妹を探してます
どんどん人気のない道につれてこられ、夏樹はいよいよ命の危機を覚えた。リンチに合う、リンチに合う-震えながらどうにか歩いてついていくと、男が指さした。顔を上げると、いかにもうさんくさそうな-夏樹がとても入れない、いわゆる、やらしい店があった。どう見ても開店前だ。
「コンパの帰りにOBにつれてこられてな…店の奥に、目立つ男がいてさ。可愛い女両脇にたくさん抱えてて。泥酔したOBが絡んだら、そいつ言ったんだ。妹買わない、って」
ぞ、と、夏樹の背中に冷たいものが走った。なぜか、どうか、どうか『先生』でありませんように、そればかり祈っていた。
「爆笑だったよ。誰か買えってOBが言い出してな…俺ンとこ、柄が悪いから、OBも大概でな。周りが明かに震え上がったのが分かったから、俺が仕方なく手ぇ挙げたよ。親がボンボンでアホみたい小遣いくれるし、バイト代も出たばっかだったからな。んで、財布空になって、男に金渡した。そのままなんとなくお開きになって、すぐに帰った。まあ、金はまた貯まる、酔っぱらったってことにして忘れようと思ってたんだよ。そしたら、一人暮らしのはずなのに、女が当然のようにいてさ。妹だって名乗るんだ。金のぶん苛々してたから押し倒したら、プロレスごっこだってはしゃいで………めちゃくちゃ痛かった」
美桜ちゃん、夏樹はわっと顔を両手で覆った。恥ずかしい、顔から火が出そうだ。恋心も兄心も心配すぎる羞恥心も健在だ。
「まあ、俺も暇だったし、とりあえずゲーセンで遊んでたら、お前出て来るし、妹いなくなるしな。金返せってここに文句言いに来る前にお前ぶっ殺してやろうかと思ったんだけどなあ」
怖い!!!
今にもちびりそうになりながら夏樹がどうにか腰を抜かさずに立っていると、ふとあることに気付いた。少しずつ冷静になる頭で考える。この男は、怖いだけの男ではないかもしれない。ここまで話してくれて、それに何より、惚れた女に逃げられた顔をしている。それだけで一気に距離が縮まった気がした。一緒に妹を取り返そうぜブラザー、気さくに話しかけようとするが、あっという間にそれは片思いだということに気付いた。
「何じろじろ見てんだ、ぶっとばすぞ」
「すいません、ほんとすいません、産まれてきてほんとすいません」
夏樹は建物を見上げる。こんな状況なのに、こんな状況だからこそ、後ろ向きになる。この建物の中を調べたところで何もないだろう。ならこの男のしゃべった相手と連絡を―それが出来たら何も苦労していない。そんなこと出来ていたら、きっと今頃この男の腕の中で、先生もしくはその関係者が死にそうになっていただろうから。
ここまで連れてきておいて何もなさそうなのを男も感じ取っているのだろう、少し申し訳なさそうにそわそわしていた。やはり、それほど悪い男ではないらしい。
「えと…調べます?一応」
「そうだな」
男が助かった、というように笑った。奇妙な友情めいたものが生まれたような、ふわふわした感覚があった。
中の様子はひどいものだった。煙草、酒、女の匂いが充満し、とてもじゃないがいい匂いには夏樹には思えなかった。まだ開店までずいぶん時間があるからか、店の中は散らかしっぱなしだった。夏樹にはまずこのやり方が理解出来なかった。今日これから仕事、だというのにこの散らかりぶりではやる気もなくなるだろう。自分だったら絶対片付けて帰る。
とりあえず刑事の真似ごとのように探してみるものの、当然のように妹たちのことは出てこなかった。しかし、関係者が見ればただの泥棒である。しかし夏樹はむしろ、関係者に見つかるなら見つかってしまってもいいと思っていた。何か知ってるかもしれない。妹たちのためなら前科がつくくらい怖くなかった。両親の反応を想像するだけでかなり怖いが。
いくらか探していると、男が、おい、と呼びかけてきた。
「これ見てみろ」
「はい」
名刺が落ちていたようだ、何かあったのだろうか身を乗り出したその瞬間だった。腹から血を噴き出した男が、スローモーションのように倒れた。夏樹の顔は、笑顔だった。
向こうから足音がする。今、この男に傷を負わせ、そして自分も痛めつけようとしている誰か。もしかしたら、最悪殺されるかもしれない。
自分は、先生と、その組織を少しなめていたかもしれない。金を取るし、妹を派遣したかと思ったら誘拐したりはするが、誰も怪我させたりしない、誰も殺したりしないとどこかで思ってた。過信していた。何も信じる証拠がないのに。
「 」
自分の声を抑えるのに必死で、変な声がした。涙が決壊したみたいに出た。下まで泣いてしまったかと思った。逃げろ、血を吐きながら男は叫んでくれた。夏樹は泣きながら名刺を口に含み、飛び出した。これだけは死んでも守らないといけない気がした。夏樹はともかく飛び出した。走って、走って、転がるように走った。
「は、は、はああ!!!」
大きく息を吸い込み、軽く吐いた。自分が生きてることが嬉しい、けど辛い。あの男は無事だっただろうか、警察、救急車、とにかく電話しまくったが、どこまで信じていいか分からない。上手く説明できたかもわからない。自分の目の前で人が死んだかもしれない、夏樹は震えながら、さっきまでいた建物まで戻った。
そこは結構な野次馬になっていた。消防車まで来ている、自分が混乱して呼んでしまったらしい。野次馬をかけわけ、夏樹が目の前を見る。救急車の中へ男が運ばれている。かなり苦しそうだったが、動いてる。動いてる。叫びたくなるくらいほっとした。腹部からかなり出血しているが、命に別状は、携帯電話のフラッシュの音の連打の中どうにか叫ぶと、救急隊員が大丈夫、と乾いて答えてくれた。足の震えは少し止まった。
どうにか無事だった名刺を開ける。涎と口の中で噛んだ血でぐしゃぐしゃだが、読めた。名刺なんて貰ったことないが、高級な紙であることくらい分かった。そこには、夏樹でも聞いたことがある、超有名企業の会長の名前が記されていた。ただの店の客かもしれないが、こんなに有名どころの会長さんが、失礼だがあんな店に来るとは考え辛い。誰かに指定された、恐らく『先生』の組織の誰かに。
そうであってくれ、夏樹は祈るように歩き出した。
全く便利な世の中だ、携帯電話で調べれば有名な会社だったらすぐに住所が分かる。何だったら行き方まで教えてくれる。
大きい、城のような会社を見上げる。夏樹はここに来て、自分の格好に気付いた。学生服、おまけに自分の髪はいつも手入れしているわけではないがバサバサだ。こんな身なりで、どう見てもガキだ、おまけに会長さんだ、会えるわけがない。万が一話を聞いてくれたとして、何て説明したらいいんだ。
夏樹がなすすべもなく会社を見上げていると、ふと、長い長い車が会社前についた。とりまく男性社員、こてこてに太った男性、怖くはないが迫力がある。なんというか、失礼だがガマガエルみたいなのに、カリスマ性のようなものを感じられる。彼が会長だとすぐに分かった。こんなチャンスもうないだろう。声をかけたくて口を開くが、どちらかといえば取り巻きの男が怖くて口が開かない。夏樹が金魚のように口をぱくぱくさせていると、ふと思ってもなかった言葉を叫べた。
「美桜ちゃん!!」
なぜ、どうして、そこにいる、いてくれてると思ったんだろう。高級車の後部座席にうつろな目をして座っているのは、きらびやかな服をきて髪型まで違う美桜だったからすぐに分からなかったが、彼女だった。彼女は何度かまばたきをくりかえし、みるみる、元気いっぱいの猫目になっていった。
「兄ちゃん!!」
しかしそんなやり取りに一切気付かず、会長と男たちは車に戻り、車は出発していってしまった。夏樹は走って追いかけるが、追いつくわけもない。ドラマのように運よく信号で止まったりもしない。大通りの為タクシーがどんどん走ってくるが、初乗りの料金でさえ手持ちが怪しかった。
それでも走って、走っていくうち、何やら大きな声が聞こえた。なんだ、足を止めると、吹き出した。車の窓を何か大きなもので叩き割り、鉄砲玉のように飛び出してきた美桜がいた。
「美桜ちゃん!!?」
しかし彼女は鉄砲玉ではない、人間だ。夏樹が慌てて迎えに行くが間に合うわけもなく、彼女は男前にごろごろ転がった。不幸中の幸いというか草の上に落ちていたが十分痛そうだった。とりまきの男社員たちが彼女を再び乗せようと必死だったが、会長の怒鳴り声が聞こえ、ほどなく車は出発した。夏樹が美桜に近づく頃には、もう車は見えなくなっていた。
「美桜ちゃん!」
「に、兄ちゃ~ん…」
痛かったのだろう、両目から涙を流し、鼻血まで出して、それでも、世界一可愛い、夏樹の妹だった。彼女は夏樹にしがみつき、わんわん泣いた。
「よし…よしよしよし…大丈夫か、貞操は無事か?何なら兄ちゃんがお風呂に入れてやろうか」
「セクハラあああああああ!!」
笑って、笑って、泣いた。抱きついて、抱きしめた。
「大丈夫だよ…あのじいさん、奥さんと娘さんに逃げられたばっかりでさ…そこに先生の部下に目ぇつけられたみたい…ほんと何もされてない。食い物も美味かったし、パーティーも楽しかったけどさ」
「うん」
「けど、変なの。紗雪と兄ちゃんと食べた、コンビニのコロッケの方が美味しかった。会いたかったよ」
可愛い、この野郎、チュウしてやろうか。うずうずしてきた夏樹の胸元の美桜を見て、いやいや、と夏樹は自分でストップをかけた。うずうずしている場合じゃなかった。
「なあ、美桜ちゃん。いい加減、教えてくれないか。お前たちは何なんだ。先生たちの組織はなんなんだ。助けていいのか、助けて悪いのか、一緒にいていいのか、駄目なのか、教えてくれないと、僕はどうしようもないぞ」
それは祈るような言葉だった。正直言って、理由など分からなくても、美桜が自分といることを望んでくれれば、世界の果てだって逃げると言い出すだろう。無責任に。しかし、やつらも慈善団体ではないことはよく分かった。目の前で、人が死にかけたから。これは遊びではない、家族ごっこでは済まされない、自分みたいなちっぽけなガキ一人じゃどうしようもないことは分かったからだ。
美桜は空を仰ぎ、もう限界のようにため息をついた。彼女だって、本当はずっと相談してくてたまらなかったかもしれない。あまり秘密や嘘に向いてなさそうだし。
口を開きかけて、美桜は、あっと叫んだ。
「兄ちゃん、それより前に、大変なことを思い出した」
「な、なんだ、どうした」
「紗雪を助けて。あの子、私よりずっとやばそうなとこに買われた」




