魔王の事
目覚めたアストに最初に見えたのは古惚けた木の天井だった、カーテンの隙間から差し込んでるのだろう光に朝だと分かる。 上半身だけを起こして「う~~ん……」と身体を伸ばしてから、気が付くと隣のベッドで眠っているエターナへと視線を向けていた。
気持ちよさそうなその少女の寝顔とベッドがもう一つ置けそうなくらいの間隔がなければ、指でそのほっぺを突きたいと考えてしまう。
「それにしても……」
これまでも宿屋では一緒の部屋に泊まってきたが、相手は年下の子供で保護者的立場であると自覚があったから特に意識もしなかったが、実は年頃の女の子だと分かってしまうと変に意識してしまう自分に気が付く。
もっとも、当のエターナはこれまでと何ら変わった様子もなくこうして眠っているのは、向こうは特に何とも思っていないんだろう。
そんな事に小さく息を吐いた後、今度は壁に立てかけられた剣を見た。 これまでずっと使ってきた愛用の剣ではなく、昨日手にしたばかりの聖剣である。
その聖剣を介してやってきたアルフィーナは今はいない、何でも人のいるところでは剣の中に入って過ごすつもりらしい。 確かに創造神本人……どころか、仮にそっくりさんだと思われたにしても目立ち余計な騒ぎを起こすかも知れない。
ちなみに、今はそのアルフィーナの力で転移した近くの町に滞在している。 本人が言うには「疲れてるだろうし特別サービスよ?」という事らしい。
「…………う~~……」
不意に聞こえた声に顔を動かすと、いつの間にか開かれていた少女の蒼い瞳と目が合った。 まだ寝ぼけ眼でしばしぼーっとなっていたが、やがてゆっくりと起き上がると大きな欠伸をする。
「……ふぁ~~おふぁよー……」
「ああ、おはよう」
宿屋の一階にある酒場で朝食を済ませた二人が部屋に戻ってくると、アルフィーナがエターナのベッドに腰かけて待っていた。 「ああ、お帰り~」と出迎える彼女に「ただいま~アルフィーナ~」とエターナが元気な声で応えたのにアストは慌てた。
「ちょ……そんな大きな声で言ったら!」
「ん? 大丈夫よ、今は私の力で周囲には声が聞こえないようにしてあるから」
人をからかっているいうぶ笑いながら言うアルフィーナに、アストは肩をすくめて「……なら、いいですけど」と扉を閉めた。
山頂からこの町まで転移したり周囲に声を聞こえなくしたりと、確かに神様らしいと思う。 しかし、それがなければちょっとおちゃめなお姉さんにしか見えない気がする。
そんな風に思っていると「へ~~。 それで何の話なの?」とエターナが言ったのに「……あ!」となる。 わざわざ周りに声の聞こえなくなる力を使って待っていたのだから他にないはずだった。
もっとも、この少女はそんな理屈よりもアルフィーナの雰囲気というか、そういうものを感じ取ったのだろうとは思う。
「ええ、とりあえずはあなた達も座りなさいな」
二人はアストの使っていたベッドに並んで座る。
「まずは……そうね、”魔王”について話しておきましょうか」
「魔王……ですか?」
「そう、あなた達は魔王の事をどれだけ知っている?」
エターナはすぐに「魔法を悪い事に使う悪い奴!」と答えたが、「じゃあ、他には?」と更に聞かれると、他に何も知らない事に気が付く。
「う~~? 知らないや……アストは?」
そう言われてみると、アストも知っている事も多くはなかった。
過去にも現れてご先祖様に倒され、今も手下達を暴れさせてこの国を混乱させている存在。 後は間違いなく人間ではないという事くらいか、だったら何者かと言われても分からない。
魔王という存在自体が御伽噺の中のものがそのまま現実に跳び出してきたかのような感覚で、ちゃんと知っているつもりで何も知っていなかったと気が付く。
極端に言えば単に悪い奴というイメージだけで片付けていたようにも思えた。
アストがそう言った事にアルフィーナは「でしょう?」と返した時のその表情は、アインが自分に何かを教えてくれる時のそれとそっくりだとエターナには見えた。
「まあ、あなた達はまだ若いし無理ない事なんだけど……とにかく相手の事をよく知らないままで挑むというのは無謀よ? 聖剣という力だけを求めるのではなく戦うべき魔王の事も調べなくちゃね」
アルフィーナに言われれば確かにそうかもとアストは思う、調べてどこまでの事が分かったのかという問題もあるが、疎かにして良いわけではないだろう。
「何でもそうだけど、情報はあるに越した事ないわよ。 その方が失敗しにくくなるしね」
戦いもそうでない事もエターナはこれまでとにかくぶっつけ本番で挑んできて、大概何とかなってはいる。 しかし、それもアインやフェリオンら大人達の力と知識の助け合っての事なのだと今なら分かる。
だから、「うん、そうだね」と素直に頷いた。
「……と、まあ……お説教くさい事ばっかり言っていても仕方なし、とにかく私の知っている事を話してあげるわね」
魔王という存在がどこで生まれ、何故この世界に出現したのかはアルフィーナも知らない。 ただ、魔王の目的は”力を欲するものに力を与える”のを目的としているのは知っている。
そして、それを邪魔しようとする者や自分を滅ぼそうとする者は排除しようとするが、そうでなければ特に他者に干渉する事はほとんどない。
「……って、それって別に悪い事じゃないんじゃない?」
エターナのその質問はアルフィーナも予期していた、アストの方もその表情からこの小さな魔女と同じことを思っていると分かる。
「そうね、それだけだと悪い事じゃないわね……でもね、魔王が力を与えるのは大抵は邪な心を持つ者なのよ」
人は誰しも心に闇を持つが、同時に自らが傷つくのを恐れる臆病者でもある。 故に己の身を危険に晒してまで心の闇を解き放つ事はない。 すべての者がそうだとは言わないが、人が力を振るえるのは常に自分より弱い者に対してなのだ。
だから強大な力を持った時、人はあっさりとその闇を開放し闇に支配されてしまう。
「…………」
何か言い返さないと思っても、実際自分の知る限りでの魔王の手下の大半が人間だと知っているのでそれも出来なかった。 エターナと出会ってから遭遇したクウガやギランはまだ自らを律する事の出来た連中だが、そうでない方が多いには違いない。
一方のエターナは首を傾げる、心の強い大人達に囲まれ自らも強者に立ち向かっていける強い心を当然とする彼女にとってアルフィーナの言った事は実感が湧かないのである。
「まあ、そういうわけなんで魔王のやってる事はこの世界にとってとっても危険なのよ」
かつて存在した文明、人々が魔法という力を当たり前としていた頃の文明はそれで滅び去った。
「そんなに昔からいるのか、魔王って……」
それはアストの想像を超えていた。
その時はアルフィーナも人間の事を信じていた、魔王によるまやかしの力に溺れるはずがないと。 だが、彼女がそれを間違いだと気が付いた時にはもう手遅れだったのである。
人間という生き物は、彼女の考えてるよりもずっと愚かだったのだ。 もっとも、その事を純粋で真っすぐなこの少年と少女に言うつもりもない。
「とにかく魔王のやる事はみんなの迷惑ってわけね、やっぱりぶっとばさないとかー」
「そうねエターナちゃん。 それで前回は人間の側に聖剣という力を与えて魔王と戦ってもらったの、私が直接戦えない事もないんだけど……人間の未来は人間の手で決めてほしいから」
アストの先祖を使い手に選んだのは、戦いの技量も心の強さも聖剣に相応しいと判断したからで、彼の子孫にしか聖剣を使えなくしたのは無闇に使い手を増やし悪用される危険を減らすためだ。
「……って、そうだ! 魔王ってその時に死んじゃってるんじゃないの?」
「ええ、私も魔王を滅ぼしたと思っていたのだけど……生きていたみたいね」
おそらくはその時に受けたダメージが回復するのを待って、今再び動き出したのではないかとアルフィーナは言う。 確かにそれが妥当だろうだとアストもエターナも思えた。
「まあ、とにかくね……」
エターナとアストの顔を交互に見た神の女性の表情は、真剣だがどこかやりきれなさを感じさせる。
「魔王だけが悪じゃない……というか、どっちかというと悪は人間なのかも知れない。 でもね、それは人間の本質だからどうしようもないの……」
人間に失望しているともとれる発言に「そんな事ない!」と声を上げるエターナ、彼女の頭に浮かんでるのは妹やトキハ達家族、何より祖母である亡きせつなの顔だった。
そのエターナに「ええ、そんな事はないわ」と力強い笑みを浮かべてみせる。
「人間はそれだけの存在じゃないのを私も知っている、今目の前にいるあなた達がその証拠よ。 ただ、邪悪な一面があるのもまた事実、それは受け入れなくてはいけない」
だから今はまだ魔王アザートスを倒さねばならない、彼と共存する事は出来ないのだ。 もしも、人間の精神がもっと成熟したなら、あるいは彼が魔王でなく人間のよくパートナーと呼ばれているかも知れないのは、アルフィーナも認めはすると言った。
「……そうですね、でも僕は僕の世界が滅ぶのはもちろん、家族や友達が不幸になるのは嫌です。 だから僕は魔王を殺します」
最後の一言はエターナに向けて言ったものだ、こればかりは彼も譲れないと判断した。
「アスト……」
少し悲しそうな表情で少年を見上げるエターナ、友達がヒト殺しをするのは受け入れがたい。
「エターナ、僕は勇者だけど神じゃないんだ。 すべてを救うなんて出来ない」
アストの言葉に「神様でも無理よ」と補足するアルフィーナである。
「何かを為す為に命の取捨選択をする必要がある時はどうしたってあるの、生きている限り絶対に目を背けてはいけないわ」
ただ生きていくために食べ物を食べる、それは他者の命を喰らっているのだ。
つまり、ただ生きるだけでも生き物を殺さなければいけない。
「…………」
それはエターナも漠然とは理解し始めてはいないでもなかった、ただ無意識に深く考えないようにしていたのだろう。 自分が生きるのに誰かを殺すというのに罪悪感を感じるのだ。
俯いてしまったエターナにアストは「……大丈夫だよ」と優しい声を掛けた。
「魔王の命を奪うなら僕の役目なんだ、僕達の世界の事なんだし君が罪悪感を覚えるような事はさせないよ」
「そうね、あなたにそこまでしてなんて言えないわ」
その気ならば今すぐにでもエターナを帰す事も出来るが、おそらくそんな中途半端をこの真っ直ぐな少女は望まないだろう。 それに命を奪うという行為からいつまでも目を背けていても彼女の為になるとは思えない。
「だから、ただ見ているだけでいいよ。 僕の戦いを見届けてくれるだけでいいからね」
アストもおそらく同じ事を考えているのだろう、彼の旅立ちの時から自身の力を使い様子を見ていたが、本当に成長したように思える。
そんなアストの顔をしっかり見返しながらエターナは考える、友人がヒトを殺そうとするのを黙って見ているのも、魔王が殺されるのを黙って見ているのも卑怯な行いだとも思える。
しかし、それで何らかの答えが見つかるかも知れないとも思う。 名も知る事もなかった殺し屋の一件で突き付けられた、ヒト殺しは仕方ないのか否か?という問題の答えが。
だから、「うん、分かった」とアストの瞳をしっかり見据えて返事をしたのだった。