じられる。
「ここを通りたければ私を倒せ……というところかしら?」
そう言うアルフィーナが見せた鋭い目つきの迫力ある表情は、二人は初めてみるものだ。 怒りや憎しみではないがあきらかな敵意を放っている。
「そういう事ですよ?」
「……面白い言い方をするわね、魔王」
アルフィーナの言葉の意味を少年と少女が理解するのに僅かな時間が必要だった。
「……ほへ?」
「……な!? 魔王って!!?」
「前回と姿は違うけど……あいつの気配は魔王アザートスそのものよ、間違いないわね」
二人は唖然となるしかなかった、その彼らの視線が男に再び向けられるのと彼が愉快気に哂い出すのは同時だった。
「ふふふふ、お前の目は流石に誤魔化せんか。 伊達に創造神をやっていないという事だな?」
それからアストとエターナを交互に見やった。
「騙すつもりもなかったがな。 私が”魔王の使い”を名乗り動き回っていたのは事実なのだ」
エターナはそうなのかな?と疑問を持ちつつ「何でなの?」と尋ねる、魔王なら魔王と名乗ればいいだろう。
「気分とでもいうか、まあ……戯れだよ」
言いながら右腕を前に伸ばすと拳が黒い光を放ち、それが剣の形へと変わった。
「いずれにせよお前は私を倒すのであろう、勇者の少年よ?」
「当たり前だ!」
揶揄われてたと感じ、苛立ち気に叫ぶと同時に床を蹴って斬り掛かるアストの動きは明らかに人間離れした速度であった。 そんな動きであってもアザートスは”黒い闇の剣”でその斬撃を受け止める。
「私は人間に力を与えているだけ、彼等もそれを喜んで受け取る。 だが同じ人間が”勇者”を名乗り私を殺しに来る!」
アザートスが反撃し、両者の刃が数度ぶつかる。
「笑えんなっ!」
「ありがた迷惑って言うんだよっ!!」
魔王を前にし聖剣から無尽蔵の力が流れ込んでくるのを感じ、その力が自分に人間を超えた身体能力を発揮させているのを理解していた。
「だいたい! 何故こんな事をするっ!?」
「知らぬっ! 私はただそうするために何者かに創られたのだからなっ!!」
「なっ……!!?」
驚きの声を上げて後ろに下がるアスト、アザートスも動きを止めて更に言う。
「それがどこの誰かなど分らぬがな、故に私はヒトに力を与える。 それが私の存在する意味なのだからな!」
「そうかよっ!!」
アストが攻撃を再開する、何の理由も意味もなしに世界を混乱させるなど許せるものではない。 更にこの魔王と人間は絶対相容れないのだと直感的に理解してもいた。
「お前の都合なんかっ!!」
魔王の男と勇者の少年は何度も剣をぶつけ合う、そんな戦いを見守るエターナはちらりとアルフィーナを見た。
「アスト君の言う通りよ、人間の世界を守ろうと思ったらあいつを滅ぼすしかない……」
魔王には魔王の理由が……正義がありその為に行動している、それ自体が悪には到底思えない。 結局はニンゲンの方が悪なのに、魔王の力で悪さをするのはニンゲンなのに魔王が悪いと倒そうとするのが、とてもおかしい行動に思える。
言葉にして口に出さなくとも少女の表情からそう考えてるのは、アルフィーナには容易に分かる。
「ひょっとしたら”悪”なのは私達なのかも知れないけど……それでも私は守りたいのよ」
「何を?」
「ヒトを、あなた達のような良き心の人間達を……」
かつての文明の時には善人も悪人も関係なく平等に死んでいった、確かに悪人は自業自得と割り切れても良き心の持ち主がその巻き添えになるべきではない。
そのための手段が”悪”だというなら、それを受け入れるしかないのだ。
「正義だとか悪だとかじゃないの、私には大勢の良い人間達が不幸になるのを見過ごす事はできない。 おそらくアスト君もよ?」
誰かを不幸にしたくないのはエターナだって同じだ、そんな事をするような悪い奴なんてぶっとばしてもいいとも思う。 アストが今戦っているのもそれと同じなのだ、ただ魔王の命を奪わない限り止める手段がないというだけだ。
それが今は分らなくはなくても、どうしても命を奪うという行為を完全に肯定する事は出来ない。
「でも……殺さないでいいならその方がいいよ?」
思わず口に出してしまったそんな言葉に、アルフィーナは最初は呆れたような表情を見せたが、次に少し嬉しそうなものへと変化した。
「そうね、きっとそれが一番正しい事だと思うわ」
聖剣の銀の刃と黒き光の刃は何十回とぶつかり合っていた、普段なら疲労をかんじてくる頃合いなのだが、疲労どころか息も切れていない。 それも自分でも信じられない程の力や速さを発揮しているのにだ、今の自分であれば最強クラスの騎士でも余裕で倒せるかも知れない、それ程である。
だが、これは聖剣の力あってのものだと自らを戒める。 初恋の女の子がエターナル・ソードという強大な力に驕らないのだから、自分とて力に驕るような男になってはいけないだろう。
「……勇者を名乗るだけはあるか!」
一見すると両者互角という様子だが、実際には僅かにだが自分が押されているのが分かるアスト。
「そっちも流石に魔王ってだけはあるか! だが……」
先程から魔王は剣を振るうだけで魔法の力らしきものを使ってこないのが罠か何かなのか、それとも使えない理由があるのかアストには分からない。
「……お前の仲間は手を貸す気はないようだが?」
まったく動く様子すら見せない少女と神を一瞥した後で、あざ笑うかのような言葉と共に繰り出された突きを回避してから、「それでいいんだよ!」と言い返すアスト。
「アルフィーナ様にはすでに聖剣の力を貸してもらってる!」
焦らずに間合いを計り、そして聖剣を振り上げた。
「僕達の問題でエターナにもう迷惑なんて掛けられるかっ!!」
半ば捨て身の覚悟で跳び込んでの一撃に、アザートスの防御が僅かに間に合わなかった。 躊躇する事なく渾身の力を込めて振り下ろされた聖剣が魔王の右片を切り裂き、黒い光の剣を持ったままの腕が床に落下した。
「うぉぉおおおおっ!!!?」
痛みによる悲鳴というよりは驚きのそれに聞こえる声を上げた魔王の、切断された断面から噴き出したのは真っ赤な血渋きではなく、不気味な黒い煙だった。
いや、エターナの知識の中にあるどんな煙よりも更に深い黒さのそれは、闇そのものが噴き出しているという風にも見えてゾッとなる。
それはアストも同様だった、思わず「何だっ!?」と声を上げて一旦後ろへと跳んでしまいトドメを指し損ねた。
エターナは「アルフィーナ!?」と名を叫びながら彼女へと顔を向けた。
「前回も同じだったわ……あいつは、魔王は……生き物ですらないのかも知れないわ……」
「生き物でない……?」
更に質問しようとしたが、アストの「だったらっ!!」という大声にそっちへと顔を向けた。
「遠慮はいらないって事っ!!」
今度こそトドメを刺すべく踏み込んだ直後に、「ちょっと待った~~~!!!!」というエターナの大声にアストはバランスを崩しそうになりながらも、どうにかその場に踏みとどまった。
「何っ!?」
「え、エターナちゃん?」
「……どういうんだ?」
アストとアルフィーナだけでなく、魔王アザートスも予想外の出来事に驚きを隠せなかった。 そんな状況を作った当の少女は彼らのそんな様子を気にする風でもなく前に進み出て、アストの隣に並んだ。
困惑しながらも油断なく剣を構えている少年が先程殺そうとした魔王が、片腕を切り落とされても痛みすら感じていないという様子が、エターナには不思議でならなかった。
「娘よ、何故止める?」
もう一度問いかけてきた魔王に答えることなく、自分の言いたい事をエターナは言った。
「アザートス、あんたはいったい何者なのよ?」




