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「――はい。わかりました。それでは……はぁ」
こんなゲームのどこが面白いんだろう。
とある街角にあるベンチに座った少女は胡乱な目を上空に向けて投げ放っていた。
仮想である空は再現度が高く、現実と比べて遜色ない色合いを見せる。今の状態を言えば雲一つない事から快晴と言ったところか。
「現実の天気でもないのにバカバカしい」
本物の空なら洗濯物を干したり、買い物に行ったり、散歩をしたりするには最適と言える。加えて気温も湿度も快適なので最高だろう。だがこれは現実ではなく仮想なのだ。設定された環境。いい日和じゃないわけがない。
作られた空には無数の飛行船が漂い、取り付けられた大型ディスプレイにはとある映像が映し出されている。
人型のロボットがどこかで戦っている映像だ。ロボットの名前はブラストフレーム――通称BFと呼ばれているらしいが、名称なんて興味の『き』の字もない少女にとってはどうでもいい事だ。
放映されているそれはディスプレイによって様々だが、互いに一対一または多対多のロボットが双方に分かれ、装備された武器を使って銃撃戦を繰り返している。
嘆息を漏らす少女が視線を外す直前、ミサイルの直撃を受けた一機が炎上して爆散するところだった。
「現実世界からなくならない戦争を仮想でまでするなんてバカじゃないの?」
小さく呟きながら周囲を見渡す。
少し開けた待ち合わせに適した様相をした一画には、少女と同じく大型ディスプレイに目をやる人が多数見受けられる。誰もが固唾を飲んで見守っているのがわかる。それだけこのゲームを魅力的に感じている人が多いというわけだ。当然これはゲームだし、任意で遊んでいるのだから楽しくないわけがない。そう考えれば少女の方が異端なのだ。
周囲がざわつく。
どうやら放映中の戦闘が終盤を迎えるようだ。
少女が目をやったのと同時に画面には戦闘終了の文字が表示される。チーム名も出ていたが、もともと興味のない少女には名が知れているのかどうかもわからない。ただ周囲の反応からすれば勝つのが当然のチームのようだ。
「ゲームとはいえ人を殺して喜ぶなんて」
現実なら血が流れ、命が散っている。それをゲームだからといって殺した事を喜ぶなんてとんでもない。このゲームはロボットに乗って戦うからこそ相手の血を見る事はない。だから平気なのではないだろうか。自分が武器を手に相手を殺すのではなく、ロボットという間接的な相手だからこそ戦える。自分と同じ人間ではないという認識が引き金を引く力を軽くするのだ。
「はぁ……こんな事、真面目に考えるなんてバカバカしい。これじゃ戦争ごっこして喜んでる野蛮な連中と一緒よ」
自分はこんな野蛮な事をして楽しんでるわけではないのだ、と頭を振る。
ゲームの仕様なんて自分には関係ない。やるべき事がある、それをきちんとやればそれでいいのだ。
そう思い立ち上がろうとして、自分に影が差している事に気がついた。
「よう嬢ちゃん。さっきから独りでぶつぶつ何言ってんだ? 野蛮な連中って俺らの事か?」
見上げるとそこには三人ほどのガタイのいい男連中が囲むようにして立っていた。筋肉隆々の容姿はさながら外国軍人のようで、上半身が大きく下半身が小さい逆三角形だ。見るからに屈強という言葉が適当な格好をしていた。
「何を言ってるって訊いといてしっかり聞こえてるんじゃない。それならわざわざ言わなくてもいいわよね?」
「おいおい随分な態度じゃねえか。目上の人間に対する態度ってのが出来てねえぞ? センセーに教えてもらわなかったのか?」
「あら、これは失礼。一応の礼儀は弁えているつもりだけど、ゲームの中で目上かどうかなんてわからないもの。確かにあなたの姿だけを見れば中年といって差し支えなさそうだけど、現実のあなたがそうだとは限らないじゃない? もしそうだと言うのなら謝るわ。けど、実際にそうだとして歳相応の態度をあなたがとっているとは到底思えないけれど」
口早に告げると男は口を噤んだ。それを見て少女は長い髪を後ろへ払う。
こうした輩は大抵現実で小心者の場合が多い。相手の顔が見えないのをいい事に好き勝手言いたい事を言うのだ。なら図に乗らせないためにもそれなりの対応をするか無視するかすればいい。無視するのが基本なのだが、少女は如何せん舐められる事を嫌う性格である。言いがかりをつけられるなら受けて立とうと思い立っていた。
「言わせておけば好き勝手……!」
「言いがかりはそっちからでしょ。野蛮な事で遊んでるならまだいいけど、こうして野蛮な事出されるのは迷惑なのよ」
「何だと!?」
瞬間、乾いた音が響き少女は自分が殴られた事を理解する。
「ッ……口で勝てないから暴力? 底が知れたわね」
口を拭うと少しばかり血が出ていた。痛みもある。噂では聞いていたけど本当に細かいところまで再現されていた。おかげで口が思うように動かない。ゲームのクセに忌々しい事この上ない。
「テメェ、ゲームだからって舐めるなよ」
ドスの利いた声にハッとする。相手の顔は怒りで赤くなっていたが、表情は酷く黒い。
これはマズイ。冷静を装っていたが気がつけば状況は最悪だ。
「リアルのあんたは知らねえが、ここのあんたは女だ。この意味わかるか?」
「どういう意味か教えて欲しいわね」
少女は頭の回転が早いという自負がある。男の言わんとしている事は瞬時に理解していたが、時間稼ぎに問い掛けた。
無知を装うには無理があるような気もしたが向こうはそう認識したようで、実に楽しげな顔で説明している。下卑た表情に虫唾が走るのを我慢して起死回生を求め視線だけ周りへと向ける。その様子が恐怖に目を泳がせていると思った男は喜色に染まっていく。
「おい、マジな話。マズイだろ」
「間違いなくアカウント停止になる」
仲間の二人がそう言うも男は決定事項らしく、嬉々として譲らなかった。途中、現実ではモテないとか、童貞とか聞きたくもない台詞を聞かせられたが、話し合う三人の目を盗んで周囲へと助けを求める視線を向けた。
そして気づく。
誰もいなくなっていた。
あまりに騒ぎを起こすものだから巻き込まれないように退避したに違いない。これは現実も仮想も似たようなものだ。時間をかけ過ぎたことを後悔するが、それでは何も始まらない。次策を練るしかない。
「どうせ誰もいないんだ。三人でやっちまおうぜ? 現実じゃ俺と同じだろ」
「そりゃそうだけど……」
「大丈夫だ。バレなきゃ問題ない。他人の目がなけりゃ本人が言わなきゃわからない。こういうのは口外されにくい。それにこの女はプライドが高そうだ。そういう事をされても口には出来ないだろ」
「そう、か……そう、だよな。それにこのアバター可愛いしな」
やけに饒舌に説得する男に感化されてきたのか、仲間も同じような顔つきになってきた。これはいよいよマズイ。
殴られた感覚は限りなく現実にされたと思えるほどだった。男達がやろうとしている事も現実味――ここは仮想ではあるが帯びている。実際に体験した事がないのを仮想で初体験なんて笑えない。それこそ死んでも死に切れないとはこの事だ。
「どうにかして逃げないと……運営に――」
「おっと、そうはさせないぜ」
メニュー画面を開こうとしたがあえなく腕を掴まれ阻止される。
男の握力は信じられないほどに強く、振り解けると思う余地もなかった。
「痛いじゃない! 離してよ!」
「さっきまでの威勢はどうしたよ。ははん、怖いんだろ? だから虚勢を張ってたんだろ? これってあれだ、ツンデレって奴か? はは、安心しな俺達で気持ちよくさせてやるよ」
「頼んでないわよそんな事!」
抵抗虚しく路地裏へと連れ込まれた少女は思考を冷静にする努力を重ねていた。
狭い路地は一本道で片側は真っ暗、入ってきた通りから差し込む明かりが辛うじて薄暗い程度に場所を浮かび上がらせている。通りまでは距離があり声を出してもきっと聞こえる事はないだろう。遠くに聞こえる喧騒がまるで別世界のように遠く思えてならない。
少女は壁に背を押し付け、前と左右を男達に囲まれている。
絶体絶命だった。
相手の握力から抵抗は無意味に等しく、三人もいればなす術がない。これは堪えるしかないのかもしれないと自分の不幸を呪った。もちろん悪態を聞かれてしまった自分が軽率だったとしか言えないのだが。
「タカがゲームよ。好きにすればいいわ!」
「声が震えてるぜ?」
「痛いのは一瞬だからってか?」
下卑た笑いが路地に反響する。耳障りな事この上ないが、少女に出来る事と言えばそれこそ虚勢を張って精神的に屈しないよう努める事しかない。
男二人に両手を掴まれ、正面の男に肩を押さえつけられる。急に壁に張り付けられたものだから頭を強かに打ちつけ視界がチカチカする。それが収まるまで僅かな時間だったが距離を詰めるには十分だったらしい。気づけば男の顔が目と鼻の先にまで迫っていた。
「ッ!」
無我夢中で動いた瞬間に耳に届いたのはゴッという鈍い音。そして額にきた鈍痛。肩にかかっていた力がなくなり理解したのは自分が正面の男に頭突きをしたという事実だ。とはいえ両手は相変わらず掴まれているので逃げられない。
「何やってんだよ」
「バカだな」
「うっせ! お前、無駄な抵抗するなよ!」
仲間に笑われて逆上した男は痛みから持ち直すと、怖い顔をして少女の腹部に拳をめり込ませた。
「かはっ!?」
肺の空気が一気に押し出され身を折ろうとしても押さえつけられてそれも叶わない。痛みと酸素を求めて目には涙を溜め、口は必至にパクパクと開閉を繰り返す。その様子が男達の嗜虐心を掻き立てたのだろう。
「汗掻いちゃってまぁ、暑いなら服を脱がせてやるぜ? 手が使えないみたいだしな」
「おお、いいねぇ」
服のボタンに手が伸び、苦しさで鈍る思考を必至に働かせる。
「調子に……のる、な!」
壁に体を預け、両足を蹴り出す。見事に腹に入ったが、やはり体格差があり一瞬だけ怯ませる事しか出来ない。
「お前こそ調子に乗るなよ?」
顎を掴まれ顔を近づけると、男の臭い粘っこい息が鼻にかかる。
ここまで再現しなくてもいいのにと他人事のような感想を抱く。それだけ追い詰められているのだとどこか諦めにも似た状態になっていた。
「ご開帳~」
不躾な男の手が少女のブラウスを粗雑に引っ張る。留めていたボタンが弾け飛び、白い肌が露出した。
男共が歓喜に染まり、少女は絶望に染まった。
「次はキスだよな!」
「あ、ずりぃぞ」
「こればっかりは譲れねぇな」
仮想とはいえこんな形でファーストキスを奪われるなんて最悪だ。本当ならもっとロマンチックにキスはしたかった。
別に白馬の王子様を望んでいるわけじゃない。高望みなんてしてない。ただ自分を大事に想ってくれる人と心を通わせて、それでそういう風になればいいと思っていた。我ながら乙女チックな思想だと心の中で苦笑する。
むさ苦しく、ゆっくりと近づいてくる男の顔。
周りでは今か今かと気持ちの悪い笑みを浮かべる男達。
そして少女は涙に滲む視界の隅に一人の少年の姿を……少年?
こんな人気のない場所を通る人なんているはずはない。そんな場所だからこそ男達はここを選んだのだ。それなのに平然とこちらに近づいてくるのは見間違いでもなんでもなく一人の少年だった。こちらの状況に気づいたのか一度立ち止まると逡巡し、再度歩き出す。来た道を戻るのではなくこちらの方へと。
それこそ助けに来たのだと思ったが、如何せん少年は見た目からして喧嘩に強そうには見えなかった。正義感で助けてくれるつもりだろうが、数でも体格でも負けている。結果は火を見るよりも明らかだった。
そして少年は少女達の付近まで来ると、
「お楽しみのところ悪いんだけどさ」
行為を咎めることもなく、何気なく声をかけた。
捉えていた少女とは違い、虚を疲れた男達はキョトンとした顔で少年を見る。
少年が少女の姿を見た刹那――男の一人が転がった。少女にキスをしようとしていた男だった。
誰もが思考を停止している中、
「そこ、通してくれない?」
撫で付けたような黒髪の少年が、前髪のかかった目を向けて言う。
その口調はまるっきり場違いというか空気を読んでいない声だった。