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 薄暗い路地を歩く篠田は溜め息を漏らした。

 どうしてこんなところを歩いているのか自分自身わからない。

 現実ではなんら問題ないのだが、どういうわけか仮想ではどうも方向感覚がイマイチらしく思ったように道を選べないのだ。

 イヲの事務所から出てきた篠田は拉致されてきた道を引き返しているはずだったのに、気づけばこんな薄暗い路地を歩いている。ビルとビルの間のようで、両脇は壁が天に向かって伸びているし、道幅も二人も並べば一杯一杯といった感じである。圧迫感が言いようがなく酷い。

 本当に今日は厄日か何かなのだろうか。

 アカバン――アカウントが削除され、新規アカウントでログインして間もなくイヲに捕まり、有無を言わさず『指名戦闘』なんかに駆り出された。加えて搭乗させられたBFはほとんど手が加えられていないベーシックタイプ。挙句の果てにはまともな兵装もなく、イヲの趣味が前面に出た一振りの剣だけで挑む事になった。あれは何かの冗談としか思えない戦いだった。勝てたからいいようなものの、負ければただのバカ者だ。もっとも負けてもイヲがどうこうされるだけで、篠田にとって損はない――バカ者にはなるだろうが。今更ながらに負けてさっさと終わらせた方が時間的ロスが少なくてよかったと思う。

「ま、ティケットのためと思えば納得も出来るか」

 イヲが何気なくご馳走してくれたティケットだが、あれは実のところ高級品なのだ。当然ゲーム内通貨で購入するのだが、その価格たるや現実の洋菓子とは比較にならない高値がついている。とはいえあくまで洋菓子、金持ちの嗜好品という程ではない。ただ始めたばかりの無一文プレイヤーが口にするまでにはそれなりの努力が必要になるのだ。

 久しぶりの好物を食べることが出来てどこか満足そうな笑みを浮かべる篠田だったが、その微かな表情が一瞬で曇る。

 やはり今日は厄日なのだろう。

 もはや確定だった。

 前方、路地の先に明かりが見える。人の気配と賑わいが間違いなく表通りだと告げている。しかしその途中でたむろっている連中がいた。

 篠田は舌打ちして状況把握に努める。

 仄暗い中で確認出来たのは人数と性別。壁際に向かって囲むように男が三人。どれも外国軍人のような体格をしていて見るからに強そうである。三人とも気色の悪い声で笑い、それが路地に反響して知らず知らずのうちに鳥肌が立っていた。

 引き返そうかと思い立ち止まるが、それも癪だと思う。

 仕様かどうかわからない自身の方向音痴ぶりを鑑みれば、ここで引き返した場合、間違いなく表通りに辿り着くまでに倍以上の時間を要してしまう。それに引き換えこのまま直進すれば迷うことなく表通りに出ることが出来る。

 選択肢はあるが選択の余地は皆無だった。

 意を決して男達の方へと歩を進める。

 面倒事は起こさない。ただ脇を通り過ぎれば向こうも無視するだろう。こちらから関わらなければ絡まれる事もないはずだ。

「――まずはキスからだな」

「あ、ずりぃぞ」

「こればっかりは譲れねぇな」

 下卑た笑いと台詞に吐き気がした。

 男三人で何をしているんだと頭痛すらする。確かにそういった性癖なら存在するし、別に篠田だって否定したりはしない。しかし相手を考えろと言いたかった。屈強な男同士でそんなことして何が楽しいのか。せめて相手は女のような――そう、男の娘とかいうのにすべきではないだろうか。例えそういう相手がいても篠田は御免蒙ごめんこうむるが。

 背後から過ぎ去ろうと足音を忍ばせる。別に疚しいことをしているわけではないが、見つかれば難癖をつけられるのは免れない。それこそ情事である。見られて平然としてられる人間はそうそういない。もしそうならこんな人のいない路地でこそこそやらず、衆人環視の中でプレイに勤しむことだろう。その方が燃えるはずだ。

 どうでもいいことを想像してしまい吐き気を催す。

 そして何を思ったのか篠田は男達の情事に目を向けてしまった。見てはいけない、自分が理解出来ない別世界なのだと思いつつも目を向けてしまった。好奇心という奴なのだろう。猫をも殺すなら自分はどうなってしまうのか。どこか他人事のようにそんなことを思った。

「――お楽しみのところ悪いんだけどさ」

 誰の口から発せられたのか篠田は理解出来なかった。

 男三人は肩を跳ねらせ振り返る。三者同様に虚を突かれたらしく目を丸くしていた。

 この時点で言葉を口にしたのが自分なのだと理解する。

 驚きは確かにあった。けれどそれを上回る光景が目の前にあった。

 男三人で情事に励んでいたと思っていた囲みの中に、一人の少女がいたのだ。

 歳は十五、六といったところで篠田と同じくらい。しなやかな長髪は薄暗い中でも艶を放っているが、それとは裏腹に纏まりがなく乱雑に散らばっている。口元は少し腫れ、微かに血が滲んでいた。何より少女の着ているブラウスの有様を見れば何が起こっているのか理解出来る。ボタンが一つもないブラウスの隙間から覗く白い肌。ほどよく生育した大切な部分を覆う下着。そして篠田へ向ける目には涙が滲んでいた。

 理解する必要なんてなかった。

 そこで何かが切れる音がして――何かを見た。

 突如襲う頭痛で我に返ると、男の拳が目前に迫っていた。

 瞬時に視線を巡らせ、向かってくる男以外の配置を確認。少女を捕まえている男は身動きが取れないと仮定し、もう一人が見当たらないと視野を広く持つと、どういうわけか地面に一人男が転がっている。すでに意識を手放し白目を剥いている事から注意を向ける必要性を解除する。

 複数を相手にするなら骨が折れるが、一対一ならどうにか出来る。向こうが何かしらの武術の心得があるなら別だが、こうした仮想ゲームで息巻いている連中は大抵現実では大人しい場合が多い。つまるところ喧嘩は素人だと推測出来た。

 このBFOゲームでアバター自体にレベルの概念はなく、あくまで現実の感覚をダイレクトに反映させているに過ぎない。それを踏まえれば身体能力はもちろんの事、喧嘩に使える技術も現実の自身と同等でありそれ以上でもそれ以下でもない。

「うぐっ――――!?」

「勢いを利用して投げさせてもらった。続けるならこっちから行くぞ。怪我には気をつけろよ? 喧嘩は久しぶりだから手加減は出来そうにないんだ」

 つまり――武術を多少齧った篠田の敵ではないのだ。

 感覚が反映しているという事は痛覚も実装されている。死に至る程なら緩和されるが怪我程度の痛みなら感じる仕様であるため、喧嘩などすれば受けた傷は痛みとして感知される。実際に怪我をしているわけではないので、すぐに痛み自体は引くが人間誰しも痛みは恐怖に直結する。

 男もその例に漏れず喚き声を上げると、起き上がり仲間の一人に合図を出す。二人がかりで白目を剥いた男を担ぐと「覚えてろよ」の捨て台詞を残して去って行った。

 開放された少女は放心状態の様子で、前が開いたブラウスをそのままに地面へペタリと座り込んでいた。

 どうしたものかと篠田は頭を掻く。

 別に助けるつもりではなかったが、どういうわけか結果的に助けてしまった。

 あのまま素通りしていればさっさと表通りに出られたのに、何を血迷ったのか声までかけて喧嘩もどきまでしてしまった。

 チラリと少女を見る。

 焦点の定まらない視線が篠田に向けられている。視界に入る少女の肌が薄暗いにも関わらず陶磁のように白いのがわかった。

 篠田は面倒くさそうに舌打ちすると、羽織っていた上着を少女の頭から被せた。初期の服装として配布される上着はやや大きめの丈で少女の背丈なら十分ブラウスの代わりを果たすだろう。少女の素肌に興味がないわけでもない。しかし凝視する程興味津々というわけでもない。篠田は一刻も早く自分の目的へ行動を起こしたかった。

 だから『このくらいはしてやった』『後は自力でやってくれ』『さっさとこの場を離れよう』という考えの下、やれる事はしたと自己完結させたのだった。

 とりあえず声だけはかけていこう、そう思った篠田は少女の視線に合わせるようにしゃがむと目の前で手を振る。焦点が次第に合ってきたのを確認すると用件だけを告げる。

「男達は追い払った。服が破れてるから俺の上着を羽織っておけ。用事があるから俺はここで」

 淡々とした口調で言いたい事を言い終えると、篠田は立ち上がって光差す表通りに足を向ける。踏み出した一歩に抵抗を覚え、まさかと思って首を回す。

 確認して思わず溜め息を漏らしたくなった。

 篠田の上着を羽織り片手で前を押さえ、縋るような目でズボンの裾を掴む少女。

 本当に今日はなんて日だ。厄日としか言いようがない。

 そもそも人助けなんてするつもりはなかったのに、どうしてこうなった。

「……離せ」

 振り解こうと足を動かす。

 しかし思いのほか少女の力は強いらしく、振り解く事が出来ない。力を入れればいいのだろうが、さすがにそこまでのことをするのは憚られた。二、三度繰り返して無駄だと知ると向き直る。表情は変わらないが内心では舌打ちをしていた。

「立てよ」

 面倒だが裾を掴まれたままでは困るので通りまで連れて行くしかない。

 少女を放置するという行為に篠田は後ろめたさを一切感じていない。実際また他の男に捕まったとしても自分には関係ない事だし、当事者でなるようになってくれと思うだけだ。今回はたまたま首を突っ込んだだけの話で次に同じ事があれば関わらないようにするだろう。

「……手を」

「あ?」

 言い訳のような事を考えていると、か細い声が辛うじて篠田の耳に届く。

 気づけば少女の手はズボンの裾から離れ、中空を彷徨うようにして差し出されていた。

 震えている事にすぐさま気づいたが見下ろすだけの篠田。

「手を……貸して、ほしい、の」

「……立てないのか」

 盛大に溜め息を吐き出したい衝動に駆られるが鼻からなんとか逃がすと、仕方なく差し出された手を掴む。滑らかな肌は酷く冷たく、さっきまでの出来事に恐怖を感じているのは間違いない。

 ――だからなんだというのだ。

 加減をしないまま少女の手を引いて立たせる。勢い余って体勢を崩したが転ばないように体を引き寄せる。抱き合うような格好になるも、やりたくない仕事をこなした顔の篠田と、恐怖に表情をなくした少女だ。色気も何もあったものではない。

「行くぞ」

 返事は待たない。

 倒れこむ様子もないので自力で歩けるだろうと判断して一応手を引く。予想通り少女は篠田の先導の下、覚束ないながらも後をついてくる。

 それを確認した篠田は考えることを一時中断し、通りへ出るため踏み出す足を早めた。



「飲んどけ。少しは落ち着くだろ」

「ありが、とう……」

 篠田がぶっきらぼうな言動で差し出した手には缶が握られていた。

 それを少女は緩慢な動作で受け取る。

 精神的に参っている場合は喉を潤せば落ち着く――と聞いた事はないがよく見るシーンでもある。そこからヒントを得た篠田は近場にあった自動販売機でカフェオレを選んできた。ゲーム開始直後で所持金などタカが知れている。案の定、二人分買ったら心許なくなった。イヲから戦闘依頼で受け取った金はあるが全くついてない。

 ベンチに腰を下ろし自分の分に口をつけて一気に呷る。思いのほか喉が渇いていたようで、自分の行動で改めて気づいた。

 隣に座る少女はきちんと篠田の上着を羽織った格好で、カフェオレを両手で包むように握っている。プルタブは開いていて一応は口をつけているようだ。俯いて前髪で見え隠れしている瞳には多少生気が戻ってきているのが垣間見えたので、もうしばらくすれば回復するだろう。

 やってきたのは公園だった。

 この世界の中央都市であり、始まりと高みの象徴――セントラル。

 憩いの場として存在する自然公園は面積が野球場数個分という広さを有している。自然公園と呼ばれているだけあって木や芝が一面を緑豊かにしている。整備もしっかりとされていて歩道に関しては舗装もされ、散歩も清々しい気持ちで出来る。

 だからと言って篠田の気持ちは上向きなどではなく、むしろ絶賛下降中だった。

「…………」

 一体この後どうすればいいのだろうか。助けはしたが面倒を見る気などさらさらない。仕方ないからここまで連れてはきたがここらでお役御免にして欲しいところ。

 眉間に皺を寄せて少女を見れば、カフェオレをちびちびと飲んでいる。飲む度に口元が綻ぶので選択は成功したと見ていいだろう。選んだ理由は女なら甘いものにしておけばいいだろうという微妙に偏見混じりな結論からだ。

 自然公園のベンチに年頃の男女が二人。

 麗らかな日差しの中で傍から見れば穏やかなカップルのデートの一幕に見えるかもしれない。しかしそれを互いの間にある微妙な距離が密かに否定していた。

「あ、あの」

 口を開いたのは少女からだった。

「助けてくれて、そ、その……あり、ありが――」

 言いにくそうに、けれど自分の気持ちを伝えようと頬を赤らめる少女。

 しかし篠田はそれを遮った。

「落ち着いたみたいだな。もう平気か?」

「あ、うん……」

「なら俺は行く」

「え? あ、ちょっと――あれ?」

 返事は待たずに告げた篠田は立ち上がる。

 慌てて少女も立ち上がろうとして尻餅をついてしまった。怪訝な顔で足元を見ると膝が笑っていた。

「お、おかしいな。こんな事って……」

「おかしな事はないだろ。仮想とはいえ暴漢に襲われたんだ」

「あ……そっか、あたし」

 少女は忘れていた感覚に、まるで堪えるようにして片手で額を押さえる。

「……混乱してるのか」

 無理もない。現実だって遭遇するような事は滅多にないのだ。

 仮想だからたがが外れてしまう可能性は少なからずある。しかし運営や管理者が目を光らせているし、何より限りなく現実に近いというゲーム環境がある程度の抑止力を持っている。現実に近ければ当然人の目を気にするし、オンラインゲームであるため時間に関係なく人が往来しているのだ。少女が遭った出来事は本気で計画して行わなければ成功する可能性はとても低い。

「だい、じょうぶ……落ち着いてるよ? ちょっと、そう、ほんのちょっと気が緩んだだけだから」

 口ではそう言うが口調は上擦り、寒さを堪えるように体を抱きしめる。

 篠田は目を伏せ一息吐き出すと、少女の前へ回り込む。

「なら場所を変えるぞ」

「え……?」

「正直あんたの精神状態がこれ以上回復するとは思えない。それに俺にはやらなきゃいけない事がある。だから面倒は見切れない」

「面倒って……それにどこに行くの?」

「警戒しなくても襲ったりしない」

「そういう事じゃなくて」

「さっさとしないと置いて行くぞ」

 踵を返した篠田は宣言通り歩き出した。それこそ着いてこなければ少女の事など知った事ではないかのように。

「あ、ちょっと待ってよ!」

 少女は餌を与えられた捨て猫のように篠田の後を追うため、急いで立ち上がった。不思議な事に今度は歩く事ができるようになっていた。


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