取り残された、かつての
大切に大切に守られた。
決して見つかってはいけないと。何よりも大切なのだからと。
王家の一員として産まれた姫は、ある時からそっと城の端、塔の部屋に移された。
それは、家族からの愛だった。
穏やかに守られた日々だった。
***
「まぁ。おばあさまはだあれ? こんなところで、何をなさっているの?」
おてんばな質に生まれたのか、珍しい侵入者は、小さな女の子だった。
顔立ちや身なりから、この子も王家の一員だと姫は察した。
呆れるように姫は苦笑をした。
「こんなところで、おひとりなの? 寂しくない?」
女の子はまた尋ねた。
それには微笑みを返した。
女の子は初めて踏み入った室内を興味深そうに見回して、気づいて窓に走り寄った。
「鳥がすごく近くを飛んでるわ!」
ここは高い場所にある部屋だから、鳥が飛ぶ姿がよく見えた。
「ねぇ、ここ素敵なお部屋」
女の子は目を輝かせてたくさん姫に話しかけた。
姫は微笑んで聞いてやった。
そうしてから、少し疲れたのと心配になったのもあって、姫は尋ねてやった。
「一人で来たの? 名前は?」
「マージェンターラ」
「私は、クィントーラよ。ねぇ、マージェンターラ、あまり遅くなると、お母様たちを心配させてしまうわよ」
「でもまだ探検が終わってないわ!」
「また来ればいいわ」
姫の言葉に、女の子は目をさらに輝かせた。
「うん! そうする。さようなら、クィントーラ! また来るわ」
「えぇ」
見送りかけて、姫は心配になって注意を告げた。
「私がここにいることを、他の誰にも言っては駄目よ」
「え? どうして?」
女の子はキョトンとしたが、一拍の後に、コクリと頷いた。
「わかった。約束ね」
「えぇ、そうよ。約束」
「また来るね」
こうして、女の子は扉の向こう、城の中に帰っていった。
***
唐突に始まった関係は、意外な事に長く続いた。
女の子は城の暮らしに不満を持つと、姫の元を訪れて、愚痴を聞かせた。
姫はそれを微笑みながら聞いてやり、自分に運ばれてくる食事の中から美しいフルーツを女の子に分け与える。すると、女の子はあっという間に機嫌を直した。その様子がおかしくて楽しかった。
***
月日は流れる。
女の子は、いつしか恋をする少女になっていた。
少女は、誰にも言えない悩みを姫にだけ打ち明けた。
以前にこの国を訪れた、隣国の王子が好きなのだと。
困ったことに、その後に国と隣国の関係は悪化していた。つまり、許されない恋だった。
「応援してくれる?」
とせがまれて姫は困ったが、目を潤ませて頼られる様子に、少し動揺しながらも頷きを返した。
この件に関して、自分にできる事などたかが知れていると姫自身が知っていた。
ところが、女の子の行動力は、素晴らしいものだった。
どうやら隣国の王子も少女の事が好きだったようで、どのような手腕か、互いに駆け落ちの約束をとりつけた。
最期の日に、美しい少女になったその子は姫の元を訪れて、
「両国の争いをやめて欲しいと置手紙をかいて、私たちは異国にいくの」
と力強い眼差して姫に告げた。
姫は大変動揺したが、一方でこの少女ならきっとうまくやっていける、そんな予感もするので止められなかった。
それに、少女は姫にたくさんを打ち明けてくれた。ずっとずっと、小さな女の子だった時から。
長年の信頼を、姫は失いたくないと思ったのだ。
「良いものをあげる」
と姫は言った。
そっと奥から、純白の美しい花嫁衣裳を取り出した。
「クィントーラ! これは!」
少女が息を飲む。
姫は微笑んだ。
「あなたに、あげる。私が刺繍をしたの。きっと似合うわ」
少女の頬が薔薇色に染まり、クィントーラは頬に思いがけないキスを受けた。
「ありがとう! 大好きよ、クィントーラ!」
クィントーラの仕上げたドレスを持って、少女が部屋を去っていった。
***
もう、会うことはできない。
***
あれから。
誰も来ない。
姫は己の顔に手を伸ばす。それから顔に触れた手を、手の甲を見つめる。
すっかり皺だらけ。
頭髪を撫でる。もう、こんなに少なくなって。
高い窓から外を見た。
空。近くに飛ぶ鳥。
遠くに海。
手前に、街並み。
思いがけなくも、憐みがこみ上げた。
純白のドレスは、クィントーラのものだった。
この部屋に匿われて、けれどいつかの日を夢見て。
裁縫道具をもらって、一針ずつ丁寧にさして作り上げたもの。誰にも真似できない、人生をかけたような衣装。
あれさえも、渡して。
私は、何をしてるいるのだろう。と。
少女に出会った時に、すでに、「おばあさま」と呼ばれるような、年齢になっていた。
どうして、私はずっと、まるでいない者のように息を潜めて暮らしているの。
小さなあの子は、無理を可能にして、あの海さえ超えていったというのに。
***
強迫観念のようなものが湧き上がった。
姫は今こそ扉を開けた。今まで、決して自ら開けたことは無かった扉。
長い長い階段を下る。薄暗くて、ほこりまみれ。彼女はここをずっと登って会いに来てくれていたのだと知る。
もう一つ、扉を開ける。
ギィイ、と、酷く軋んだ音がした。
***
かつての姫は立ち尽くした。
あまりに、開けた世界に、見覚えが無かったから。
金銀宝石で彩られた廊下。細やかな文様で編まれた絨毯。見惚れるような調度品。
ふらふらと、姫は自分の記憶を頼りに移動した。
「もし?」
声をかけてきたものがいるが、関わる必要のない者だった。
それ以上声がかけてこられないということは、姫を王家の一員と判断したからに他ならない。
姫は、肖像画の部屋にたどり着いた。
ぼんやりとそれらを見上げた。
祖父。祖母。叔父。伯母。父。母。兄。姉。それから。子どもたち。
自分の肖像画は、幼いころのままで時を止めていた。
全てに取り残されているのだと、姫はよくよく、理解した。
誰が死んだかは承知している。
すでに姫の幼い日を知る家族がいないことも。
「どうしてここに! 何事か⁉︎」
今の王が現れ、姫に威圧的な声をかけた。
けれど、姫は固まったように動けなかった。
***
私は、何を生きたのでしょう。
隠れて、何も成さず、何も叶えず。
私には、力が、あったのに。
この手になにも残っていないのは、取りこぼしたのではなく、何も掴もうとしなかったせい。
***
塔に魔女が住んでたんだよ、と、集まって来たものたちが怯えたように囁きあっている。
***
私は何を生きたのでしょう。
私にも、夢や憧れがあったのに。
隠れず、堂々と生きることだって、できたのではないの。
せっかく。このように。生まれたものを。
***
まるで枯れ木のような姿で、まるで子どものように。1人の老婆が人目も気にせずしゃくりあげた。
まるでこの世が壊れたかのように、いつまでも、いつまでも。




