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確率を操るのは  作者: 安藤真司
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生徒会役員入り

 櫛咲櫛夜(くしざきくしや)幸魂(さきみたま)高等学校の二年生である。

 幸魂高校、生徒や地域の人からはサキ高と言う俗称で親しまれるこの高校は名の示す通り歴史のある高校である。

 この幸魂とは一霊四魂の解釈に登場する四つの魂の一つとして知られるが、この現代において幸魂高校は宗教的な側面をほとんど見せていない。

 それどころか、堅苦しい枠組みに捉われず、生徒の責任ある自由を許可している地域一の進学校である。

 全体のおよそ九割が大学受験に励むほどだ。

 その責任ある自由をよく表すものとして、学校行事の運営が一つ挙げられる。

 それは、生徒会が中心となり行事を進めていくというもの。

 例えば十月に行われる文化祭では、トップに生徒会を据え、その下に文化祭実行委員がいる、という上下関係をはっきりとさせて運営に臨んでいる。

 これは普段から事務作業に慣れている生徒会が指示を出しつつ書類をまとめる作業を行い、ただ文化祭前後に盛り上がりたいだけの実行委員をなるべく実務に割くことを考えたためだ。

 ほとんど苦肉の策だが、案外本人たちには評判が良い。

 生徒会が認めさえすれば何でもできる。

 その考えは「同じ生徒が相手なら説得できるかもしれない」に繋がる。

 結果、実現可能性の有無はさておき、教員が権限を持つよりも活発な意見交換が行われるためより良い文化祭が開催される。

 生徒が決めたことに関して、教員は安全面及び道徳面における指摘以上の事は何もしない。

 ただ責任を持つだけだ。

 文化祭はあくまで一例で、このように良い意味で生徒に決定権を持たせることにより様々な会が爛々と目を輝かせる生徒達によって機能している。

 そして生徒会長ともなればありとあらゆる場面に駆り出される。

 持っている権限も多く、実質生徒の生活に対する決定権は生徒会長が持っていると言っても過言ではないだろう。

 幸魂高校の現在の生徒会長は、高校三年生の綾文綾(あやふみあや)

 ここ幸魂高校では生徒会の引き継ぎを四月から約二ヶ月の間に済ませ、新体制に移ることになっている。

 四月の頭に係や委員会などの割り振りが各クラスで行われ、三年生は新二年、新一年に業務内容の引き継ぎをする。

 生徒会役員だけは特別で、クラス毎の人数が決まってはいない。

 上級生については、去年役員だった生徒が同じクラスに集まった場合、新学年になって続投出来なくなるケースを考慮してのことだ。

 新入生については、各クラスと言わずにやる気のある者だけを生徒会に迎え入れる必要があるためだ。

 生徒会には責任が生じる。

 各クラス強制的に招集してしまうと、やる気も責任感もない者が生徒会役員となる確率が非常に高まってしまう。

 これはよくないという判断である。

 そして生徒会役員とは人数がいれば良く機能するというものでもない。

 やる気のない人間がいることは却って効率を悪くする。

 そのため、常に生徒会は良い人材を求めて勧誘すべく四月の頭はあれこれと声をかける。

 そもそもあまり多くを迎え入れることは出来ないが、それでも最大限の人数を確保したいのだ。

 仕事をしっかりと行える者をに出来るだけ多く探す。

 新年度の生徒会の最初の仕事はこれだろう。

 三年と二年が分担を決めて目星を付けておき、半ば八百長的に生徒会役員とする。

 これが例年ある風景であった。

 そのことを、そこまで詳しくはないものの櫛夜も当然知っていた。

 生徒会とは責任があり責任を持てる人材を探して四月は声を掛けているものなのだ。

 しかし、と櫛夜の脳内に昨日の光景がフラッシュバックする。

 櫛夜の前に立つ少女。生徒会長。綾文綾。

 彼女はハッキリと、聞き間違えようのない声で櫛夜に言った。

 櫛夜の能力を見破った、と。

 そして、自分にも能力がある、と。

 だが櫛夜は自身の能力にすら懐疑的である。

 そのため、回答は至って簡素なものとなった。

 考えるまでもない。

 櫛夜の答えは、ノーだった。

 

 綾が櫛夜に接触してきた、その翌朝。

 櫛夜の周囲には常にはない人だかりが出来ていた。

 矢継ぎ早に聞かれることは全て、綾との関係についてだった。

「ねぇ、昨日綾文会長に話しかけられてたよね?」

「お前生徒会に入りたがってたりするのか?」

「でも綾文会長から話しかけられてるのを見たって子もいて」

「じゃあ何、綾文会長に誘われたの!?」

「二年生でそんなことってあるの?」

「知らないけどさ」

「ひょっとしてお前告白とかされてないよな?」

「なわけないだろ綾文会長はそんな人じゃないだろ」

 迷惑だった。

 どうやら綾が人気らしいということはすぐに櫛夜にもわかったものの、何が彼らをここまで駆り立てるのか。

 一年間過ごしてきた学校ながら、総会などに真面目に参加してこなかった櫛夜には意味がわからない。

 高校生とは、大人とまでは言わないまでも、自律のできる年齢のはずである。

 この年齢くらいになれば、例えば盲目的に誰かに依存したり崇拝したり、ということを律することができるはずなのだが。

 少なくとも櫛夜はそう考えている。

 そのためほとんど話したこともない同級生たちが、ただ綾に話しかけられた人がいる、というだけでここまで盛り上がっている理由が櫛夜にはわからない。

(全く、何なんだ綾文会長綾文会長って)

 周りがそうして盛り上がったことで、櫛夜は今更冷静になり、昨日起きたことを分析し出す。

(能力の事を考慮しないとして、綾文会長が俺を誘う理由は何かあるか?)

 櫛夜は二年生だ。

 ジャンケンに勝つという能力を抜いて考えるならば、去年の内に声が掛けられるはずである。

 そうでないということは、やはり櫛夜の能力に気付き、その能力を何かに役立てたいから、というのが無難な所だろう。

 何年もお世話になっている櫛夜でさえ、ジャンケンに勝てる力を必要とする場面が想像出来ないというのが混乱を助長する。

 考え出しているとチャイムが鳴る。

 櫛夜の周りに群がっていたクラスメイトも自分の席に戻っていく。

 ホームルームが始まってもなお、櫛夜の思考は綾についてだ。

 今になって考えてみると、まず綾の返答が奇妙なことに気付く。

 櫛夜はこう質問した。

 自分を生徒会に誘う理由はなんだ、と。

 何故自分を必要とするのか、と。

 それに対する綾の返事は、「自分にも能力があるから」であった。

(……いや、もうこれは綾文会長の日本語力の問題か?)

 この妙に返事になっていない返事は何を示唆しているのか。

 櫛夜の意図が正しく伝わっていなかったのか。

 或いはただ綾が己の能力の存在を誇示したかったのか。

(しかし……なぁ)

 一日に一度十円玉を拾うことが出来る能力。

(人の事言えないが、それって本当に能力なのか?)

 櫛夜にはその程度、誤差のように思うのだが。

 そして、この状況の凄い所は仮に本当に十円玉を拾う能力を持っているとしても、何一つ交渉材料になっていない所だ。

(わけがわからない、考えるだけ無駄か)

 そう言いつつ、自分と姉以外には知られたことのないこの能力を知られた事実は案外櫛夜に突き刺さったらしく、櫛夜は授業に集中することが出来なかった。

 そして時は進み昼休み。

 四限のチャイムが鳴り響くと同時に静寂に満ちていた校舎は喧騒で溢れる。

 教室で机を合わせて弁当を開く者。

 学食で券売機の前に列を作る者。

 購買で人気の焼きそばパンを売り切れ前に手に入れようと走る者。

 櫛夜はいつも通り誰かと机を合わすこともなく、ただ一人自分の机で自作の弁当を広げていた。

 見る人によってはその様は孤独で寂しいものに映るのかもしれないが櫛夜にはそのような感情は一切ない。

 他人の視線など全く気にならない性格もあり。

 クラス内に同じような者が数人いることもあり。

 気にするほどの事ではないと考えていた。

 そんな、煩累な考えに至っている時点で、どこか気にしているという結論が導かれるかもしれないということに櫛夜は気付いてはなかった。

 しかしながら今日はいつにも増してざわめいている。

 何かあったのだろうか、自分には関係ないだろうが、と櫛夜も首を傾げる。

 と、その一人で昼食をとる櫛夜にこれまた珍しく声を掛けてくるクラスメイトの人影が。

(また綾文会長関係か?)

 と勘繰る櫛夜だったがその予想は半分当たり、半分外れた。

 櫛夜に寄ってきた女子生徒は教室のドア付近を指差しながら不安げな声でこう言った。

「あの、櫛咲くん。綾文会長が、呼んでるんだけど」

「なに?」

 見れば確かに綾が手を招いている。

 なるほどどうりで騒ぎが大きいと思えば、綾が昨日の今日で再び来たからであったのか。

「はぁ」

 やはり櫛夜はため息を吐き、弁当を丁寧にしまい、立ち上がった。

 

 

 折角だから、と綾に生徒会室まで案内された櫛夜。

 生徒会室には二人の他には誰もいなかった。

「よく来たわね」

「どの口が言ってるんですか」

「私は強制なんてしてないでしょう。あなたには、来ない、という選択肢が用意されていたはずよ」

「用意されているとは名ばかりで、結局無視していたら教室の中に入って来たんじゃないんですか」

「それはその時考えるからわからないわ。人生タラレバで考えることはできないのよね」

「じゃあまぁそれでいいですけど。それで、今日は何の用です」

「そんな昨日の今日で変わるわけないでしょ。勧誘よ勧誘」

「それなら昨日断ったじゃないですか」

「理由も聞かずに断ったじゃない。今になって何故私が櫛咲くんあなたを会長補佐に誘ったのか気になっている頃じゃなくて?」

「それは確かにそうですね、気にはなっていました」

「でしょう? ならいいわ教えてあげましょうか」

「えぇ、まずは俺の能力、どこまでご存じなんですか」

 綾は昨日、ジャンケンに勝てる、としか言っていなかった。

 もしかすると一日に一度、という制約については知らないのかもしれない、という認識の差異の確認である。

(まぁ綾文会長も一日一度の能力だって言ってたし、大丈夫だろう)

 その櫛夜の意図は正確に綾に伝わった。

「一日に一度ジャンケンに勝てる能力、で合ってるかしら?」

「その認識で大丈夫だと思います。俺自身がそこまで信じていない、ってことも付け加えておいて下さい」

「そうなの? どうして?」

「いや、綾文会長も考えたことはないですか。こんなちっぽけな力、特殊能力なんかとは程遠い」

「そうね、確かに何の役にも立たないわ」

「ないよりは合った方が何かと便利な気はします。ですが、ただ運がいいだけと考えた方が神秘の力が宿ったよりは信憑性があるでしょう」

「私の力も、十円玉なら無くなったことに気付かない人は多いでしょうしね。気付いたとしても来た道を戻ってまで探そうとはしないでしょう」

「それでも綾文会長はその力をご自身に固有な特殊能力とお考えですか」

「ふふ、一日十円じゃあ一年間拾い続けても四千円に満たない程度、小学生にはいいお小遣いかもしれないけど、悪の組織と戦うには心許ないわね」

「なら」

「私は信じているわよ。これがただの運じゃない、誰かが落とした十円玉を拾う確率を操ることの出来る能力だって」

「そうですか」

 綾ははっきりと言い切った。

 格好いいな、と櫛夜は素直に思った。

 自分にはない目の輝きがそこにはあったからだ。

(なるほど、これが多くの生徒から支持される生徒会長たる所以か)

 櫛夜が陰ながら納得をする目の前で綾は再度櫛夜に語りかける。

「私はね、私たちは、三年生です」

「……? そうですね」

 だからなんだと言うのだ、と毒を挟むことを忘れない。

 少し格好いいと思った程度で突然脈絡もなく訳が分からない話をされることを許容するほど櫛夜は素直ではない。

「もう受験勉強に力を注がなくてはなりません。目指すレベルによってはこの四月からでは遅いくらい」

「それはそうですね。勉強は早くから積み重ねるに越したことはないと常々思います」

「だから三年生に残された大きなイベントはあと、体育祭しかないのよ」

 体育祭。

 六月の頭にあるこのイベントは幸魂高校において、新年度になってから一番最初に開催される大きなイベントである。

 全国どこででも行われている体育祭に漏れず、特段妙な種目もない。

 最初のイベントということで、新しい環境に慣れてきた学生の仲をより深めることに役立っている。

 その後の大きなイベントとしては学校祭が十月に行われるが、受験を控える三年生の参加は認められていない。

 そのためこの六月の体育祭が三年生にとってはクラス単位、学年単位で何かを行う最後のイベントなのだ。

 そして、生徒会の仕事の引き継ぎもこの体育祭の運営に携わることによって行われている。

 体育祭の閉会式で次の生徒会長を発表することも幸魂高校においては恒例行事となっている。

 元々立候補制で立ち回っている生徒会であるため、生徒会選挙などは行われておらず完全指名制になっている。

 それが良い事なのか悪い事なのかは賛否が分かれるところであったが、選挙になっても恐らくぽっと出のお調子者に票が入ることはなく、去年から引き継いだ者がどうせ会長となるだろうとのことから特に問題視まではされていない。

「続けて下さい」

「今生徒会では新しい生徒会メンバーを探しつつも、体育祭の内容を既に企画しているの」

「時期的にはそうせざるを得ないでしょうね」

「それで今問題となっているのが、新競技について」

「新競技?」

「えぇ、せっかくだから私たちの代の爪痕、みたいなものを残したくて新競技を考えることにしたんだけど、その内容で意見が分かれてね」

「はぁ、なるほど」

 櫛夜には何となく話の概要が掴めてきた。

「とは言っても、全国の他の高校で行われているものだけどね。そりゃあ一高校生に、安全に配慮しかつ誰も考えたことがなくて盛り上がる分かりやすいルールの新競技なんて思いつくはずがないし」

「でしょうね」

「それで男子は新たにクラス対抗リレーを行うことが決まって」

「それ去年もありましたよね」

「クラスの男子全員がバトンを繋ぐの。代表者だけじゃなくってね」

「……是非ともその企画が無くなって欲しいところですね」

「あら、運動は苦手?」

「得意ではないです」

「そうなんだ、少し意外だな」

「そう、ですか?」

「えぇ……それで、女子の方が二つ案が上がっていて」

「揉めている、と」

「そう、一つは騎馬戦、男子も普通にやってるやつね。それともう一つが飛びつき綱引き」

 どちらも体育祭では定番な競技である。

 櫛夜はそろそろいいか、と核心に迫る。

「それで、俺が必要というのにどう繋がるんですか」

「薄々察しているようだけど、そう、この新競技のうち、飛びつき綱引きを導入させたいの」

「はぁ、理由は」

「騎馬戦は、皆が上に立てないからよ。縁の下の力持ちはいいけれど、沢山走ってストレス発散してほしいなって」

「今の説明は他の役員に」

「したわ。その上で意見が分かれたから、ジャンケンで決めることになったの。櫛咲くんにはそのジャンケンで勝ってほしい」

 櫛夜は綾の発言を整理する。

 体育祭、女子の新競技、二つある候補で意見が割れている。

 綾はそのうち、飛びつき綱引きを行いたいらしい。

 だが、それを決める手法がジャンケンであるらしい。

 そこで、一日に一度だけジャンケンに勝つことが出来る櫛夜に白羽の矢を立てた。

 どのタイミングで櫛夜の能力の事を知ったのかはわからないが。

 とにかくその力で一度だけ、その新競技を決めるジャンケンに参加してほしいということだ。

 そのために生徒会役員に勧誘した。

(……?)

「……本当にそれだけですか?」

「何が?」

「三年生の皆さんに、ストレス発散してほしいだけ、ですか?」

「もしそれ以上の理由があったら、櫛咲くんのあるんだかないんだかわからないらしい能力に頼ったりしないできちんとその旨を説明するわよ」

「それにしては、随分遠回りな気がしますが」

「まぁ、そうね」

 そう言って綾は目を伏せた。

 今まで真っ直ぐ目を見て話してきていたのでその仕草に櫛夜はドキリとする。

「強いて言うなら」

 思わずその先の言葉を早く聞きたい、と櫛夜は考えてしまう。

 

「やっぱり最後だから、かな」

 

 その絞るように出てきた言葉は何も特別なものではなかった。

 ありきたりな台詞だった。

 しかし心から出てきた言葉であると、櫛夜にも分かった。

「それだけじゃ、駄目かしら」

 その綾と同時に、再びのチャイム。

 これは昼休み終了五分前を知らせるものだ。

「……考えておきます」

 昨日は、否定した。

 今日は、保留した。

 その進歩に、綾は満足した。

「よろしく頼むわよ。でも、櫛咲くんが認めてくれるまで待ってるつもりはないから」

「勘弁してください」

 言って、櫛夜と綾は自身の教室へと戻った。

 朝同様に周りで騒ぐクラスメイトを無視しつつ、次の授業の準備をしながら櫛夜は気付いた。

(結局弁当食べれなかったな)

 それと同時に思った。

(綾文会長は、昼ご飯、食べてたのか?)

 その疑問はしかし、答えが出ない。

 

 

 そしてやってくる帰りのホームルーム。

 この時期に各委員会や係に生徒は割り振られるのだが、生徒会はその特殊な募集方法から毎日立候補がいないかを確認するようになっている。

 教員の把握しない場で勝手に生徒会に入ることを避けるためである。

 だが立候補する者など毎日いるわけもない、ほとんど流れ作業の如く日直が尋ねる。

「生徒会役員に立候補する人はいますかー」

 櫛夜はぴくっと反応しつつも、その手をあげるつもりは今のところはやはりなかった。

(あ、そうだ姉さんに買ってほしいって言われてた物、今日買って帰るか)

 ふと姉に言われたことを思い出して、鞄の中の財布をすっと取りだす。

 何の装飾もない無骨な黒の財布をちらと見て、残金を確認する。

(大丈夫そうだな)

 と思い、財布を閉じて鞄にしまおうとすると、櫛夜の手が滑った。

 そのせいで一枚の十円玉が床に落ちて転がって行ってしまった。

 櫛夜の席は一番後ろだ。

 そして十円玉転がった先には、空いたままの、教室の、ドア。

 そしてそこに立つ、生徒会長、綾文綾の姿。

 キィンと音を立てて十円玉は綾の上履きにぶつかり、その動きを止める。

「あ……」

 と、櫛夜は間抜けな声を出してしまった。

 綾はゆっくりと足元に落ちている十円玉を拾い上げる。

 その仕草にクラス全員の視線が集まる。

「この十円玉、櫛咲くんの?」

 よく通る声。

 誰もが綾の行動を見つめ、そして物音を立てようともしなかった。

 静けさが広がる教室で、苦虫を潰したような顔になっていることを自覚しながら櫛夜は答える。

「は、はい、俺のです。ありがとうございます、綾文会長」

 櫛夜は立ち上がり、綾の元へ歩いて、十円玉を受け取るため、掌を差し出す。

 綾は一瞬十円玉を返す素振りを見せたが、しかし渡す寸前でひょいと自分の元へ十円玉を握った拳を戻した。

 凛々しい表情のままニヤリと笑う。

「皆さん、丁度今、生徒会役員の話をしているそうですね」

 日直がそれに応える。

「は、はい」

「私、生徒会長綾文が、ここにいる櫛咲櫛夜くんを生徒会役員に推薦します」

 爆弾を投下した。

「ちょ、何言って!?」

 さすがの櫛夜も慌てる。

 生徒会役員の選出に、推薦なんてものは、無論ない。

 やる気ある生徒の立候補しか認めていないのだ。

 しかし。

 生徒からの人気だけでなく。

 教員からの信頼も厚い。

 そんな生徒会長綾文綾が、だ。

 直々にホームルームの場に訪れ、挙句本来存在しない推薦という言葉を使ってまで勧誘するという状況に。

 生徒は湧いていた。

「やってみなよー」

「なんだかんだお前いっつも掃除さぼらないし」

「せっかくだからさ」

「綾文会長にあそこまで言われて黙ってるなんてありえないだろ」

 櫛夜が恨めしそうな顔を綾に向けると、『フフン』という声が聞こえてきそうな顔で綾が見つめ返してきた。

(やられた……十円玉拾うって、落とす人も限定出来るのか!?)

 などと現状とは無関係なことに思考回路を費やす。

 この状況を一言で言えば。

 外堀を埋められた。

 と言ったところだろう。

 櫛夜は僅かな希望を持って自身の担任である体育教諭の相馬に助けを求める。

「そ、相馬先生……」

 しかし熱血で有名なこの体育教師は、普段あまりコミュニケーションを取ろうとしない生徒が会長から生徒会役員の推薦を受けたことを生徒以上に喜んでいた。

「櫛咲ならやれるさ、先生嬉しいぞ」

「……」

 八方ふさがり。

 全力で否定すれば勿論やめることは出来るだろうが。

 櫛夜の脳裏に昼休みに聞いた綾の言葉が蘇る。

 『やっぱり最後だから、かな』

「……はぁ」

(まぁ、あの真摯さに免じて、やってもいいか、面倒だけど)

 櫛夜の心は既に、動かされていた。

「……生徒会役員、立候補します」

「よし!」

 周りから拍手が起こる。

 綾も満面の笑みを浮かべている。

 普段の凛々しい感じではなく、無邪気な子供のような笑顔を目の前で見せられて櫛夜は思わず顔を逸らす。

「十円玉、返してもらえます?」

「拾ってあげた先輩に対する態度じゃあないわね」

「あのですね……」

「わかったわかった、はい」

 綾の手から十円玉が渡される。

「じゃあまた明日ね」

 そのまま帰ろうとする綾を、しかし櫛夜は引き止めた。

 疑問符が綾の頭に浮かぶ。

 数秒の無言の後、櫛夜はなんの前触れもなく、手を振りかざし。

 そして急にジャンケンを始めた。

(一回入魂)

「ジャーンケーン……」

 突然のジャンケンに綾は慌てつつも乗っかる。

「ふぇっ、あっ、ポン!」

 繰り出された、パーとグー。

 慌てて出した綾がグーで。

 櫛夜がパー。

「……なんのつもり?」

 慌ててしまったことが無かったかのように、努めて元の口調で喋る綾に。

 櫛夜は簡単に答えた。

「別に、ただの憂さ晴らしです」

「あぁ、そう」

「綾文会長もあんな声出すことがあるんですね」

 最後の一撃に。

「なっ……!?」

 綾の頬が紅潮する。

 それを見られないようにか、すぐに綾は回れ右をしてどこかへと去って行った。

 その後は冷めやまぬ興奮の渦に流されつつも何事もなく櫛夜の長い一日が終わった。

 

 

 こうして櫛咲櫛夜は生徒会役員入りを果たしたのであった。

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