表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
坂の上の神社  作者: kanon
6/8

古い空き家

 会社の同僚にも散々馬鹿にされたあと、今まで通りの生活が始まり、僕はいつものように古い営業車でラジオを聴きながら走っていた。忘れるはずがないと思っていた記憶も、新しい情報によって徐々に塗り替えられ、古い家の外壁のように、それはもう過去と同じものではなくなってしまう。忙しさはその現象にさらに追い打ちをかけ、無くしたことにも気付かないまま、時は流れた。

 三年が経ち、五年が経ち、十年が経ったある日、僕は転勤することになった。その先は偶然にも、元の実家のあるあの町。忘れかけていた記憶が、鮮明によみがえった。

「あの約束、まだ有効?」

 僕は、真ん中のページが破られた小さなノートを手に、友人に電話をかけていた。

「あの約束って?」

「世界一周旅行」

 友人はまた、鼻で笑った。

「ああ、一生有効にしといてやるよ。いつでも証拠を持ってこい」

 その答えに満足した僕は携帯を切り、引っ越しが何のことなのか知らずにはしゃぐ息子に、静かにするように注意した。

「ホラ、大事なものを箱に入れろ。自分で持っていくんだぞ?」

「はーい!」

 子供はそう返事をして、与えた小さな段ボールにおもちゃを入れ始めた。大切なものを、真っ先に選べる純粋さ。それを少し羨ましく思いながら、

「ちょっと古い家だけど、いいかな」

 僕は妻に、そう尋ねた。どうせまた転勤があるだろうから構わない、という返事に安心して、子供と一緒に荷造りを続けた。


 転勤が決まった日、僕は会社から紹介された不動産屋に、ある質問をした。

『一戸建ての借家、ありますか?』

 いくつかあると言うので、実家のあった場所を言うと、

『……そこに物件があると、よくご存知ですね』

 電話の向こうで、営業マンは驚いたように、そう言った。

『あそこは、もうずっと空き家で。……古いし、不便な場所なもので』

 他の物件を紹介する、という申し出を断り、僕はその古い空き家を借りると言って電話を切った。

「小学校まで、ちょっと遠いけど、子供の運動には丁度いいよ」

 車でその家に向かいながら、妻に周辺の地理の説明をした。歩いて行ける場所にコンビニもあるし、車があれば、大型スーパーにも近い。

「六畳の子供部屋が、二つあるんだ。もう一人、増えても平気だよ」

 そう言うと、妻は笑った。

 現地につくと、既に引っ越し業者のトラックが停まっていて、僕はあらかじめ受け取っていた鍵で玄関を開けた。当然、何も無い、ガランとしたリビング。がっしりとした体つきの若いスタッフが、手慣れた様子で床にクッション材を敷き、次々に家具を運んでいった。

「パパ、ここに、パパの名前がある!」

 さっそく、新しい家の中を走り回っていた子供が、声を上げた。

「そうだよ、ここはパパの家だから、当然だろ?」

「すごーい!」

 そんな子供騙しにも、子供は簡単に、騙されてくれる。それなのに、

奈月なつきは、そんな悪戯しちゃダメよ?」

 事情を知る妻が、子供にそう言って聞かせた。


 驚くほど早く家具の搬入が終わり、業者の人間が帰って行くと、積み上げられた段ボールの梱包を解く作業が始まった。荷造りも大変だが、元の場所に戻すのもまた、労力を使う。飽きてぐずりだした子供を寝かせたあと、再び段ボールを開けた僕は、その影から現れた柱の懐かしい傷を眺めた。

『何年か経って、ここに来た時、懐かしいって思えるように』

 確かに、あの時彼が言ったことは、本当だった。もしかしたら彼は、僕がまたここに戻って来ることを、知っていたのかも知れない。そんなことを考えていると、

「それ、友達の名前?」

 妻が尋ねる。

「うん。変なヤツでさ、」

 それ以上は説明せず、ただ笑った。たった二日を一緒に過ごしただけ。変なヤツ、という表現しか思い浮かばなかったが、これほどもう一度会いたいと思う相手は、いない。

「でも、良かったわ。奈月がちょうど、幼稚園を卒園したあとで」

 大方、片付けを終え、段ボールから出したばかりのマグカップで珈琲を飲んでいた。息子はこの四月から、小学生になる。新しい友達を作るには、丁度良い時期に転勤になったと、僕自身も思っていた。

「仲の良い友達が、出来るといいわね」

「できるさ、きっと。人見知りもしないし、明るい子だから」

 呆れるほど自分に似ている。僕は息子の寝顔を眺めながらそう言った。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ