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カミあわないフタり  作者: 木下秋
over flow
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operation “over flow” (2)

「ここだよ」



 そう言って早稲田は立ち止まった。駅から歩いて十五分、閑静な住宅街の一角に、大きく、静かにそびえ立つマンションがあった。



「ここが……何って?」


「湯川の住んでるマンションだ」



 ヤツはカンタンにそう言ってのけると、俺が二の句を継ぐより早く、マンションのエントランスホールに入っていった。ーーなんの躊躇も無く。俺は狼狽うろたえながら、とにかく追いて行くしかなかった。


 タイル張りの冷たいエントランスには住居者の銀色のポストが並んでいて、正面にはガラスのドア。壁には鍵穴と、部屋番号を押して掛けるタイプのインターホン。



「オートロックシステムだ」


「知っている」



 呟くと、早稲田が返事をする。見ると、ポストをジロジロ眺めていた。


 俺もそれに倣って、ポストの列を見た。一番左上から下まで、知らない誰かの苗字を黙読。次の列、次の列と読んでーーあった。『湯川』の文字だ。



「おい、あったぞ」


「ん?」


「『湯川』のポストだ」


「湯川のポストの位置は知っているさ。今僕がポストを眺めているのは別の理由からだ。ちょっと黙って(・・・)待っていてくれ」



 俺はヤツの細い背中を睨んだ。……いちいち癪に障る言い方をする奴だ。


 早稲田は幾つかのポストに集中し、めつすがめつしていると、挙げ句の果てにはポストを開き中身まで見始めた。「オイ!」と俺が小声で言うも、無視。とんでもないヤツだ。


 やがて立ち上がると、今度は一階の廊下にジッと目をやる。そして、インターホンに三桁の数字を打ち込んだ。聞き馴染みのある「ピーンポーン」の後、五秒ほどして誰かの声。「はい」。知らない男の声に、俺は固まった。



「す、すみません。702号室の田中ですけど」



 早稲田は聞いたことのない焦ったような声色で、誰かの名を騙っていた。



「鍵を忘れて出ちゃって……ちょっとそこのコンビニに買い物に出たんですけど。部屋には弟が居るんですけど、まだ幼くて……。このドアの開け方を知らないんです。すみませんけど、開けてもらえませんか?」



 いかにも弱った少年のような声で懇願すると、いともカンタンにドアは開いた。「ありがとう」。早稲田はそう言い残すと、スタスタとマンション内に侵入した。



「オイ!」


「何かな」


「もう……もうなんか色々信じらんねぇよ。何だったんだ? 今のは」



 早稲田はエレベーターの上ボタンを押す。箱が下がってくるのを教える光の点滅を眺めながら、ヤツは言った。



「ポストを観察していたのは一人暮らしをしている男性を探していたんだ。女性は警戒心が強い。結婚していたり同棲していたらダメだ。『誰だったの?』って聞かれちゃうだろ。あの105号室の男性のポストには三日前の郵便物が入っていた。部屋の灯りは付いていたのにだ。ポストに差し込まれたネームプレートの字も汚い。面倒くさがり屋で雑な性格だ。だから簡単に扉を開くと思った。702号室の真田宅のポストには男の名宛てに学習塾の勧誘物が入っていた。僕と同じ年頃の男の子が居るんだろう。弟が居るかどうかは知らないけれど、でも、105号室の男も絶対知らない。隣に誰が住んでいるのか知っているかどうかも怪しい」



 エレベーターの扉が開き、俺たちは乗り込む。早稲田は『5』のボタンを押して、すぐに扉を『閉』じた。



「いいかい。君はこれから湯川の部屋に入ったら(・・・・)、机の引き出しでもなんでも開けて君の携帯電話を見つけ出すんだ。そして、一つも証拠を残さず(・・・・・・・・・)。部屋を出る」



「ちょ、ちょっと待てよ」



 話の展開が早すぎる。追いていけない。



「どうやって部屋に入るってんだ? ピッキングってヤツか? お前そんな事もできんのか?」


「落ち着きなよ」



 扉が開く。真っ直ぐな廊下が伸びていた。


 早稲田が先導を切って進む。そして、あっという間に部屋の前まで来てしまった。ビビってなどいない、という風に俺は表情には出さず、虚勢を張っていたが、今は不安しかない。



「で。どうすんだ」



 そういった俺に、早稲田はある物を差し出した。銀色の、小さな、プレート状の物。



「信じらんねぇ……」



 俺は呆れた。『鍵』だ。



「僕は下準備を進めておいたのさ。確実に事を成せるようにね。ここに来たのも二度目だ」


「この鍵は……」


「昼休みの間に湯川のカバンから拝借し、合鍵を作ってその日の内に戻した。ディンプル・タイプじゃなくて良かったよ。十分も掛からなかったし、千円も掛からなかった」


「は、犯罪じゃないか……!」


「虐めを見逃すのは罪じゃないのか?」



 早稲田は座った目で俺を見た。



「今はやるべきことに集中するんだ。僕にもやる事がある」


「何だ?」


「管理人室に忍び込んで監視カメラのデータを消す」



 「あっ」。思わず声が出た。そういえば、エントランスの正面からカメラは俺たちの事を見ていた。



「そんなに時間は掛からないだろう。管理人室にこの時間誰もいない事は確認済みだし、部屋の扉もかかっていない。定年をとっくに過ぎた雇われ管理人が仕事をしているんだ。だから今日一日分の監視カメラのデータがきえたところで怪しまれないだろう。それが終わったら僕は外からこのマンションを見張る。湯川がいつ帰ってくるのかはわからないんだ」


「……え……?」



 なんだ、今さりげなくとんでもないことを言わなかったか。



湯川がいつ帰ってく(・・・・・・・・・)るのかはわからない(・・・・・・・・・)。時間がなくてそこまでは調べきる事が出来なかったんだ。でも、この時間ならまだ学校に居るはずだ。だから、とにかく早く(・・)。仕事を終わらせてくれ」



 とんでもない事になってしまった。しかも、もうやめたいだなんて絶対に言い出せない状況。視線を外して、外を見た。その位置からは地上の建物は見えず、ただ真っ暗な空と、ぼんやりとした黒い雲の輪郭が見えた。自然と溜め息を漏らして、俺は黙って鍵を受け取ると、鍵穴に差し込んだ。


 思い切って回すと、ガチャリと音がして、鍵が、開いてしまった(・・・・・・・)


 ドアノブに伸ばそうとした手を、早稲田が掴んだ。白く、細い手。


 「指紋の一つも残すな」。そう言って差し出したのは、一対の白い、薄手の手袋だった。

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