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 篠田が足を止めたのは露天商の少女と別れてしばらく経った後だった。

 フリーマーケットの混雑振りは過去の記憶と相違なく、喧騒もまた同じで帰ってきたのだと感じさせる。

 今でこそ難なく人混みを歩く事が出来るが、昔は人に揉まれ、あるいは肩をぶつけながら四苦八苦した。その度に相手方に文句を言われ、罵声を吐く輩もいて慣れない環境に萎縮していたものだ。それももう随分昔の出来事だったように思う。

「いてっ……どこ見て歩いてんだ!」

「きゃ、なんなのあなた!」

「テメェ、人の足踏んでんじゃねぇよ!」

 後方に聞こえる台詞は過去の自分も向けられた事があるものだった。

 ただ違うのはその矛先は今の自分ではないという事――というか紛れもなく後を追ってくる茜である。

 他人に迷惑をかけている一端があるような気がして、篠田は仕方なしに立ち止まった。

 背後から徐々に近づいてくる気配は擦れ違い、またはぶつかる人に謝罪を口にしながら篠田に追い縋る。やっとのことで追いついた茜は篠田の前まで回り込むと膝に手をつき、息切れした状態で疲労困憊だと一目で把握出来た。それでも呼吸を整えるよりも先に顔を上げ視線を向けてくる……それはもう鋭利な刃をこれでもかと研いだように。

「篠、田……はぁはぁ……待って、って……はぁ……はぁ……言ってる、でしょ……」

「周りが煩くて聞こえなかった」

「嘘……だよ……だって、何度も……言った、もん」

「聞こえた時点で止まった。それが今だ」

「はぁ……はぁ……ああ言えば、こう言うってのは……こういう事ね」

「喋るのは息を整えてからにしろ。呼吸が乱れて発情してる動物みたいだ」

「なっ! 一体誰のせいだと……!」

 俺のせいではないとのアピールで肩を竦めて見せると、茜は観念したようにがっくりと肩を落とす。長い亜麻色の髪が上下する肩をサラサラと流れた。

「少し休憩させて」

「ああいいぞ。ただし――」

「一人でな、は禁止!」

 ビシッと人差し指を突きつけて茜に睨まれる。篠田は顔を逸らして小さく舌打ちする。

「舌打ちした罰としてジュース奢って」

「は? それだと俺に迷惑をかけてるお前も俺に何か奢れ。というか奢るべきだぞ」

「いいわよ。はい」

 特に文句も言わずにカードを差し出してくる。

「はいじゃない。この金はイヲのだろ。余った分は返すべきだ」

「いいじゃない。今はあたしのお金だし、もし駄目だったならちゃんと返すわよ……後で」

 後――それがいつになるのか見当もつかない。茜が初心者ビギナーであるのは間違いなく、それでいてこのBFOゲームにおいて何かしらの職についているとも思えない。それを踏まえれば金銭的な工面方法など知らないと考えていいだろう。

「……」

 だからと言って下手にレクチャーしたらそれこそ一人前になるまで付き合わされそうな気がした。そんな面倒事は御免なので、余計な事は口にせず言われるまま自販機で適当な飲み物を購入する。

 自販機や店舗などの売買施設を利用する際にはカードを使用する事になる。現金という金銭のやり取りは行われず、現実で行われるカード支払いの様式なので翳せば売買が成立する。金銭の譲渡など普段は使わないものはメニュー画面を開き項目を選択することで可能となっている。ちなみに形こそカードという形態をとっているがアカウント自体が使用権になっているので他者がカードを拾っても使用出来ず、紛失届が出されている場合、然るべき場所に提出しないまま所持していると運営または管理者ゲームマスターに発見され、即座に何がしかの対応がなされるようになっている。ネコババはいけないのだ。

「あの……これはなんでしょうか篠田さん」

「飲め、お前の分だ」

 うわぁ……という顔で渡された缶ジュースを見つめる。

『粉末使用で残さず摂取! 骨太君』

 銘打たれた飲料物はどうにも怪しい謳い文句を連ねている。

「これ、牛乳? 乳製品っぽいのはわかるんだけど……」

「ふっ、さあな」

「さあなって……ちょ、篠田のそれ何よ!」

 缶をひっくり返したりしてどうにか情報を得ようとする茜に、我関せずと自分の分を開けて飲み始める篠田。その手にあるのはブラックの珈琲である。

「見てわからないのか?」

「いや珈琲なのはわかるわよ。どうして同じ物じゃないのよ」

「それを俺が飲むわけないだろ」

「じゃあなんであたしの分はこれなのよ! っていうか言ってる事はそうじゃなくて篠田と同じ珈琲にしてよって意味! それに普通、最初は何を飲むか訊くでしょ!?」

「一存されたと思ってたがな」

「くっ……思っていても言葉にしないと伝わらないものなのね」

 拳を握って嘆く茜。珈琲を飲みながら篠田に勉強になったなと言われて溜め息を吐き出していた。

「なんにしてもそれはお前の分だ。ちゃんと飲めよ」

 わかったわよ、と渋々プルタブを摘んで開ける。口をつけ飲もうとして異変に気づいた。

「あれ? 出てこない」

「それは振ってから飲むんだ」

「えー」

 既に開封してしまって今更振るのは時既に遅しである。

 どうしようかと思っていると、篠田が口を開く。

「口のところに指でも突っ込んで振ればいい」

「やってよ」

「嫌だ」

「なんでよ」

「なんでも何もない。お前が口をつけたところに触れるか」

 至極当然に言い切る篠田に茜はぷくっと頬を膨らませる。

「それどういう意味よ! 普通逆でしょ! こんな美少女が口をつけたところを触る許可出して、あまつさえその後は好きに咥えてもいいって言ってるのよ! 喜んで振りなさいよ!」

「そこまで言ってないだろ」

 一体なんのキャラなのかわからないが、どうにも自称美少女は対応がお気に召さなかったらしい。だとしても機嫌取りなどする気は毛頭ないのでやいのやいの言わせておくことにした。

 珈琲を口に含み一息つく。

 データでしかないわけだが、感覚のフィードバックにおける味覚や嗅覚が口に広がる珈琲を本物だと認知させる。現実ならば空気や他の要因によって雑味やら酸化やらで変化する味が、仮想ならそれらを一切排除した純粋な味として楽しめる。本物の缶コーヒーならもっと安物然とした味なのだろうが、ある一定のレベルはあるのではないだろうか。少なくともデータである以上、誰かしらの味覚をベースにして作られた珈琲なのは事実なので、きっとこれを作ったプログラマーは珈琲が好きなはずだ。もし会うことがあれば同じ珈琲を楽しく飲めるだろう。

「――篠田め篠田め篠田め篠田め篠田め篠田め篠田め篠田め篠田め篠田め篠田め篠田め!」

 隣では無闇に名前を連呼して、自称美少女が骨太君を親の仇のように一心不乱に振りまくっていた。陶磁のように白くしなやかな指を開け口に押し当てているので、一応言われた通りに実践しているようである。

 全力シェイクを終えた茜はようやく飲めるまでになった骨太君を片手にして、肩で息をついている。喉が渇いているのにすぐに飲めないという苦行をやり遂げ、ついに喉を潤すために口をつけた。

「うげぇ……何これぇ」

 一口飲んだ直後、美少女とはとても思えない怨嗟のような呻き声を上げる。

 表情もトーンも変えずに篠田は心の中で拳を握った。

「クク……最高だろう。書いてある通り粉末化したカルシウムの素を牛乳に溶かし込んだ一品だ。あまりにカルシウムの素が多過ぎるため牛乳と混ぜてはあるが時間が経つと固形物のようになってしまうらしい。振れば撹拌されて辛うじてジュレもどきくらいにはなる」

「カルシウムの素って何?」

「何かの骨らしい」

「何かって何!? そんなもの混ぜていいの!?」

「いいも何も仮想だからな。何を口にしても死にはしない。ただ気分が悪くなるだけだ」

「精神衛生上、致命的問題でしょ!」

 怒られてもどうしようもない事なのだが、あまりに口に合わないためか八つ当たり気味だ。それも当たり前である。撹拌したとしても水を多く混ぜ過ぎて固まらなくなった小麦粉のような状態で、噛めば口内で粘つき、飲み下せば喉に粘つき、全体的にねっとりとしていて口の中に一度入れるとちょっとしたカオスになってしまう。骨太君はネタ商品として開発された物なので一般的に売れ行きはよくない。罰ゲームありきで重宝される品なのだ。

 総合すると篠田にとってそれだけ飲ませたかった(・・・・・・・)という事になる。

「俺の奢りだ。遠慮せずに飲めよ?」

「口の中ネバネバするぅ。しかもやんわりと牛乳の味がするしぃ……うぅ……ずるずる……ごく……うげぇ……」

 口に含んで固まり、嚥下して固まり、硬直が解けると喉越しに絶望を感じて嘔吐えずく。飲み終わるまでのループが地獄と言わんばかりに瞳の大きな目からは涙が溢れていた。拷問のような作業を行う自称美少女を横目に見ながら、篠田はどことなく満足そうに珈琲を楽しんでいる。

 そうしてやっとのことで茜は骨太君を飲み終えると、缶ジュースを遠方にあるゴミ箱へと投擲する。すると流れるフォームから放たれた缶は綺麗な放物線を描いて、乾いた音と共にカップインする。

「ふふん、どうよ」

「ああ、凄いな。完食ならぬ完飲した事と、涙と鼻水と涎に塗れた顔は」

「え!? 嘘でしょ!?」

 信じないと言う台詞とは裏腹にゴシゴシと袖で顔を拭く。

「ああ嘘だ。涎は流してないが骨太君の一部が口の端から垂れてる」

「鼻水も訂正しなさいよ! うわホントだ……」

「喧しい奴だな」

 やれやらとうんざりしながら茜に倣って缶を投げてゴミ箱へ。

「ねね、篠田」

 カランと音を立てるゴミ箱に視線を向けていると、隣から気持ち悪い含み笑いが聞こえてくる。だとしても篠田が関心を示すことは一切なく、聞いてはいるが反応はしない。

「呼んでるんですけどー」

 わざわざ耳元に手を翳して言ってくるので仕方なく顔はそのままに、目だけを向けてやる。

「じゃーん」

 と、広げたのは服。

 露天商の少女から受け取った一式である。

「どうだー新品だぞぉ」

 新品だからなんだと言いたいのかさっぱりわからない。

 不敵に笑われてもリアクションをどうとっていいのかわからないので、結局スルー。

「反応してもらえないと泣くよ? 泣いちゃうよ?」

「驚けばいいのか?」

「違うでしょ。そこは、おニューの服を最初に見られるのを喜ぶところでしょ」

「……うわぁい。喜んだぞ。これでいいか?」

「違う! 決定的に、根本的に! 言葉じゃなくて態度で示して!」

 面倒くさい。

 意識せずに溜め息が漏れる。

 その反応の仕方がお気に召さない茜は頬を膨らませ、風船みたいな顔で怒りを表現している。一体どうして欲しいというのか。

「それじゃ、せめてきちんと服を着てくれ。服だけを見せられてもなんとも言い難い」

 彼女は服の評価が欲しいのだと解釈した篠田が提案する。

 服単体を評価して欲しいならそれなりに対応するが、きっと茜は着ている状態で何かを言って欲しいのだろう。だとすれば手に持って見せてこられても意見を言える情報が少ない。

「服のデザインだけを問うなら答えるが」

「ふふふ、仕方ないな~。篠田がそこまで言うなら見せてやらない事もない。仕方な――ああっ、ごめんなさい! 着替えますからあたしを置いて行かないでぇ!」

 本心を隠せていない中、小芝居を挟む茜に辟易して立ち上がると、逃がさないようにと裾を掴んでしがみついてくる。

「……何をしてる」

「ちょっと待ってね。今着替えるから……あれ、おかしいな」

 胸のボタンを外そうとする茜がしきりに首を傾げる。どうやら上着を脱ごうとしているようだが。

「お前、羞恥心がないのか?」

「え? あるわよ当たり前じゃない」

「とてもそうは思えないがな」

 平然とした顔でボタンを外す行為を続行している。

 とはいえしばらく続けても目的は完遂されず、段々と苛々し始めている。

「なあぁぁあ! なんで外せないのよ! これじゃ着替えられないじゃない!」

「おいおい……」

「篠田、着替えさせて」

「……は?」

 何をトチ狂った事を言っているのかと目を細めてやる。

「別に恥ずかしがることじゃないわ。一度あんたには見られてるしね。それより御影さんの服を着たいから早く」

「別に恥ずかしがってはいない。着替えたいなら自分でやれ。俺は世話係じゃないぞ」

「出来たらやってるわよ。出来ないから言ってるんでしょ。今のこの服を着せたの篠田なんだから、着替えさせるのだって出来るわよね?」

 確かに茜の上着を着せたのは紛れもなく篠田だ。とは言え服を脱がせて着せたわけではない。

 それこそ使用人のような気分になり嫌気が差す、が騒がれても面倒くさい。

「メニュー画面を表示しろ。指を翳せばいい」

「こう?」

 言われるままに人差し指を翳すと、淡いブルーの仮想ディスプレイがウィンドウを開く。

 そこにはいくつかの項目が並び、そこからアバターの項目を選択。

「そこで装備品を変更出来る。後は部位各所を選び、所持品から選択して装備すればアバターに反映される」

「えっと……まずは今の装備を解除」

「いや、新たな装備を選択すれば自動的に――」

 更新されて解除されるのだ、と言おうとしたが時既に遅し。

 上着が解除されて光のエフェクトを伴って消える。そして現われたのは下着だけに隠された胸だった。

「あれ? どうして?」

「お前、人の話を聞け」

「……あれ?」

「どうした」

「どうしたじゃなくて、何見てんのよ!」

 突如として顔を真っ赤にした茜の拳が顔面を捉えようと迫る。彼女としては全力だったのかもしれないが、篠田には遅く、やすやすと受け止める。

「さっきと反応が違うだろ」

 人に着替えさせようとした癖に肌を晒して襲い掛かってくる意味がわからない。俗に言う乙女心なのかもしれない。だとすると難解過ぎるので手に負えない。

「うるさいっ。大丈夫だと思ってたけど大丈夫じゃなかったみたい。いいわ、やり方だけ教えてよ」

「…………まず――」

 どうにも乙女心は難しい。やはり手に負えない。理解する気はさらさらないので対応がしづらいのはやはり面倒である。

 せがまれて一通りの説明をしてやると、覚束ないながらもなんとか自力で操作を終わらせる事が出来た茜は満足気だ。

「出来た!」

 着替えを終えた茜は篠田の前で一回転してその姿を見せつける。まるでどうだと言わんばかりである。

「ふふん、どうだ!」

 言葉にまでして意見を求められ、篠田は一瞬の間も置かず。

「いいんじゃないか」

「ニュアンスがどうでもよさそうなんですけど! ですけどっ!」

「実際どうでもいい」

「そこはもっとこう『似合うよ』とか『可愛いよ』とかないのかな?」

 そんな事を口にする自分を想像出来ない篠田は、肩を竦めて見せる。一方の茜も想像出来なかったらしく、がっくりと肩を落として盛大に溜め息を吐き出した。

 これが篠田ではなく普通の男子ならば茜の姿を目にして、少なくとも立ち止まるくらいには見栄えしていた。トップスがノースリーブでギンガムチェックのプリーツスカートという無難な組み合わせであるにも関わらずだ。

「一ついいか?」

「茜ちゃんは美少女と大いに言っていいわよ」

「上着を返してくれ」

「……」

 完全なスルーからの返却要請。

 篠田がなんと言うかを期待していたせいか肩透かしで複雑そうな顔をしている。もっとも茜の求める台詞を今までの流れからして出てくるとは普通思わないだろうが。

「新しい服も装備したんだ。上着はもういらないだろ。だから返せ」

「嫌」

 拒否して早々にメニュー画面を開き、何やら操作し始める。

 ぎこちなさは拭えないが、目的は達したようで画面を閉じる。

 すると、

「これで返却出来ませーん」

 ノースリーブを覆うようにエフェクトが働き、収まった頃には見覚えのある上着を羽織った格好になる。もちろんそれはさっきまで着ていた篠田の物。違いがあるとすれば今度は前のボタンが留めずに開けている事くらいだ。

「……好きにすればいい」

「うん、好きにする」

 別に大した代物ではない。初期装備で必ず誰でも所持している物だし、色だって奇抜でもなんでもない。そのせいか茜が羽織っていても違和感はなく、男物という印象が今ではそれほど表面化していなかった。シンプルなおかげで自然にさえ見えてくるから不思議だ。

 ――何はともあれ。お供として茜に付き添う理由がなくなった事は喜ばしい事である。

「一旦イヲの事務所に行くぞ」

「らじゃ!」

 ビシッと敬礼するお嬢さんを今度こそ押し付ける事が出来る。たったそれだけの事だったのに随分遠回りしてしまった気がする。だとしても結果が出れば問題ない。さっさとイヲの元へ戻るため、篠田の足は自然と速度を上げていった。

 どれほどそうして歩いていただろう。

「ちょ、ちょっと待ってはくれまいか」

 静止を呼びかける声に仕方なく立ち止まると振り返る。

「どうした」

「どうしたじゃないでしょ。一人で行かないでよ」

「やっとイヲにあんたを押し付けられると思ったら嬉しくてな」

「またまたー、あたしのような美少女と買い物が出来て喜んでるくせにぃ」

「光栄過ぎて涙が出そうだ」

「泣いてよい泣いてよい」

 にんまり笑う茜はどうも本気で言ってるようだ。皮肉を命一杯込めて言ったつもりなのだが、全くそれに気づいていない。

 やはりと言うか、この女は自己中心的だ。とてもじゃないが付き合いきれない。

「篠田?」

「依頼完了だ」

「え? あ、篠田!」

 それ以上の言葉を発する事なく、篠田は踵を返して歩き出す。

 依頼なんてものを受けた覚えはないが、そんな事はどうでもいい。

 呼び止める声は聞こえても振り返らない。

 篠田にとって期間の短い関わり合いでしかなく、イヲに頼まれた事も一応の完結になった今、茜の付き添いをする理由もなくなった。

 とりあえず自分の目的を始めるために情報収集をしなければならないと思い、向かうのはどこか人のいる開けた街頭か引き返す事にはなる。別に中央広場でも構わない。元きた道を引き返すなど無駄としか思えない行動であるが、他の誰かと行動してやりたい事ではなかった。

 何より――詮索されたくはない。

 とりあえず人の多い中央広場へ足を向けて到着したのは開けた街頭。やはり思うように目的地へは辿り着けないらしい。しかし人の通りはそれなりでフリーマーケットのあった中央広場に比べれば人口密度こそ低いが人の数は多い。これなら情報収集するのに支障はなさそうである。

 それもそのはずで、ここは様々な情報が行き交う広告塔の集合地区なのだ。

 聳え立つビルはどれも大型のディスプレイを備え、そこには様々な映像が映し出されている。

 現実でのBFO関連商品。イベントなどの告知。スポンサーの広告。アイドルのプロモーションムービー。それこそなんでもありだと言っても過言ではない。

 その中でも一際目を引く大型仮想ディスプレイがある。

 この街頭にいるならどこからでも見えるように配置された大型仮想ディスプレイ(それ)は、一番の広告塔として挙げられる。様々な用途で使用されるこのディスプレイは、他の物と同じくBFO関連のCMやスポンサーの広告などを放送している。しかしBFによる大規模大会などが開催されると中継する役割を担う。その時の視聴者の集まりはフリーマーケットの比ではない。

 しかし見上げた先にそういった放映は一切されておらずノイズだけが不自然に走奔っていた。

 今までにこんな事はなかったと記憶を辿っていると、不意に周囲から反応があった。

「もう、勝手に行かないでよ篠田。最後まで責任持たないとダメだよ? ほら、家に帰るまでが遠足って言うじゃん」

 イヲのところが家でもなければ遠足をしていたわけでもない。追いかけてきた茜が勝手な事を言っているが聞こえてはいても意識が及ばない。

 それに今はそんな事を気にしている場合でもなかった。

 何故なら――

『ご機嫌麗しゅう、プレイヤーの皆さん』

 ノイズが止み、ディスプレイに映し出されたのは、フードを被った得体の知れない人物だった。 声はボイスチェンジャーでも使っているのか機械的で、性別を判別する事は出来ない。しかし口調は明るく高揚しているのは感じ取れた。

 その場にいた全員の視線を集める人物はディスプレイ越しに、まるで周囲の状況が見えているかのように見渡す。

 一つ頷いて両手を広げる様は、まるで迷える子羊を諭す聖職者のようであった。縋る信者に対して慈愛を持って対処するかのごとく、その人物はフードから覗く口元を優しげに形作っている。

 周囲からは何かのイベントと思い至ったらしく、これからどんな催しの内容が明かされるのかを談笑を交えて待っているのが見て取れた。

「イベントって言ってるけど、そうなの?」

 辺りを見回しながら茜は聞こえた事実を確認するように篠田を見る。しかし篠田は一瞥すらせずメニュー画面を開く。

 閲覧するのはインフォメーション。

 機械的なデザインをした画面のそこにはメンテナンスの記録やアップデートなどの履歴がいくつもあり、その中から表示したのはイベントのタグがついたもの。ざっくりとだが目を通し思案する。

「どうしたの?」

 黙り込んだままだったのが気になった茜が問いかけると、無言のままウィンドウを茜に見えるようにスライドさせる。

「? 何か書いてあるの?」

「その逆だ。何もない」

 現在開催中のイベントは何もなく、告知もない事からこれからイベントが始まるわけでもないようだった。そうなるとフードの人物が現われたのはイベント関連ではないという事に他ならない。だとすれば個人の催し物である可能性が高い。

 これに関しては特に珍しい事もなく、個人主催のイベントは規模の違えはあれど数多く開催されている。その例を挙げるならフリーマーケットが筆頭になるだろう。今回のこれもその一つなのかもしれないと思い至る人も多く、フードの次なる言葉を待っているのが雰囲気に表れていた。

 それもそのはずで、街頭ディスプレイを使用するためには運営への使用許可を申請しなければならず、それなりの理由と使用料が求められる。とは言ってもこれはあくまで形式であり、申請と使用料さえ払えば許可は簡単に得られるので誰でも可能と言える。もっともそこまでの規模で催すような事など滅多になく、運営サイドでも年間で数える程しかない。

 だとすれば期待に満ちた目をする人が多くともなんら不思議ではないと言えるだろう。

 街頭に居合わせた人達の顔色に浮かぶのは期待に分類される感情一色になり、両手を広げるフードの言葉を今か今かと待ちわびている。

 その中に一切混じる事なくディスプレイを見る一組の男女がいる。

 一人は何事かと首を傾げる少女――岸田茜。

 一人はディスプレイへ目を細める少年――篠田。

『何が始まるのかと胸を躍らせている皆さんに朗報です! 今から始まるのは本当の戦争』

 フードは両手を広げたまま肩を揺らしている。

 誰もがその仕草に首を傾げているが、篠田だけはわかっていた――笑っているのだ。それを隠すようにして手で顔を覆う。

「おい」

「何、篠田?」

「ログアウトしろ」

 ディスプレイを見ていた茜が篠田へ目を向ける。呼びかけられた時は気づかなかったが、指図の語気が強くなっている気がしたのだ。

「追いかけてきた事、怒ってるの? そこまで邪険にする事ないじゃない」

「いいから俺の言う通りにしろ。早く――」

『そう! 今からただのゲームだった(・・・)ブラスト・フレーム・オペレーションがあなた達の本当の世界になります! さあ、皆さん気兼ねなく本物の戦争をしましょう! 精々この現実ゲームを生き抜いてください! ククク、アハハ、アハハハハハハハッ!』

 体をくの字に曲げて堪えきれなくなって背を逸らすとフードの中身が見える。そこには何時の間に着けたのか顔には仮面があった。目と口の部分だけが切り抜かれた仮面は道化師を元にデザインされているらしく、作為的に形作った笑みを浮かべている。それが不気味さを一層引き立てる要因になっていた。

 困惑する周囲を嘲笑うかのような高笑いはディスプレイから響き、それに反応するようにして揺れが生じた。

 地震だと誰かが言った。

 規模が大きくなり、立っている事すら危うくなる。

 これはゲームだ、地震なんか起きるはずがないと。

 しかし揺れているのだ。

 地面が。

 空が。

 世界が。

 このブラスト・フレーム・オペレーションと言うありとあらゆる物が。

 まるで嘆きを堪えきれずに震えるように。

 その最中、

「ログアウトの項目がなくなってる……」

 篠田にしがみついていた茜の呟きが、悲鳴の中に吸い込まれていった。

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