優しい姉妹
幸魂高校の最寄駅から電車で四駅。
特段大きな駅でも乗り換えがあるわけでもない普通の駅。
その駅から徒歩でおよそ十分のところにある、やはりなんのことはないファミリーレストランに櫛夜は呼び出されていた。
相手は当然綾文弥々である。
この場所を指定してきたということは家がこのあたりなのかもしれない。
放課後にファミレスで後輩の女の子と待ち合わせ。
一高校生男子であれば誰でも喜ぶであろうこの状況、駅からそのファミリーレストランまでの道のりも嬉々として歩いていくことだろう。
だが櫛夜の足取りは重い。
どうせ今は一緒にいないのだから、このまま帰ってしまってもいいのではないかと考えるほど、までではないが。
かなりその歩みは遅い。
櫛夜としても、弥々に確認したいことはあったのだ。
だから、それにまつわる質問をしてみれば、意外にも弥々の邪悪な一面を見てしまった。
姉の綾があれなのだ。
妹の弥々も一筋縄ではいかないだろう。
そんな諦観がずっしりと肩に乗っかっている櫛夜である。
たったの二日間でどこまで姉妹に振り回されているのだと嘆きつつ、櫛夜は待ち合わせ場所に到着した。
「あッ先輩待ちくたびれましたよッ」
中に入ると、弥々が元気よく出迎えてきた。
どうやらまだ席にはついていなかったらしい。
すぐに続いて店のスタッフが奥の席に櫛夜と弥々を案内する。
まだ夕食にはやや早いくらいの時間であることと、普通の平日であることから店内はそこまで混んでいない。
二人対面する形で座る。
「先輩何食べますです? というか何か食べますです?」
「まぁ、軽くつまめるものとか……」
言いながら、弥々が手早くメニューからスイーツの面を開き、地味にある一点を指している。
(いやそれおごれってか)
思いつつ、すぐに店員をボタンで呼ぶと、
「えと、このポテトを一つと……あと、イチゴパフェ一つ」
と、弥々の指示した通りのメニューを櫛夜は滞りなく注文する。
誘っておいておごらせる、という異様な事態にも辟易しているが、実際櫛夜にしてみれば単純に金の問題の方が大きい。
おごるおごらないはどうでもいいのだが、あまり贅沢品を無駄に買うことは避けておきたい櫛夜である。
何より家計が心配である。
パフェの分、また何か節約しないとな、と心に誓う櫛夜。
特に会話もなく数分、ようやく品が揃ったところで弥々が口を開く。
「先輩、とりあえずは急にお誘いして申し訳ありませんです」
「いいよ。で、何だよ」
「やっだなー先輩。ちょっとは焦らさせてくださいですよー」
「ただでさえ時間を割いてるんだし、さっさと本題を聞かせてくれ」
「そうですか。まぁそれは確かにそうですね」
と、櫛夜の言葉に案外素直に反応した弥々は急に立ち上がると櫛夜の隣に座り、身を寄せてきた。
予想外の行動に櫛夜も何も反応出来ない。
「なにっ、してっ」
当然弥々を引き離そうとする櫛夜だった、が。
「先輩、綾お姉ちゃんとどういう関係なんですかぁ?」
と、感情のない冷たい声と。
目の前に突きだされたフォークに櫛夜は完全に動きを止める。
一気に背筋が凍るのを感じる。
「…………や、弥々?」
「名前呼ばないでくれます?」
「お前がそう呼べって言ったんじゃ」
「どうして急に綾お姉ちゃんに推薦されてるんですか?」
「は、それは」
「どうして私の知らない何かを共有してるみたいなやり取りしてるんですか?」
「おい、だから聞けって」
「どうやって綾お姉ちゃんに取り入ったんですか?」
「綾お姉ちゃんはかわいいから先輩みたいな害虫が湧きやすいんだよね」
「それなのに綾お姉ちゃんはすごく優しいから自分にすり寄ってくる人達皆に優しくしすぎなんだよね」
「だからそういう害虫は私が駆除してあげないと駄目なの」
「だってそうでしょ? 綾お姉ちゃんにもしものことがあってからじゃ遅いもの」
「綾お姉ちゃんは優しくて可愛くて頭も良くて運動も出来て料理も出来て何でも出来る完璧な人なの」
「害虫の相手なんかしてる場合じゃないのよ綾お姉ちゃんは」
「さぁ吐きなさい何が目的で綾お姉ちゃんに近づいたの? 顔? 体? 生徒会での地位?」
「それに何? どうして綾お姉ちゃんはあなたを、推薦、したのかな一体綾お姉ちゃんに何を吹き込んだの?」
「早く言いなさいさぁ、さぁ早く、今すぐ答えなさい出ないと……」
と、フォークが目に数ミリ近づいてくる。
(な、るほど……重度のシスコンか)
と、冷静に櫛夜は今の弥々の言動を反芻する。
ここに呼んだのも、急に現れた生徒会役員が自身の姉と仲良く(と弥々には見えたのだろう)しているのに危機感を覚えたのだろう。
だが、やはり。
(弥々は、綾文会長の、能力の事を知らないな?)
それが、確信に変わる。
この綾文弥々は、姉である綾文綾の能力について、何も聞かされていない。
はじめ、綾の妹であることと、一緒に資料室に連れられた櫛夜はてっきり弥々には当然、ジャンケン大会に至った経緯に加え、櫛咲櫛夜というジャンケンに勝つことの出来る能力者のことを話しているものだと考えていた。
だが資料室でジャンケンの話が出ても綾は少しも能力について触れなかった。
もし本当に味方なのであれば、話してしまえばいいのだ。
『この人は一日に一度だけジャンケンで勝てる』と。
さらに、今回こうして一緒に話をすることを弥々は周りに人がいない方がいいと言った。
加えて綾には秘密にしたいことらしい。
まさか櫛夜もここまで重度のシスコンだとは思わなかったが、しかしこれでようやくもやもやしていたものが晴れた。
もやもやが晴れ、また新たな問題が起きている、ような気もする櫛夜であるが。
ともあれ、どうやら綾は櫛夜に全部話した、などと大嘘をついていたらしい。
堂々と、よくもまぁ、全部話したなと確認したのにも関わらず。
綾の考えも再度確認した方がいいのかもしれない。
「と、とりあえず、お店の人に気付かれる前に、せめてフォークは下げてくれないか」
「断ります」
「俺が綾文会長に擦り寄った、そんなことはないって」
「嘘をつくな、綾お姉ちゃんが自分からお前みたいなのに話しかけるわけないでしょ」
「いやー、確かに綾文会長は優しいからな。俺みたいなのにも分け隔てなく話しかけてくれるもんだよな」
「ぐっ、揚げ足を取るな!」
「俺だってびっくりしてるんだって。どこまで綾文会長に聞いてるのかわからないんだけど、昨日初めて話したばっかだし」
「聞いたわよ昨日楽しげに生徒会にいい役員を勧誘できそうだとか言ってるから誰かと思えば冴えない男だし」
「だろぉ。勧誘なんだよ俺からは何もしていない」
「嘘、何かしたんでしょ綾お姉ちゃんがそうせざるを得ないような弱みを握ったとか」
「綾文会長にそんな弱みがあるとは思えないし」
「ぐぬぬぬぬぬぬ」
櫛夜の正論に弥々の力が呆気なく弱まると、櫛夜は弥々の手をどけることに成功した。
単純に心臓に悪かったので、ふぅ、とため息を大きくつく。
隣からはどいてくれる気配がなく、何やらぶつぶつと恨み言を呟いている。
納得はしていないが、確かに綾から聞いた話が、綾の方から櫛夜に声をかけた事実を裏付けており、更に昨日の今日で櫛夜から何か行動をした形跡もない。
なんといっても資料室では二人一緒だったのだ。
昨日の放課後以外に二人で話が出来る場なんてものが、弥々には思いつかない。
なお、この姉好きには、姉が昼休みに男子生徒と二人きりであったなどという事実は想像することも出来ない。
「確かに綾文会長はすごい人だと思うが、別にそういうことは何もない。それでいいか?」
「……よくない。なら、何あの通じ合ってる感じは」
「通じ……?」
「だって資料室に行くときも奏音先輩を押し切って自分で行くって言ってたし」
「あれは単に派閥の問題だろ。体育祭の」
「じゃあなんで飛びつき綱引き側にいるのよあんたの言う所の昨日の今日で」
駄々をこねる子供みたいになったと思えど、頭は冷静に働いているらしい。
意外に核心を突いてくる。
事実を話さないように用心しながら、と櫛夜は言葉を選ぶ。
「男の方で騎馬戦あるからな。女子は別でもいいだろ」
「そんなこと?」
「そんなことで十分だ。正直女子の競技が何に決まろうが興味はない」
「そんな、こと……で、済むわけないでしょ」
「ん?」
「何でもないわよ。だ、第一、ジャンケンのルールが云々って話も普通あんな風に言わないでしょ」
この一瞬で熱は冷めたのか、もう普通に櫛夜と会話している弥々だが、しかし棘のあるオーラは未だ消えない。
出口側に弥々が座っているため、櫛夜は外に出ることが出来ずに、早く会話を終わらせたい気持ちでいっぱいだ。
だが、またいつ危険物を突き刺そうとして来るかもわからない状況で危険な賭けに出るほどチャレンジャーではない。
「いや多人数でジャンケンするならそれは気になるだろ」
「ならないわよそんなもん当日で問題ないでしょうが」
「別に聞いたっていいだろ」
「でもジャンケンのルールはどうですか、って聞かれたら何か特殊なルールがあるのか疑うし」
「それこそ全国差ないだろジャンケン……」
「いえ、先輩の地域ではグーチョキパーの勝敗が異なることも考えられます」
「考えられねーよ」
「或いはグーがパーとチョキ両方に勝てる仕様かも」
「なんだそれグー出す以外選択肢ないな」
「いえ、それがグーは二回連続で出すことが出来ないんです」
「出来ないのか」
「だから相手がチョキかパーを出すタイミングでグーでないと駄目なんです」
「そうか、ただ交互に出せばいいというわけではないんだな」
「ええ、そして二回連続でチョキかパーを安全に出すことが出来ればそれも勝ちです」
「二人とも二回目のチョキだったら?」
「当然あいこですね、カウントは……そうですね戻しましょう」
「考えてみるか、初手でグー以外を出すのは危険だよな」
「ですね、初手で負ける可能性が高いですからね……文字通り初めはグーでしょう」
「そして次は連続でグーを出せないから、仮にパーを出したとして……チョキとパーはどっちが勝つんだ」
「この場合は差別化しない方がいいでしょう。仮にチョキなしでグーパーゲームとでもしましょうか」
「その方がわかりやすいな、二回目は互いにパーになる、そして三回目は……あぁこれじゃ駄目か」
「確かに、これだと互いに一回分パーが蓄積しているので二回目にパーを出しても勝てることはないし、相手にグーを出されても負けるので結局グーとパーを交互に出すだけになっちゃいますね」
「やっぱチョキもないとバランスがなぁ」
「ならこんなのはどうでしょう」
「どうするんだ?」
「二回連続でチョキかパーを出したら勝ちだけど、そこに条件。二回目にチョキを出した時に相手がパーなら勝ち、二回目にパーを出した時に相手がグーなら勝ち、みたいな」
「ふむ、それなら連続、というか一回目はチョキでもパーでもどっちでも良いってことの方がいいよな?」
「そうですね。同じものを二回連続ではこれまた文字通り手が相手にばれてしまいますからね」
「この場合、やっぱ初手はグーで、次にチョキかパー。そして三回目自分がグーに変えても、相手がパーなら負ける」
「逆に言えば相手がグーを出すと読んで自分ではパーを出すことで勝利することが出来る」
「更に相手がそうすることを読んでチョキを出せば自分の勝ち、か」
「や、これは素晴らしいゲームが生まれましたね先輩」
「だな……」
「…………」
「…………」
「なにこれッ!!??」
「くっ、正気に戻ったか」
「先輩私に話会わせてご機嫌とろうって算段でもしてたんですねそうはいきませんよ!?」
「してな、いや、大体そんな感じだったけど」
「おかげで絶妙にバランスのとれたゲームを生み出してしまいましたしッ! 綾お姉ちゃんと今日遊んでみよう!」
「え、いや、やめとけよ」
「なんでですかやっぱり綾お姉ちゃんの事狙ってるからですか新しく考えたゲームで最初に遊ぶのは自分だってこと!?」
「いやさっきのジャンケンよく考え直してみろって」
「はぁなんですか確かに微妙に乗せられた感はありますが普通のジャンケンに劣るともわからないものが生まれたという自負がですね」
「この短時間にそんな自信を持ってしまった所悪いけど……もっかい言うぞもっかい考えてみろって、三回目だ三回目」
「三回目……」
まず一回目。
グー以外では負ける確率が高い、よってグーを出すべきである。
二回目。
グーは連続で出せないのでチョキかパーを出すしかない。
三回目。
自分がグーを出せば、相手のチョキに勝てる。
自分がパーを出せば、二回連続扱いとなり、相手のグーに勝てる。
自分がチョキを出せば、二回連続扱いとなり、相手のパーに勝てる。
「……あれ?」
「わかったか?」
「……結局普通のジャンケンになってる?」
「なってるな」
「……いやでも! 初手に二人ともグー以外を出せば!」
一回目。
互いにグー以外を出す。
二回目。
自分がグーを出せば、相手のチョキに勝てる。
自分が以下略。
「変わらない!!」
「ただ決着が普通のジャンケンより一回か二回遅くなるだけで何も変わっちゃいない」
「ぐぬぬッ、素晴らしいと思ったのに、策士策に溺れるとはこのことですね」
「口調もテンションも安定しないな弥々」
「だから名前を呼ぶなっての」
「なんなんだよじゃあ綾文ならいいのか?」
「苗字で呼ばれるのは嫌い」
「ならなんて呼べば」
「仕方ないから弥々でいいわよ。でも綾お姉ちゃんの事名前で呼んだら殺す」
「目が怖いって」
しかし案外本気で考えていたのか、弥々はものすごく悔しそうな顔でむすーっとしている。
綾の事となると狂気と呼ぶレベルだが、思った事がそのまま表情や行動に出ているところは綾に良く似ている。
大分目を瞑って、ではあるが良く言えば素直である、と呼べるだろう。
こんな素直さがあってたまるかと櫛夜は突っ込みを入れつつではあるものの。
だがいきなりフォークを突きつけられて恐怖した心も大分和んできた。
というか、櫛夜もこの短時間で弥々の扱いがわかってきた。
「ジャンケンのバランスの良さを期せずして証明できたところで、もういいだろ。ジャンケンのルールっつったら大体伝わるもんだって」
「……でも」
「それに、綾文会長のこと実際よくは知らないが、二日間で通じるものが会話に出るなんてことあるわけないだろ」
「それは当たり前」
「だろ」
「……でもでもですね」
「まだ何かあるのか?」
弥々は今度は膨れた様子ではなく、思い切りシュンとした表情になっている。
徐々に崩れ始めているイチゴパフェを見て櫛夜が手で促すとそれには素直に従って、ようやく弥々は櫛夜の隣を離れ、元の対面位置に座り直す。
もぐもぐとパフェをほおばり始める。
パフェを口に入れた瞬間は幸せそのものと言った顔を浮かべるが、その後ですぐに落ち込み、また頬を緩め、を繰り返している。
(なんなんだ)
と思いながらも、これ以上話をややこしくしたくない櫛夜はその原因だけ優しく尋ねる。
「その、なんか引っかかることでもあるのか」
というと、スプーンを持つ手が震え出す。
少し俯きがちに、弥々はぼそりと呟いた。
「だって……なんか、通じ合ってる気を、私が感じたんだもん」
「はぁ、だから何べんも」
「だ、か、ら!! 私が見ても、なんか、意志疎通が取れてる雰囲気で二人が会話してたから!!」
「はぁ」
つまり。
姉が大好きな妹なりに、本能で二人の関係にどこか通じっているものを感じたので、いっそうの嫌悪感を抱いた、ということらしい。
櫛夜としてははた迷惑である。
「そうか、じゃ繰り返すが、昨日会ったばかりで、俺は別に綾文会長と仲良くはないし、これから特段そうなるつもりもない、な?」
「むむむむ……なら、極力綾お姉ちゃんとは喋らないで」
「喋らない喋らない」
「二人きりとかは論外」
「わかったならない」
「半径十メートル以内に近づかない」
「それは無理なんじゃないか」
「本当に何も、ない?」
「ないない。むしろ俺には綾文会長と弥々の方がよっぽど通じ合ってる気がしたくらいだ」
その言葉に、ぴくっと弥々が反応する。
情緒不安定すぎるだろと言いたいがそこをぐっと抑えて、このわかりやすい少女との和解に持ち込みたい櫛夜が頭をフル回転させる。
「……そう?」
「あぁ、さすが姉妹なんだなって、言動がこう、少ないフレーズで十分伝わったりとかさ」
「まぁ、私と綾お姉ちゃんだし?」
「よく見りゃ、こう、表情とかも結構似てるところがあるし」
「そうかな。意外に結構親にも同じこと言われるけどねッ。私は綾お姉ちゃんみたいにかわいくはないけどさ」
「や、結構似てるもんだ二人とも誰が見てもかなり仲の良いかわいい姉妹だなって思うはず」
「か、かわいいとかはやめてくださいホント綾お姉ちゃんみたいに綺麗じゃないから、こうやって少し他の部分で目立つようにして、顔が悪いのをごまかしてるんですです」
「だが綾文会長は可愛がってるだろ? 自慢の妹だって言ってたし」
「……うん、言ってた」
「なら自信持てって。姉妹揃って十分良い所だらけだろ」
「……うん、うん」
「よし、なら、これで今日の話は終わりな。生徒会のこと、普通によくわからないこともたくさんあるから色々と手伝ってくれると助かる」
「は、はい……です」
よし、と櫛夜は心の中でガッツポーズをとった。
我慢勝負に勝った時の達成感を感じている。
櫛夜はこれまでの人生において我慢勝負などやったことはないが。
最後は何故か綾に対してコンプレックスを抱えているらしい弥々を励ましていたような気もするが、無事この場を乗り切れたらしい。
もう当初の目的を互いに忘れているが、というか互いに何も得ない時間ではあったが、これでようやく帰れるはずだ。
水を少し飲み、残っているパフェを再度促す。
櫛夜自身もほとんど手を付けていなかったポテトに手を伸ばす。
「おいしい……」
やはりパフェは好きなのか、本当においしそうに食べている。
「おいしそうに食べるな」
櫛夜も思わず呟いてしまう。
「……甘いものは、やっぱり好きです。食べるのも、作るのも」
「へぇ、そんなもんか」
それ以上二人は何も喋ることなくパフェもポテトも食べ終え、支払いは本当に櫛夜一人持ちで、ファミリーレストランを出た。
丁度二人で外に出ると、外には暗くなりつつあり、夜と夕方の境のような焼けた空が広がっていた。
妙に疲れた櫛夜と、妙に気まずそうにしている弥々、ととても重たい空気が流れているのは気のせいではないだろう。
櫛夜は駅に戻ろうとしたが、そもそもここが弥々の指定した場所だったのを思い出して、特に何も気にせずに尋ねる。
「そういえば最寄駅ここなのか?」
櫛夜としては、そうであればもうここで別れるか、であったのだが、弥々には別の響きに聞こえたらしい。
「家の場所、知るおつもりですか」
櫛夜はすぐに否定する。
「違うって。じゃあここでもう行く方向違うなら、ほら」
「あ、あぁ……そうですね。じゃあ、ここで」
「また明日な」
「……はい。あ、あの」
「ん?」
さっさと早足で帰ろうとした櫛夜を、弱々しく弥々が呼び止めた。
その表情は俯いていてよく見えない。
が、その姿に櫛夜は見覚えがあった。
(あぁそうか、綾文会長か)
そう、綾が櫛夜に何か大事なことを伝えようとした時もこんな雰囲気だったはずだ。
そしてその綾の持つ何とも言えない空気に櫛夜は何かを感じ、生徒会役員に入ることにした。
櫛夜が弥々に綾の姿を重ねていると、弥々がバッと顔を上げて、真っ直ぐに櫛夜を見つめてきた。
「さっきは、ごめんなさいです。ちょっと、やりすぎましたです」
(ちょっと?)
あれでちょっとなのか。
なら本気は一体どうなってしまうんだ。
そこまで出かかったが、ぐっと飲み込む。
「それに、なんか、色々、私の事褒めてくれたり、気を遣ってくれたり、も、ありがとうございました、です」
「別に」
「あの、どうして、初対面の私に、優しくしてくれた、ですか?」
(怖かったからだよ。ついでに早く帰りたかったからでもある)
とも言えないので、もう一つの方の本心を伝えてしまう。
嘘をついていなければ、言葉は案外真っ直ぐに届く。
「もっと落ち着いて、楽に生きて欲しいからだよ」
「楽、ですか」
「俺は、疲れるのはごめんだからな」
「出来ますかね。私に」
「さぁ、だがどこの馬の骨とも知らん奴をこうして追っかけるよりも、もっと自慢の姉を信じてやったらとは思うかもな」
「姉離れってことですか」
「むしろ今だって綾文会長の傍にいればいいだろ」
「あはは、そんなものですかね」
「少なくとも、今ここでこうして俺といるよりはマシだろ」
「とッ、当然ですッ!!」
「だったらもっと出来るだろ。姉のためじゃなくって、自分の為にさ」
「私の、為、ですか」
「あぁ」
「なら、今、先輩は、先輩も自分の為に私にアドバイスしてくださってるんですか」
(……早く帰りたいからな、間違いないだろう)
「俺の為になると思って話してるさ」
「今、ここで、フォークを突きつけてきたような相手を怒る事も無く冷静に宥めて愚痴を聞いて褒めてあげく生き方のアドバイスをする、それが、先輩にとって自分の為である……ハッ!!??」
急に弥々が何かに気付いたかのように驚きの表情を浮かべ、そして何故か耳まで真っ赤になっている。
櫛夜はまた地雷か何かを踏んでしまったのではないか、内心を読まれてしまったのではないかと不安になるが、どうやら怒っているわけではないらしい。
あわあわし出した弥々に対し、どうすることも出来ない。
もうひと声かけて帰るか、と櫛夜が切り出そうとすると。
弥々が慌てて声を荒げた。
「あッ、あのッ、わッ、私にはまだそういうのまだ早いのでッ!!??」
「はぁ?」
「綾お姉ちゃんと違くってッ、ねッ、かッ、かわいくもないのでッ!!??」
「はぁ」
「私ッ、そんな優しくされても困るのでッ!!??」
「はぁ……?」
いよいよ櫛夜が不穏な空気を感じたその時。
「好きになられてもッ、私はまだ好きな人とかいないのでッ!!??」
と叫んで走りだしてしまう。
「待て待て待て待て!!」
櫛夜がその言葉に一気に冷や汗をかく。
(な、どこからそんな結論になったんだよ!?)
と柄にもなく焦りまくる。
そして。
その後方に悪寒。
前門の虎、後門の狼。
あっという間に姿が見えなくなった弥々と丁度入れ替わりのように。
櫛夜の後ろに現れたのは――当然ここを最寄駅としている人間だろう――櫛夜も知っている人だった。
「今、私の可愛い妹が泣いて走り去って行ったわね? 櫛咲くん?」
「えと、その」
「それに、弥々の事を好きになった、っていうのはどういうことかしら? もちろん説明してくれるわよね? 櫛咲くん?」
(勘弁してくれ……)
櫛夜は綾文綾によって、再度ファミリーレストランへと連れられたのであった。
共依存のシスコンは怖い。
そんなことを学んだ櫛夜であった。
ついでに少しだけ姉に優しくなった櫛夜でもあった。