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確率を操るのは  作者: 安藤真司
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告白のその後

 月曜日。

 綾文綾に、生徒会に勧誘された。

 火曜日。

 綾文綾によって、いや、一応は自分の意思で生徒会役員になることを決めた。

 そして生徒会のメンバーと自己紹介をしあった。

 綾の妹、綾文弥々に脅され、ついでに誤解された。

 水曜日。

 つまり今日。

 弥々の誤解は深まったものの、その後何とか誤解を解くことが出来た。

 その流れで今、生徒会室に向かっている。

 なんなのだこれは、と櫛夜は思わずにいられない。

 どれだけ濃い日々を送っているのだ。

 今までの自分からは考えられない。

 中学時代の櫛夜を知っている者が聞いたらまず間違いなく他人だと思うだろう。

 曰く、櫛咲櫛夜はそんなアクティブな奴ではないだろ、と全員が全員口を揃えるはずである。

 加えれば、その言葉を櫛夜自身が聞けばこう返すだろう。

 曰く、奇遇だな、俺もそう思う、と。

 心の中で考えていても、口に出すかどうかはわからないが。

 

 

 どうしてこうなっているんだろう。

 と、やはり櫛夜は言いたくなっていた。

 言わなかったが。

 ここ最近の日々について言っているわけではない。

 いや、ここ最近についても前述したように言いたいことが山ほどあるのだが。

 しかし櫛夜は今、現在のことを、リアルタイムに進行していることについて考えている。

(どうしてこうなっているんだろう)

 繰り返した。

 その心の叫びは喧騒に消える。

 かき消される。

 櫛夜はただ廊下を堂々と歩いているだけなので、喧騒は喧騒どころか、その各々の語る内容まではっきりと聞こえてくる。

 これまた理由はわかりきっている。

 知能指数がどれだけ低い者にもわかるはずだ。

 いや、なんなら言葉がわからずともわかる状況でもある。

 そう、世界は言葉なんてなくても動く。

 そのことを櫛夜は知っている。

 生きていると、言葉が全てなのではないかと思えてくる。

 人とそれ以外の生物の違いは何か。

 それは知能云々文明云々ではなく、コミュニケーションに言葉を用いていることだ。

 人はまず言葉を覚える。

 言葉を覚え、自分以外の誰かと言葉を交わすことを覚える。

 そしていつしかそれは当たり前になるのだ。

 だから、当たり前から外れると、人は困惑してしまう。

 言葉が、通じない状況。

 それに初めて出くわすのはいつであろうか。

 外国語に触れた時? 

 自分の話す方言との差異が大きな方言に触れた時? 

 そんな遅くはない。

 すぐに出会うだろう。

 人生において、言葉の通じない相手に出会う場面はもっと早くに訪れる。

 単純だ。

 他人に出会った時、である。

 より正確には、他人は、自分でない誰かは、自分とは違う言語を使っていることに初めて気づく時、である。

 他人は自分じゃないから、自分とは違う知識を持っていて、自分とは違う生活をしてきた。

 そんな人間がだ。

 自分と同じ文法の言葉を使っているからといって。

 自分と同じ言葉を使用しているなどと思っていいはずがない。

 例えばボールを枠内に入れる、というルールがある。

 例えばそのボールは試合中一つだけが運用される、というルールがある。

 例えば制限時間内にボールをより多く回数枠内に入れた側の勝利、というルールがある。

 例えば二つのチームで執り行われるものである、というルールがある。

 例えばボールをシュートすることが主たるゲームである、というルールがある。

 何を思い浮かべるだろうか。

 ある者は「なるほど甲はサッカーの話をしているのだな」と言うかもしれない。

 またある者は「なるほど乙はバスケットボールの話をしているのだな」と言うかもしれない。

 それくらいの違いが、自分と誰かの話す言語には存在している。

 言う言葉の端々で、違和感を生じてしまう。

 あれ、なんだろう、そんなルールあったっけ? 

 そんな感覚だ。

 だから、人は合わせていくのだ、それが出来るのだ。

 自分とは違う言語を話している、そんな誰かに通じる物が何かないか。

 探す。

 そして見つける。

 そう、ボディランゲージ、雰囲気、身振り手振り、ジェスチャーと呼ばれるものだ。

 簡単だ。

 言葉などなくても、言葉を重ねなくても。

 例えばボールを蹴る動きをすれば。

 例えばボールを手で放る動きをすれば。

 それは言葉よりも明確に、正確に、伝わるはずだ。

 そうやって、誰もが話す時に、いや、話をしていて違和感を感じると身振りを付け加えるようになる。

 形を手で作る。

 流れを手で表現する。

 中には話し始めから身振りが大きな人もいる。

 これはだから、自分の話が他人に伝わらないだろうな、と。

 自分の使っている言語は他人とは違うんだよな、と。

 初めから思っているに違いない。

 それは自信のなさなのかもしれないし。

 それは自分が他人と違うことを自覚しているからかもしれない。

 とにかく、人はそうやって、幼い頃から身振り手振りを知らず知らずに覚えていくのだ。

 だから、人が、だ。

 他人を見ながら、他人に知られたくない話をしている時。

 それは、出てしまう。

 例えば、そう。

 他人が。

 先ほどまでは廊下を走っていた男女が。

 今度は歩いて戻ってきている時。

 ついでに先ほどは女子が男子の手を引いている、という奇特な状況であったが。

 今度は女子が、半歩、男子に近づいて歩いている。

 それがわかるのは女子特有の観察眼あってのもので。

 男子にはただただ相変わらず女子と男子がいちゃこらしている、という風にしか見えなかったが。

 とにかく、だ。

 男子からすれば男女が並んで歩いている。

 女子からすれば、どう見ても並ぶ女子が男子に対して、所謂、自分を許している距離にいる。

 それを見て噂話をしない者など、皆無だろう。

 そんな状況。

 例えばそんな状況ならば。

 当然、身振り手振りは。

 表情は。

 その身に纏う雰囲気は。

 櫛咲櫛夜に対して。

 殺意とも呼べるほどの熱量を持って迫っていた。

 改めて今現在の櫛夜の状況を一文で表そう。

 

 弥々が触れ合うような距離で並び歩きそのすぐ後ろにいる綾に睨まれている。

 

(どうしてこうなっているんだろう)

 櫛夜はただそれだけを繰り返し、突き刺さる視線を無視して歩くことしかできなかった。

 一応は、弥々はもちろん櫛夜と共に二号館の屋上から生徒会室に戻る所であり。

 綾はその途中から睨みを利かせてきた。

 どうやら気になって後を追いかけてきたらしい。

 二号館屋上にまでは入ってこなかったと見えるが、弥々の様子が気になって、いや、弥々に変なことをしないか櫛夜を見張ってのことだろう。

 なんというシスコンっぷりだ。

 と思う余裕すら櫛夜には残っていない。

 ただ歩くだけで精神をすり減らしながら、生徒会室へと向かう。

 

 

「ねえねえ、いったい、なにを、はなしたのかしら、くしざきくん」

「……綾文会長、あなたずっと後ろにいたじゃないですか」

「ねえねえ、わたしの、ややに、なにかしたんじゃ、ないでしょうね」

「もうそれは本人に聞いてください」

「だって、弥々は、ずっとあんなだし」

 綾が目線を外す。

 その先で弥々が楽しそうに話を友莉、奏音、優芽にしている。

「櫛夜先輩が、櫛夜先輩が、櫛夜先輩が、櫛夜先輩が、櫛夜先輩が」

 楽しそうに……話している。

「ずっと……あんなですか」

「プライベートな話を除いてもあの三人を同時にその場に留めておくなんて中々やるわね私の妹」

「結局プライベートな話をしてますよ綾文会長」

「あらやだ。弥々が完璧すぎて思わず」

「わざとですよねそれ」

「だからとにかく当の弥々があれなのでもう一人の当人に聞いてるのよ」

「その発言がだからあれですよね」

「なによあれって」

「あれはあれです」

「そんなんで論点ずらし出来ると思ったら大間違い」

「ですか」

「で、何、したの」

「いや、された側ですよむしろ」

「誤解は解けたみたいだけど」

「それだけ、ですよ」

「それだけ、じゃないから聞いてるのよ」

「じゃ、俺のではなく弥々のプライバシーに関わることは話せません」

「プライバシーねぇ。そんな事を気にするタイプでもないでしょうに」

「話すことで自分に危害が及びそうなことは止めておきます」

「そうなの? ならジャンケンで決めましょうか?」

「いやいやどうしてそうなるんですか」

 それはしかもここでジャンケンの話をするのは若干駄目なのではないか、と目線で訴えかける。

 ジャンケンで櫛夜が条件付きで必ず勝てることがばれたら綾の不正が、いや不正なのかどうかもグレーゾーンだが、良くないことはばれてしまうだろう。

 ジャンケン、という言葉にぴくりと動く気配があったが、そのことに綾も櫛夜も気づかない。

「……ただ、気になるってだけじゃないのよ」

「はぁ」

「不本意ながら」

「はぁ」

「あんなに可愛い弥々は私も初めて見るわ」

「……はぁ?」

 弥々にはやめてくれと言われた「はぁ」という気の抜けた返事だが、綾に対しては櫛夜は気を遣う必要もないのでここぞとばかりに連発する。

「いえ、生まれた時から今この瞬間まで弥々が可愛くなかった時なんて一瞬たりともないけれど。でも今の弥々はなんだか、良い表情をしてる」

「まぁ、いい顔はしてますね」

「そうなのよ。いえ、確かにあそこまで、とはいかなくても少しは期待して櫛咲くんにお願いしたわけだけど……ちょっと残念だわ」

「残念ですか」

「あの表情を引き出したのが私じゃなく櫛咲くんだ、って現実がね」

「そうですか」

「弥々の顔見れば大体わかるけど、一応事の顛末くらいは聞かせてくれるかしら?」

「だから、誤解を解いて、弥々が考えてきてくれたことを話して貰って、先輩後輩としてよろしく。みたいな」

「先輩後輩、ね」

「本当にそれ以上は何もないですよ」

「あれを見て何もないと言い切れる櫛咲くんの感性を疑うわよ」

「と言われましても」

「……ね」

「はい」

「……告白」

「はい?」

「……告白、この場合は、別に付き合う付き合わないに限らず、好意を伝える、という意味合いでの告白は、あった?」

「……たぶんそれがまさに弥々が考えてきてくれたことで、弥々個人に関わることなので、俺の口からは何も」

「……ん、それも、そうね」

「はい、そこだけは勘弁して下さい」

「はー。弥々がなー。私の可愛い妹がなー。はぁー」

「複雑そうな顔でぶつぶつ呟くのやめてください」

「いい? 弥々の事は弥々に任せる。けれども、一応忠告はしておくわ」

「一応聞いておきましょうか」

「弥々はたぶんまだ、自分の感情をコントロール出来る子じゃないわ」

 声が冷たく温かく櫛夜の耳に溶け込む。

 綾なりに、姉として、家族として、主観的に客観的に見た弥々の像なのだろう。

 綾の真面目な面持ちに櫛夜も少しだけ佇まいを正す。

「良い意味でも悪い意味でも、自分の思うように現実が動かなかった経験が弥々には不足している、と思う」

 もちろん内心何を思っているのかはわからないけどね、と優しく加える。

「恋って感情を、こう、身近に感じることなんて初めてで。だからああやって、持て余してしまう」

 弥々は未だ生徒会役員二年生を捕まえている。

 同じだけ二人で会話を続けている櫛夜と綾も同様に仕事をしていないわけだが。

 一人、三年副会長の光瀬光(みつせみつ)だけがせっせと書類整理を行っている。

「……あれを恋だなんて呼ぶべきでないと思いますけどね」

「本人が恋だと思っているかどうかが重要であって、他人が感情を定義すべきではないでしょう」

「でもその本人も別に、恋だとは思ってないですよ」

「その真偽は今は置いておくわ。それでね。あの子は感情に体が付いて行かなくて暴走する危険性があるように、思う」

「ちゃんと責任取って対処しますよ。その時は」

「ありがとう。私がいれば私もフォローはするつもりだけど」

「そりゃあその方が確実ですし助かります」

「時限爆弾を抱えている、ってことだけは頭に入れておいて欲しい、かな」

「まぁ、そのくらいは、わかりました」

 そこで弥々との関係については一段落着いた。

 そう思った櫛夜は弥々が言っていた、『一日に一度だけ、特定の相手と目を合わせ続けることが出来る』能力について聞こうとしたが。

 しかし綾と櫛夜の間に割って入った奏音が話題を一新する。

「あ、あのー、会長に櫛咲くん? そろそろ、仕事に移りましょう……」

 どこか疲弊しているのは弥々からマシンガントークを喰らったからに違いない。

 上手く抜けてきたのだろう。

 その証拠に友莉と優芽はまだ弥々の攻撃を受けている。

 友莉は若干本気で楽しそうに話を聞いている節もあるが。

 所々で「うん!」「へぇ!」と気持ち良い相槌が聞こえる。

 いや……それもよく聞いたら妙に淡白な「うん!」のようだが。

「そうね、そろそろ戻りましょ。弥々!」

「それで櫛夜先輩がね……うん? 綾お姉ちゃんどうかした?」

「そろそろ仕事に移らなきゃだから、そうね、今日はそのまま友莉について広報の仕事手伝って貰える?」

「ハッ、そうだったここに来た理由を忘れてた……友莉先輩、すみませんなんなりと雑用振って下さいッ」

 と、ようやく落ち着きを取り戻した(しかし顔は赤い)弥々が友莉と共に仕事に移る。

 綾の声はきちんと届くらしい。

「ぅあ、あの、ありがとうございます綾文会長……」

 涙を浮かべて優芽が綾にお礼を言いに来た。

 自分から人に話しかけるのは苦手な優芽であるが、お礼や謝罪はなんとか自分で伝えようとは毎回している。

 そうした彼女なりの努力を綾は一先輩として認め、褒める。

「いいえ、私ももっと早くに声かければよかったわ。相手してくれてありがとう」

 そして、この先の優芽の未来を思って、鞭は打つ。

「でも、言いたいことはちゃんと伝えないと駄目よ。先輩なんだから」

「はぅ、あ、は、はい……」

「うん、今年は優芽ちゃんたちがメインなんだから頑張るんだよ」

 そして再度、飴。

「もちろん優芽ちゃんなりのペースで、ね?」

「は、はい!」

 優芽なりの精一杯だったであろう返事はしかし綾の優しい声よりもやや小さいくらいだったが、その様子に綾は満足気である。

 これでも去年よりは随分と成長しているのだろう。

 優芽も自分の仕事に移る。

「そうね、そしたら今日櫛咲くんは奏音ちゃんに付いて貰おうかしら」

「そうですね。弥々ちゃんも友莉さんに付いていることですし」

 奏音は完全に落ち着きを取り戻し、ふわふわとした雰囲気を醸し始める。

「確か、狩野は会計だっけか……あれ、でも俺って会長補佐として呼ばれてませんでしたっけ?」

 言うまでもなく櫛夜も、綾の意図は掴んでいる。

 この場で、櫛夜と弥々は生徒会の新人である。

 弥々についても櫛夜についても、一体どんな仕事があるのかを知ることは重要であり、それには先輩に付き従って一緒にやってみればわかりやすいだろう。

 特に弥々はそうして仕事を知り、自分の得意分野を活かせる立場役回りを見定める、あるいは先輩にそれを見定めてもらっている最中である。

 そうでなくてもそれぞれが何をしているのか、全体を知らずに自分の仕事だけをしていれば良いというものでもない。

 櫛夜も当然その意味では周りが何をしているのかを知らなければならないわけだが。

 二年生の役員は十分人数がいるため、櫛夜は会長補佐と呼ばれる役職として誘われている。

 であれば、まずはその会長補佐の仕事を知ることが先決だと櫛夜は考え、その上での疑問である。

 その辺りの櫛夜の思惑も誤解することなく奏音と綾が答える。

「大丈夫。奏音ちゃんの手伝いはそのまま補佐に繋がるから」

「一応、次期生徒会長は私ということになっているんです」

「あぁ、なるほど」

 現三年生は六月の体育祭で完全に引退する。

 また、体育祭の閉会式で時期生徒会長を発表するのが毎年恒例となっている。

 つまりこの時期には既に下の学年に仕事を任せつつあるということで。

「櫛咲くんには、今日は会計ではなくって会長のお仕事の補佐をお願いします」

「あ、あぁ。よろしく」

 奏音が綺麗に頭を下げると流れるように髪も動きに合わせてふわと宙に浮く。

「よし、じゃあ今日はそれで動いてもらおうかな」

「わかりました。そしたら櫛咲くんこっちで早速一緒にやって頂きたい作業がありまして」

「お、おぅ」

 櫛夜は流されるがままに奏音と共に仕事に移る。

 散々綾文姉妹に振り回された後だったので奏音の普通の反応が櫛夜には十分嬉しい。

 嬉しい、というか、これが普通の人間関係だろうと。

 出会ってまだ二日。

 話が弾む事も無く、かといって全くの無口と言う事も無く。

 適度な距離を保った会話が櫛夜の胸に染みる。

(やっぱり綾文会長と弥々がおかしいんだよな)

 とその気持ちを強くする。

 仕事については一度引き受けた役職であるため、櫛夜はそこをさぼる気は全くない。

 なのでわからないことは適宜奏音に尋ねつつ、しかし丸投げにするでもなく考えるべきことは考えて、奏音に振られた仕事を的確にこなしていくのであった。

 

 

「ごめんなさい。この初めて体育祭で新競技を提案した年の資料を資料室から持ってきて貰える? 櫛咲くん」

 奏音にそう言われた櫛夜がそのごくごく普通の頼みを断るなど、頭の片隅にもない。

 すぐに櫛夜は距離のある資料室に向かう。

 棚番号とファイル番号のメモを貰い、やや疲れ気味に歩く。

 いざ誰の目もなくなると、先ほどまでの疲れが一気に襲ってきた。

 さすがに放課後で時間も経ったからか、あまり人影は見えない。

 そのため櫛夜に対して卑下の目線は二三あるだけである。

(いや、だからやっぱり変な目線があること自体がおかしいし……)

 人の噂も七十五日などと言うが、高校生には割と長い期間ではなかろうか。

 などと考えながら資料室に入る。

「ええ、と。棚も沢山あるからなぁ……ナンバー23ねぇ」

 と呟き、まずは目的の棚を探していると、資料室のドアが開く音が響く。

 誰か他にも資料探しに来たのか、と入口辺りを覗くと櫛夜に指示を出したはずの奏音であった。

「あれ。何かあったのか?」

「少し追加で必要なものがあったので、自分でも来てしまったわ」

「なるほど」

 ほんわかした会話に櫛夜も少しだけ気を緩める。

 奏音も屈託のない笑顔だ。

 まだ距離はあるものの、仕事に支障が出ない程度に話すことはそう難しくないように思える。

 奏音の探す追加の資料も併せて探していると、奏音がまた緩く櫛夜に話しかける。

「そういえば、櫛咲くんてさ。弥々ちゃんとお付き合いでもし始めたの?」

「はぁっ!?」

 思わぬ話題のチョイスに声を荒げてしまう。

「あ、悪い大きな声出して……でもなんだそれ」

「さっき弥々ちゃんがものすごく嬉しそうに櫛咲くんの事話していたから」

「いや、弥々がどう話したのかは知らないけど、そういうことはない」

「へぇ、告白も?」

「してないしされてない、と思う」

「そう、なら私の勘違いかしらね」

「あぁそうそう。勘違いだ」

 今度また弥々に別の話をしなければいけないか、と櫛夜も考える。

 このままでは要らぬ噂が広がってしまう。

 これ以上平穏を乱されたらたまったもんじゃない。

「じゃあ綾文会長とお付き合いしているのかしら?」

「なんでそうなる!?」

 じゃあってなんだじゃあって。

 そんな風に見られていたのか、と自身の客観的評価を下げる。

 これは早く上方修正しなければならない。

「また、どうしてそんな話になったんだ」

「だって、綾文会長があんなに心を開くだなんて私、俄かには信じがたいわ」

「心を開く? 綾文会長が? 俺に?」

「えぇ、自覚はないの?」

「いや、会ってまだ三日とかだし」

「あら、そんなこと言ったって少なくとも弥々ちゃんはすぐに打ち解けてるじゃない」

「弥々は少し特殊で」

「弥々ちゃんの事情はなんとなくわかっているけれど、だからと言って誰でもその関係を築けるわけではないと思うわよ?」

「でもそれと綾文会長とは関係ないし」

 少しだけ間を置いて奏音は再び問いを口にする。

「あなた、何者なの? 櫛咲くん」

 櫛夜にはしかし、その問いの意味が分からない。

「どういうことだ?」

「あなたは、全くマークされていなかった」

「……マーク、だって?」

 なんだ、生徒会は何かをマークしているのか、と疑問に思い、すぐに今この時期に何をやっていたかを思い出す。

「そうか、生徒会役員の候補として、か」

「ええ、そもそもメインは新一年生を知ることだし、二年生は今からなってくれる子もいないだろうしと思っていたから」

「マークされていないと、なんなんだ」

「マークされてもいないのに、綾文会長があなたを見つけ、すぐにあなたも受け入れて役員になって、会長補佐? ありえないと思わない?」

 奏音の言葉が少しずつ熱を帯びてくる。

「何が、言いたい」

「私たち二年生は綾文会長に憧れて、沢山仕事を頑張って、いよいよ引き継ぎの段階になって、そして初めて対立した」

「対立、ってほどの事でもないだろう」

「そうね、ちょっと新競技をどうするかってだけだけど」

「それが」

「私たちは綾文会長が納得するだけの理由を沢山集めたわ。それで、綾文会長に勝ちたかったの」

「でも、ジャンケンになったんだろ?」

 綾が無理を言った、と櫛夜は聞いているが、果たしてその通りなのかどうか、他の人に確認はしていない。

 気にもしていなかったが。

「えぇ。綾文会長も何か訳ありみたいだったし、それで光瀬先輩が折衷案として、運に身を任せようと言ってくださって」

「納得したのか?」

「いえ、本心では全く。でも長々と続けるわけにもいかなかったし、光瀬先輩にあまりご迷惑をおかけしたくもありませんでしたので」

「そうか」

 そういえば、現在の生徒会で唯一、いや櫛夜が入ったことで唯一ではなくなったが唯一の男子である光瀬とはまだきちんと話をしていない。

 男同士、積もる話でもありそうだが。

「ジャンケンに決まった時に、何故か綾文会長は役員が揃ってからにしようと言いました。そしてそのすぐ後に櫛咲くんが来ました」

 ということは、恐らく、ジャンケンの話が出る前から、綾文会長は櫛夜の能力を知っていた、ということになる。

 ジャンケンに決まった際に櫛夜を勧誘すべく、期間を少しだけ設けたのだろう。

「その綾文会長とは来た時から何か通じ合っているようですし、その妹さんである弥々ちゃんもすぐに心を開いた」

「……」

「あなたは何者? あなたの目的は何? どういうつもりで生徒会に入ってきたの?」

「ただの一般人だし、目的もない。俺にはどうして狩野は俺にそんなことを聞くのかがわからないよ」

「私はね、もうこれ以上、私たちの輪を乱したくないだけよ」

「……なんだって?」

「ね。どうして役員になったのか、聞かせて貰える?」

 質問に、質問で返す。

 奏音の言う、私たち、が何を指すのか。

 そして、"もう"乱したくない、という言葉が意味するところは。

 櫛夜は疲れた頭を回転させるが、ヒントが無さすぎる。

 一体、奏音が何のつもりで話しているのか、わからない。

 ただなんとなく、じわじわと追い詰められているような感覚だけが櫛夜を襲う。

「綾文会長に、言われた、から」

 思わず、本心が漏れる。

「何を?」

「最後、だと」

「……それは、綾文会長が、いえ、三年生の先輩方の話?」

「そう。最後だから、って綾文会長に、感化された、としか言えない」

「感化された……」

「俺はたぶん、心のどっかでこういうことをしたがっていたんじゃないかって、思わなくもない」

「よく、話がわからないけれど」

「俺は、生徒会役員にじゃなく自分自身の何かを掴むためにここにいるんだと思うよ。たぶん」

「……そう、なら、変なことを聞いてごめんなさい」

「いや、いいよ。俺も自分がそう思っているんだって、気付けたしさ」

 自分がそんな多感だとは知らなかった。

 その言葉が自分の本心なのかどうかは、自分では判断が出来ないように思うが。

「でも、それなら私の当ては全部外れたってことになるのかしら、ね」

「……そうだ。狩野こそ何が目的でこんなこと聞いてきたんだよ。何だよ輪が乱れるって」

「……いえ、ほんの言葉の綾です」

 どうやら、奏音も何かあるようではある。

 綾同様に、何かこの体育祭に思うところがあるのかもしれない。

 そこまで話しておいて、その先を奏音は言うつもりがないらしい。

 櫛夜も、そこまでは踏み込まない。

「そうか……ならもういいか。ほら資料も見つけたし仕事に戻らないと」

「本当に、綾文会長や弥々ちゃんに対して、何もしていないんですね?」

「さっきから意図がわからないっての。何もしていないって」

「綾文会長と一緒に裏で何か企てていたり、この生徒会をどうこうしようというつもりも」

「ない」

 厳密には綾と、体育祭の新競技に関して企てていることがあるが、今はそれを言うべきではないだろう。

「そう……なら最後に一つだけ、いいかしら」

「なんだ?」

「私とジャンケンして貰えるかしら」

「はぁ?」

 またいきなり話が飛んだ。

 ジャンケン。

 どこからそんな話になったのか。

 思い出そうとしても、いや、思い出しても明らかにおかしい。

 というか。

(狩野もあれだ。その、人の話を聞かなすぎだろ……)

 さて。

 櫛夜の頭の中では、この話に乗るか乗らないかというどちらを採るべきかがせめぎあっている。

 特にジャンケンして困るものではない。

 しかし今の様子、奏音は何かしらの理由で、櫛夜の言動を疑っている。

 ジャンケンから何かを知ろうとしているのかもしれない。

 ひょっとすると、櫛夜の能力に疑いを持っている可能性もなくはない。

 しかしそれらは今、ここでジャンケンをしない理由としては弱い。

 というか一度のジャンケンから何かがわかるものでもないだろう。

 次に悩ましいのは、ここで能力を使うか否かである。

 使う必要は、正直ない。

 何も悩むようなことではないのだ。

 ただのジャンケンである。

 奏音の意図はわからないがジャンケンくらい、勝手にやって勝手に勝ち負けを起こせばいいはずである。

 だが、もう一つの側面を考えると、櫛夜は自身の能力に懐疑的である。

 本物であるなどとは、櫛夜はあまり考えていない。

 ジャンケンを行う機会は確かに何かと多いのだが、今か今かと待ち構えていると案外頻度が高いとは言えない。

 今の櫛夜はまがりなりにも綾の協力を買って出ている。

 であれば、数少ない能力の確認の場、みすみす捨てる必要があるのかどうか。

(いや、ただのジャンケンだし……大丈夫、だよな?)

 そうして櫛夜も心を軽く決めた。

「駄目かしら?」

「いや、いきなりすぎてよくわからないが、まぁいいよそれくらい」

(一回入魂、と)

「最初はグー、ジャーンケーン……」

 奏音がそこまで言い、櫛夜も身構える。

 そして櫛夜と奏音が同時に手を前に出す。

「ポン!」

 …………。

 結果は。

 櫛夜が、パーで。

 

 奏音が、チョキ。

 

「……ふふ、私の勝ちね」

「……あ、あぁ。そう、だな」

「別に意味はないわ。例えばあなたがジャンケンの後だしの天才だったりするのかな、って」

「……その、確認?」

「そう、その確認。それで、そんなことないってことが今証明されたわね」

「まぁ、そんなことが出きるなら綾文会長が確かに放ってないかもしれないが、俺にはそんなこと出来ないよ」

「そうみたいね。結構長々話しちゃったけれど、戻りましょう。付き合ってくれてありがとう」

「あぁ、別に気にしてない」

 そのまま二人、資料室を後にする。

 奏音が小さく、

「考えすぎかな」

 と呟いたのを櫛夜は聞いてはいなかった。

 

 

 そして。

(…………はぁ)

 櫛夜は一つだけ、自分の馬鹿な考えを改めた。

 なんだ。

 当たり前じゃないか。

 ようやく自分に自信が持てて、逆に良かった、と。

 そうだ。

 自分には。

 櫛咲櫛夜には。

 

 一日に一度だけ、ジャンケンに勝てる能力なんて、ない。

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