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追伸は必ず。  作者: 科上悠羽


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34/43

フェーズ2:第13話 遠足当日、集合の三分だけ勝つ

中学の教室、高校の廊下、大学の掲示板のそば。

どこにでも現れる「応援ポスト」には、毎週ちがうHELPが届く。

返事を書くのは、同級生かもしれない。先輩かもしれない。先生かもしれない。

共通しているのはひとつだけ。

“追伸だけは必ず。”


---


 遠足の朝は、集合場所が着いた瞬間に遠くなる。


 家を出るまでは、まだ一本の線だ。

 起きる。着替える。鞄を持つ。水筒。しおり。靴。玄関。

 そこまでは、昨日の夜からつないだ手順の続きでどうにかなる。

 でも、集合場所に着いた瞬間から、線は急にほどける。

 班。

 点呼。

 先生の声。

 しおり。

 荷物。

 トイレ。

 友達。

 バス。

 遅れてないのに、遅れた気がする。

 人が多いだけで、時計の針まで少し急ぎ始める。遠足当日の困りごとは、だいたい最初の三分に全部寄ってくる。


 応援ポストは、校外学習のお知らせが貼られた掲示板の横に置かれていた。

 しおりの表紙のコピー。集合時刻。班編成。持ち物。注意事項。

 前日まで重かった名詞たちは、今日はもう紙の上に落ち着いている。重いのは別のものだ。人の集まり方とか、立つ位置とか、最初に何から手をつけるかとか。そういう、紙にしにくいものの方。


「今日の朝、だいたい全員ちょっと負けるよね」

 横から札の子が言った。

 もう腕章もない。ただの在校生なのに、こういう時だけ妙に現場の顔をする。


「分かる」

 私は頷く。

「遅刻してなくても負ける」

「そう。間に合ってるのに、なんか出遅れた感じになる」

「班の子が先に来てるだけで焦る」

「先生がすでに立ってるともっと焦る」

「しおり開いてる子がいるとさらに焦る」

 そこまで言ったら、札の子が吹き出した。

「朝から比較対象が多すぎるんだよ」

「遠足って、急に“ちゃんとしてそうな人”が可視化される」

「去年の私がそれで死んだ」

「現場比喩?」

「現場比喩」

 でも、分かる。遠足当日は、いつもは見えない“手際のよさ”が急に光る。しおりを出すのが早い子。班の位置にまっすぐ行ける子。荷物の扱いがうまい子。そういうのが目に入るだけで、自分の手順まで崩れそうになる。


 私は箱の蓋を開けた。

 白い紙が一枚。折り目は急いでいるのに、字は途中から少しだけ落ち着きを取り戻している。


【HELP】

遠足当日の集合が苦手です。

集合場所に着いた瞬間、やることが急に増えます。

班の子を探す、先生の話を聞く、しおりを出す、荷物を持ち直す、トイレも気になる。

全部同時に来る感じで、遅れてないのに遅れたみたいになります。

今日、新入生に「集合して最初の三分で何を先にすればいいですか」と聞かれて答えられませんでした。

最初の三分だけ勝つなら、何からやればいいですか。

(高2)

追伸:集合って、始まる前がいちばん騒がしいです。


「来たね」

 札の子が肩越しに読んで、すぐ頷いた。

「今日のやつ」

「今日のやつだね」

 最初の三分。

 そこだけ勝つ。

 言い方が少し可笑しいのに、たぶん本当にそこなのだと思う。遠足の朝を丸ごと勝とうとすると負ける。でも最初の三分なら、まだ手が届く。


 掲示板の前を、新しい制服の子が二人通っていった。

 片方が「バスどこからだっけ」と言い、もう片方が「班って先に集まるんだよね」と返す。

 会話は軽い。軽いのに、歩幅だけ少し速い。

 遠足当日の朝は、楽しみと焦りの歩幅が同じになる。だから余計にややこしい。


「最初の三分って、何がいちばん邪魔なんだろ」

 私が言うと、札の子は少しだけ考えた。

「全部大事そうに見えること」

「分かる」

「あと、荷物があること」

「それもある」

「人って荷物持ってるだけで判断が二秒遅くなる」

「妙に真実っぽい」

「去年の私が証明してる」

 ほんとうに証明していそうなのが困る。

 荷物。しおり。人の多さ。先生の声。全部が少しずつ判断を遅らせる。遠足の朝は、たぶんそれだけで十分に手ごわい。


 最初の返事は、昼休みの終わりに来た。

 小さめの字。角ばっていて、必要な線しか引かない字だった。


【返事】

高2へ

最初の三分は、

「班」

「声」

「手」

の順でいいと思います。

班=自分が寄る場所

声=先生の声が届く向き

手=しおりを出せる手

です。

全部やろうとすると固まるので、

まず寄る場所を決めて、

次に声が届く方を向いて、

最後に手を空ける。

(高3)

追伸:集合は、準備より位置と向きが先です。


「班、声、手」

 私は声に出して読んだ。

「いい」

 札の子も頷く。

「しおりより先に“寄る場所”なんだ」

「うん。朝の集合って、情報より位置で勝つとこある」

 たしかにそうだ。

 しおりを一番に開こうとすると、位置が宙に浮く。まずどこへ寄るか。次にどっちを向くか。そのあとで手を空ける。その順番なら、最初の三分は少し持てそうだった。


 二枚目の返事は、丸い字だった。行間が広くて、読んでいるこっちの肩が少し下がる。


【返事】

最初の三分で大事なのは、

全部を終わらせることじゃなくて

「あとでできるものを後ろへ送ること」だと思います。

トイレ、写真、雑談、荷物の入れ直しは後ろへ送れることが多いです。

逆に、

先生の話を聞く位置

班の人数確認

しおりが見える状態

は前に出した方が楽です。

(大1)

追伸:集合の朝は、終わらせるより先送りの判断が助けます。


「先送りの判断」

 札の子がそこで言った。

「大学っぽい」

「それ毎回やるんだ」

「でも今日も当たってる」

 少し悔しいけど、分かってしまう。

 集合の朝に重いのは、全部“今やること”に見えるからだ。けれど実際は後ろへ送れるものもある。その見分けがつくだけで、朝はだいぶ楽になる。


 三枚目は短かった。


【返事】

最初の三分でトイレに行かない。

気になっても、班と話を聞く位置が先。

どうしてもなら、先生の話が一回切れてから。

(中3)

追伸:朝の集合は、離れると二倍迷います。


「つよ」

 私と札の子が同時に言った。

 離れると二倍迷う。

 その短い一行が、妙に遠足の朝っぽかった。

 集合場所って、最初に一回離れると戻るのがむずかしい。人も班も声も動いてしまうからだ。


 四枚目は少し遅れて来た。

 字は小さいけれど、最後だけ少しやわらかい。


【返事】

新入生に聞かれたなら、

「三分で勝つ」は

“ちゃんとして見える”ことじゃなくて

“置いていかれない位置に入る”こと

と伝えていいと思います。

しおりを開くのが遅くても、

班のそばで先生の声が届いていれば

だいたい戻れます。

(高3)

追伸:朝の遠足は、手際より迷子にならない方が勝ちです。


 そこだけ、私は読み返した。

 置いていかれない位置に入る。

 たぶん今日いちばん要る言葉は、それだった。

 遠足の朝って、手際の良さを競っているように見えるけど、ほんとうはそうじゃない。置いていかれないこと。戻れる位置にいること。その方がずっと大事だ。


 その時、短い負けが来た。


 新しい制服の子が一人、掲示板の前でしおりを開いたまま止まっていた。

 高一っぽい。片手にしおり、片手に水筒。鞄は肩からずりそうで、視線だけが集合場所の方と班表の方を行ったり来たりしている。

 あれはたぶん、今この瞬間に全部来ている顔だ。


「行く?」

 札の子が小声で言う。

「うん」

 私は頷いた。


 近づきながら、危うくこう言いそうになった。

 班どこ?

 でも、それを先に聞くと、また“答えなきゃいけないもの”が増える。今日はそこを増やしたくなかった。


「着いたばっかりな感じ?」

 私はそう聞いた。

 新しい制服の子は少し驚いた顔で頷いた。

「あ、はい」

「なんか……もう始まってる感じがして」

 やっぱりそうだった。

 間に合っているのに、もう遅れている気がする。その感じが一番、人を急がせる。


「しおり、一回閉じていいよ」

 私は言った。

 その子はきょとんとした。

「え」

「今、班と声の方が先」

 すると札の子が横から小さく言う。

「寄る場所、分かる?」

 新しい制服の子は、しおりの班表をもう一回見かけて、でも私はそこで首を振った。


「しおりじゃなくて、人で見よう」

 そう言った。

 しおりの班番号を読むより、集合場所の中で同じ制服の固まりを見る方が早い時がある。今日はたぶんその日だ。


 その子は少しだけ不安そうな顔をしたけど、しおりを半分閉じた。

 それだけで、片手が少し自由になる。

 私は集合場所の方を指した。

「あのへん、高一の固まりあるの見える?」

「……はい」

「まずそこまで寄る」

 班、声、手。

 高3の返事が頭の中でその順番を保っていた。


 三人で歩き出す。

 ところが途中で、その子が小さく言った。

「トイレ、行きたくて」

 出た、と思った。

 遠足の朝にトイレが気になるのはよくある。よくあるのに、最初にそこへ行くと二倍迷う。中3の返事が、そのまま今の足元に落ちてきたみたいだった。


 私は一瞬だけ迷った。

 我慢して、は言いたくない。けれど今ここで離れるのも危ない。


「先生の話、一回聞けたら、そのあとでいいかも」

 そう言うと、その子は少しだけ困った顔をした。

 困った顔を見ると、こっちも急ぐ。

 急いで楽な方へ逃がしたくなる。けど、今日はそこを間違えるとたぶん長く負ける。


 札の子が、少しだけ前を見たまま言う。

「三分だけ勝とう」

 その言い方が妙に可笑しくて、でもちゃんと効いた。

「班のそば入って、先生の声聞いて、それから」

 新しい制服の子は、その順番を頭の中で並べたみたいに、少しだけ頷いた。

「……はい」

 そこで歩幅が少し戻る。


 高一の固まりの端まで来る。

 先生がまだ点呼前の声で何か話している。全部は聞こえない。でも、届く位置ではある。

 そこまで来た瞬間、新しい制服の子の肩の高さが少し変わった。

 完全には安心していない。けど、もう掲示板の前で一人で固まっていた時の顔ではなかった。


「しおり、今なら出せる?」

 私は聞く。

 その子は頷いて、水筒を持ち直し、しおりをちゃんと開いた。

「出せます」

「じゃあ勝ち」

 札の子が横から言った。

「まだ三分たってない」

 その言い方があまりにも雑で、私は吹き出した。

 新しい制服の子も、一拍遅れて少し笑う。

 笑えた時点で、たぶんほんとうに半分勝っている。


 ところが、ここでさらに短い負けが来た。

 先生の声が急に大きくなって、別の班の子たちが一斉に前へ詰めたのだ。

 押される。鞄が少しずれる。新しい制服の子がまたしおりと水筒の持ち方を崩しかける。

 朝の集合って、こういう小さい圧が何回か来る。せっかく戻った手順が、すぐまたほどけそうになる。


「荷物、今直さなくていい」

 私はすぐ言った。

 危うく私まで鞄に手を伸ばしかけたけど、止めた。

 荷物の入れ直しは後ろへ送れる。大1の返事がここで効いた。


「今は立つ場所だけ」

 札の子が短く言う。

 新しい制服の子は、しおりを持ったままもう一回頷いた。

 班の端。先生の声。しおり。そこだけに戻る。

 荷物は少し傾いていてもいい。水筒が少し邪魔でもいい。最初の三分は、きれいじゃなくていいのだ。


 先生の話が一区切りついたところで、札の子が小声で言った。

「今ならトイレ聞ける」

 その子はぱっと顔を上げた。

 さっきまでの“今すぐ行かなきゃ”が、“今なら聞ける”に変わる。その差は大きい。


「先生に一言だけ言ってくる?」

 私が聞くと、その子は今度は迷わず頷いた。

「はい」

 短い。短いけど、それで十分だった。

 最初の三分で勝つって、たぶん全部終わらせることじゃない。次の行動を迷わず選べる位置まで戻ることだ。


 その子が先生のところへ行くのを見送ってから、私は少し息を吐いた。

「今日、圧すごいね」

「二話目だから」

 札の子が平然と言う。

「急に箱の構成意識しないで」

「でもそういう日でしょ」

 そう返されると、なんとなく悔しいのに納得してしまう。

 遠足当日は、パックの二話目みたいな日だ。圧が一番強い。手順は途中で負けてもいい。そのかわり、最後に立つ位置さえ残れば、まだ次がある。


 集合場所の空気は、そのあとも何度か波打った。

 遅れて来た子が走りそうになって止められる。

 しおりを落として拾う。

 先生の「班ごとに並んで」が、想像より広い。

 友達の「一緒に行こ」が、別の班の子には効かない。

 遠足の朝って、全部が少しずつズレる。

 でも、ズレるたびに戻る場所があるなら、それでかなり違う。


 少しして、新しい制服の子が戻ってきた。

「聞けました」

 息は少し上がっている。でも、顔は最初よりずっとはっきりしていた。

「よかった」

 私は言う。

「しおり、出したままでいい?」

「うん、今はそれでいい」

 その子はしおりを見下ろして、それから小さく笑った。

「最初、全部同時だと思ってました」

「朝ってそう見えるよね」

 札の子が言う。

「でも三分たつと、ちょっと分かれてくる」

 その言い方が、今日にはすごく正しかった。


 昼休みの終わり、箱の中にTHANKSが一枚入っていた。

 折り目は最初のHELPと同じ。真ん中の行だけ、少しだけ強い。


【THANKS】

遠足当日の集合は、

全部同時に来るから苦しいんだと思っていました。

でも今日、新入生に

「班」

「声」

「手」

の順でいい、と伝えました。

その子も、最初にしおりを閉じて、

高一の固まりに寄って、

先生の声が届く位置に入ってから、またしおりを出していました。

トイレも最初じゃなくて、一回話を聞いてからにしていました。

三分で勝つって、全部終わらせることじゃなくて、置いていかれない位置に入ることなんですね。

(高2)

追伸:遠足の朝に欲しかったのは、手際の良さより、戻れる順番の方でした。


 読み終わって、私は校外学習のお知らせを見た。

 紙は昨日と同じだ。しおりも同じ。班表も同じ。

 変わったのは、人の中の持ち方だけだった。

 昨日は持ち物の名前が重かった。今日は最初の三分が重い。

 でも、その重さにも順番がある。そう思えるだけで、遠足の朝は少し人間に戻る。


「じゃあ」

 札の子が、わざと水筒を持ち直すふりをして言う。

「遠足当日の勝ち筋は」

「班、声、手」

 私が返す。

「語呂はちょっと弱い」

「でも効く」

「うん、効く」

 そこで二人で少し笑った。

 笑えるなら、今日はちゃんと戻せている。


 遠足当日の集合って、たぶん最初の三分で全部決まるわけじゃない。

 でも、最初の三分で置いていかれない位置に入れたら、そのあとは何回か負けても戻れる。

 班。

 声。

 手。

 それだけ覚えていれば、朝の騒がしさは少しだけ分けられる。

 遠足の楽しさって、そのあとでようやく入ってくるのだと思う。


 追伸:遠足当日の朝は、全部を同時に持たなくていい。最初の三分だけ、班と声と手がそろえば、たぶんちゃんと始まれる。


---


頑張る人ほど、追伸に救われる。

追伸は週1以上、基本は14時更新

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