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硝子の向こうへ

作者: 文斗

ガラスを割りたい。


全く頭に入ってこない担任の授業を横目に、ふとそう思う。

この窓ガラスを割ったら、何か変わるんじゃないかって。

自分が使っている机を持ち上げて、そばにある窓ガラスに向かって思いっきり打ち付ける。高いヒステリックな破壊音と共に教室中にガラス片が飛び散って、生徒の悲鳴が鳴り止まなくても狂ったようにガラスを割り続ける。そして、自分ひとりが出ていけそうなぐらい窓が割れたとき、私はそこから逃げ出すんだ。


なんてね。我ながら馬鹿みたいな妄想で笑える。


だいたい、この教室があるのは三階だ。窓を割ってそこから脱走なんてことは、もれなく重傷か死を意味する。抜け出すなんて可愛げのあるものではない。もっと切羽の詰まった最終手段だ。

まだ、私にはそこまでの手段を選ぶ気になれない。今はせいぜい、板書をノートに書き写しながらこんな妄想をしてみるくらいだ。

でも、窓を割りたいのは本当だ。この表現しきれない苛立ちや焦燥感をどうにかしたくて、何かを壊すことでなら消化できる気がするから。

そして今、私のそばには窓ガラスがある。締め切った窓は汚れでうっすらと曇っているおかげで、外の風景を少しよどませた。

こんなにも近くに逃げ場所はあるのに、この部屋から逃げ出すことはできない。

学校ってなんなんだろ。規則を守れだの課題を出せだの。全部めんどくさい。そんなに生徒を拘束して、何が楽しいんだ。

開放されたい。

もっと、自由になりたい。

ガラス窓から降り注ぐ日差しに若干の鬱陶しさを感じながらも、真っ青な空を見上げては、ただただ憧れた。



部活が終わり家へと帰っている途中、うっかり教室に忘れ物したことに気づいた。仕方なく学校に逆行せざるを得なくなり、同じ制服を着た生徒とすれ違う度自分がひどく哀れに思えた。潔く学校に忘れていけばいいものの、それがないと課題が出来ず、課題が出来ないと教師に怒られる。それが嫌だから、やっぱり取りに戻る。そうやって、なにひとつ面白みのない無難な生活をこなしていってしまい、自分で自分をつまらなくさせているのだから阿保らしくなってくる。

昇降口は既にしまっていたが、職員玄関を使えばどうにかなる。本来なら職員室に行って断わるべきなんだろうけど、面倒だからそのまま教室へ向かう。ローファーも証拠隠滅のため、持ち歩くことにした。

今の季節だと放課後は電気をつけないと真っ暗で何も見えない。私は、携帯のライトを使っていつもの道を辿っていった。

自分の教室に着くと、電気をつけて自分の机の中を探る。課題をするのに必要だったプリントを見つけて、すぐに家へと帰ろうとした時、つい窓の方をかいま見てしまった。

そこには私の姿が映っていた。

ごく当たり前のことだ。電気がついていて外が暗ければ、ガラスは光を反射して簡単に鏡のようになる。私はその作用に驚いたのではなく、映っている自分の姿に驚愕した。

生きてるのか死んでるのかわからない精気の抜けたような顔がそこにはあった。

嘘だ、私は普段ずっとこんな表情していたのか。こんな惨めで情けない表情をか。

なんの輝きも放たない能面が、自分の姿に愕然とし、少しだけ歪んだ。

ふと、あの衝動が生々しく蘇える。


ガラスを割りたい。


見たくない、こんなもの。違う、私はこんなはずじゃない。

迷いながら、片手で机を掴む。今なら大丈夫だ。教室にだって誰もいない。

壊せる、きっと。

手が震える。それでも、壊してしまいたくてたまらない。見つかってしまったらのことなんて何も考えずに、いろんなことを忘れて、ただ壊したい。

鼓動が速まり、もう片方の手でも机を掴む。


その時、パリーンッという耳をつんざくような高音が何処からともなく聴こえた。

これはきっと、ガラスが割れた音だ。


急に我に帰り、自分がしようとしていることの不始末さやら背徳さやらを思い出す。

何をしようとしているんだ、私は。

学校のガラス割って、どうするんだ。見つかったらきっと教師に相当叱られる。そもそも同級生の私を見る目が、悪い方へと変わる。そんな危ういことをして、何になるんだ。今までのよく言えば平和で無難な生活が一変して、失うものばかりじゃないか。

少し正気に戻って、呼吸を落ち着かせる。とにかく早く帰らなくちゃ。私がガラスを割ったと誤解されるかもしれない。


というか、そもそも割ったのは一体誰なんだろう。


不審者とかだったらどうしよう。母校に恨みがあって燃やそうとすることだって、最近のニュースを見ている限りいつ起きてもおかしくない。もしそういう類のものだったら、私はどうなってしまうんだ。

一刻も早くここから出ようと、ローファーとプリントと携帯をぞんざいに掴み取り、階段を駆け下りる。その途中で、またガラスが割れる音がした。さっきよりもずっと近くにその音を感じて、徐々に近づいていっている気がする。怖くて怖くて仕方がないけれど、降りなければなにも始まらない。一階に行かなければ、帰れないのだ。

階段を降り終わり、恐る恐る一階に足を踏み入れると、音はもっとクリアになった。それはどうやら一年四組から聴こえてきているものだ。

ここから出るにはやっぱり職員玄関に行くしかない。もしそこで教師に会っても、忘れ物を取りに来たと正直に言えばいいし、それこそこのガラスが割れる音が聴こえ続けていれば、誤解は免れる。でも、職員玄関へ行くには、この一年四組を通らなくてはならない。

そっと、冷や汗が右頬を流れた。怯える感情を殺して、すくんだ体を奮い立たせて廊下を歩く。ガラスが割れる音はだんだんと大きさを増していく。

とうとう四組を通り過ぎる時、怖くてたまらないのにそれでも少し気になって、私はおずおずと四組に目を向けてしまった。私がやりたくても出来ずにいたことを、いとも簡単にやってのけてしまうあなたは、一体どんな人なの。

戸は開いている。私はそこからほんの少しだけ中の様子を覗いてみた。

教室は惨憺たる有り様だった。窓ガラスの大半が割れ、あちらこちらに破片が飛び散っている。机や椅子もぐじゃぐじゃで、列を乱しきって倒れていた。

教室内にいたのは、この学校の制服を着た男子だった。


とりあえず、ずっと不審者だとばかり思っていたため、拍子抜けしたと同時にすこぶる安堵した。

教室にいる男子は少し小柄で(といっても私と同じくらいで)、何年生なのかはわからない。もしかしたら同学年だったりするだろうか。上履きの色で確認したいけれども、薄暗くて判別できない。

彼はどうやら外側からガラスを割って入って来たのではなく、内側から割っているらしい。

後ろ姿しか見えないけれど、左手に少し錆びたような金属バットを持って、右手で頭を掻いている様子ならわかった。不良なんてうちの学校にはいなかったような気がするのだけれど、私が知らないだけだろうか。

そんなことをふと考えていると、彼は左手に持っているバットを右手に持ち直すと、突然後ろを振り返り私に向けて振りかざした。

「だーれだ?」

心臓が止まるかと思った私の予想を裏切り、彼はにこやかに屈託なく笑った。

「あれ?せんせーじゃないのか」

彼は少しがっかりした風に言うと、また前を向き直した。

一体なんなんだこの人は。

今まで怯えて半ベソかいていたのが、馬鹿みたいじゃないか。

自分にも彼にも呆れて脱力し、とっとと帰ってしまおうと思ったころ、また彼がガラスを割り出した。

なんの躊躇いもなく、いっそ清々しく見えるぐらいに、ハチャメチャにガラスを割っていく。

よく見えないけど、彼は笑ってるはずだ。

羨ましかった。私があんなに躊躇してもできなかったことを、こんなに楽しげにやっている。どこまでも破天荒なその様子が、真っ暗の中だというのに私には眩しい。


「混ざってもいい?」


振り向いた彼は私の言葉を聞くなり、きょとんとしてみせた。

「私もガラス、割ってみたいの」

勝手に口が開いて、私の本心を一気に喋らせた。君になら言える。

だって、君だってそう思ったからやってるんでしょ。

「いいよ。どうぞお使いくださいっ!」

彼は純粋そうに笑って、金属バットを両手で丁寧に手渡してくれた。彼の目はよく見ると少しつり上がっていて、やんちゃな猫っぽく見えた。


バットを握りしめると、また鼓動が速まり、興奮してくる。

もう迷いなんてない。彼と共犯だったら、なんでもできてしまう気がする。

私は窓ガラスの前に立ち、思いっきりバットをガラスに打ち付けた。

散々聴いたガラスの割れる音を、今度は私が鳴らす。間近で聴こえる破壊音と飛び交う破片に快感を覚えながら、日々の苛々や焦りが溶けていっていくような気がした。

あの妄想の中にいるかの如く、私は狂ったようにガラスを割りまくった。たまに破片が手をかすって血が出てきても気にしない。その痛みさえも心地いいぐらいに、私はガラスを割っている最中本当に狂っていたのだと思う。


「…ありがとう」

手当たりしだいのガラスを割り、もう割るところがなくなった頃、私はようやくバットを彼に返した。

「スッキリした?」

「とっても」

「やっと笑ったね」

あ、本当だ。何故だか、とてつもなく久しぶりに笑った気がする。決してそんなことはないのに。

「キミも相当病んでるねー」

「そ、そんなつもりは…」

キミも、というところが引っかかった。とてもじゃないが、彼は病んでいるようには見えない。

「俺ねー、明日学校サボろうと思ってんだ」

彼は伸びをしながら、そう言った。

休んだら犯人だってすぐバレちゃうとか、そういうことは考えないのだろうか。

「もしよかったら、来る?」

「え?」

ガラスが一切無くなってがらんとした窓から、少し冷たい風が入ってきて彼と私の髪を柔らかく揺らした。

まさか誘われるとは思ってもみなかった。

「嫌いでしょ、こんなとこ。逃げ出してみない?」

男子からのこんなに軽いお誘いは初めてだ。本来なら信用できないところだけど、「抜け出す」ではなく「逃げ出す」と言ったことが気に入ってしまった。

「どこへ行くの?」

「自由になれるならどこへでも。未来をいちいち想像したってつまんないでしょ。なるようにしかならないんだから、行き当たりばったり上等だよ」

彼はニカっと悪戯っぽく笑った。なんだか、彼にだったらどこへでもついて行ってしまいそうだ。

「どうする?共犯者さん」

今度はニンマリと笑い、私の答えを急かす。ここで共犯者と言うのは、ずるい。

「行きたい。私も行かせて」

もうそんなの、こう言うしかないじゃないか。

「よし!じゃあ明日の5時駅集合なー!私服で来いよ」

「5時!?ちょっと早くない?」

「全然早くない、俺はね。来れないようならおいてくぞー」

そう言いながら、彼は自分で割った窓からひょいっと体をくぐらせて、外に出た。

「ちょと、待ってよー!」

私も窓から外へと出て、彼の背中を追いかける。けれども、彼の姿は瞬く間に見失ってなってしまった。

まるで彼の背中からは翼が生えてるんじゃないかと思うぐらい、何をするにも軽やかでいて、自由に見える。でも、本当はまだ自由を追い求めている途中なんだ。


明日が楽しみに思えるのは久しぶりだ。私をあっさりとガラスの向こうへ連れ出した、君との明日はきっと明るい。

そういえば、まだ彼の名前を知らない。明日、駅でちゃんと聞こう。そして、私の名前は相沢詩穂だって、彼に言おう。


end.





本来なら、教師はもっと早急に気づいてすぐに現場に駆けつけてくるはずです(笑)

まあ、そこは小説なんで御愛嬌下さい!


ここまで読んでいただきありがとうございましたm(_ _)m



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