妹を捜してます
「母さんな、昔、宗教にはまってたんだよ」
それは、八十円アイスを父と肩並べて食いながら聞くにはあまりにヘビーな話だった。せっかく買ってもらったアイスをほぼ落としそうになっていると、父は、淡々と話を続けた。
「俺の母さん…もう亡くなったから、あまり悪くは言いたくないんだがな。自分が俺と兄貴しか産めなかったもんだから、女の子をとにかく欲しがってな。お前が出来たときも、あからさまにがっかりして。お前が小学生になっても、中学生になっても女の子、というか子どもも出来なくてな。まあ、母さんはお前を可愛がってたし、もうあまり女の子の話もしなくなった。だから、まあ、さほど気にしてなかったんだよ。俺の母さんも天国行ったしな。思いもしなかった。宗教に金出して、女の子を授かるように祈ってたなんて」
驚いて、汗さえかいて聞いてる夏樹を見て、父親が、おっと、と、笑った。
「まだ、お前には早かったか」
「いや…大丈夫。続けて」
「うん。まあ、母さんは運がいいのか悪かったのか…借金するほど金出してなかったのが救いだったのかな。少しずつ、ローンみたいに入れていってた。人の良さそうな男でね、父さん若かったから、ちょっと妬いていたんだ。まさか、あんな、宗教の人間で、おまけに母さんから金を受け取ってた男なんて分かったら、父さん許さなかったけどな」
「それは…どうして分かったの?」
「うん。お前を高校に入れるときに、入学金が、少しだけ、足りなかったんだ。母さんが貯金してたの知ってたからね、私も別に責めるつもりなく、なんとなく、何に使ったんだって聞いたら…母さん泣いて泣いてな。そんで目が覚めたみたいだ。全部話してくれた。私は、責める気にはなれなかったよ。むしろ、気づけなかった自分が恥ずかしかったな」
「………そうか」
「ショックか」
「いや、全然」
そこに嘘はなく、むしろ、晴れ晴れした気分だった。誇らしくさえあった。更に言えば、謎が一つ解けた気がした。間違いなく、その人の良さそうな男というのは『先生』 だろう。もしくはその関係者か。ともかく母は、少しずつ少しずつ金を払い、そして、夏樹の妹を『買って』くれていたんだ。
「もう、お金は払ってないんだろ?」
「うん、もちろん。ただ…母さんもうっかりだからな。引き落としの口座解約してなかったみたいで、本当に微々たるお金なんだけど、まだ落とされてたみたいで、発狂してたよ。まあ、ほとんど入ってなかったみたいだけど」
「なるほどね」
そしてまた更に謎が解けた。なぜ高3になった今になってか。捏造妹へのお金がいくらになるかしらないが、その額に達した瞬間、彼女たちが家に来たのだろう。紗雪以降妹が増えなかったのは、母親の口座預金が尽きたせいだ。
「でも父さん、なんで僕にこんな話したの」
「お前に背負ってもらおうと思ってな。妹の愛情の分も。帰ってから、何事もなかったかのように、また母さんの息子でいてやってくれ。もう妹の話なんてするんじゃないぞ」
「うん、分かった」
分かった、けどね。
「…あ、あら、夏樹お帰り」
「ただいま。母さんの好きなのも買ってきたよ」
「あら、ありがとう」
ほっとしてる。死ぬほどほっとしてる。大丈夫、貴方の息子は捏造妹に鍛えられ、随分強くなりました。そして、親孝行してみようなんて、気持ち悪いことも思えるようになりました。
この部屋のなんと広いこと。なんと寂しいこと。彼女たちを望んでいたのは、誰よりも、母親だったのに。そして、もちろん、夏樹自身も。
「ちょっと出かけてくるよ」
「え、い、今から?明日じゃ駄目なの?」
「うん。大丈夫、すぐ帰ってくるから」
「そう…いってらっしゃい」
「いってきます」
行って来ますを言ったら、ただいまを言わないといけない。なんて恥ずかしいことを重いながら、夏樹は走る、走る、走る。3人分のお帰りを母親に聞かせる為に。
最初に行ったのは、病院だった。熱が出た美桜を運び、そして始めて『先生』に会った場所。しかし病院があるはずの場所は、先生がいないどころか建物ごと廃虚になっていた。驚いたのは、さほど驚いていない自分だった。建物が消えたくらいでは動じなかった。
次に行ったのは、ファーストフード店だった。先生と美桜たちが会っていた場所。夜遅くなので割と店内は空いていて、あっと言う間に店内を探し終えることに成功し、そして、早々と諦めた。いない。
次は学校だ、と思った瞬間に、携帯電話の時計を見た。もう門限だ。母親を心配させたら本末転倒だ。結局何も手がかりがないまま、夏樹はしぶしぶ家に帰った。記憶がなくなってしまうのが怖くて眠れないかと思ったが、悲しき成長期はいつの間にか寝てしまっていた。記憶は無事だった。また、泣きそうになった。
「はい、お弁当」
「ありがと」
美味そうな普通の弁当だな、笑う夏樹を母が不思議そうに見た。
「どうしたの?」
「いや、何でも。いってきます」
「いってらっしゃい」
さて、またいってらっしゃいを言われてしまった。ただいまを返さなければならない。急いで学校に向かった。急いだせいで早く着きすぎた。教室の中には既に級友が何人かいた。
「おはよー」
「おう、今日は早いな」
「おはー」
よし、柏木はいるな。なぜか、いやなぜだろう、こいつだけは絶対に大丈夫だという自信があった。あごで促して廊下へ呼びつけると、彼はなぜ呼び出したか分かったような顔で廊下へ出てきてくれた。
「お、告白かー?」
「そうだ、邪魔すんなよー」
「ばーか…なんか、あいつ、雰囲気変わらなかったか?」
最後に級友の一言が聞こえた。捏造妹にもてた恩恵か、俺にもてまくりオーラでも少し残っているのだろうか。関係ない。明日からクラスの女子、隣のクラスの女子、果ては女教師に告白されようとも、俺の心は揺らぐまいよ。
「で?どうしたんだよ。血の繋がってない妹は。何で誰も覚えてないの?」
「やっぱ覚えててくれたんだ、お前は…いや、実はさ」
話していいものかどうか分からなかったが、もう失って困る妹はいない。一気にまくしたてた。我ながらよく分かってない説明だった、そりゃそうだろう、全容を理解してるわけではないから。ある程度話し終えると、柏木はずっと何かを考え込み、顔を上げた。
「すごいこと言っていいか」
「おお、なんだ言ってみろ」
「俺にもいたかもしれない。捏造兄弟」
「ええええええええ!?」
「兄貴、だったけど」
がく、っと夏樹の肩が落ちた。勝手に思い込んでた、サービス心で異性の兄弟を寄越してくれるものだと。けどよく考えたら、どの捏造兄弟も『先生』の関わる一団(そんなものが存在するかどうかも分からないが)に依頼するのは普通に考えて、ある程度稼ぎある、つまり大人である確率が高い。そうなると、同性の兄弟を望んでも不思議ではない。
「俺のきおくちかん?とかいうのは上手くいかなかったのかな。兄貴がいないって泣いて泣いて、親、めっちゃ困ってたよ。そりゃそうだろうな、両親の記憶は消えてたんだから。それから俺、すげえ熱出てさ。ガキだったし、それで忘れた」
「熱…」
夏樹がふむ、と考え込む。そういえば紗雪はやたら風邪を引いていた。あの健康そうな美桜も、そして夏樹も熱を出した。考えすぎかもしれないが、あれはもしかして、記憶置換の副作用だろうか。
「けど、お前、今、覚えてるよな」
「うん。引っ越すとき、見覚えのないサッカーボールがあって、ああ、そういえば兄ちゃんいたな-って。そのときはもう中学生だったし、特に騒ぐことなく、風邪の副作用か何かだと思っててさ。けど、お前に妹が出来たとき、そんなわけないあいつは一人っ子だろと思う度、頭くらくらしたんだ。それで、逆に思い出した」
「なるほど」
また、考え込む。応えが出なくても考え込む。記憶置換はそう何度やっていては耐性がつくのではないだろうか。もしくは夏樹みたいに全く効かない人間も、もしくはこうして思い出す柏木のような相手も-
あれ。
「どした」
「なあ、俺がぶん殴っちまったゲーセンのヤンキー覚えてるか」
「ああ、覚えてるよ、もちろん」
「あいつ、確か、言ってたんだ。やっぱり妹なんて買うんじゃなかった、って。あいつなら、記憶置換が上手くいってないかもしれない。覚えてるかもしれないんだ。しゅう…っ、いや、どこの勧誘業者で買ったか」
「おお、なるほど!冴えてるな、馬鹿のくせに!」
「うるさいな!」
母の名誉の為に、柏木に一つだけ嘘をついた。宗教ではなく、悪い勧誘業者だと。記憶が蘇った柏木には意味がなかったかもしれないけど。
「あれ、欠席か?」
「夏樹君なら下痢ピーでーす」
ありがとう、本当にありがとう。あと、ついでに嘘ついてくれるなら、もっとマシな嘘ついてくれ-
夏樹は走り出した。頼みはもう、あのゲームセンターしかなかった。走って、走って、走り続けた。途中、ちょっと転びかけたけど。
ゲームセンタに着いた。制服ならすぐに気づかれるだろうと焦った小心者だったが、いいことはあった。
会いたかったぜこの野郎-
「こ、こんにちは」
「ああ!?」
殴られたら終わり殴られた終わり-いや、美桜が、紗雪が戻ってくるなら-
男はすぐに見つかったが、前回よりも更に生まれたての子鹿のような両足で、どうにか、倒れずに、男の前に立つことが出来た。しかしすぐに限界を達し、我ながら綺麗に土下座が出来た。
「いつかは!本当に!申し訳ありませんでした!」
「…っ、お、おい…」
「更に申し訳ないんですが!僕は彼女に、彼女たちに会いたくて仕方ないんです!死にそうなんです!いや、もう死にます!いっそ死にます!!」
「待て待て落ち着け!あと顔挙げろ、馬鹿!」
あ、意外と悪い人じゃないかもなー笑いかけた夏樹が吹っ飛ばされた。要は殴られたんだ。鼻血も出た、頭もぐらんぐらんする。夏樹がどうにか起き上がると、男はふんっと、吐き捨てた。
「これでチャラだ。俺もあんたに会いたかったぜ。ついてこい」
警察を呼んでくれそうな店員を見て、夏樹は大丈夫です、と片手を挙げて合図をした。殴られたせいか、あまり恐怖はなくなった。いや、頭がぐらぐらして考えられないかもしれないけど。




