「可愛い妹の身代わりになれ」と仰いますが、私を溺愛する王太子殿下が黙っていません
事の発端は、数日前まで遡る。
私の妹であるリリアナが、グランツ辺境伯レオポルト様の屋敷で開かれた茶会へと招かれた日のことだ。
辺境伯のお茶会に招かれたリリアナは、いつもより浮かれていた。
屋敷の回廊に展示されていた辺境伯家の家宝──代々受け継がれてきた由緒ある大粒の宝石に、好奇心から勝手に触れてしまったらしい。
その際、うっかり手を滑らせて大理石の床へと落とし、宝石が真っ二つに割ってしまったのである。
当然ながら、厳格と名高いレオポルト様は激怒なさった。
我が伯爵家に対して責任を追及したが、貧乏貴族である我が家に金銭での弁済が出来るはずがない。
そうでなくとも、その宝石はどれほど大金を積んでも買い戻せない、レオパルド様の一族の誇りそのものだ。
たとえ金銭を用意したとしても、それで解決するとは思えない。
そこでレオパルド様は、ある要求をなさった。
『金銭面での弁済が不可能なら、リリアナを私の嫁として嫁がせろ。それが、貴様らが唯一できる償だ』
……と。
それを聞いたリリアナは、父の胸元に顔を埋めて泣きじゃくった。
『いやよ、お父様……っ! 辺境になんて嫁ぎたくありません! あんな恐ろしい化け物のような顔をした辺境伯様のもとへ行くくらいなら、死んだ方がマシですわ!』
リリアナがそう言うのも無理はない。
レオパルド様は辺境伯として見事な手腕を発揮しており、王家からの信頼も厚い。
だが、一方で齢五十の男性で、その厳しさと醜男っぷりは社交界で有名だった。
今まで何度か縁談は組まれたが、その度に他家から断られ、結婚にまでは至らなかったらしい。
リリアナは、というとふわふわとした金色の巻き髪が特徴的で、姉の私から見ても可憐な容姿である。
多くの男性と逢瀬を重ねてきて、王都でも絶世の美少女と謳われている。
いくら相手が辺境伯とはいえ、齢五十の醜男に嫁ぎたくないのだろう。当然、荒れた。
『ええ、そうよね。可哀想なリリアナ……。こんなにか弱くて愛らしい子が、華やかな王都を離れて辺境の地で暮らすなんて、耐えられるはずがありませんわ。ねえ、あなた』
妹を溺愛している母も、そんな感じである。
どうすればいいのだろうか。リリアナを醜男と評判のレオポルト様に嫁がせたくないが、そうでもしないと彼の怒りは治らないようである。
考えに考え抜いた結果、父はこのような決断を下した。
『そうだ。エレノアに嫁がせればいい。エレノアがリリアナの身代わりとして、グランツ辺境伯のもとへ行け』
──と。
そして、現在にまで時間が至るのである。
「……私が、ですか?」
屋敷に帰ってきたと思ったらいきなりそんなことを言われ、つい聞き返してしまう。
父は執務机で腕を組み、私に厳しい視線を向けている。
リリアナは目元をハンカチで押し当て、しくしくと泣いている。その姿はまるで演劇の一幕のようだと思った。
「そうだ」
さも当然と言わんばかりに首を縦に振る父。
「お前は姉なのだから、可愛い妹を守る義務がある。辺境伯には『娘を一人差し出す』と返事をしておけば角は立たないだろう。地味で社交界でも目立たないお前なら、突然いなくなっても誰も気にしないはずだ」
あまりの父の一方的な言葉に、私は怒りを通り越して、呆れてしまった。
幼い頃から、私はずっとこうだった。
仕立てたばかりの美しいドレスも、母から譲り受けるはずだった装飾品も、リリアナが欲しがれば全て取り上げられた。
『お前は姉なのだから我慢しなさい』
そんな魔法の呪文のような言葉一つで。
私はいつだって妹の引き立て役にされてきた。
「それはいい考えね!」
先ほどまで泣き続けていたのかはなんだったのだろうか。
涙をすっかり引っ込め、母の腕の中から顔を覗かせたリリアナの口元には、勝ち誇ったような笑みが浮かんでいる。
「私のために役に立てるなら、お姉様も嬉しいでしょう! ほら、お姉様。早くお父様に『はい』と仰って? それで全てが丸く収まるのよ!」
「そうよ、エレノア。あなたはお姉ちゃんだもの。当然、妹のために我慢できるわよね?」
母もリリアナの味方をし、私に返答を急かしている。
これまで多くのものを譲らされてきた。
キレイなドレスも、欲しかったネックレスも、全て妹のために。
それなのに、今度は私の人生そのものまで差し出せというのか。
拳を固く握り締め、私が返事をしようと口を開きかけた──まさに、その瞬間だった。
「俺の愛する人を身代わりにするとは、ずいぶん面白いことを考えるな」
重厚な執務室の扉が前触れもなく開かれる。
そこから姿を現したのは、一人の見た目麗しい青年だ。
輝くような黄金の髪。全てを見透かすような蒼い瞳。
彼が現れただけで、室内の空気が一変する。
「ア、アルベルト殿下!?」
父がいち早く青年の正体に気がつくと、彼──アルベルト殿下は冷ややかに鼻を鳴らした。
「ど、どうしてアルベルト殿下がこのような場所に……!?」
「そ、そうです。それに、先ほどの先ほどの『愛する人』とは、一体どういう意味でしょうか……?」
突然の王太子の来訪に、両親は顔を真っ青にして椅子から立ち上がる。
一方、リリアナはソファの上で石のように固まっていた。
「そのままの意味だ。エレノア──俺は彼女を愛している。俺の愛する人を妹の身代わりに差し出そうとは、いい度胸だと思ったまでだ」
そう言って、アルベルト殿下は真っ直ぐに私のもとへと歩み寄ってきた。
私の隣に立つと、まるで宝物でも扱うかのように優しく私の肩を抱き寄せる。
「お、お姉様が、王太子殿下の愛する人……!? 私じゃないんですか?」
ここで石のように固まっていたリリアナが、この光景を前に目を見開く。
いつも見下していた地味な姉が、国一番の貴公子であるアルベルト殿下に寄り添われているのだ。リリアナにとって、今の状況はよほど信じられないらしい。
「『私じゃないんですか』だと?」
アルベルト殿下はリリアナを見下ろし、鼻で笑う。
「一体、どうすればそのような考えに至るのか──理解に苦しむな。エレノアから聞いていたが、君の妹の頭の中はとんだお花畑らしいな」
呆れた、と言わんばかりにアルベルト殿下は額を押さえる。
そして、私の肩を抱く力をさらに強いものとし、
「今日、俺はエレノアに婚約を申し込み、受け入れてもらった。正式な婚約発表に先立って、両親であるお前たちに挨拶をするためにここへ訪れたわけだ」
と続けた。
「そ、そんなバカな……」
父が唖然とする。母もリリアナも似たような反応だ。
声を震わす父に、アルベルト殿下は氷のように冷たい蒼い瞳を向ける。
「屋敷に到着した直後、室内から聞こえてきた会話を耳にしてな。しばらく観察させてもらったが……まさかエレノアを、そこのバカな女の身代わりに差し出そうとしているとは。わざわざ礼を尽くす必要はなさそうだな」
「そ、そんな……! お待ちください、殿下!」
顔色を失った父が、慌てて頭を下げる。
母もようやく我に返ったのか、立ち上がって必死に弁解を始めた。
「誤解でございます! これはあくまで我が家の内々の問題でして……! それに姉が可愛い妹を助けるのは、家族として当然のことではありませんか!」
「そうだわ、エレノア! あなたからも殿下になにか言ってちょうだい! 家族の危機なのだから、私たちを助けるのは当然のことよ!」
この期に及んでまだそんなことを言う両親に、私は心の底から冷めきっていくのを感じた。
姉が可愛い妹を助けるのは当然──。
それが家族としての義務なんだから──。
今まで、散々同じような言葉を浴びせられてきた。
しかし、この人たちにとっていつも大事なのは自分だけ。
自分たちがどれほど異常なことを言っているのか、本当に理解していないのだ。
「あら、おかしいですわ。お父様、お母様、リリアナ」
このままアルベルト殿下に喋り続けさせるのは申し訳なく感じ、私は口元を広げた扇で隠し、クスクスと笑う。
「レオポルト様の屋敷で家宝の宝石に勝手に触れたのも、床に落として壊したのも、全てそこのリリアナの仕業じゃないですか」
「それはそうだが……」
「なのに何故、その場にすら居合わせなかった無関係な私が、リリアナの不始末の責任を負わなければならないんですか? 頭がおかしくなりましたか?」
「う、ぐっ……! だ、だが、いつもお前は……」
父は言葉に詰まり、リリアナは気まずそうに顔を背ける。
反論したいんだろう。『いつもお前は、妹の身代わりになってきた』と。
だけど、言えない。私の傍にはアルベルト殿下がいるからだ。殿下の前でそんなことを言っても、火に油を注ぐ形にしかならないことを感じている。
「そもそも、辺境伯が求めているのは当事者へのけじめだ」
アルベルト殿下は震える彼らに向かって一歩踏み出し、逃げ場を塞ぐように冷酷な言葉を突きつけた。
「無関係なエレノアを身代わりに差し出したところで、あの厳格な男が納得するとでも思ったのか?」
「ひっ……!」
「それになにより──この俺の婚約者を、本人の意思も確認せず他家へ売り飛ばそうとした罪は重い。これは俺──さらには王家に対する重大な侮辱とみなすが、その覚悟はあるのだろうな?」
圧倒的な威圧感を放つアルベルト殿下の言葉に、父はガタガタと震えながらその場に膝をつく。
母もリリアナも、もはや言い返す言葉すら出てこないのだろうか。青ざめて俯いている。
──今まで「姉なのだから」という理不尽な言葉で縛り付けられてきた。
だが、もう我慢しなくていいのだ。
彼らの身勝手な論理は今、アルベルト殿下によっていとも簡単に打ち砕かれた。
長年の重荷がすっと消えていくような感覚に、私は思わず深い吐息を漏らす。
「こんな連中のために、君がこれ以上時間を割く必要はない」
隣から穏やかな声。
顔を向けると、さっきまでの冷徹な表情が嘘のように、アルベルト殿下が甘い眼差しで私を見つめていた。
彼はそのまま、私の目の前にスッと大きな手を差し出す。
「行こう、エレノア。君がもう、何者の身代わりになる必要はない。君の居場所は、俺の隣だ」
「はい、アルベルト殿下」
私は迷うことなく、差し出された手を取る。
背後で父や母が何かを叫び、引き止めようとする声が聞こえた。
けれど、私はもう二度と振り返らない。
こうしてアルベルト殿下と屋敷を後にし、私は己を長年縛り付けていた鎖から解放されるのであった。
◆ ◆
私とアルベルト殿下が初めて出会ったのは、今から半年ほど前のことだった。
始まりは、王家が主催する平民向けの慈善活動。
本来であれば華やかな場所が好きなリリアナが、そこに出席するはずだった。
しかし、その日はあいにくの悪天候。
ドレスが汚れるから嫌だと駄々をこねる妹の身代わりとして、私が参加させられることになった。
またか……と呆れてしまったが、いつものことである。出席するはずのリリアナが行かなければ、王家からの信頼も堕ちるだろう。
ゆえに私は半ば生贄に捧げられるような気持ちで、慈善活動の活動に向かった。
会場では目立たないよう、会場の隅で炊き出しなどの裏方の仕事を手伝った。
そんな私に声をかけてきたのが、たまたま視察に訪れていたアルベルト殿下である。
『君は、先ほどから休むことなく働き続けているな。少しは休んだらどうだ?』
突然の王太子殿下からの労いの言葉に、ひどく驚いたのをつい最近のことのように思い出せる。
それからというもの、私と彼は王宮の催しや図書室などで偶然を装って顔を合わせるようになった。
歴史書や政治の本について語り合い、時には国の未来について意見を交わす。
そんななにげない日々が、とても楽しかった。
最初は、殿下のようなお方が私のような地味な令嬢を気にかけてくれるなんて、なにか裏があるのではないかと警戒した。
常に妹の引き立て役として生きてきた私にとって、他人の好意を素直に受け取ることは難しかったのだ。
しかし、アルベルト殿下は違った。
身分を振りかざすこともなく、いつも私の言葉に静かに耳を傾け、時に優しく笑いかけてくれた。
『君は聡明だ。物事の本質をよく見ているし、見返りを求めない優しさがある』
そう言って、妹ではなく──私自身をしっかりと評価してくれたのは、人生で彼が初めてだった。
穏やかで満たされた時間を重ねるうちに、私は少しずつ彼に惹かれていき──やがて、それは確かな恋心へと変わった。
そして、今日。
いつものように図書室で言葉を交わしていた時、アルベルト殿下は私の手を取り、真摯な眼差しでこう言ってくれた。
『俺の隣で、共に未来を歩んでくれないか。君以外の女性を愛することなど、俺には考えられない』
その言葉がどれほど嬉しかったことか。
長年、家族の中で軽んじられてきた私を、アルベルト殿下は認めてくれた。
私は喜びで胸をいっぱいにしながら、その申し出を受け入れたのだった。
……だというのに。
プロポーズを受けて両親に挨拶をしようと思ったら、妹の身代わりとして別の男性へ嫁がされそうになるだなんて、とんだ笑い種。
あまりにも間抜けな出来事に、私は思わず小さく苦笑を漏らしてしまった。
◆ ◆
実家を出た私たちは、乗り心地の良い王家の馬車に揺られ、王宮への道をに進んでいた。
向かいの席に座るアルベルト殿下は、今もニヤニヤと笑みを浮かべている。
「それにしても、面白いものが見られたな。俺が君との婚約を明かした瞬間、ヤツらの顔が一瞬にして真っ青になった」
先ほどのことを思い出すだけで笑いが込み上げてくるのか、アルベルト殿下は楽しそうに肩を揺らした。
「しかし、あれほど当然のように君を身代わりにしようとしていたのだ。少しくらい思い知ればいい」
「そうですね」
少し意地悪に笑う彼に同意しつつ、私は窓の外へ視線を向ける。
遠ざかっていく実家を見ても、全く情の気持ちが湧いてこない。
今頃、父と母はどうしているだろうか。
リリアナは泣き喚いているだろうか。
レオポルト様への弁済はどうするつもりだろうか。
そして──彼らはこれから、どうなっていくだろうか。
考えれば考えるほど疑問が湧いてくるが、実家を出た私には最早、関係のないことである。
これまで育ててくれた恩を、全く感じていないと言えば嘘になる。
だが、それは妹の身代わりとして数え切れないほど我慢を強いられてきたことで十分に返したはずである。
彼らが今更どうなろうが、私の知ったことではない。
「随分と清々しい顔をしているな」
窓の外を黙って眺める私に、アルベルト殿下が声をかける。
「優しい君のことだから、家族の行く末を案じているかと思ったが……俺の杞憂だったようだ」
「ええ。長年縛り付けられていた鎖からようやく解放されたんですもの。過去を振り返っている暇はありません」
「頼もしいことだ」
アルベルト殿下は感心したように頷くと、私の頬にそっと触れた。
「今までの君は、不遇な人生を強いられてきた。しかし、もうなにも我慢する必要はないんだ。君に降りかかる火の粉は、俺が全部払ってやる」
「……っ! ありがとうございます」
優しい言葉をかけられて、私は頬に熱が帯びていくのを感じる。
……本当にこの人、優しいのよね。
顔もいいし、今まで婚約者の一人すら作ってこなかったのが不思議に思えるくらい。
今まで、やりたいこともやれなかった。
しかし、アルベルト殿下は『我慢する必要はない』と言ってくれる。
新しい人生の幕開けに全く不安を感じていないわけではないが、私の側にはアルベルト殿下がいてくれる。
彼の手の温かみを感じているだけで、無限の勇気が湧いてくるというものだ。
「王宮に到着すれば、正式な婚約発表に向けて忙しくなるぞ。王太子妃としての厳しい教育も始まる」
アルベルト殿下はすっと表情を引き締めて、こう続ける。
「一般的な礼儀作法はもちろん、王家の歴史や法律、さらには他国との外交に至るまで、覚えることは山のようにある。生半可な覚悟では到底乗り切れないだろう」
少しだけ脅すように──もしくは、試すようにアルベルト殿下は私の目を真っ直ぐ見つめる。
普通の令嬢ならば、これから先の過酷さに恐れをなして腰が引けるかもしれない。
だが。
「望むところですわ」
私は口元に笑みを浮かべ、はっきりとそう答えた。
「どんなに厳しい教育でも、必ず食らいついてみせます。アルベルト殿下の隣に立つに相応しい女性になれるよう、全身全霊で挑む覚悟です」
「ふっ……君ならそう言うと思っていたよ」
アルベルト殿下は堪えきれないといった感じで、吹き出した。
──妹の身代わりとして、目立たず、我慢して生きることを強要されてきた。
だからこれから新しい知識を存分に吸収し、自らの能力を発揮できる正当な場を与えられると考えると、怯むどころか嬉しくなってくる。
「しかし、君……いや俺たちなら、きっと乗り越えられる。どんな苦難が待ち受けていようとも、俺は君の剣となり盾となる。共に歩もう。これから開かれる、輝かしい未来に向けて」
「ええ」
迷いなく頷く。
私を見つめるアルベルト殿下の蒼い瞳には、私への信頼と愛情が溢れていた。
私も彼を真っ直ぐ見つめ返しながら、これから新しく始まる人生に胸を躍らせるのであった。
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