フェーズ1:第4話 乙女、ログイン
中学の教室、高校の廊下、大学の掲示板のそば。
どこにでも現れる「応援ポスト」には、毎週ちがうHELPが届く。
返事を書くのは、同級生かもしれない。先輩かもしれない。先生かもしれない。
共通しているのはひとつだけ。
“追伸だけは必ず。”
大学棟のロッカー前は、風がちょっとだけ理屈っぽい。
中学の下駄箱前みたいに、感情がむき出しでぶつからない。高校みたいに、空気が勝手に走り出してもいない。代わりに、紙とペンと時間割が、全部いったん「手順」になる。
だからこそ、応援コーナーが目立つ。
ロッカー列の端。生徒会の貼った「応援コーナー」の札。
HELP と THANKS の用紙は、大学棟だけほんの少し厚い。紙の角がきっちりしていて、触ると「ちゃんとしてる」と思える。
ちゃんとしてる紙は、ちゃんとしてない気持ちを受け止める。
その日、昼休みの終わりかけ。
白衣の袖をちょっとだけまくった女子が、掲示板の前で止まっていた。
名前は書かない。ここでは、みんなそうする。
代わりに「学年」か「所属」だけ置いていく。
彼女は用紙を見て、HELP を一枚抜いた。
ペンは黒。迷いがないように見えて、文字を書く直前に一回だけ息を詰めた。
『HELP
バレンタインの準備が、恥ずかしいです。
恥ずかしい、って書くのも恥ずかしいです。
理系の女が包装紙を選んでるの、乙女ぶってる感じがして、無理です。
でも、渡したい人がいます。
本命とかそういう言葉にすると、さらに無理です。
「ありがとう」と「これからも」の間の気持ちです。
どう準備すれば、恥ずかしさで死なずにすみますか。
(大2)
追伸:死ぬは言いすぎでした。』
追伸が付いているだけで、少し笑える。
少し笑えると、助かる。
紙はピンで留められた。
大学棟のピンは刺さりがいい。板が大人だ。
それでも、貼った本人の肩は、貼ったあとに少し上がっていた。
貼ったことで“やらかした感”が増すの、わかる。
彼女は足早に去っていった。
白衣の裾が、ロッカーの角をかすめる。
残ったのは、HELP と、追伸と、空気の微妙なざわめき。
「理系の女が包装紙を選んでるの、乙女ぶってる感じ」
それを読んだ誰かが、笑いをこらえそこねて、喉を鳴らした。
笑っていいのか、笑ったら失礼なのか、その境界に足を突っ込んだ音だった。
夕方、応援コーナーの前に、ひとりの男子が立った。
学食のトレーを持ったまま、読んでいる。
手がふさがってるのに読みに来るのは、相当だ。
彼は返事用の白紙を取り、細い字で書いた。
『大2へ
乙女ぶってる、って自分で言えるの、かなり理性強い。
でもね、包装紙を選ぶのは「乙女」じゃなくて「包装」です。
包装は機能です。
中身を守る、受け取る側の手を汚さない、見つけやすくする。
だから、包装紙選びは“合理”です。
合理なら、理系の勝ち。
追伸:色は一色でいい。二色にすると負ける。
(大3)』
最後の追伸で、学食のトレーが微妙に揺れた。笑ってる。
二色にすると負ける、は、意味がわからないのに妙に真理っぽい。
次の返事は、字が丸い。
『大2へ
「本命」とか「義理」とか、分類しなくていいよ。
分類すると“正解”が生まれて、恥ずかしさが育つ。
だから分類やめよ。
渡したい相手がいる、それで十分。
準備は“道具”で済ませると恥ずかしさ減る。
・袋(入れるだけ)
・リボン(結ぶだけ)
・シール(貼るだけ)
この三つは、やることが少ないから勝てる。
追伸:理系の勝ち方は「工程を減らす」。
(大1)』
工程を減らす。
それは研究でも、レポートでも、人生でも、たぶん正しい。
だからこそ、掲示板の前で頷く人が増える。
頷きは音がしないのに、増えると空気が変わる。
最後の返事は、誰かが勢いで書いた字だった。
ペンの圧が強い。
『大2へ
乙女ぶってる感じが無理、わかる。
でも“乙女ぶり”って、ぶってるから悪いんじゃなくて
「見られる」前提にするとしんどいんだよ。
だから見られない場所で準備しよ。
通販で袋買う。
コンビニでチョコ買う。
家で入れる。
終わり。
恥ずかしさは「他人の目」だから、目を消せ。
追伸:白衣は正装。むしろ格好いい。
(院生)』
“目を消せ”が物騒なのに、内容が健全で笑う。
応援コーナーは、たまに物騒な言い方で平和を運んでくる。
翌日。
件の大2は、また掲示板の前にいた。
今度は白衣じゃない。ニットの袖。
それだけで、昨日より“人間”っぽい。
彼女は返事を読んで、口を閉じたまま笑った。
声にすると負ける笑い。
「二色にすると負ける」で、肩の緊張が落ちた。
「包装は機能」で、目が少し楽になった。
「工程を減らす」で、勝てそうになった。
「目を消せ」で、勝てる気がした。
彼女はTHANKSを一枚取った。
紙が厚い。大学棟のTHANKSは、ちゃんとしている。
『THANKS
返事くれた人へ。
包装は機能、で救われました。
私はたぶん、恥ずかしいんじゃなくて
“乙女カテゴリに入れられる”のが嫌だったんだと思います。
分類やめます。工程減らします。目を消します。
今日、袋を一色で買います(二色にしません)。
追伸:白衣は正装、うれしかったです。
(大2)』
貼ったあと、彼女は少しだけ立ち止まった。
掲示板の端に、用紙補充のチェック欄がある。生徒会の小さい印。
そこに、誰かが鉛筆で小さく落書きしていた。
『二色にすると負ける、流行ってて草
追伸:三色は爆発』
誰が書いた。
院生か。大3か。生徒会か。
たぶん誰でもいい。
彼女は耐えきれず、ふっと声を漏らした。
「……爆発はしない」
その独り言が、通りすがりの大1に拾われる。
「爆発しないっすよ。……でもテンションは爆発するかも」
「テンションは……しない」
「しますよ。袋買うだけでテンション上がる人います」
「それは……乙女?」
「それは勝利です」
その返しで、彼女は完全に笑ってしまった。
笑ったら負けると思っていたのに、笑ったら勝ちだった。
応援コーナーの前は、今日も少しだけ静かで、少しだけ駅で、少しだけ楽だった。
掲示板は今日も大人だ。
二色にしなければ、たぶん機嫌もいい。
追伸:工程を減らすと、心の工程も減る。だから袋は一色でいい。
頑張る人ほど、追伸に救われる。
追伸は週1以上、基本は14時更新




