妹が出来ました
ジリリリリ…ジリリリリ…
五月蠅い、五月蠅い目覚まし。
「お兄ちゃん起きて!お兄ちゃん!!」
五月蠅い妹。
「…今…起きた…今………ぅ…」
「甘い!布団から出て立ち上がるまでが起床!」
「お前は教師か」
起きます起きます、夏樹が大あくびしながら立ち上がると、美桜は満足そうに微笑んだ。
師走。
世間がどれだけ忙しかろうと、朝はいつでもどこでも誰にでも、忙しさを与える。
「お兄ちゃん、醤油取って」
長女美桜。高一。
「おい、僕のパーカーどこだ」
長男夏樹。高三。
「なっちゃん、それ、私の」
次女紗雪。中三。
「やば、もうこんな時間!行こう、お兄ちゃん!」
「はいはい」
「いってらっしゃい」
「いいなあ、紗雪は。中学校近いから、まだゆっくり」
「お前、口の横。ジャム」
「おっと」
忙しく、騒がしく、それでいて平和で、誰も止めることも、突っ込むこともない日常。日々は何事もなく、事件もイベントもましてやエロスチルもないまま過ぎていく。
僕だけを、置き去りにして。
世間は受験戦争の追い込み真っ最中だろうが、夏樹たちは申し訳ないほどに平和だった。いわゆるエスカレーター式で、問題も起こさず平均より少し上の成績さえ収めておけば、ほとんどがそのまま大学に繰り上がりを約束されていた。
「…十二月か」
「…なんだしみじみと。受験でもしたくなったかー?」
「止めろ、今更受験とか禿げるから」
「俺んとこなんて、親が塾入れとか今更言い出してさー。みんな勉強してるんだから、あんたもしなさいって」
「あー、うちも何か言ってた」
-ばん!
いきなり夏樹が壁を叩き、談笑していた級友たちが一気に彼を注目した。
「…どした」
「…なんでも。ちょっとトイレ行ってくる」
「おお、いってらっしゃい」
やっぱり。やっぱり、誰もつっこんでくれない。誰も、疑問を言ってくれない。もう二週間も待ったのに-
トイレで叫びたかった。けど止めた。
父会社員、母パート、夏樹は一般家庭に育った。『一人っ子』として。
父母はもっと兄弟が欲しかったようだがそれは叶わず、それを埋めるかのように夏樹を私立に入れ、これでもかと広い子ども部屋を与えた。欲しいものは常識の範囲内であれば与えられ、やりたいことも同じく常識の範囲内であればやらせてくれた。代わりに悪いことをすれば殺される勢いで怒られ、その甲斐あってかないのか、まあある程度常識のある一般的高校生に育った。
あれは忘れもしない。十一月の第二日曜日。
何も予定もなく、かといって家にいたら母が掃除しろ何だの五月蠅い為、非難するように用もないのに本屋にいた。
新刊ならもう上旬に購入隅。諦めたものは小遣いが足りない。表紙だけ見て戻したりを繰り返していると、後ろから気配が近づいてきた。
「お兄ちゃん、私、先帰るよ」
「んー」
今棚に戻そうと思った本を落とすかと思った。誰だ、誰ですか、今の。
人違いだよな-しかし、可愛い子だった。夏樹はごまかすように、本を戻し、慌てるように、逃げるように帰宅した。まさか先ほどの彼女に会わないように、気を使って、馬鹿みたいだ。
「お帰り」
「お帰りー」
「…おう。」
家に帰っても、その美少女はいた。
多分年下だろうが、高めの身長、可愛いがちょっと生意気そうな大きな目が印象的で、あと、あまり見てはいけないような気もするが、胸も大変ご立派だった。
「美桜、宿題終わったの?夕飯前にやっときなさい」
「はーい」
みお-名前も可愛い。じゃ、なくて。
「夏樹あんたも」
「…はい」
母よ、なぜ貴女もそんなに普通なんだ-思いながら、思いながら、僕は。なぜか、美桜の存在を突っ込めなかった。
思えば、うちの家は、昔からやたら親戚が尋ねてくる家だった。親戚の中でどういう立ち位置にいるかなんて、子どもには割とどうでもいいことだ。そのとき尋ねてきた人に愛想良くし、土産と、いつもより豪華になる夕飯を楽しみにする、それだけのことだ。
今回もきっとそんな感じで、親戚が遊びに来たのだろう。年の近い親戚は男しかいなかったはずだけど、きっと僕の記憶違いだ。
そう強く自分に言い聞かせるように夏樹が何度も頷きながら自室のある二階に向かい、自室を開けると、目を疑った。部屋の中は何も変わっていない。中身は変わっていない、が。何か圧縮されてる。
まさかーと思って廊下に慌てて出た。当たらなくていい予想が当たっていた。
なかったはずの隣室が出来ていた。その扉の前には、ファンシーな看板があり、『美桜の部屋!ノック絶対!』と、看板ファンシーなのに覇者のような字で書いてあった。
そこまで書いてある手前まさか勝手に開けるわけもなく、かといってノックしても彼女に詰め寄る勇気もなく、夏樹は疑問で首を傾げっぱなしのまま、自室に戻った。
部屋が、用意されている。一晩で?いつの間に??
「おかーさん、晩ご飯はハンバーグがいい」
「あんたが作りなさいよ」
何か、僕の母親をお母さんって呼んでいますけども。
結論。夢!!
よし、と頷き、夏樹は晩ご飯が出来るまで仮眠を取ることにした。その日、結局夜はハンバーグらしきもので、僕が思わず炭かと問うと、美桜から回し蹴りを喰らった。
「お兄ちゃん、起きてー」
「…はい。」
それから朝が来て、また夜が来て、また朝が来ても、その夢は覚めることはなかった。美桜はずっと、夏樹の家族として、そこにいた。
「週末テストだって、最悪-。お兄ちゃん勉強した?」
「してるわけないだろ」
夢は、美桜は、あまりにも巧妙に、自然に、そこにいた。
男友達と母親だけだった空しい携帯履歴は、まるで最初からそうであったかのように美桜の名がちらほらあった。何年も昔から。
男友達とネタ画像と無理矢理送られてきたエロ画像しかなかった携帯ファイルには、愛らしい美桜の顔がところどころ混ざっていた。
部屋は相変わらず僕の部屋は圧縮されたまま、母は時にわがままな美桜に手を焼きながらも可愛がり、家では新聞を読みっぱなしの父も美桜におねだりされると若干嬉しそうだった。
なんだこれ。なんなんだ、これ。
夏樹は頭を抱える。何だか自分の記憶が一番疑わしくなってきた。だって僕以外、美桜を完全に受け入れている。誰も不思議そうにしていない。級友なんて、美桜を紹介しろと毎日五月蠅い。夏樹は一人っ子だっただろう、なんて、誰も言ってくれない。
「あ、今日のお弁当!ハンバーグ入れたよ!」
「あの炭をか」
「…」
「美桜ちゃん、無言で腹を殴るの止めて」
美桜。呼び捨てにするには恐れ多く、ちゃん付けにするのも恥ずかしかったが、家族が、世界が、彼女を僕の妹にしたがっている為、さん付けも不自然で、かといって僕の名字で呼べるわけもなく、ちゃん付けだ。この気恥ずかしさにも、美少女との会話にも、やっと慣れてきた。
背は高め。あと胸がでかい。そのくせ腹はくびれてる。要はスタイルがいい。長い髪を一本で縛り上げ、男前に輝く目は、猫目で、生意気。けどなんかすげえ可愛い。気が短くすぐ手を出そうとする。家事は苦手。感激屋で、CMでも泣いたりする。運動神経抜群だが、勉強は苦手。
はっきり言おう。ものすごくタイプだ。いやもうぶっちゃけ可愛くて胸がでかいというだけで当たりだ。
一体誰が何の目的でこんな巧妙なことをしたんだろう。夏樹は機械類に疎い方だが、携帯履歴と画像ファイル、あと部屋の構造くらいはどうにかなりそうだ。あと夏樹の人間関係は家族と高校だけに等しいから、そこだけ話を合わせていけば割と簡単そうだ。
誰が-何の目的で。
サプライズにしては時間が経ちすぎている。テレビの企画にしては動きがなさすぎる。要はエロいイベントが起きない。何か起こってくれるのだろうかと押し倒す-ことはまさか出来ず、腕を恐る恐る触ってみると、なぜか腕相撲開始と勘違いされた。手首が折れるかと思った。
手を出す勇気も甲斐性も、疑問を口に出すことも、誰か突っ込むこともなく、何とびっくり十日が過ぎた。慣れとは恐ろしいものだ。
いい加減疑問を感じるのも馬鹿らしくなってきた頃、それはまた突然やってきた。
「…なっちゃん…」
「………あ?」
「…頭…痛い…」
「…うわああああああああああ!?」
何かまた、種類が違う可愛いのが、眠っていた夏樹の上に跨っていた。
「うわ、熱っ!あんたまた熱出したの?」
「みっちゃん頭痛い」
「それはさっき聞いた」
夏樹の部屋はまた圧縮されていて、廊下に出ると、やはりというか何というか、また部屋が増えていた。シンプルな看板に、紗雪の部屋、と、細い字で書いてあった。
携帯の履歴に紗雪という女の子が増えていることも、画像ファイルの中にまた紗雪が混ざり増えていても、驚きすぎて、一周して、逆に驚けなかった。
「お兄ちゃん、ドラッグストア付き合って」
「あとアイス…」
「いいから寝てなってば」
「なっちゃん、いってらっしゃい」
「………はい。」
こうして、また、夏樹に妹が増えた。
また翌朝妹が増えているんじゃないか、そのうちエロゲー並みに増えたりして、なんて、怯えて良いのか興奮していいのかよく分からない夜、眠れない、わけもない、よく寝る十代、成長期。
それでもそれなりに頭が痛い日々を数日。紗雪との会話にも、紗雪が増えた日常にも、慣れてしまった。