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追伸は必ず。  作者: 科上悠羽


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フェーズ1:第7話 棚にしまう、でも消さない

中学の教室、高校の廊下、大学の掲示板のそば。

どこにでも現れる「応援ポスト」には、毎週ちがうHELPが届く。

返事を書くのは、同級生かもしれない。先輩かもしれない。先生かもしれない。

共通しているのはひとつだけ。

“追伸だけは必ず。”

応援コーナーの紙は、季節より少し早く、校舎の空気を変える。


下駄箱エリアの掲示板の一角。生徒会が運用している「応援コーナー」。

HELPとTHANKSの色違いの用紙があり、返事は誰でも書ける。先生が書くのはたまに。ほんとに、たまに。


そして、追伸だけは必ず入る。


私がその決まりを知ったのは、今年度の途中だった。

生徒会の子が、職員室の入口で小さな紙箱を抱えて立っていたときだ。


「先生、回収箱、預かりお願いします」


箱には太字のラベルが貼ってある。


『回収箱(いったん預かる)

※返さない

※でも、消さない』


返さない。消さない。

それはたぶん、大人が思うよりずっと、難しい。


「重くない?」


私が聞くと、生徒会の腕章をつけた子が、少しだけ胸を張った。


「重いっす。今日、板が働きすぎで」


板。掲示板のことを、そう呼ぶらしい。

真顔で言うから、こちらも真顔で頷いてしまう。


「板、休暇届出した?」


「出しました。貼りました」


「じゃあ、うちの棚も休ませる」


私が箱を受け取ると、紙が中でふわっと鳴った。

紙はいつも、音で仕事の量を教える。


「……あの」


受け渡しが終わったところで、生徒会の子が言いにくそうに言った。


「この箱って、先生が読んだりします?」


読まない、と言うのも乱暴で、読む、と言うのも踏み込みすぎる。

応援コーナーの紙は、誰かの心が一回しゃがんだ形だ。そこを見下ろすのは、いちばんやりたくない。


私は箱のラベルを指で軽く叩いた。


「回収するのは、掲示板の表から、だよね。

中身は、運用のために必要な分だけ。読まずに済むなら、読まない。

でも、危ない匂いがしたら、それは大人の仕事」


生徒会の子は、少し安心した顔をした。

その顔を見て、私は思った。応援コーナーは子どものものだけど、運用は大人の責任が混ざる場所なんだ、と。


「それで十分っす。お願いします」


箱が私の腕の中で、ずしりとした。

ずしりは、重さじゃなくて、預かる覚悟のほうだ。


職員室の奥には、小さなロッカーがある。私の担当の棚。

「保健室」シールが貼ってあるファイルが並ぶところだ。


私は箱を机の上に置いて、まずチェックシートを探した。

箱の内側、いちばん上。生徒会の字で書かれている。


『バレンタイン束

回収日:__

掲示数:__

預かり追加:__(貼られていない紙含む)

注意:返さない/でも消さない』


その「貼られていない紙含む」の一行が、妙に刺さった。

貼れなかった紙も、持ち歩いた紙も、ここに来る。ここが最後の駅になる。


私はペンを取って、空欄を埋める準備をした。

そのとき、箱のふたが少しずれて、中の紙が見えた。


色が混ざっている。

THANKS、HELP、返事用の白。

そして、白じゃない小さなメモ用紙も、たぶんある。勝手に貼られたやつ。板宛てのやつ。


私は視線を外した。見たら読んでしまう。

読んだら、心が勝手に引き受けてしまう。

引き受けるのは、ここでは順番がある。


順番を守るのは、仕事だ。優しさじゃなくて、仕事。


箱を閉じ直して、私はロッカーの鍵を開けた。

棚の奥には、透明のファイルが束で置いてある。

表には、簡素なラベル。


『バレンタイン束(預かり)』


このファイルは、誰にも返さない。

でも、消さない。


紙は、残したいから残すんじゃない。

残さないと、消えてしまったときに、もっと痛むから残す。


私は箱からファイルを取り出し、慎重に紙を移していった。

ピンで刺さない。ホチキスで留めない。

挟む。挟んで、休ませる。


そうしていると、不意に、職員室の入口から声がした。


「先生、すみません、ちょっといいですか」


高校の子。制服のまま。鞄を抱えている。

目がちょっとだけ泳いでいるのに、逃げない目だ。


「どうした?」


「その……保健室の先生、今います?」


「今は会議。どうした?」


彼は口を開いて、閉じた。

言いにくい言葉は、だいたい胃のあたりに溜まる。言わなきゃ、出ない。出したら、軽くなる。


私は机の角を指でとんとんと叩いた。

ここは応援コーナーじゃないけど、似たような空気は作れる。


「短くていい。HELPでもTHANKSでもない、って顔してるけど」


彼は、ふっと笑いかけて、すぐに真面目な顔に戻った。


「……あの、昨日」


昨日、という言葉が、校舎の中でまだ熱を持っている。

バレンタインの翌日は、みんなの言葉が少しだけ乾かない。


「昨日、断りました。受け取れないって」


彼はそれだけ言って、息を止めた。

次の一言を待つのは、こちらの仕事だ。


「言えたんだ」


「言えました。台本みたいに。……掲示板で見たやつ」


掲示板。応援コーナー。板。

この子は、あの紙を読んで、言葉を借りたのだろう。


「で、相手は」


彼は目を伏せた。

伏せたまま、言った。


「泣かなかったです。

泣かせないで済みました。

……良かったのか、分かんないけど」


良かったか、分かんない。

その手触りが、すごく正しい。


バレンタインの話は、だいたい「成功」か「失敗」にされる。

でも本当は、成功も失敗も、ほとんどが途中だ。


「分かんない、でいいよ」


私は言った。


「分かんないままでも、言えたのは事実。

泣かなかったのも事実。

その二つが今週の記録。来週の君が、少しだけ楽になるやつ」


彼は、少しだけ肩を落とした。

肩が落ちるのは、諦めじゃなくて、力が抜けるほうの落ち方だった。


「……ありがとうございます」


「THANKS、だね」


「……はい。THANKSです」


彼はそこで、鞄の中をごそごそして、小さな紙を一枚取り出した。

色違いの用紙ではない。メモ用紙。角がきれい。たぶん、誰にも見せない前提で書いた。


「これ、掲示板に貼ろうと思ったんですけど、やめました。

貼ったら、勝手に大ごとになりそうで」


メモ用紙の上には、短く書いてある。


『THANKS

昨日、誰も悪者にならなかった。

追伸:板、休め。』


追伸がある。ちゃんとある。

追伸があるだけで、紙が「その人の声」になる。


私は少し迷ってから、頷いた。


「貼らない選択も、正しい。

でも、消したくないなら、預かる方法はある」


そう言って、私は机の引き出しから、透明の小袋を出した。

保健室にある、あれだ。忘れ物の薬袋と同じ形。


「これに入れて、今日だけここに置く。

明日、気が変わったら掲示板に貼ってもいい。

気が変わらなかったら、そのまま君の鞄に戻す。

返す。これは、返すやつ」


「……返すやつ」


彼はその言い方で笑った。

笑いは短い。高校の笑い。短いから効く。


「はい。これは返す。

回収箱のは返さない。

分けるのも、順番」


彼は深く頷いて、小袋にメモを入れた。

入れた瞬間、目が少し楽になったように見えた。


「じゃ、明日また来ます」


「おいで」


彼が職員室を出ていくとき、私はふと思い出して言った。


「板の休暇届、もう出てるからね」


「板、休暇」


彼はその言葉を口の中で転がして、もう一度笑った。


---


箱の回収作業に戻る。


透明ファイルの中で紙が落ち着いていく。

落ち着く、というのは、消えることじゃない。

ただ、刺さりっぱなしで走り回らなくていい状態になることだ。


最後の一枚を挟み終えたとき、私はファイルの表紙に小さく追記した。


『バレンタイン束

預かり完了

板:本日休暇』


書いてから、少しだけ自分でおかしくなった。

板に休暇を出している時点で、もう充分変な職場だ。


でも、変でいい。

変じゃないと、誰も助からない日がある。


ロッカーの鍵を閉める前、私はファイルの隅に、付箋を一枚貼った。

誰にも見せない、仕事のためのメモ。


『追伸:

返さないのは冷たさじゃない。

消さないのは甘さじゃない。

順番を守るのが、いちばん優しい日がある。』

頑張る人ほど、追伸に救われる。

追伸は週1以上、基本は14時更新

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