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追伸は必ず。  作者: 科上悠羽


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3/3

フェーズ1:第3話 おませの言い訳と味見係

中学の教室、高校の廊下、大学の掲示板のそば。

どこにでも現れる「応援ポスト」には、毎週ちがうHELPが届く。

返事を書くのは、同級生かもしれない。先輩かもしれない。先生かもしれない。

共通しているのはひとつだけ。

“追伸だけは必ず。”

 下駄箱のあたりって、いつも音が多い。

 靴箱の扉がばたん、スリッパが擦れて、誰かの「早くー!」が跳ねていく。冬の朝はそこに、外の冷気まで混ざるから、息が白いぶん、笑い声がやけに目立つ。


 その掲示板の端っこに、生徒会が借りた小さなスペースがある。

 見出しは太字で——


「応援コーナー(生徒会)

 HELP:困ってること

 THANKS:助かったこと

 返事:誰でも書けます

 追伸だけは必ず(書けない日は顔文字でもOK)

 ※個人名・個人情報・悪口は禁止」


 紙は色が違う。HELPは薄いピンク、THANKSは薄い水色。返事用は白。

 小等部の掲示板には、なぜか丸っこいスタンプで「追伸」って印が押してあって、かわいい。かわいいけど、ルールは硬い。


 私は、五年二組の——つむぎ

 背はクラスで真ん中よりちょい下。足も速くないし、声も大きくない。

 でも、知ってるふりだけは、上手い。


「ねえ紬、今年さ、どうする?」

 朝、同じ班の美咲が言った。「どうする?」の前に、言葉があるのを私は知っている。


(チョコ)


 あの、二月の、甘くて空気がざらざらするやつ。

 テレビもお店も、やたら赤い包装紙で世界を包むやつ。

 小等部でも、去年から「交換」っぽいことをする子が増えた。先生は「食べ物のやり取りは、家で確認してね」って言う。でも、禁止とは言わない。禁止しないから、空気だけが勝手に大きくなる。


「うーん……まだ、決めてない」

 私は、軽く笑って言った。

 決めてない、は便利だ。どっちにも逃げられる。


「えー、決めないと遅いよ? 材料とかさ」

 美咲が当たり前みたいに言う。材料。

 材料って言い方が、もう「やるのが普通」になってる。


 私は「そっかー」と言いながら、靴箱の前でひもを結び直した。結び直す必要なんてないのに。

 目線だけ、応援コーナーに逃がす。


 ピンクのHELPが一枚、端っこに貼られている。

 文字が、私のクラスの子の字に似ていた。似ているだけ。名前は書けないから、分からない。


『HELP:だれにあげるの?ってきかれるのがこわい

 追伸:だれにもあげないっていうと、へんっていわれそう』


 私の胸の奥が、勝手に「それ」と言った。

 それ、分かる。って。

 でも私は、知ってるふりのまま通り過ぎる。五年生は、共感した顔を見せるのが一番恥ずかしい。



 放課後、家に帰ると、台所がもう甘い匂いだった。

 姉がいる。中等部二年。家の中で一番「準備期間が楽しい人」。


「紬、帰った? エプロンそこ!」

 姉は私の顔も見ないで言った。ボウルが三つ、泡立て器が二本、なぜか計量スプーンが行方不明。


「何してんの」

「試作。試作大事。失敗は許されない」


 失敗って、そこまで重大?

 私は笑いそうになって、飲み込んだ。姉は真剣だ。真剣な人を茶化すと、空気が濁る。それも知ってる。


 そこへ、弟が滑り込んできた。二年生。

 目がきらきらしている。犬みたいに。


「味見する!」

 第一声が、それ。


「しない。まだ混ぜてない」

「混ぜたら味見する!」

「味見は一回だけね」


 姉がさらっと言う。「一回だけ」の言い方が、すでに百回目みたいに慣れている。

 弟は「やった!」と拳を握った。味見が、戦いの勝利みたい。


 姉が材料を並べる。板チョコ、バター、砂糖、ココア、トッピングのカラフルな粒。

 弟の目が粒に吸い込まれる。


「これ、ぜんぶのせる!」

「のせない。姉ちゃんが作るのは、食べるためじゃなくて、渡すためのものだから」

 姉が言った。


 弟は一瞬止まって、それから首をかしげた。

「渡すと食べれないの?」

「食べれるけど、渡したら手元にないでしょ」

「じゃあ、味見はだいじ」

「そこに戻るんだ」


 私は笑ってしまった。

 弟はいつも、最短距離で結論に飛ぶ。

 大事なのは味見。みたいな顔で。


 でも、渡すためのもの。

 その言葉が、私の胸に引っかかった。


 渡す。

 誰に。

 渡さないなら、私は変?


 台所の角の冷蔵庫に、姉が貼っている買い物メモがある。

「板チョコ追加」「ラッピング」「型」

 準備って、やる人には楽しいのだろう。やらない人には、ただの圧だ。


 私はエプロンをつけたまま、玄関の方へ行った。

「どこ行くの」

「ちょっと、掲示板」


 姉は「ふーん」と言った。弟は「味見する!」と叫んだ。今はまだだ。



 小等部の下駄箱の掲示板には、相変わらずHELPが一枚貼ってあった。朝見たやつ。

 その隣に、白い返事の紙が増えている。誰かが返したんだ。


 私はこっそり、近づいた。

 返事は短かった。


『返事:きかれたら「ひみつ」って言っていいよ。

 「ひみつ」は、へんじゃない。

 追伸:どうしてもこわい日は、話題を「好きなおかし」にずらしてもOK』


 ずらしてもOK。

 その一言が、やけに優しい。


 私は、白い紙の下の小さな印を見た。

 名前じゃない。丸っこいスタンプで「保健室」とだけ押してある。


(先生……?)


 先生って、ちゃんとこういう返事を書くんだ。

 しかも説教じゃない。技をくれる。


 私は、胸が少し軽くなったのに、同時に変な悔しさが湧いた。

 「ひみつ」って言っていい。

 それ、私が思いつきたかった。


 でも、思いつかなかった。

 だから、こういう場所がある。


 私は、ピンクのHELP用紙を一枚取った。生徒会が置いている束から。

 ペンを持つ手が、なぜか温かい。


 書くのは、HELPじゃなくていい。

 THANKSでもいい。

 でも今日は、まだ答えが出てないから——HELPにした。


『HELP:友だちに「どうする?」って聞かれると、こまる

 追伸:知ってるふりをして、笑うのがくせです』


 自分で書いて、自分にツッコミたくなった。

 くせです、って。自己紹介かよ。


 でも、書いたら、ちょっとだけ笑えた。

 笑えたなら、今日はそれでいい。


 私はその紙を、掲示板の端のポケットに入れた。

 ポケットには「HELP(小等部)」とある。生徒会、仕事が丁寧。



 台所に戻ると、弟がすでにチョコの匂いに負けていた。

 ボウルの縁についたチョコを、指ですくって舐めている。


「味見、まだ一回って言ったよね」

 姉が静かに言う。


「これは……予告味見!」

 弟が胸を張った。予告味見。そんな言葉、どこで覚えた。


「予告って何」

「ほんばんのまえに、ならしてる」


 私は声を殺して笑った。

 姉は眉間にしわを寄せたまま、でも口元がちょっとだけ緩んだ。

 怒りたいのに、理屈が変で笑いが先に来てしまう。弟はそういうところが強い。


「じゃあ、味見係さん」

 姉が観念したように言う。「一回だけね。ほんとに」

「やったー!」


 弟はスプーン一杯のチョコをもらって、ものすごく真剣に舐めた。舐め終わって、唇の端にチョコがついているのに気づかない。


「どう?」

 姉が聞く。


 弟は、もごもごしながら、世界を救う顔で言った。


「……これ、しあわせのあじ」


 姉が吹き出した。私も吹き出した。

 弟は「なに?」と不満そうに頬をふくらませた。チョコのひげができている。

 私はティッシュで弟の口元を拭きながら、思った。


 しあわせの味、って言えるの、ずるい。

 でも、ずるいのに、救われる。


 渡すためのもの。

 渡すかどうか。

 私が決める。決められないなら、「ひみつ」でもいい。


 私は、さっき書いたHELPの追伸を思い出して、少しだけ恥ずかしくなった。

 知ってるふり。笑う。

 でも、知ってるふりをやめる練習も、こうやってできるのかもしれない。


 翌朝、下駄箱の掲示板を見るのが、少しだけ楽しみになった。

 誰かの返事が来ても来なくても、私はもう、ひとつ言い方を持っている。


 ——追伸。

 弟はその夜、寝る前に言った。


「ねえ、紬。チョコってさ、あげなくてもいい?」

「……いいんじゃない?」

「じゃあ、おれ、味見だけする」

「それは、それでどうなの」


 弟は満足そうに笑って、布団にもぐった。

 私は思わず笑ってしまった。

 笑えるなら、たぶん大丈夫。少なくとも、今日は。

頑張る人ほど、追伸に救われる。

最低週一更新です。

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