妹以外にももてました
それは例えるなら強風のように。過ぎてしまえばなんてことはなかった。紗雪も、もしかしたら美桜もいなくなってしまって、その記憶さえもなくなってしまうんじゃないかと地味に怖がっていたけど、翌朝何事もなく二人ともいたし、それが二日、三日と続けばもうそんなことを心配していたことすら忘れていた。
「お兄ちゃん、お姉ちゃん、いってらっしゃい」
「いってきー」
「いってくるー」
もしかしたらこの楽しい日々も、まとめて全部見させられてる楽しい夢なんじゃないかと厨二全開の恥ずかしい妄想をして自分で一人寂しく突っ込むくらいには、回復していた。
―どんっ。
出会い頭にぶつかるというベタベタの少女漫画のような出会い方をしたのは、残念だから男だった。まあ可愛すぎる妹2人のおかげで一生分の女運を使ったような気がするし、男であろうと両成敗だ。謝らねば、夏樹が立ち上がって詫びようとすると、げっと声が出そうになった。高校生-同級か年下になるが、今はそんなことはどうでもいい。彼は見事に水たまりにホールインし、これでもかとびっしょり濡れていた。
「ご、ごめん!」
「いや…ぼーっとしていた僕も悪いから…」
そう言って立ち上がった顔を見て、また声が出そうだった。女の子と思うくらいとんでもない美少年-水も滴るいい男というが、こんな泥まみれで帰すには非常に申し訳ない。はまったのが自分だったら良かったのに。
「良かったら…家に来ないか?代わりの服くらいあるし、制服も洗濯して」
「いや、それはさすがに」
「遠慮するなって、すぐ近くだし…親もいないし、あ、そうそう。僕の妹たち、すごく可愛いんだ」
だったら何だというんだ-同級生の友達なら必ず引っかかりそうな誘い文句だが、こんなモテ顔のモテオーラむんむんの美少年なら可愛い妹などに釣られないだろうと思ってたら、少年はふっと笑った。
「そんなに言うなら、見てみようかな」
「おね、おねえちゃ、お姉ちゃんっ」
「んー…」
学校から帰り、お菓子を一気食べし、昼寝をしていた美桜の頬を紗雪が何度も叩く。嫌そうに目を覚ますと、紗雪が馬乗りになって、尚も叩こうとしていたから、起きてるよ、と止めさせた。まばたきを繰り返し起き上がる、紗雪にしては珍しく焦っているように見える。
「何、どうしたの」
「おに、お兄ちゃんが女の子連れて帰ってきた」
「…はあ?」
まさかあの兄に-美桜が笑って玄関へと向かうと、ふっと吹きだした。男物の運動靴だ。
「見間違いでしょ、男子だよ」
「で、でも、すごく可愛かったよ」
「なら、一緒に確かめに行く?お菓子持って行きがてら」
「うん…っ」
「紗雪、服そんなに引っ張ったら伸びるから」
「ひ、引っ張ってなんか、ない」
いや引っ張ってるし-これ以上つつくと泣きそうだな、美桜はお盆を落とさないように夏樹の部屋へ歩いていた。結局1人で運んでいる、彼女は運ぶとはりきっていたが、とても持たせられるような顔をしてなかったからだ。
夏樹に彼女もとい女友達が遊びに来たかもしれないだけで、この動揺ぶり-これはやばいな、美桜は他人事のように笑っていた。超ブラコン、ということでは片付けられなくなったかもしれない。ともあれ、今は目の前の問題だ、両手が塞がっている為、美桜は足で豪快に扉を開けた。
「お兄ちゃん、お菓子持ってきたよー」
「おお、ありがと…あ、火野君。背が高い方が美桜ちゃん高一、低い方が紗雪ちゃん中三。年子なんだ」
「こんにちは…ほんと。2人ともすごく可愛いね」
「ありがとうございます、えへへ-」
笑ってる顔が大分引きつってる自覚が美桜にはあった。兄よ、君の目はどこについてるのだ。下半身にでもついてるのか。さっらさらの髪。男ではありえない可愛い顔。のど仏のない綺麗な喉。痩せてはいるがかすかにふくらみのある体。まん丸手。小さい足。明かに着られてる風の男子制服。男装した女子やないかい、思わず関西弁で突っ込みたいのを我慢して、美桜は夏樹の首根っこをひっつかまえた。
「うわ!?」
「お兄ちゃん、もっといいジュースがあるから、運ぶの手伝ってくれる!?」
「あ、そんな気を使わなくても」
「大丈夫です!ほら行くよ、お兄ちゃんっ」
「分かったから!引っ張るなよ!」
ずるずると引っ張られていき、おろおろとしていた紗雪も、さすがにその場には留まらず2人についていった。3人を見送り見えなくなった後、火野は女の顔で笑った。
「ほんっと可愛い………殺したくなっちゃう」
紗雪は向こう行ってなさいと命じられ、彼女は寂しそうにクッションを抱いてテレビを見ている。後ろから抱きしめたくなるいじらしさだったが、美桜が怖くてそれが出来なかった。台所の隅に詰め寄られ、包丁を持ってないのに包丁を持っているような殺気で睨まれている。
「お兄ちゃん!」
「はい!」
「どのくらいの友達か分かんないけど、今すぐあいつたたき出して!不審人物よ!男子の服を着た女子だわ、あれは!」
「…ああ。やっぱり女の子か」
「…はい?」
気づいてたのか-そう知るなり、見桜の髪は魔王のように逆立った。
「知ってて男友達してんの!?」
「い、いや、今さっき出会ったばっかりだし、それに…男子の制服着てるから、男子ってことに…そういうことにしないと。本人がそう見られたいんだったら、あえて指摘することもないかなって」
この兄は-美桜ががっくりと頭を項垂れる。何も考えてない、何も考えてなさすぎて人が良すぎるところまで達してしまっているというか-イエス、救いようがない。なら私が守らねばとふっと美桜は顔を上げた。
「分かった。さっき出会ったばっかなら、友情壊れても痛くも痒くもないわね」
「な、何するんだ」
「何もしないわよ…何かしなければ」
なるほど男前すぎるな、こいつに任せておけば何の問題もない-というか、正直元々あまり怖がってもない。女の子だと分かれば余計だ。この世にそうそう美桜並みに強い女子がいてもたまらない、夏樹が笑って自室に戻ろうとすると、あれ、と呟いた。
「紗雪ちゃんは?」
そろり、そろり、上がって、上がって、降りて、また上がって。紗雪は1人、夏樹の自室へと向かっていた。手に持っているのは長い犬のぬいぐるみ、割と固いので本人割と真面目に何かあったときの為の凶器に使う予定である。怖くない怖くないと言い聞かせながら部屋に行く。そっと覗いた瞬間、息を飲んだ。火野は夏樹の部屋の隅にそっと監視カメラを仕掛けていた。同性の友達は絶対あんなことしない-やっぱり女の子だ、もしくは変態さんだ。
部屋に突然現れてきた紗雪を見て火野はカメラを隠す様子もなく、さっささと持ち場に戻り、座り直しお茶を飲んで微笑みかけた。
「どうかしたの?」
バカにしているのか-赤くなった紗雪が頑張って唇を痙攣させながらも言葉を紡ぎ始めた。
「あ、貴女は、誰、ですか」
「誰?」
「お兄ちゃんの友達…は、置いておいて、どうして、女の人なのに、男の人の格好してるの…ううん、本当に男の人でも…どうだっていい…お兄ちゃんのこと、好きなんですか?」
「じゃあ、君は?」
「え?」
「君はどうなの?お兄ちゃんのこと好きなの?そんなに真っ赤な顔して怒って、そんなに僕にヤキモチ妬いて、そして今は、僕の質問で真っ赤になってる」
ほんとだ赤くなってる-どうして、戸惑う紗雪の後ろで、扉を蹴り開けん勢いで美桜が割り込んできて、部屋いっぱい震えるくらいの大声で怒鳴った。
「こらあ!弱い者虐め禁止!つうか、あんた何してんのあんた!カメラか、それ」
「お姉ちゃん」
「紗雪は下に行ってて」
「けど」
「いーから」
ね、とウインクして笑って半ば強制的に紗雪を部屋から出すと、名残惜しそうだが階段を下りていった。よし行ってくれたか-先ほど紗雪に笑いかけたのとは全く違う笑顔で美桜は火野を見た。『先生』関係では絶対ない-そうでなければ何の問題もない。ただの変態だ。
「さて、火野さん?火野君?まあどっちでもいいけど。兄ちゃんをどうしてくれちゃう気かな、この野郎」
「兄ちゃん、ね」
「何」
「あなたたち、本当の妹じゃないでしょう」
ぞくり、と背中を冷たいものが走った。しかし美桜は強気に笑っていた。
「何言ってるの。私と紗雪は正真正銘」
「僕の脳が違うって証明してる。彼はずっと一人っ子だった。僕が…僕がずーっと見ていたから」
ばらり、と火野が得意げに出したものを見て美桜はぞっと身を引いた。写真、写真、また写真、一緒に撮った写真かと思えばとんでもない、小さい頃から最近に至るまで、全て夏樹の隠し撮りだった。記憶置換も、まさかストーカーまでは行き届かなかったのだろう。
「どうやって妹になることが出来たの?周りだってみんな信じてる」
「変態にとやかく言われる覚えはないね。あんたこそ何だ、兄ちゃんが好きなのか?小さい頃からずっと?」
「そう」
「じゃあ、何でそんな格好してんの」
それで正体を隠してるつもりか-あの兄は、火野が旧知の仲ということすら覚えてなかったようだから、変装の意味はないが-美桜が答えを待っていると、火野がふっと笑った。
「ブスって言われた」
「は?」
「ブスって言われたの、ブス嫌いって」
驚いた。開いた口が塞がらなかった。兄は少なくても人の見かけを卑下するようなことはしない。だから、そんな分別の利かないような小さい頃にそんなことを言われて-
「だから、男だったら相手にしてくれるかなって…BLだったらいいのかなって」
「いやいやいや」
そしてものすごくへんてこりんな勘違いをしている。頭が痛くなってきた、妙な記憶置換の副作用より厄介だ。変態は、変態なりに、ものすごく変態な道を変態に歩いている。
「何で今なの…もっと前から好きだったんでしょ。ストーカーだってしてた。今どうして男装してまで直接コンタクト取ってきたの?」
「急に妹さんが出来たと思ったら…夏樹君、目が恋してた。二番目の妹さんも。そして多分、まだ無自覚で完全ではないけれど、貴女も」
がらっ!
「だ、大丈夫か美桜ちゃん!お兄ちゃんが助けに来たぞ!」
「お姉ちゃんっ」
「わ、な、夏樹君っ」
「…はは。ははは。かっこよすぎるぜ、兄ちゃん」
笑って、笑って、少し赤くなってしまった顔は笑いすぎのせいにして。
「お邪魔しました」
「二度と来るな!」
「美桜ちゃん…今度はカメラとかなしで来いよ。火野君」
火野『君』は泣きそうに、また、恋心をこじらせて帰っていきました。
「お兄ちゃんは無駄にもてますなあ」
「なんだよ、無駄にって」
疲れて眠ってしまった紗雪の携帯電話を開く。質素な電話帳の中で、夏樹の名前の横にだけ、可愛らしい絵文字がわざわざ付け足されていた。
「この子本気だよ」
そう言うだけ言って美桜は去っていってしまった。夏樹は驚くことも、否定することもせず、落とすように笑って、眠る紗雪の頭を撫でた。
「ごめんな、紗雪ちゃん」
-可愛い妹さんたちだね。
-だろ?
-恋してたり、して
-してるよ
してるよ。おまけに2人ともに。
「ごめんな」
最低な兄ちゃんでごめん、起きてるときに謝れなくて、もっとごめん。