妹が増えました
いつか夢は覚めるだろうと思ったが、俺の妹は毎日元気に俺の妹をやっていた。朝は俺を起こし俺をプールに連れて行き、夜は宿題見てくれと勝手に部屋に入り、笑い、怒り、そしてまた笑っていた。
朝起きたら裸体で横に寝ていることも、夜半裸で乗っかってることも、お風呂場どっきりすらないまま夏の日は過ぎていく。一度だけお風呂場どっきりはあったが、覗かれたのは俺の方だった。そしてなぜか俺が怒られた。
エロイイベントもフラグも何も起こらないまま、夏休みが終わる頃には、恐ろしい事に、俺は妹がいる日常に慣れていた。両親に詰め寄ることも、親戚中に電話をかけることも、友人に聞き回ることもしなかった。
面倒だし、それ以上に臆病なのだ。唯一尋ねた友達のあの蔑むような目が忘れられない。妹がいるのなら、納得しよう。ただそれだけじゃないか。別に世界を救えとか、妹を攻略しなければ死ぬと言われたわけじゃないんだから-
「なあ、妹のパンツ盗ってこれねぇの」
「これるか」
ただ、こういう思春期離れできていない級友のたわけた願い事だけは、慣れそうになかったが。
「おにーちゃーん!」
「おお」
「カッター忘れた、貸して」
「ああ、ちょっと待ってろ」
俺が筆箱を探してる間、クラスの男供が分かりやすく身を乗り出していた。情けないことは分かっているが、ちょっとだけ鼻が高い。悲しいかな、ちょっと優越感だ。
「はい」
「ありがと…あ、あのさ、お兄ちゃん。今日一緒に帰れる?」
「ああ、別にいいけど」
大分見慣れたつもりではあるが、顔を少し近づかれて目を潤ませられると、さすがにドキリとしてしまう。この世界単位の捏造妹に、俺は襲いかかるどころか、手も握ることすら出来なかった。この捏造妹に創造主がいたとしたら、俺のことをよく分かっていると思う。ヘタレで情けない性格を見抜かれ更に万が一にも間違いを起こさせない為に、彼女ではなく妹に設定した。
「どうかしたのか」
「え、えーと」
珍しく歯切れが悪い。言いづらそうだ、俺は言及しないことにした。
「分かった。終わったらメールする」
「うん、私が迎えにくる。ありがとう」
ちょっと元気になった美桜は、爽やかに走り去っていった。別学年の校舎は何となく行き辛い為助かった。
「お待たせ、帰ろう」
「おお」
なんだかいつもより早足のような気がする彼女についていき、何か様子がおかしいことにすぐに気づいた。何だろう、周りを妙に警戒している。
校門を出たあたりで、どうかしtがのか問おうとすると、いきなり手を握られた。握られたというよりは掴まれた。
「どっ」
情けなくも、声が高くなってしまった。
「何だよ」
「…う、後ろ振り向かずに振り向いて」
「難しいことを言うな」
何だお化けでもいるのか、と思ったが、そこにいたのは、恐らくお化けよりも恐いものだった。美桜をずっと見ていたらしき男子が、俺の視線に気づくと慌てて去っていった。
「い、行った?」
「行った」
「よかったぁ」
へなへなと美桜と膝をつき、俺との手も自然と離れた。それは彼女の余韻を残し過ぎて、腫れていた。割と痛かった。
「ストーカー?」
「多分…先月、付き合うの断った男子だと思う」
すごい、告白って本当にするんだ。されるんだ。
「別に何されるでもなくずーっとついてくるだけなんだけど…あー気持ち悪。男なんて滅んじゃえばいいのに」
「俺も男だぞ」
「お兄ちゃんは特別」
それは兄として、かなりぐらつく台詞だが。
「だって裸の私が失神してても、何もしないでしょ」
男としては相当悲しいものがあるぞ、それ。
それにしても、うちの妹様はもてるらしい。そりゃそうだろう、あれだけ見られてるんだから。級友に聞くには、今まで何度も告白されてるらしい。
彼氏は作らないのか、好きな男はいないのか、クラスの女子にさえ聞けないのに、まさか妹に聞けるわけがない。
「あれ、夏樹。美桜知らない?」
「知らない」
「コンビニってどこまで行ったのかしら」
ざわり、と、耳の奥から警報が鳴った気がした。気のせいだったら、それでいいのだ。
「俺も行ってくる。ノート切れた」
「ああ、ついでに美桜も探してきてね」
言われなくても、最初からそのつもりだ。
うちの近所にはコンビニが三軒あるが、一軒目は不良のたまり場になっていて、二軒目は研修中の新人がいつまでも仕事覚えない上に態度が嫌な奴で、よって一番遠い三軒目に行くのが暗黙の了解になっている。捏造妹がどれだけ家の事情に精通しているのか知らないが、とりあえずそのコンビニから探すことにした。
いない。面倒で、二軒目に行ったんだろうか。携帯電話も通じない、毎日頼っている文明機器と、同じくくらい頼ってる視界に映さないというだけで、無償に心配になる。
あ。
いた。
「美桜ちゃん!」
蛇足ではあるが、呼び捨てに出来ないのは、何だかよく分からない恥ずかしさの為だった。
「お前、電話くらい出ろよ。心配するだろ」
「…」
「おい?」
あれ。
俺の妹、こんなに小さかったっけ。背とか、あと………胸、とか。
彼女は美桜の顔をして、しばらく俺を呆けるように見つめていたが、やがて、やべっと呟き、何と逃げ出した。俺が思わず捕獲する。割とあっさり捕まった。美桜が少しコンパクトになったような彼女だったが、すぐに美桜ではないと分かった。あいつはこんな簡単に捕まらない。
「お前…誰だよ。つうか、お前ら、か。何者だよ」
「…美桜が」
「は?美桜ちゃん?」
「最近男につきまとわれて鬱陶しいからって、ちょっと入れ替わってただけ」
「は、本物は」
「今、部屋でお笑い見てるんじゃない」
「…なんだ、よか」
じゃ、なくて。
「それじゃあ」
「待て待て!」
俺は慌てて彼女の腕を掴んだ。
「何でそんなに美桜ちゃんに似てるんだ。ただの友達なんて言わないよな」
「…酷い…私のこと忘れたの?」
「は?」
「お兄ちゃん」
「…は…」
「ただいま」
「砂雪!もう遅い、心配するじゃない」
「ごめんなさい」
「もー…あ、ありがとう夏樹、迎えに行ってくれて」
「………いーえ。」
そろそろと、アルバムを見て、そろそろと携帯を見て、そして、そろそろと寝室に入った。部屋の大きさは、俺のなじみのある広さの三分の一になっていた。
妹が、二人いることになってる。増えてる。増えてる。着信履歴も、画像も、アルバムでさえ。
いい加減ちょっと恐くなってきた。
けどこんなこと誰に相談出来る。親も友達も、また同じようなこと言うんだろう。そしてもし聞けたところで、また俺を馬鹿にしたような目をするんだろう。
何、何なの。俺に妹を増やしてどうしたいの!?
「砂雪、私のポテチ取った?」
「取ってない」
「嘘、こっち向け!」
可愛い可愛い、俺の妹、らしい、二人。美桜、高一。背が高く活発的、感情の起伏が激しく、よく笑う。砂雪、中三。小柄で消極的、感情の起伏がほとんどなく、何を考えてるかよく分からん。
「あ、ねえねえ。お兄ちゃん。今度三人で遊園地行こうよ」
「はぁ?兄妹でか」
「家族割効くんだって」
「でも、お兄ちゃん、高いとこ駄目だよ」
「あはは、ほんとだ。お兄ちゃんの分までジェットコースター、私が乗ってあげる」
耳の奥から、悩みや疑問を吹き飛ばす風が吹いた気がした。俺の捏造妹たち、家族しか知らない俺の恐怖症を知ってる妹たち、もう認めよう。君たちは妹だ。ただ一つはっきり言っておこう。俺のタイプ丸出しで妹になったことをいつか後悔させてやる。
なんて言えたら。俺は俺なんかやっていない。