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追伸は必ず。  作者: 科上悠羽


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15/17

フェーズ1:第14話 ホワイトデー、渡せない

中学の教室、高校の廊下、大学の掲示板のそば。

どこにでも現れる「応援ポスト」には、毎週ちがうHELPが届く。

返事を書くのは、同級生かもしれない。先輩かもしれない。先生かもしれない。

共通しているのはひとつだけ。

“追伸だけは必ず。”


---


 ホワイトデーの廊下は、包装紙の音がする。


 カサ、と。

 シャリ、と。

 薄い紙が擦れる音が、いつもの足音より先に曲がり角から来る。甘い匂いも、ほんの少し遅れてついてくる。購買の前だけじゃない。教室の前でも、階段でも、図書室の入口でも、誰かのカバンの中から「今日」が漏れている。


 日付はたった二文字で、人を忙しくする。三月十四日。

 数字だけ見れば同じ一日なのに、この日は「返す」って言葉が勝手に増える。返す、返す、返す。返す相手がいる人も、いない人も。返すつもりだった人も、返す予定じゃなかった人も。


 それなのに、渡す場面は案外少ない。

 廊下は広いのに、渡せる場所がない。人はたくさんいるのに、渡せるタイミングがない。手に持っているものが軽いほど、心臓だけが重い。


 掲示板の角の「応援ポスト」だけは、いつも通りだった。箱は静かで、板はきれいで、人の足だけが少し遅くなる。今日は特に、立ち止まる人が多い。立ち止まって、板を読むふりをして、実は自分の手元を落ち着かせている。


 HELPの紙は二枚。どちらも、字の間に息が詰まっている。


【HELP】

ホワイトデーなのに、渡せない。

用意したのに、渡せない。

「遅れた」って言うのも怖い。


 もう一枚は、行が短い。短いのに、悩みがぎゅっと詰まっている。


【HELP】

返すものを決めたのに、決めきれない。

軽くしたいのに、軽く見られたくない。

渡す前から、もう疲れた。


 紙の前で、誰かが小さく肩を落とした。落とした肩の数だけ、「分かる」が増える。今日はイベントの日で、みんな少しだけ人に寄りかかりたい。


 返事はまず、太い字で短く置かれた。読んだ瞬間に、胸の奥の音が落ち着くタイプの字。


【返事】

日付に遅れても、手順に遅れるな。


・渡せなかった理由は言わない

・「遅れた」を先に言う

・「受け取って」も先に言う

追伸:言い訳は甘い匂いに負ける。


 言い訳は甘い匂いに負ける、で板の前が少し笑った。匂いに勝てない日は、言葉も勝てない。だから手順。手順は匂いと戦わない。


 次の返事は筆圧が軽い。行間が少し広くて、読み手の息も広がる。


【返事】

「遅れた」が怖い人へ。

遅れたのは、あなたじゃなく“日付”。


言い方の型:

『今日じゃないけど、これだけ渡したかった』

追伸:今日じゃない、は優しい。


 遅れたのは日付。責任の持ち方を、ちょっとだけずらしてくれる。ずらすだけで、渡せる角度が増える。


 価値観のちがう返事も並ぶ。字が四角く、箇条書きがきっちりしている。決めきれないHELPに、決める順番を置く返事。


【返事】

「軽い/重い」を先に決めない。

先に“目的”を決める。


A:ありがとうを返す

B:気持ちを伝える

C:区切りをつける

目的が決まると、重さが決まる。

追伸:重さは相手じゃなく手順で調整できる。


 目的を選ぶ。選ぶだけで、心臓の重さが少し整理される。重いのは気持ちじゃなく、選べない状態だ。


 さらにもう一枚。字が丸く、少し斜めで、急いで貼った感じがある。


【返事】

渡せない日は、渡す練習を先にする。


・包みを一回だけ持ち替える

・渡す言葉を三回だけ口の中で言う

・渡す場所を一つだけ決める

追伸:場所が決まると、足が動く。


 練習。誰かが小さく頷いた。渡すのは勇気じゃなくて、段取りの回数なのかもしれない。


 そして、少しだけ現実の匂いがする返事が来た。字が細く、端の余白が少ない。「今日」の人に向けた短距離の返事。


【返事】

渡せないときは「預ける」に変える。

渡すのを、今日の自分から明日の自分へ預ける。


・包みを一回しまい直す

・メモを一行だけ貼る(“明日、ここで”)

・帰ったら中身を一回確認

追伸:預けるは、逃げじゃなく整列。


 整列、という言葉が妙に効いた。イベントは横入りが多い。だから整列。気持ちも、列に戻せる。


 最後の返事は、さらに現実寄りだった。字が小さく、行が短い。急いでいる人の助けになるやつ。


【返事】

渡すのが怖いなら、渡す時間を短くする。

立ち止まらない。


言い方:

『これ。遅れた。ごめん。じゃ!』

追伸:走らなくていい。足を止めないだけ。


 『じゃ!』の軽さに、板の前が少しだけほどけた。軽さは、逃げじゃなくて優しさになる時がある。


 ——そして今日の現場は、短い負けが起きやすい。


 廊下の曲がり角。人がすれ違う。笑い声が混ざる。包装紙が鳴る。

 その中で、誰かが小さな紙袋を握っていた。白い袋に、薄い水色のリボン。リボンが綺麗すぎて、余計に怖い。綺麗なものほど、渡すときに手が震える。


 渡す相手は、ここを通る。通るはず。

 ……通らなかった。


 時間だけが過ぎて、足だけが固まって、袋の角が少し潰れた。潰れた角を見ると、胸がきゅっとなる。自分が悪い気がする。日付が悪いのに。


 やっと見えた背中に、声をかけようとした。

 「——」

 息が先に詰まって、声が出る前に笑いが出そうになる。笑いは逃げ道だ。逃げ道を選ぶと、今日が終わる。


 そのとき、板の返事が頭の中で揺れた。

 “渡す時間を短くする。足を止めないだけ。”


 行く。

 行ける……はず。


 近づいた瞬間、反対側から別の人が割り込んで、道が詰まった。廊下の流れが一瞬だけ渋滞する。渋滞すると、立ち止まる。立ち止まると、心臓が追いつく。追いついた心臓は、怖い。


 怖くて、袋を握り直した。

 握り直した瞬間、リボンが指に引っかかった。

 ひっかかって、ほどけた。

 ほどけた音が、やけに大きい。カサッ、と。紙の音は今日、主役だ。


 短い負けだ。

 負けの顔が出そうになる。出る前に、修正する。


 “渡せない日は、渡す練習を先にする。”


 その人は、一歩下がって、息を吐いた。深呼吸じゃない。「ふー」だけ。三回はやらない。一回でいい。

 袋を持ち替える。右手から左手。左手から右手。練習は二回で十分だ。

 そして、口の中で言う。三回だけ。


 『今日じゃないけど、これだけ渡したかった』

 『今日じゃないけど、これだけ渡したかった』

 『今日じゃないけど、これだけ渡したかった』


 三回言うと、言葉が“自分のもの”になる。怖さが全部消えるわけじゃない。でも、怖さの形が分かる。分かれば、持てる。


 場所も決める。

 廊下の真ん中は無理。

 掲示板の角は混む。

 じゃあ、階段の手前。人が減速する場所。減速するなら、短い言葉が届く。


 もう一度、背中が見えた。今度は道が空いている。今度は自分の足が動く。

 足を止めない。止めないだけ。


 「……今日じゃないけど、これだけ渡したかった」


 声は小さかった。小さいけれど、ちゃんと届いた。届いたから、相手が振り向いた。振り向いた瞬間に、世界が一段明るくなる。明るくなるのに、汗は冷たい。

 袋を差し出す。

 相手の手が受け取る。

 受け取る手の動きが、思ったより普通で、それがいちばん救いだった。


 「……え、ありがとう」

 「うん。遅れて、ごめん。じゃ!」


 『じゃ!』が言えた。言えたら勝ちだ。勝ちは大勝ちじゃなくていい。足を止めずに通り過ぎる。

 通り過ぎたあと、階段の影で一回だけ肩を回した。動作で息を置く。今日の手順に、ちゃんと従う。


 同じころ、もう一つのHELPの人も戦っていた。


 軽くしたいのに、軽く見られたくない。

 その矛盾は、包み紙の厚さより重い。

 小さすぎると不安で、大きすぎると怖い。選べないと、渡す前に疲れる。


 返事の「目的を決める」を思い出して、紙にA・B・Cを小さく書いた。

 A:ありがとう。

 それだけ丸をつける。気持ちを伝える、じゃない。区切りをつける、でもない。今日はありがとうの日にする。


 ありがとうの日なら、重さは“生活”でいい。

 包装紙じゃなくて、言葉で軽くする。


 その人は、包みに小さなメモを添えた。三行だけ。


 「ありがとう」

 「助かった」

 「また、元気な日に」


 三行なら、嘘が減る。説明が減る。減るほど本物になる。

 ……のはずだったのに、ここでも短い負けが起きた。


 渡す相手の前に、別の人が立っていた。ちょうど会話が終わるタイミングで、場がゆるく開いている。

 その開きに、包みを差し込むのは簡単だ。でも簡単に見えるほど、怖い。

 怖くて、一歩遅れた。

 一歩遅れると、空気が閉じる。閉じると、また疲れる。


 そこで「預ける」を思い出す。今日の自分から、明日の自分へ。

 その人は包みを一回だけしまい直し、メモを指で押さえた。

 メモの端に、さらに一行だけ足す。


 “明日、階段の手前で”


 それだけ書いたら、胸の奥の疲れが少し整理された。渡せない日は、渡せないままでも、次の置き場所だけは作れる。


 ……作れたら、今度は足が動いた。


 階段の手前。減速する場所。

 相手が通る。

 自分も通る。

 並んだ瞬間に、三行メモの一行目だけ言う。


 「ありがとう」

 それだけで包みを出す。

 相手が一瞬だけ目を丸くして、すぐ笑った。


 「……うん、ありがとう」

 言葉が短いから、笑いが入る。笑いが入ると、重さがちょうどよくなる。


 夕方、板にTHANKSが貼られた。今日はTHANKSも、どこか甘い匂いがする。紙の端が少しだけ丸まっていて、貼る手が急いでいたのが分かる。急いだのに、貼りに来た。そこが勝ちだ。


【THANKS】

渡せなかった理由を言わない、が効いた。

「遅れた」だけ言って渡したら、息が戻った。

言い訳が出そうになったら、水を飲んだ。

言い訳は甘い匂いに負ける、ほんとだった。


【THANKS】

「遅れたのは日付」って思ったら、足が動いた。

『今日じゃないけど』が優しかった。

渡したあと、肩を回したら笑えた。

包装紙の音が怖いのに、最後は味方に聞こえた。


【THANKS】

目的をAありがとうにしたら、重さが決まった。

三行メモを添えたら、軽いのに雑じゃなかった。

いったんしまい直して“明日ここで”って書いたら、疲れが減った。

次の日、ちゃんと「ありがとう」だけ言えた。


【THANKS】

渡す練習をしたら、袋を握りつぶさなかった。

リボンほどけて負けたけど、持ち替えてやり直せた。

『じゃ!』が言えたのが一番うれしい。

帰り道、手が空っぽなのに胸が軽かった。


【THANKS】

短く言って、足を止めなかった。

相手の手が普通で、それで救われた。

渡す時間が短いと、怖さも短かった。

階段の手前、減速する場所、ほんとに使えた。


 板の前でTHANKSを読んだ人が、つられて口元を上げた。今日の笑いは、小さくていい。小さい笑いは、誰にもバレにくい。バレにくいから、何回でも出せる。


 その笑いの端に、誰かが小さな紙皿を置いていた。袋の中で潰れたお菓子を、そっと移したみたいな形。

 紙皿の脇に、さらに小さいメモがある。


 “形が崩れた分は、ここで回収。ご自由に。”


 誰かが一つ取って、目を丸くして笑った。

 「……これ、うまい」

 そう言って、もう一つ取ろうとして、隣の人に肘で止められた。

 「一人二個まで」

 「え、厳しい」

 「手順だよ」

 「手順か……」


 手順で笑えるなら、今日は成功だ。


 最後に、白い返事が一枚増えていた。字が小さく、でも最後の一行だけ太い。


【返事】

渡せない日は、渡せないままでもいい。

ただし「明日どうするか」だけは置いていく。


追伸:ホワイトデーは一日。手順は一生使える。


 手順は一生使える。

 大げさなのに、なぜか笑える。笑えるから、信じられる。イベントは派手で、手順は地味で、地味な方が長持ちする。


 廊下の端で、袋の角が潰れたままの人がいた。渡せなかった人だろう。

 でもその人は、袋を捨てなかった。捨てないで、リボンを結び直していた。

 結び直すのは、まだ明日がある証拠だ。


 甘い匂いは、帰り道にも残る。

 残る匂いに負けてもいい。

 負けたまま、明日の手順だけポケットに入れられたなら、それは勝ちだ。


 ——追伸:今日じゃない、は優しい。


---


頑張る人ほど、追伸に救われる。

追伸は週1以上、基本は14時更新

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