僕が風邪を引きました
はりきって、私がおかゆを作るとでも言い出したら熱どころではなかったが、僕に習いコンビニで買ってくれたことは本当に良かった。熱冷ましも冷えピタもまだ余っていた。
「はいあーん」
「あー」
熱のせいか、あーんもさほど照れない。嘘、嘘です、恥ずかしいです。食べるだけ食べるとさっさと布団の中に入ってしまった。
「今、タオル替えてくるから…ああ!」
本日何度目か分からない大きな音がして、もう夏樹は声もかけない。また何か落としたんだろう。あれはドジっ子というより、ただ横着で乱暴なだけだ。
治ってからの掃除が楽しみだな-呑気にそう思いながら夏樹は大あくびしながら、布団の中に更にもぐりこんだ。
目が覚めると夜だった。汗をかいたせいか、随分熱は下がったようだ。水が飲みたい、夏樹がどっこらしょと立ち上がると、美桜が部屋に入ってきた。
「あ、起きた?」
「飯か?」
「うん、ご飯にしたいんだけど…紗雪がまだ帰ってこないの」
「紗雪ちゃんが?」
夏樹が時計を見る。1日寝ていたものだから、時間感覚などない。いつもならとっくに帰っている時間だ。
「連絡してみたか?」
「お兄ちゃんに何か着てないかと思って」
「僕に?」
そういえばずっとマナーモードだった携帯には、友人の冷やかしメールが数通、そして、紗雪からの着信が入っていた。メールはない。かけ直そうとしていると、ちょうど紗雪が帰ってきた。
「ただいま」
「お帰り、遅かったね」
「ごめん、電話、今気づいた」
「…そう」
明かに沈んだ様子の紗雪がそのまま部屋に戻ってしまい、美桜が肩をすくめた。
「学校で何かあったのかな」
「さあ。飯にしようぜ」
「うん」
食った食った、伸びをしながら夏樹がベッドに体を投げる。風邪は微熱が一番辛い。頭痛薬を手だけで探していると、手に乗せてくれた手があった。顔を上げると、紗雪だった。
「紗雪ちゃん」
「私が看病する」
「い、いいって。もう治りかけだし。それにお前にうつったら大変だろ」
「…ぅ、して?」
言い訳をすれば気づかなかった。微熱で、頭痛くて。
「どうして私は駄目でみっちゃんはいいの?」
紗雪がずっと泣きそうだったことなんて、今更気づいた。
「お兄ちゃん、私のことよりみっちゃんの方が好きなの?」
やばい泣く-慌てるように夏樹が笑うが逆効果だったようだ。紗雪は震えていた。
「ど、どうしたんだよ紗雪ちゃん」
「お兄ちゃん、最近変。私に冷たいし、みっちゃんとばかり仲良いし…わた、私とは、ちょっと前まで、たくさん、一緒にいてくれたのに」
泣く。泣く。紗雪が泣く。そう、言われても、僕、僕には。
「…ごめん」
記憶がないんだ。君と過ごした楽しい楽しい記憶が。
ただ謝るしかなかったのが決定打だったんだろう、紗雪はそのまま、家を飛び出してしまった。
「友達のとこいるみたい」
「そっか」
ほんと友達いたんだな良かった良かった-なんて、現実逃避してる場合じゃなくて。
ココアを飲んで一息ついた夏樹が、美桜を見た。
「なあ、どうしてあいつは記憶置換されたんだ。お前と一緒だったら、割り切って、妹を演りきることが出来たんじゃないのか」
「…」
「それも教えてくれないのか」
-ごめんなさい、先生。
何か言いかけた彼女の口がいつもの動きと重なって、我に返った夏樹は慌てて美桜を見た。
「言いたくなかったら、言わなくていいけどさ。ただ、上手く言えないけど、僕には、紗雪ちゃんは純粋過ぎるよ。ほんとに好きになりそうで」
「兄弟愛で?」
「僕は兄弟いたことないから良く分からないよ」
んー、と考えた美桜が伸びをして立ち上がる。
「実の兄弟でも恋に落ちることはあるよね、お兄ちゃん」
「それ、今しなきゃいけない話か?笑えないんだけど」
「恋は勢いと思い込み」
「恋っていうより、結婚の定義みたいだなそれ」
「正解なんてないんだよ、お兄ちゃん。ただ言えることは、私はあなたを愛そうと努力している。でも彼女は、強制的に愛すようにさせられている。どっちが苦しいか考えてみて。どっちに優しくするべきか考えてみて」
少し考えた夏樹が、紗雪のパーカーを拾って立ち上がった。
「僕は贔屓はしないぞ」
「お、嬉しいね」
「けど、今日は紗雪ちゃんを甘やかす日だ」
情けない話、携帯で呼び出して来てくれるかどうか不安なものがあったか、紗雪は来てくれた。少し、ばつが悪そうではあったが。
「どうしたの」
「あのな、紗雪ちゃん」
ごめんなさいも、愛してるも、全部嘘っぱちだ。だけどそれを彼女にぶち当てるには、あまりに残酷だ。なら。なら。
「熱が高すぎて、ちょっと記憶喪失起こしてるんだ」
「え?」
「僕がどうやってお前を可愛がってたか教えてくれないか?どうしたら、お前は嬉しかったんだ」
「…っ、おに、お兄ちゃんはね…いつも…本読んでくれてね…」
「うん」
「いつも話聞いてくれてね…お風呂も一緒に入ってくれたし…寝るときも…」
「風呂は無理!」
思わずそう言い返してしまうと、紗雪は笑ってくれていた。目からは、雪のような涙がぽろぽろこぼれていた。
「ずるいんだ、おんぶ」
「寝ちゃったんだから、仕方ないだろ」
よいしょ、と持ち直した紗雪は本当によく寝ている。失礼な話かなり控えめだと思っていたが、こうして密着してみるとそうでもないようだ。なので、我ながら人一人背負ってるとは思えない速さで帰ってきた。
「ちゃんと兄弟やれそう?」
「分からん。けど、紗雪ちゃんが泣くのはもう嫌だな」
「うん」
「もちろん、お前もだぞ」
「うん」
お兄ちゃん、かっこつけてみたのはいいが。
「お兄ちゃん…熱い…」
これ 何のエロゲ!?
べったりと、布団の中で紗雪がくっついている。先ほどまでの話の流れ上、出て行けと強く出れなかった。風邪がうつるからと言っても聞きやしない。
「紗雪ちゃん、僕、熱があるから」
「この前熱出たから、もう出ない」
「どういう理屈だ」
「ねえ、お話して」
「お話?お話…」
うーん、と考える。熱と、それからくっついてくる紗雪の熱がぐしゃぐしゃになって、全然頭が回ってくれない。
「何がいい」
「赤ずきん」
「赤ずきん?赤ずきん…」
むかしむかしあるところに-
-うえええ…
-さゆき?どうして泣くんだよ。
-可愛そう。オオカミさん、可愛そう。
-可愛そうじゃない。だっておばあさんと赤ずきん食べちゃったんだぞ。
-でも、ちゃんとお腹から出てこれたんでしょう?なのに…なのに…
あれ。
「…お兄ちゃん?」
何だ今の記憶。慌てて笑った夏樹が紗雪を見る。
「ごめんごめん。えーと、どこまで話したっけ…えーと。オオカミは…実は。良いオオカミで」
「…五月蠅くて眠れなかったんだけど」
「はいはい、すいません」
大あくびをしている美桜と夏樹の向かいで、紗雪は船をこいでしまってた。
あのあと。結局オオカミが良いオオカミでした捏造赤ずきんを作っているうちに、我ながら収集つかなくなり、大長編になってしまった。紗雪も寝てくれないから、引っ込みがつかなかった。
「で、あのあとオオカミはどうなったの」
「知らん」
「はあ、考えてないの!?」
「僕に怒るな!」
「二人とも、時間」
「「あ!!」」
遅刻遅刻、慌てて美桜が飛び出していった為、靴がばらばらだ。夏樹が拾いながら靴を履いていると、紗雪が上着を持って来てくれた。
「ありがと」
「お兄ちゃんもありがと」
「いや」
さすがに恥ずかしかった夏樹が去ろうとすると、腕を軽く紗雪が軽く掴んで、更に恥ずかしいことを聞かれた。
「お兄ちゃん、私とみっちゃん、どっちが好き?」
「…両方!」
いってきます、飛び出した夏樹を、美桜が走りながら待っていた。
「気づいた?紗雪がなっちゃんじゃなくて、お兄ちゃんって呼び始めたの」
「…あ、そういやそうだ」
「次はあなたかもよ」
「止めて下さい!」
新しいタイプの股がけ、と言おうか何といったものか、とにかく、夏樹の小さく臆病な心臓は、2人の妹に、呆れるほど均等に支配されていた。