表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
26/33

フェーズ2:第5話 ポストの前、次の空白

中学の教室、高校の廊下、大学の掲示板のそば。

どこにでも現れる「応援ポスト」には、毎週ちがうHELPが届く。

返事を書くのは、同級生かもしれない。先輩かもしれない。先生かもしれない。

共通しているのはひとつだけ。

“追伸だけは必ず。”


---


 入学式が終わると、壁に残るのは紙より跡の方だ。


 剥がされたテープの細い線。

 ラミネート札が掛かっていた穴。

 日に当たらなかったぶんだけ白い四角。

 数日かけて増えた案内が、数時間で片づいていくと、廊下は急に広くなる。広くなるのに、少しだけ落ち着かない。さっきまで必要だったものが無くなると、人は「次に何を置けばいいのか」を考え始めるからだ。


 今日は昼前から、入学式まわりの仮掲示が順番に外されていた。

 体育館前の整列札。

 保護者受付の矢印。

 写真列最後尾。

 幼の靴箱への簡易案内。

 全部なくなったわけじゃない。常設の掲示は残る。でも、春だけ増えていた紙が減ると、校舎は急に次の顔をし始める。


 応援ポストは、掲示板の右端に戻っていた。

 最初に置いた場所。角のところ。人が通れる幅を一回だけ確かめたくなる位置。

 私は木の箱の横に立って、掲示板の白い四角を見ていた。

 何かが貼ってあった跡だけが、きれいに残っている。


「急にさみしいね」

 後ろから札の子が言った。

 今日も腕章をつけているけど、さすがに少しくたびれて見える。入学式週間の腕章は、だいたい人より先に疲れる。


「広いのにね」

「広いからじゃない?」

「そうかも」

 紙が多いと息が浅くなる。減ると減るで、今度は落ち着かない。学校って、ちょうどいいところに長くいてくれない。


 箱の蓋を開けると、白い紙が一枚だけ入っていた。

 今日は静かだ。静かな日の紙は、折り目まで静かに見える。


【HELP】

案内の紙を片づけています。

剥がしたあとの掲示板に空白ができると、そこを何かで埋めたくなります。

次の案内を貼る予定はまだないのに、空いていると「仕事が終わってない」みたいで落ち着きません。

応援ポストの横も、今は広いです。

広いと通りやすいけど、なんだか間が抜けて見えます。

こういう空白って、埋めるべきですか。

(高2)

追伸:空いていると、何かしなきゃいけない気がしてしまいます。


「今日それ来るんだ」

 札の子が肩越しに読んで言う。

「今日だから来るのかも」

「終わったあとのやつね」

「うん」

 終わったあとのやつ。たしかにそうだと思う。

 忙しい時は、埋めることで手が動く。けれど、忙しさがひと段落した瞬間に、今度は空いているところの方が目につく。目につくと、人は何かしたくなる。何かしたくなるのは悪くない。でも、そこで何を足すかはたぶん難しい。


 掲示板の前を、新しい制服の子が二人通っていった。

 今日はもう入学式当日の固さはない。けど、歩幅はまだ少しだけ遠慮がちだ。校舎に慣れたわけじゃない。慣れていないけど、案内札が減ったぶん、自分の足で選ぶことが増えただけだ。


「空白って、邪魔じゃないのかな」

 私が言うと、札の子は掲示板の前の幅を見た。

「邪魔ではない」

「でも落ち着かない」

「分かる。片づけ途中みたいに見える」

「そう」

「あと、貼れそうなスペースがあると、何か貼りたくなる」

「あなたは特にでしょ」

「否定できない」

 そう言いながら、札の子は回収したラミネート札の束を抱え直した。抱え直したのに、いちばん上の一枚だけ少し斜めのままだった。珍しい。たぶん本人も落ち着いていない。


 最初の返事は、昼休み前に来た。

 字は小さめで、角ばっていて、余計なことを言わなそうな字。


【返事】

高2へ

空白は、埋めるためにある時と、残すためにある時があると思います。

今の掲示板の横は後者です。

入学式の案内が減ったあとなら、

次に必要なのは紙の情報より「立ち止まる幅」です。

ポストの前が広いのは、間が抜けているんじゃなくて、

次の人が止まれる余白です。

(高3)

追伸:空白が仕事をしている時もあります。


「空白が仕事」

 私は思わず読み返した。

「いい返事」

 札の子が言う。

「うん」

「高3って、ときどきこういう言い方するよね」

「たまにずるい」

 ずるいけど、効く。空白は仕事をしている。そう言われると、急に掲示板の白い四角が怠けて見えなくなる。


 二枚目の返事は、丸い字だった。大きめで、少し呼吸しやすい字。


【返事】

何も貼っていないところがあると、

人はそこに「止まってもいい場所」を見つけやすいです。

掲示が詰まっていると、読むか通るかしかなくなります。

でも少し空いていると、足を止めて考えられます。

応援ポストの横なら、なおさら。

次のHELPは、だいたいそういう余白の前に来ます。

(大1)

追伸:空白は、情報が無いんじゃなくて、考える場所です。


「考える場所、か」

「大学っぽい」

「今日も言うんだ」

「言う」

「偏見を休まないね」

「春だから」

「便利な言い訳」

 またそれを言う。言いながら笑えるなら、たぶん今日は軽い方だ。


 三枚目は短かった。


【返事】

全部埋まってると、

“ここで止まる”が分かりにくいです。

ポストの前なら、一枚ぶん空いてる方が親切。

(中3)

追伸:読む前に、立つ場所がいる。


「つよ」

 私が言うと、札の子も頷いた。

「今日の中3、ずっとつよい」

「短いのに足りるんだよね」

「足りる日ってある」

 たしかにそういう日がある。忙しさが一段下がった日の言葉は、長い説明より短い位置決めの方が効く。


 四枚目は、少し意外な方向から来た。


【返事】

埋めたくなるなら、

全部を空けるんじゃなくて、

“空けると決めた形”を一つ作ると落ち着くかもしれません。

たとえば、ポストの横を紙一枚ぶんだけ空ける。

端だけそろえる。

何もしてない空白じゃなくて、

残した空白にする。

(高3)

追伸:余白も、整っていると不安が減ります。


「残した空白」

 札の子がそこで小さく息を吐いた。

「それだ」

「なにが」

「私、空白そのものが嫌なんじゃなくて、片づけ途中の感じが嫌なんだ」

 言われてみればそうかもしれない。

 無造作な空きは、忘れ物みたいに見える。けれど、残すと決めた空白なら、ただの未完じゃない。


 私は掲示板の前に立って、白い四角を見直した。

 たしかに今は、外したあとそのままの顔をしている。テープの端も、剥がした跡も、少しだけだらしない。これでは、空白が仕事をしているようには見えない。


「整える?」

「整える」

 札の子がすぐ言った。


 私たちは、まず剥がし残しのテープを取った。

 次に、掲示板の端に残っていた曲がった画鋲を抜く。

 それから、応援ポストをほんの少しだけ左に寄せた。寄せすぎると通路が狭くなるから、半歩ぶんだけ。

 最後に、掲示板の右端から箱の横までの空きを、目で測る。

 紙一枚ぶん。

 高3の返事どおり、それくらいがちょうどよかった。


「なんか、急に完成した」

 札の子が言う。

「完成っていうか、呼吸し始めた」

「言い方だけ聞くと詩人」

「現場の詩です」

「便利な言い逃れ」

 そう言いながら、札の子はちょっと満足そうに見えた。腕章はくたびれていても、顔が少し戻るだけでだいぶ違う。


 そこで、短い負けが起きた。


 昼休みの終わりに、職員室から戻ってきたらしい先輩が、何枚かの紙を抱えて掲示板の前で止まったのだ。

「この部活勧誘のまとめ、ここ貼っていい?」

 ちょうど、その空けた場所を指しながら言う。

 紙は四枚。きれいに揃っている。今貼らなきゃいけない感じの顔をしている。


 私は一瞬で揺れた。

 貼れる。すごく貼れる。位置もちょうどいい。

 しかも内容も悪くない。新入生向けの案内だ。役に立つ。

 役に立つ紙を断る理由って、急に言いにくくなる。


 札の子も少し黙った。

 たぶん同じことを考えている。貼れる。すごく貼れる。だからこそ危ない。


「……あ」

 言葉が出かかったところで、その先輩の後ろに、新しい制服の子が一人立ち止まった。

 掲示板を見るでもなく、通りすぎるでもなく、ポストの前あたりで速度を落としたまま、立つ位置を決められない顔。

 紙がそこに入ると、その子はたぶん止まる場所を失う。

 さっき整えた幅が、一瞬でただの掲示の続きになる。


 胸の奥が急ぐ。急ぐと、人は「役に立つもの」を優先したくなる。でも、今ここで必要なのはたぶん別だ。

 読む前に、立つ場所がいる。

 その返事が頭の中ではっきり鳴った。


「ごめんなさい」

 私は先輩に向かって言った。

「ここ、一枚ぶんだけ空けておきたくて」

 先輩が瞬きをした。

「空ける?」

「ポストの前で止まる幅にしたいんです。貼るなら、ひとつ左ならいけます」

 言いながら、自分でも少しひやひやした。断る言い方としては弱い。弱いけど、今はそれしかなかった。


 先輩は持っていた紙と、掲示板の前の新しい制服の子と、応援ポストを順に見た。

 それから、少しだけ眉を上げて笑った。

「なるほど」

 よかった。笑ってくれた。笑ってくれると、そこで半分助かる。


「じゃあ左に寄せる」

「お願いします」

「この学校、貼れる場所があると全員貼りたがるね」

 先輩はそう言いながら、紙を一つ左の区画に移した。言い方があまりにも正確で、私は思わず笑った。

「分かります」

「君たちもその顔してる」

 ばれている。ばれているけど、それで空気が少し軽くなる。


 先輩が去ったあと、新しい制服の子は空いた幅の前で少しだけ息を整え、それからポストを見た。

 見る。迷う。箱の前で止まる。

 その止まり方が、ちょうどよかった。誰の邪魔にもならない。でも、消えてもいない。

 私はその光景を見て、やっとさっきの断り方が間違ってなかったと思えた。


「いたね」

 札の子が小声で言う。

「うん」

「次の人」

「うん」

 次の人。そうだと思う。入学式の札が剥がれたあと、次にここへ来るのは、べつに大きな行事の人じゃない。日常の手前で一回止まる人だ。


 その新しい制服の子は、しばらくして紙を一枚入れていった。

 去り際にもう一回だけ掲示板の空きを見ていたのが、なんだか印象に残った。

 空白があると、人はそこも見る。情報としてじゃなくて、自分の位置として。


 午後になって、THANKSの紙が箱に入った。

 折り目は最初のHELPと同じ。少しだけ急いだ感じも同じ。


【THANKS】

空白をそのままにするんじゃなくて、

残すと決めた空白にしたら、落ち着きました。

テープ跡を取って、端をそろえて、ポストの横を紙一枚ぶん空けました。

最初はそこに案内を貼りたくなったけど、

本当に必要だったのは、立ち止まる幅でした。

そのあと実際に、新しい子がそこで止まって、ポストを見ました。

何もしてない空白じゃなくて、次の人の場所でした。

(高2)

追伸:埋めなかったことで、次が入る日もあるんですね。


 読み終わって、私は掲示板の右端を見た。

 紙一枚ぶんの空き。

 広すぎない。狭すぎない。無いより、ちゃんとある方が目につくくらいの幅。

 ただ空いているだけなのに、さっきよりずっと意味があるように見える。


 札の子が、回収した案内札の束をぱたんと机に置いた。

「これで、次の紙が来ても焦らないかも」

「貼る場所があるから?」

「違う」

 札の子はちょっとだけ得意そうな顔をした。

「貼らない場所が決まったから」

 それが妙にきれいに聞こえて、私は吹き出した。

「なにそれ、今日の名言?」

「使っていいよ」

「高3っぽく言わないで」

「便利な言い訳」

 最後だけ雑に戻る。それで十分だった。


 入学式の札が減って、校舎は少しだけ次の顔になった。

 まだ完全な日常じゃない。新しい制服はまだ固いし、歩く速度も少し遠慮がちだ。

 でも、掲示板の前に立つ幅があるだけで、次の困りごとはちゃんとここへ来られる。

 全部を埋めるより、少し空けておく方が学校らしい日もある。

 そういう日がある。


 追伸:次の空白は、足りない場所じゃなかった。次の人が止まるための、ちゃんとした席でした。


---


頑張る人ほど、追伸に救われる。

追伸は週1以上、基本は14時更新

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ